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@ ミトコンドリアが我々の体内に「居候」していることは誰でも知っているだろう。実は、この「穀潰し(ごくつぶし)?」のミトコンドリアが気になって仕方がないのだ。もしかすると、ミトコンドリアはトンでもない奴かも知れないのだ。その真実が分かると、今ある常識の世界観がひっくり返るかも知れないのだ。そこで、ミトコンドリアについて考えてみることにしたのだ。
ミトコンドリアとは、何様?神様?
@ ミトコンドリアは、人体とは違う独自のDNAを持ち、酸素呼吸をしている。
A ほとんど全ての生物の細胞に存在している。
B 人体が細胞分裂をすると、必ずミトコンドリアも分裂して付いてくる。
A ミトコンドリアの神学的仮説
@ 人間は霊肉一対の生き物である
人間は肉体という物質と、精神という非物質で構成されるが、実は、肉体の精が人間本来が持つ遺伝子DNAであり、それに対して精神の精がミトコンドリアDNAかも知れないのだ。
つまりそれは、人間の細胞の魂は機械の性質と動物的本能の性質を持っているから、放っておくと暴走して世界を破壊してしまうために、神霊といった上次元の存在がミトコンドリアの魂として、人間の本能にブレーキをかけコントロールしているという神学的仮説なのだ。
(別の表現をすると、人間のミトコンドリアには守護霊とか内在神とか先祖霊とか多くの霊が宿っているとでも表現できるだろう)。
A 人間は自我と他我の両性を持つ生き物である
自我とは「自己中心主義」のことでもあるが、人間は自我を失うと死んでしまうと言われるほど絶対に滅却できない人間の本質である。
だが、人間は自我のほかに「他我」も持っている。他我という概念は難しくて説明が難しいが、「客観性」とか「社会性」とか「自己犠牲」というようなイメージではないだろうか。
(それはまた、@で述べたとおり、自我とは自分の本質であり、人間本来が持つ細胞の精神でもあり、他我とは神霊でもあるミトコンドリアの精神だと考えてもよいかも知れない)。
B ミトコンドリアと原子との相関性
ミトコンドリアを原子に例えると、陽子と中性子で構成される原子核に相当し、陽子は人間本来の細胞であり本能的な「自我・渇愛」になる。そして、中性子はミトコンドリアであり「他我・アガペー(神仏の慈悲)」になる。そして両者をまとめて単に「愛」とも表現できるだろう。
(つまりそれは、渇愛(自我)という細胞の本能を、慈悲(他我)という社会性でブレーキをかけながら、人間が社会で生きていることになる)。
また、電子は原子核の対極であり「自己の表現」とか「愛の反映」とでも言えるだろう。
そしてそれは、マトリックス組織にも例えられるであろう。マトリックスとは、一般に、二系統の支配構造をいう。(たとえば会社において営業部と製造部の2系統の指示を受けて働いているような状態であろう)。この意味において、人間活動は細胞の本能に命令されると同時に、ミトコンドリアからの社会性のコントロールも受けているといえるだろう。
C アセンションとは自我の消滅であり、物質の崩壊でもある
アセンションとは、自我の消滅であり、愛の崩壊であり、原子の崩壊であり、物質の崩壊でもある。つまり、アセンションとは人間の卒業であり、肉体の束縛から開放されて宇宙意識?に帰還することなのだ。(だから俗に言う、単なる意識進化のことではない)。
またそれは、自我を失った他我となって、何者かの内在神として顕現するのかも知れない。
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