★阿修羅♪ > 国家破産67 > 283.html ★阿修羅♪ |
|
トヨタの激震〜「リコール」の発想転換をしなければ国益を害する【郷原信郎氏、畑村洋太郎氏、永井正夫氏 記者会見テキスト】 http://www.asyura2.com/10/hasan67/msg/283.html
http://opinion.infoseek.co.jp/article/761
ク原信郎氏は、「いま、自動車について大変なことが起きている。自動車における安全確保とはなにか? そして、リコールとは何なのか」をテーマに2月9日、記者レクチャーを開催した。 今回の会には、「失敗学のすすめ」の著者である、畑村洋太郎工学院大学教授と、工学院大学教授の永井正夫氏、そしてク原信郎氏がそれぞれの立場で発言した。 ** まず、永井工学院大学教授は次のように語った。 ■衝突安全性の向上から予防安全技術の向上へ
これらの技術向上によって、現在、交通事故による死亡者はおよそ5,000名に減少したといわれている。 一方で、物損事故は毎年700万件にのぼる。今後、高齢化や交通弱者の問題にこそ、目を向ける必要性がある。 他方、技術においては、「衝突安全性の向上」という発想から、「予防安全技術の向上」に視点が向かっている。例えば、高齢者や運転初心者に対して、「こういうところに注意しましょう」と喚起するものだ。 プリウスはまさにそういうハイテク機器になりつつある自動車の代表格だ。今回問題になったABS(アンチロックブレーキングシステム)は、人間の特性に依存する技術。 当初は「急にブレーキをかけてもハンドルがロックしないようにする」というものだったが、そうすると札幌のような路面が凍りやすい地域ではごつんごつんと衝突が起こってしまっていた。そこから技術は向上し、いまでは素晴らしいものになっている。 ABSについては、制動距離を短くする装置と思われがちだが、そうではない。あくまで車輪がロックしないようにしてハンドルで事故を回避する、という目的のために作られている。横滑り防止(ECS)が付いたことで、より事故回避能力が向上された。 ハイテク機器になりつつあるいま、車の安全性は車のトータルの性能によって維持される。プリウスはハイブリッド型の車だ。事故防止能力を向上させるためにそれぞれのエンジン、利用のシーンに合わせて回避する方法が必要になる。 今回の話だと、例えば「ドライブレコーダー」の活用により、「ヒヤリ、はっと」した状況やEDR(エアバッグを利用した回数を記録する)を記録することで、運転者のクセをシステムに記憶させ、個々のタイミングにあった予防をすることができれば交通事故そのものが劇的に減ると思う。 ただし、この場合は個人情報の管理がキーになるだろう。これまでとは違い、データの蓄積によって性能が向上していく。そんなプリウスを業界として育てていきたい。 例えば燃費を追求したタイヤ選びをすると転がり抵抗がなくなり、安全面での問題が出てくる場合もある。何度も言うが、自動車の安全は自動車の性能をトータルで見る必要がある。
■真正面からリコールと向き合え 今回特に言いたいのは、「リコールはダメでいけないモノだから回収する」というのではなく、真正面から向き合って、乗り越えなければならない技術向上のためのハードル、と捉えるべきだということだ。 技術者と経営者がリコールをどう捉えるべきかについては、フォードを例に以前調査した。フォードの例では、技術者と経営側の意識のズレがやがて大きな問題を生んだ。 技術者は技術者倫理として、「世界に技術を嘱託されているということを胸にし、いかに会社といえど主張すべきは主張しないといけない」というものがある。 日本ではリコールを、「失敗してできたものはけしからん」として、悪いモノというレッテルを貼りたがるが、そうではない。きちんと調べるべきことは調べる、ということには意味がある。 リコールについてのとらえ方は、日本と海外ではかなりの差がある。アメリカではリコールされたものは価値が上がる傾向にあるが、日本ではリコールは罰として、価値が下がる。 今回のプリウス問題は性能をどう作り込むか、というプログラムの問題。世論なりユーザーの求めていた性能とトヨタの考えに差があったことがそもそもの原因だ。これを楚々として直すことが大切で、プリウスは悪い、という風潮になるのは残念だ。 今回のリコールは、本当に安全なものを生むうえで通らないといけないステップだと思う。 ■ソフトウェアの難しさとトヨタの“欠点” ソフトウェアの特徴は、目に見えないこと。作ったものはちゃんとしていても、載せたシステムにどこかしらバグ(欠陥)があるかもしれない。 今回のプリウスはめったにない「バグ」だが、きちんとそれが理解されていない。なぜ会社が言っていることが信用されないのか、についてだれも議論していないことは問題だ。 自動車の設計で最も難しいことが「バグの発見」。プリウスが販売されている、ということは、そんなにひどいことにならない、という判断に基づいたものだと思う。 ソフトウェアの場合、作りこむ上でのミスやマズさはありうる。けど、今回の問題については、トヨタは「これでは事故は起こっていない」と言わず、「感覚の問題」といってしまった。そういう議論になったことは本当に残念なことだ。 説明のしかたではなく、どこに疑問を持って説明すべきなのか、をしっかりトヨタ側は受け止めるべきだ。 ■リコールについての国民的発想転換を 前原大臣の立場からすると、多くの国民の感じていることを素直に言ったんだと思う。国交省ではリコールを真正面から考えようとしている。でも、今回の大臣の発言を見ると、リコールについての議論は生かされていないように感じる。 どこかでリコールについて発想を転換しないと、ユーザーもメーカーも国も損をする、ということを国交省主導で考えるようにしないといけない。トヨタ元気出せ、というわけではないが、トヨタが考えていることを日本人みんなで考えていかないといけない。 ■リコールの基準は―― リコールを出すかどうかの指標はない。だから、ぽつぽつと起こるトラブルから、重大な問題を見抜いてリコールをするかどうかを検討する。 日本は2000年代に三菱自動車が潰れてなくなるような問題が起こり、それ以降、リコールが多くなった。これは粗悪品が増えたのではなく、世の中が求めている品質に見合わなくてリコールしているだけの話だ。 ユーザーを利用して実験をしているわけではなく、市場に出して不具合が起きたら直す、ということでよりよい製品、技術を育てていくべきだ。 ■複雑化する技術とバグへの対応 メカとソフトのバグを同じレイヤーで考えることは難しい。たとえば、プリウスは2万行くらいのプログラムで構成されている。使っていくことによって蓄積されたデータを元に異常診断することによって今後は交通事故を予防するなどの改善がなされると理解している。
■技術の向上と法律はズレていないか 永井さんが言ったように、今回の問題はABSの制御に関する問題。事故回避の方法と目的が捉えられていないように思う。ユビキタスメカトロニクスの中で、個人の特性に車が適合する、という時代に入ってきている。 このステージでは、法律や情報倫理をどう考えるべきか、個人の情報をどう捉えるべきか、これを法的に考えるべきだと思う。 一部の人に合わないから、リコールを法的にやっていこう、という制度に結びつけていってしまうと、車のあり方と法律がマッチしなくる。プリウスの問題はABSが低速で稼働する限定されたシーンでのみ起こる問題だ。なのに、ブレーキのききが悪くなっている、という論になってしまった。 これは重要な問題を提起していると思う。 メーカーとユーザーが一緒になって安全なものを育てるのがリコール。これは不名誉なことではない。局所的な方が良いのか、リコールという大々的な対策を打たなければならないのか、考えるべきだ。 リコールに対する意識が日本では「悪いもの」という意識が企業に二の足を踏ませるということ。そして、安全にとって最もプラスになり、その問題に最も適合した対応がなにか、を検討するきっかけとなったと考える。 コンプライアンスの立場からいうと、トヨタ側に対して残念な感を否めない。トヨタの会見やマスコミを通した説明の場ではユーザーに十分な理解がされない気がする。背景などを含めた問題意識が欠けていたため、事態が深刻化したように見える。 クライシスマネジメントが欠けていたために、トヨタのプリウスというすばらしい技術に「キズ」を付けたと思う。もともとABSが低速で作動する極めてまれな場面の問題だということを理解してもらわないといけないのに、「フィーリングの違い」という言葉が取り上げられたため、企業のユーザー軽視な態度と受け止められた感がある。 もう1つは、アメリカで「反トヨタ」の動きが強まっていたこともある。アメリカでの動きをどう受け止めるかによって、この問題の評価認識が違ってくる、という不確定要素についても考えるべきだったのではないか。 また、「アメリカの国益のためにやっているのでは?」と思うような“トヨタバッシング”は日本では起こらないだろう、とトヨタは思っていたと思う。トヨタからすると「日本ならトヨタのことを分かってくれる」という甘えがあったと思う。 一方で前原国交大臣の「会社側は大きな問題ではないというが、それはユーザーが決めること」という発言はあまり適当ではなかったように思う。確かにトヨタの説明は不十分なところもあったと思う。 だが、使う側は技術のことは分からないのが大部分だ。ユーザーと企業側のコレボレーションで製品を育てていくことが大事だ。使う側が決める、というような単純なことではないと思う。 トヨタの技術に対する世界的な「疑問」の考え方は、下手をすると国益を損なうような問題になりかねない。客観的な視点から考えていくべき問題だ。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 国家破産67掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。 すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。 |