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元気の出る聖書の言葉2011年8月5日
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」ヨハネの福音書4:23−24
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ここで言われる「霊とまことによって」という言葉は、「一所懸命に」とか「真心をもって」という意味ではありません。
神様が与えてくださる聖霊、神様が与えてくださるイエス様の真実が私たちを包む時、私たちは真の礼拝者として生まれ変わるのであって、人間の頑張りでは神様を見出すことも、真の礼拝を捧げることもできないのです。
私もそうでした。クリスチャンの家庭に育ちました。しかし、どうすれば本当に祈れるようになるのか分かりませんでした。どんなに大声で祈っても、また黙想の祈りをどれだけ続けても、自分の祈りが虚空に消えて行くように感じ、自分の存在の虚しさを満たすことはできなかったのです。
しかし、信仰を失い、健康を害し、生きる希望もなく絶望していた時、ある人が私のために祈ってくださった。その時、イエス様の御霊、イエス様の真実が私を包みました。
私は祈れるようになりました。真の礼拝とは何かを知ったのです。
自分の霊でも自分の真実でもない。イエス様の御霊、イエス様の真実がこんな私を包んでくださっている。
イエス様を否定して自分を求め、自分勝手な道を歩んでいた私を、イエス様は探し出してくださった。こんな者に語ってくださったのです。「お前も、真の礼拝者であれ。真の礼拝者として生きよ」と。
この喜び、この感謝、この感激を一人一人に満たすために、永遠の命を一人一人に満たすために、イエス様は来られたのです。
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祈り8/5
天のお父様。尊い御名を心から誉め讃えます。今日もあなたの溢れる恵みの中に包み、握ってくださっていることを心から感謝いたします。
祈りを知らなかった私に祈りを与えてくださったのは、あなたです。虚しい心をどうすることもできず、絶望していた時、あなたは私の中にやって来て下さいました。
満ち溢れるいのち、満ち溢れる喜び、感激、感謝、その中であなたは私に出会ってくださいました。あの時から、私は祈れるようになりました。あなたを礼拝するものと変えられました。
あなたはこんな者を探し出し、礼拝者として生きるように導いてくださいました。
あなたは、今も失われた多くの方々を探し、歩いていらっしゃると思います。主よ、あなたのいらっしゃるところに、私もお伴させてください。あなたのみ言葉と愛と命を届けることができますように。
今日も被災地にある方々、あるいは避難生活を続けるお一人お一人をあなたが支えてください。お一人お一人を訪れてください。お一人お一人があなたに気付くことができますように。
感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。
岩本遠億
(私のコメント)
宗教は祈りだと言われます。伝道とは未信者が祈れるように導いてあげることだとも
言われます。苦しい時、辛い時、善なる神様に祈れることは救いです。
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