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元気の出る聖書の言葉2011年5月26日
「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。」マルコの福音書16:6
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「イエス様は今も生きている」という言葉は、先祖崇拝を文化背景とするところでは正しく理解されていない可能性があります。
日本でも、「死んだ家族や友人、あるいは先生は今も私たちの中に生きている」といった言葉をよく聞きます。このように思うことによって慰めを得ようとするのです。
数年前「千の風にのって」という歌が大ヒットしたのも、霊魂不滅の思想が先祖崇拝の精神土壌において共感を生んだからです。
しかし、聖書は一般的な意味における霊魂の不滅を前提とはしていません。むしろ、罪を犯した人間は、その体も霊も共に死に、滅びると言っているのです。罪は、必ず死をその帰結とすると。
罪が解決されないまま単に霊魂の不滅を信じようとする時、それは、手術すべき癌を取り除かずに、単に鎮痛剤を飲んで「これで大丈夫」と言っているようなものです。
しかし、罪を犯さなかったイエス様が十字架にかかって死に、罪を打ち砕いてくださいました。罪そのものが打ち砕かれた。そして、罪の結果としての死が効力を失い、イエス様は甦られたのです。
イエス様のものとされた私たちも、イエス様の十字架によって罪を赦され、イエス様と共に甦るのです。
肉体は死を通るでしょう。しかし、それは罪の結果ではありません。イエス様のものとされた私たちにとって、肉体の死は、永遠の命への扉となるのです。イエス様と共に永遠に生きるのです。
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祈り5/26
天のお父様。尊い御名を心から誉め讃えます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて、御前に引き寄せてくださったことを、心から感謝いたします。
主よ、私たちは何れこの肉体の死を迎えますが、それが罪の結果としての死ではなく、永遠の命への扉となるということを聞き、本当に感謝します。
私のこの罪は、すでにイエス様、あなたの十字架によって赦して頂きました。あなたが甦られたように、こんな者も甦らされるという喜ばしい知らせを聞くことができるとは、何という幸いでしょう。
あなたに繋がるものとして、希望と勇気をもって毎日を過ごすことができますよう、どうぞお導きください。
今日も被災地にある方々、避難を余儀なくされている方々のことを覚え祈ります。どうぞ、お一人お一人と共にあってください。痛みと苦しみの解決には多くの時間が必要だと思います。お一人お一人が絶望の中に留まらず、また怒りの中に留まることがないよう、あなたの解決をお与えくださいますよう、心からお願いいたします。
感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。
岩本遠億
(私のコメント)
日本人で生涯キリスト教徒になる人は一パーセントもいないという。キリスト教は所詮ユダヤ、イスラエルのものだと考えているようだ。そのユダヤ人の中でキリスト教徒になっている者は数パーセントで後は熱心なユダヤ教徒である。聖書を読む限りキリスト教徒が世界の歴史のカギを握っていることは間違いないと思う。
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