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西郷征韓論-c
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投稿者 海幸彦 日時 2011 年 7 月 18 日 16:31:02: jY0c1QUHK1KaM
 

●『岩屋天狗と千年王国』(7)
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 ■征韓論なるものは西郷個人の隠密なる企図、妖説である
 
 ★兄(隆盛)は乱臣賊子になる

 西郷征韓論の真相を究明せんとする場合、私たちが最も奇怪に思うことの一つは、隆盛の弟で武断派好戦家だった陸軍大輔の西郷従道が、徹底的に征韓論に反対し、最後の最後まで、征韓論覆滅の裏面策謀をしたという事実である。

 西郷は、自分の遣韓大使に反対し、口もきかないで義絶同然にしている従道を「弟は深く狐疑している」と評し、従道は隆盛を「このままでは兄は乱臣賊子になる」と憂憤していたが、西郷を遣韓大使として派遣することの可否を論ずる公然たる政策論争について、実の兄弟同士が、乱臣賊子になるとか狐疑しているなどと異様に表現し合っている心理は、西郷遣韓大使問題が、何か西郷兄弟の、二人だけが関与した、二人だけしか知らない何か、ある重大な因縁といったものがかかわり合っているもののようにしか考えようがないのである。

 従道は、明治二十年夏、海軍大臣在任当時、兄隆盛の征韓論に反対した理由について、部下の山本権兵衛(旧薩摩藩士、後に海軍大臣、総理大臣、征韓論当時は二十二歳で海軍兵学寮に在学、艦務実習のためドイツ軍艦に乗り組み日本を離れていた)に、
「兄(隆盛)の真意を知る我は、兄をして、単身独自の立場をとるべく努力せるも果さざりしものなり」
 「所謂征韓論なるものに二途あり、兄はその一を採り、他は他の一を採りたるのみ」(横山健堂著 『大西郷兄弟』)と語っているが、これは、西郷征韓論なるものは、
  @征韓という表意(建て前)の裏に、西郷個人に何らかの真意(ほんね)があり、その真意を達成するためには、兄(隆盛)は、公的遣韓大使としてでなく、私的な個人の立場で渡帆しても目的を達することができるし、また、そうした方がよいと従道は極力主張し、兄に諌言したものであるということ。
 A いわゆる征韓論なるものには二途(意味、方法)があって、同じ征韓論にも隆盛派の征韓論と他者派(隆盛派以外)の征韓論があって、両者はそれぞれ全く異質のものであり、弟の従道は、他者派の征韓論には賛成したが、隆盛派の征韓論なるものには反対したものであるということ。
明治維新の裏面に暗躍した謀略集団真方衆

 上の二点を従道は強調したものであるが、では、従道が言う「西郷の真意」とはいったいどういうことだったのだろうか。
 
 ★征韓論は妖説なり
 
 西郷征韓論に反対した内治派・大隅重信は、その『昔日譚』(大隈の言行を直接聴取したものを、筆録者が三変して明治二十六年四月から二十七年十月まで『郵便報知新聞』に掲載された旧稿を、大隈の言により円城寺清か補正、改獄、添削して明治二十八年五月に上梓したもの)で、「西郷征韓論は妖説なり」と断言し、

 「征韓論と云へば、世人は西郷を以て其の主唱者と為し原動者と為すもの少なからざれども、果して然るや否や、今に猶茫漠として疑雲の裡にあり」
 「征韓論は、征韓論、否な、実に征韓てふ一大事変を仮りて各々其の隠密的意志を行わんと欲せしのみ」
 「西郷は憐れむべき一種の私情に駆られて竟に世の謂ゆる征韓論を唱ふるに至りたるを覚らん」
 「之を要するに、当時の征韓論は純一に韓国の慇懃無礼を憤り、之を征服して我威厳を伸べんと欲するより出たる議論にはあらずして、他の隠密的意志が因由と為り之を激発せしめたるなり。彼の江藤と云ひ、後藤と云ひ、板垣及び副島と云ひ、将だ西郷と云ひ、主として其議論を唱道せし人々は、或は一種の私情に駆られ或は隠密的志望を包蔵し、偶爾に起り来りたる征韓問題を仮りて之を行き遂げんと欲するより“征韓”てふ好題目を掲げ来りて壮言激論し、以て其決行を促がしたるなり」

 と誌して、西郷征韓論なるものには、征韓という表意(建て前)の裏に、本当は、西郷の私情に駆られた隠密的意図なるものを狙う別の真意(ほんね)があったと判然と誌しているのである。
 
 ★意味深重な諸家の発言
 
 征韓論当時の羅卒総長・川路利良が征韓論を評して「取いどこいが無か、史上最大の愚論だ」とか「西郷先生の私事だ」と言い、山県有朋は「征韓論は妄説なり」と言明し「征韓論は輝かしき征韓主張に非ず、西郷の妄執、妄信、妄念にかられた妄挙を狙った妄説なりき」と叫び、伊藤博文は「征韓論は西郷の私情だよ、ユタのことだよ」と痛罵し、かつて征韓を主唱したことのある木戸孝允は「征韓論は西郷の私情で薩摩の私闘だ、全く無謀の暴論だ」と言い、大隈、伊藤、井上は「征韓論は薩摩の事情によるものだ、国策国論に非ず」と一致結束して征韓論潰しを計り、村田新八は「征韓論は西郷と大久保の私闘だ」と断じ、吉井友実(宮内少丞)は「西郷はどうかしているよ、頭が狂っているとしか考えられない」と言い、後藤象二郎は「不羈なり、痛快々々」と叫び、中井弘(薩摩出身、駐英公使)は「征韓論は西郷が、初めからできないと分っている相談を太政官参議会議に持ちこんだものだ」と語った諸家の発言からもわかるごとく、西郷征韓論なるものは、西郷が、遣韓大使たらんことを主張しながら、本当は、国家的には絶対に認めることはできない、西郷の私情、薩摩の事情に関係がある、なんらかの意図を謀らんとした異常な筋合いのもの、つまり、征韓論は、純粋な外交問題に関する論争ではなく、西郷と薩摩という特殊特異事情に関して成起した論争だったということがわかるのである。

 大隈重信が「従来、互に乖離せる木戸と大久保が、征韓論争によって忽ち相一致し、岩倉を擁して断々乎として夫(それ)に反対したる所以は、所謂征韓論者が、口に征韓論を唱ふれども、別に一種の私情、隠密の意志を包蔵せるを看破せしにあり」と誌したごとく、所謂「西郷征韓論」なるものは「韓国を征伐する」というような単純な侵略的意図のものでなく、西郷が朝鮮に対して、なんらかの私意私情のある、ある秘図を計ったもの、伊藤博文が称したという「西郷が秘した妖蠱怪詭の企図」を主張したものと言えるのである。

 西郷が、明治六年七月二十六日夜、遣清大使として清国から帰朝した外務卿・副島種臣を一夜(七月二十七日)、私邸に訪ねて、遣韓大使の任を西郷に譲渡せんことを乞うたとき、副島が「西郷の境遇を察し、終に枉(ま)げて譲渡した」(『大西郷伝』ほか。丸山幹堂著の『副島種臣伯伝』には、西郷は蒼海先生を訪問して遣韓大使の任を自分にやらせてくれと懇請し、先生もその至誠に感泣して、あっさり同意するに至ったのはこの頃であると誌されている)という事実も、西郷遣韓大使には、その目的について、西郷に、ある個人的な私情があって、副島が、西郷のその個人的な境遇に同情して西郷遺韓大使に賛成したものであることがわかるのである。
 
 ★対立する二つの征韓派
 
 以上のように、いわゆる西郷征韓論なるものは、遣韓大使に藉口して、西郷がある重大な「隠密な企図」を蔵していたものというべく、したがって、征韓論争に関するいわゆる「内治派」なるものは、征韓に反対したのではなく、西郷のある重大な「隠密の企図」なるものに反対したものと言うべく、さすれば、明治六年の太政官参議論争は、征韓論争ではなく、実質的には、西郷の私意私情に基づくある重大な「隠密な企図」の是非に関する論争だったと言うことができるのである。

 維新革命のごとき激動期における政冶裏面真相を知るためには、時代を動かした巨頭、実力者間の政治力学的関係だけでなく、その慮外の言動とその意味するものを無視することはできないから、私たちは、当時の実力者が吐いた何気ない言動が、重大な機微にふれる真実を吐露していたり、あるいは糊塗粉黛しているということを十分に心得ておく必要があるのである。だから、西郷従道、大隈、山県、木戸、伊藤ら当時の多くの政治家たちの暗示的言動からもわかるように、いわゆる征韓論なるものは、韓国を征伐することの是非に関する外征派と内治派なるものの論争ではなく、西郷が狙ったなんらかの隠密な企図なるものの是非に関する論争だったことを理解しておく必要があるのである。

 以上のような論拠から、私たちは、いわゆる西郷征韓論なるものの実態を次のように分析することができるのである。

 @ 隆盛派の征韓派
 A 他者派(隆盛派以外の征韓派)

 だいたい、右の二派があって、Aの他者派が、韓国を征伐するという意図をもった実質上の征韓派であり、@の隆盛派は、遣韓大使としての西郷が、ある隠密の企図を達成することを承知し是認した上での西郷遣韓大使賛成の派であったことがわかるのである。

 徳富蘇峰氏が、征韓主張派は「お互いに同床異夢であった」とし「それは、普通二派ないし三派であった」(維新革命論争講座派の重鎮、服部之総氏)とされ、岩倉具視が板垣退肋のことを「貴郷(大久保)同様」であったと大久保へ書き送っている(「大久保文書」)のもそういう事実を物語るものである。

 そのことは、明治六年の参議論争の末期において、板垣、副島が岩倉、伊藤、大隈らと密会して談合したりした内通的行動を西郷が痛罵し、それを含みとして、板垣が、事件の真相を語らず、終生西郷を怨みとした事実からもわかるのである。

 このように、征韓論なるものに関する外征派参議たちの心理は、西郷の私意私情に茶づく真意(ほんね。ここでは隠密の企図)なるものが逐次暴露(関係者も知るようになる、大隈『昔日譚』には「看破された」と誌されている)してくるという時間的経過とともに徴妙に変転し動揺しながら、しかも最後には、西郷の私意私情に基づく隠密の企図を了解し承認した上での西郷朝鮮使節賛成という過程を辿っているから、私たちは、征韓論争なるものを、外征派と内治派、隆盛派と他者派というような単純な図式的思考だけではその真相を究明することはできないのである。

 以上の論述からみて、皆さんは、征韓論なるものは「西郷の私情と薩摩の事情」に関係がある、なんらかの「隠密なる企図」を西郷が包蔵したもの、しかもそれは、大隈が誌したごとく、偶々起こってきた朝鮮交渉使節問題に便乗して(籍りて)西郷が主張したことが「征韓論」という題目で表現されるに至ったものであることがわかるのである。

 ところが、従来の通説は、西郷が、明治六年七月二十九日、八月十四日、八月十七日付で板垣へ送った手紙と、大久保が在巴里の村田新八、大山巌へ送った八月十五日付の手紙を証拠として西郷は征韓論を主張したとしている。

 これらの手紙に関する従来史の解釈がいかに誤解、錯誤しているかの経緯とそのゆえんについては後に詳記する。(p67)

 ★佐賀の乱の真相

 佐賀の乱後、征韓派(これは、西郷を大使として朝鮮へ派遣することに賛成した派として表現した方が正しい)の江藤新平は、佐賀の乱を起こした後、明治七年四月七日、四国甲ノ浦で捕縛され、さっそく佐賀へ連行され、早くも四月十三日には、大久保の腹心、権大判事・河野敏鎌から死刑の判決をうけ、翌十四日処刑、無惨にもさらし首にまでされた。大久保がその日誌に「江藤陳述曖昧、実二笑止千万、人物推シテ知ラレタリ」と憎しみをもって江藤を侮蔑し、江藤への擬律(明治七年四月十三日の断罪判決文)で「該犯、窃に禍心を包蔵し、名を征韓に仮託して党与を募り・・・」と誌しているのは、江藤が党与を募った目的は「征韓」のためではなく「征韓に仮託」して「ある禍心を包蔵し」それを達成せんとした乱であったということを、大久保が部下の河野敏鎌をして表明せしめたものといえるのである。まさに、江藤が起こした佐賀の乱は、征韓ではなく「征韓に仮託してある禍心を図らんとしたもの」、それは、大隅が誌した「西郷が企図した隠密を包蔵した禍心」であったことがわかるのである。

 ところが、悲しいことに、西郷は、その包蔵した隠密の企図なるものを社会に公表せず、また、西郷が、江藤、副島、後藤へ送った手紙(真方衆送達)が権力に奪取され、板垣への便法の手紙だけが残されたということが、征韓論なるものの真相が今に至るも晦冥模糊として謎となってしまった重大な因子となったのである。

 江藤が、判決後ただちに処刑されたのは、裁判の席において江藤に自由に弁疏させると、江藤が、国家的に極秘にすべき重大問題である「西郷が意図した隠密の企図」なるものを陳述して、それが広く公然化することを恐れたからなのである。

 まさに、大隈が、
 「征韓論を主唱せし人々の心事は、今日に於てすら猶ほ世人多数の了知する所と為らざるか、若くは誤解する所となり居れる程なれば、其当時に於ては、更に、世人の了解する所と為らざりしなり、否、全天下を挙て僅々数人の外は征韓論の心事を了解したるものはなきなり」と誌したごとく、明治六年の参議政争の実態が不明であるのは、それが、征韓論争ではなく、征韓の名に仮託された、西郷の心中に隠された隠密の企図なる「心事」に関するものだったからなのである。
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