投稿者 Orion星人 日時 2010 年 1 月 31 日 14:11:09: ccPhv3kJVUPSc
http://diamond.jp/series/yuuai/10009/
【冷え込む雇用がもたらす日本の衰退】
「おらこんな村いやだ 東京へ出るだ」と吉幾三が唄ったのは20数年前。最近は「こんな村社会はいやだ」と東京を離れる若者が少なくない。
彼らが向かう先は海外。不景気の憂さを忘れるため旅行するわけではない。国外で就職、あるいは起業する人々が増えつつあるのだ。
日本総合研究所主任研究員・藤波匠さんは次のように話す。
「総務省の人口推計によると、2007年10月〜2008年9月までの1年間、日本人の国外流出数は10万人を超えました。過去20年間で最大の出国超過となっています。
一方で、企業の海外赴任者は近年減少傾向にありましたが、2008年秋の世界的な景気の悪化以降、その傾向をさらに強めており、海外赴任者の帰国が目立っています」
2008年の外務省の統計によれば、海外の長期滞在者のうち、企業関係者は1年間で約1300人減っている。かわりに自由業関係者はおよそ2000人増えた。また、永住者は約2万1500人も増加し、36万人を突破している。
「とくに20〜40代と比較的若い世代で出国超過が目立ちます。今後も、企業の海外赴任によらない人口の海外流出は増えるでしょう」
景気低迷で就職事情が冷え込む中、脱・東京を図り、海外就職をめざす若者とはいったいどんな人たちなのか――。
現場に聞いてみた。
“日本人ブランド”で
勝負するすし職人たち
「飯炊き3年握り8年」
そんな古い常識をひっくり返す、新たな潮流がすし業界で起こっている。長くて1年〜1年半、調理経験者なら1カ月ですし職人として一本立ちし、海外へ出ていく若者たちが続出しているのだ。
短期間ですし職人を養成するのは「東京すしアカデミー」。年間に100名以上の卒業生が海外で就職、あるいは起業するという。多くは20〜30代の若者たち。就職氷河期世代が中心だ。大企業のビジネスマンもいるが、フリーターや非正規労働者も多い。女性も2,3割いる。渡航先はヨーロッパやアジアなど、およそ50カ国と幅広い。
代表の福江誠氏は説明する。
「昔は“すし職人は10年近く修行してようやく一人前”と言われていました。将来は独立して店を持ち、一国一城の主になれるという夢が描けたからこそ、若者も辛抱できたわけです」
だが、今の業界事情は一変している。イタリアンやアジア料理など、外食店の種類も増え、すし店の存在感はかつてとは比べようもないほど薄れてしまった。さらに、回転すしチェーンやパックすしなどの台頭で、競争も激化している。こうした業界にあって、若者が店を持つことは簡単ではない。
そこで脚光を浴びているのが海外の舞台だ。米国では以前ほどの人気はないものの、欧州の日本ファンや新興国の富裕層にとってすしの魅力は大きい。すし職人は、“日本人”というブランドを生かせる数少ない職業といえる。
しかも、すし店では客の前で魚をさばき、握ってみせるパフォーマンスがサービスのひとつとなっている。外食産業に広がるオートメーション化の波に呑まれることもない。起業する場合も小資本ですむ。
フランス・リゾート地にある一流すしレストランでマネージャーとして働く、もと派遣社員の女性。職を転々とした揚句、すしビジネスでの起業を決意、ポーランドですしのケータリング会社を立ち上げた男性。収入は国によっていろいろだが「日本のすし店に勤務するのと同等か、1.5倍くらいが相場。起業家の中にはビルを建てるような大金持ちもいる」(福江代表)という。
すしの持つ可能性に目覚めた若者たちが、技術を身につけ、世界へと飛び出してゆく。大企業のホワイトカラーになることだけが成功モデルだった時代はもはや終わりなのかもしれない。
アジアで“人生リセット”
を図る派遣女性も
旅慣れた若い女性にとって、海外就職はごく身近な選択肢だ。とくに最近はいわゆるキャリアウーマンではなく、非正規雇用の女性が“人生リセット”の手段として海外就職に注目している。
海外就職や留学情報を提供するアルクグローバルの国際派就職ジャンル担当者はこう説明する。
「20代後半から30代前半の独身女性、それも派遣社員や事務職の人が多いですね。いろいろな意味で身軽な立場だからこそ、思い切ったチャレンジができるのでしょう。観光ビザで現地へ出かけ、仕事を探す人も多い。たまたま入ったレストランでオーナーから『こっちで働かないか』と誘われ、就職するケースもあります」
女性を取り巻く雇用環境は以前にもまして厳しい。日本ではいくら頑張ったところで、納得できる職に就くのは難しいのが現実だ。ならば、それまでの社会経験と語学力を生かし、いちかばちか海外で就職してしまおう、というわけだ。
人気があるのはタイやシンガポールなどのアジア圏。世界的不況で商社や鉄鋼メーカーなどの募集は激減したが、ホテルやレストランなどのサービス業や中小企業事務職、日本企業のコールセンターなどの働き口はまだ多い。「とくにコールセンターは、近年日本からタイ、インド、中国などに拠点をシフトしており、現地採用が急増している」という。
たとえば、日本で一般事務の仕事をしていた20代女性は、中国に渡りコールセンターに就職。入社1年足らずでリーダーに昇格した。今後はさらに責任ある地位に就く予定で、上司とキャリアプランを立てている。ちなみに入社当初の給与は3500人民元。交通費や住宅手当も支給され、暮らしぶりはまあまあといったところだ。
だが、必ずしもサクセスストーリーが待っているとは限らない。読みの甘さから行き詰る女性も少なくないのが現実だ。
インターンシップ制度を利用し、シンガポールの企業に就職した20代女性は、インターンシップ先の企業にそのまま就職することを希望した。だが採用されず、まったく業種の違う企業で働くことに。給与は月25万円ほどと悪くはないが、仕事内容には納得がいかない。ビザが切れればこのまま帰国することになる。今の仕事を生かして日本で就職するのは気が進まない。
オーストラリアの貿易会社で働いていた20代女性の前途も多難だ。ワーキングホリデーでの渡航だったため、入社時の給与は月15万円ほどだった。それでも海外生活は楽しく、ほどなく現地の男性と恋に落ち、子どもを出産する。しかしその後ビザが切れ、自分だけ帰国することに。地元にはキャリアを生かせる職場はないうえ、子育てもしなくてはならない。今のところ無職の状態だ。
「しっかりしたキャリアプランを立てず、思いつきで海外就職に踏み切ってしまうと、あとあと不安や悩みを抱えてしまいがちですね。就労ビザが取得できない、帰国後の就職保証がない、などなど――。しかし、それでも彼女たちの『もっと誰かの役に立つ仕事をしたい』という思いは根強いようです」
フットワークの軽い若い女性たち。リスクはあっても、彼女たちはいさましく東京を飛び出していく。
【海外就職を目指すのは、非正規労働者にとどまらない。】
ソフトウエアエンジニアの宮本宏二郎さん(40歳)が海外就職に踏み切ったのは3年前だ。12年間勤めた大手電機メーカーを退職したきっかけは、米国シリコンバレーへの赴任だった。
「このまま日本の大企業にいたら、全然使えない人間になるぞ……」
愕然としたのも無理はない。赴任先で立ち上げたチームのボスから、彼は“下っ端”として働くことを言い渡されたのだ。宮本さんのエンジニアとしての能力を、ボスは認めなかったのである。
ソフトウェア業界は典型的な重層下請構造だ。彼が勤務していた東京本社でも、仕事の80%は下請けに丸投げしていた。仕様書の作成まで外注任せで、実務を行う社内エンジニアも契約社員というのが実態。開発部門とはいっても、自分の頭や手を使って働けるチャンスは少なかった。
「評価も、スキルや実績ではなく残業時間数で決まるようなところがありました。“頑張っている自分”をうまく上司にアピールできるかどうかが肝心だった」
とはいえ、“残業”の中身は、下請けからの連絡や納品をひたすら待つことだったりするのだが――。こんな仕事ぶりでは、スキルを磨くのは難しい。
「一方、シリコンバレーでは、エンジニアはスキルがすべて。いかにすばやく結果を出すかがアピールポイントです。残業するのは能力が低い証拠にほかならず、夜は家族とディナーを楽しむのがあたりまえ。外注に出すなどもってのほかでした」(宮本さん)
日本の年功序列システムにも疑問が募った。米国人のボスは毎週金曜日、勉強のために会社を休む。的確な判断を下すためには、最新技術の知識が不可欠だからだ。ところが、日本の上司たちは技術の勉強など若手に任せておけばいいと思っている。当然、現場のことは何もわからず、具体的な指示はまったくできない。
それでも彼らは自分のポジションを維持している。そのために生じる時間やコストの無駄を思うと、暗澹たる気持ちになった、と宮本さんは振り返る。
【こんな仕組みの延長線上には夢が描けない――】
もちろん会社を辞め、海外就職するためには相応のスキルが必要だ。そこで資格取得に励んだばかりでなく、独力で英語学習のアプリケーションを開発した。自分の技術力を製品という目に見える形にし、客観的に評価してもらうためだ。
幸い実力は評価され、退職後はカナダのベンチャー企業に入社する。2年間の勤務後、ニュージーランドに移住。フリーランスを経て、通信関連会社に就職した。ニュージーランド、カナダの永住権も取得済みだ。
海外のビジネスマンを見ていて、つくづく感じたことがある。会社に対する帰属意識がきわめて薄いことだ。
「最初はそこに違和感も覚えたけれど、会社と個人がもたれあわない社会にはメリットもある。日本では不況やリストラでうつが増えているというのに、彼らはクビになってもへっちゃら、という顔をしているんですよね」
グローバル競争が激化する時代、大企業正社員といえど明日はどうなるかわからない。そんな不安も「国や会社を批判するだけでは乗り越えられない。変化を恐れず、前に進みたかった」と宮本さん。
一流企業の名刺を捨てたかわりに、好きな場所に住み、自分の人生を味わう自由を得た。庭の緑を眺めながら妻や2人の子どもと囲む夕食は、まさに至福のひとときだ。
【東京が“大阪化”する日】
非正規雇用の若者、女性、はてはエリートビジネスマンまで――。海外へと出ていく若者がさらに増えてゆけば、東京はどうなるのだろうか。
「高い生産性で地方から労働力を吸い上げ、経済発展という恵みを国にもたらした東京は、長らく国内における“人口のダム”でした。ところが将来、低成長のため新たな雇用を創出できなくなれば、東京は海外へと若い労働力を送り出す“人口ポンプ”になりかねません」
冒頭の藤波さんはこう警鐘を鳴らす。好例が高度経済成長期に発展し、その後、勢力を失いつつある大阪だ。
“雇用限界都市”、東京。この街が若者にとって生きづらい場所になれば、それだけ日本の未来にはかげりが生まれることになる。
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