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@ ヨハネの黙示録は世界人類に対する書簡だと多くの人が認識していることであろう。あるいは出てくる人々が「ユダヤ人」「イスラエル」などであるからユダヤ人に対して下されたものだと思う人もあるだろう。
ところが、この書簡は日本人に対して下された手紙の可能性もあるのだ。そこでその可能性を検討してみたいと思う。
A 手紙の送り先がアナトリア半島西部という謎
黙示録の1章ではヨハネからの手紙(黙示録)が「アジアにある七つの教会」に送られた。アジアの七つの教会の場所はトルコのあるアナトリア半島の西部に集中している。アナトリア半島は古代にはヒッタイト・フリギア・リディア・ウラルトゥなどの王国が栄えた歴史があった。
本来なら、イスラエル王国・ユダ王国の栄えたパレスチナ方面の教会に送られるべきであろう。勿論パレスチナに適当な教会が無かったからアナトリア半島西部の教会に送られたという解釈は否定できない。
しかし、前文ではなく、本文の1章から3章までを使って執拗に「アジアの七つの教会」のことを書くには何か重大なヒントが隠されていると思えるのだ。
日本は世界の雛形
日本列島は世界の雛形であり、九州はアフリカの雛形で、本州はユーラシア大陸の雛形との説もあるが、これに従うとパレスチナ方面は大阪湾に相当し、紀伊半島はアラビア半島に相当するようだ。するとアナトリアは枚方・交野・東大阪・生駒・奈良付近が該当しそうだが、「日ユ同祖論」もあることだし、なにやら関連性がありそうに思える。
丑寅(うしとら)の鬼門と未申(ひつじさる)の裏鬼門
丑寅・艮は北東であり鬼門であり、反対の未申・坤は南西であり裏鬼門と云われて、その両方向は忌み嫌われるようで、鬼門は火と水を避けよとの教えもあるようだ。
そこで、北東が日本(北朝イスラエル)で南西がアナトリア・パレスチナ(南朝ユダ)で、さらに日本に限れば北東が東北地方で南西が畿内地方だとするのも日本の古代史的な意味で面白いかも知れない。
ヒッタイト帝国とイスラエル王国と日本の歴史との関連性 (本文省略)
B ユダヤ人と日本人の謎
歴史によると、古代イスラエル王国はヘブライ王国から分裂した後に、紀元前722年にアッシリアに滅ぼされて十支族が散逸して行方不明になった。またユダ王国も紀元前597年に新バビロニアに滅ぼされて多くの民が散逸して行方不明になったといわれる。
C 黙示録はユダヤ人のために書かれた書簡である
黙示録はユダヤ人への戒めの書簡であるが、裏返せば日本人に対する戒めでもあろう。17章と18章にバビロンの大淫婦が登場するが、それは物欲・飽食・淫欲などの象徴として記されたもので、現代の日本人に当てはまるかも知れない。獣とは日本精神や武士道精神を忘れた鬼畜のような人々を指す象徴的言葉だと思えるが、これを否定できる日本人が何人いるだろうか。
もちろん、日本人だけでなく人類全体への警告であろうし、バビロンの大淫婦や獣は日本人だけではないだろうが、黙示録はヨハネが「日本人になったイスラエルの子の14万4千人を含む子孫たち」に送った戒めの手紙と解釈してもよいであろう。
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