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1)
大江健三郎の純小説「洪水はわが魂に及び」上巻、下巻が新潮社から箱入りで発刊されたのは1973年だったと思う。
わたしが読んだのは70年代後半になってからだった。
1970年代はいかに滅んでいくかの終末論もブームになっていた。
1972年と1973年は時代の雰囲気がすでに変わっていた。まだ村上龍が出てくる前だった。
わたしは無知蒙昧の愚者であるから、いつも小説は、発刊されてから5年後にしか読めない。1996年に第19回群像新人賞をとった村上龍の「限りなく透明に近いブルー」はすぐ読んだ。村上龍はわたしよりひとつ上の世代、いよいよ同世代が文壇に登場してきたと注目した。村上龍はさんざん上の世代から憎しみをもってバッシングされた。そのときわたしが発見したことは敗戦後における世代間の底にある憎悪だった。
1970年代後期にはまだ「上の世代を打倒しないと、登場できない」という動物的なエネルギーがあった。
1980年に発刊された村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年後である1991年だった。
大江健三郎がノーベル賞をとってから、わたしは大江健三郎に興味がなくなった。
大江健三郎の小説でよかったのは「万延元年のフットボール」と「同時代ゲーム」だった。
大江健三郎の小説をはじめて読んだのは新潮文庫の「性的人間」だった。政治小説である「セブンティーン」が収録されていたからだった。17歳だった。その頃、夢精という性的現象に悩んでいたので、「セブンティーン」の主人公に感情移転していった。「セブンティーン」の主人公は右翼だったが、わたしは左翼になった。育った栃木県北部のちいさな街に日本愛国党がなかったからである。
わたしは中学生から高校まで朝刊夕刊の新聞配達をしながら、全国まんが同好会に所属し、ストーリーまんがを描いていた。高校3年の4月になって校内でまんが同好会を立ち上げた。最初の肉筆同人誌に掲載したのが、幕末の少年テロリストを描いた小作品だった。
少年といっても主人公の設定はセブンティーンだった。ラストシーンは、主人公である少年テロリストに斬られた幕府の老武士のつぶやき「お前は利用されている」だった。
次に描くまんが作品のイメージを盗用すべく、わたしは街の本屋さんで、大江健三郎の純小説「個人的な体験」を買って読んだのだが、内容が重くて読了はできなかった。
1970年の6月は全国的に安保闘争のデモが巻き起こっていた。わたしは政治活動に没入し、まんがを描くことはできなくなっていた。内部から外部へと行動していったからである。1970年にはすでに福島原発が建設されていた。その頃、ヒロシマ・ナガサキから警告する反核の文章を読んだことはあるが、原子力発電所の危険性を警告する文章にわたしは出会っていない。当時、反戦高校生たちの愛読雑誌であった「朝日ジャーナル」にも掲載されていなかったと思う。その頃、原子力とは未来社会の革新的なイメージがあった。
原子社会とは原始社会の相対にあり位相にあった。中学1年のとき、教室の後ろの壁に手作り学級新聞があり、教師の4コマまんがが掲載されていた。
原始時代のカメがノコノコと歩いている。
やがて、カメは鉄腕アトムのごとくカメの甲羅の後ろからロケット噴射し、カメは空を飛んでいる。原子時代のカメだった。
そのようにわたしたちはすでに教育によって、原子力というものが人類の未来であることを、教師も生徒も洗脳されてきた。原子力発電所がヒロシマ・ナガサキと同期している線上にあるとは思っていなかった。ヒロシマ・ナガサキは核戦争であったが、原子力は平和として洗脳されていた。
2)
世界は911以上に311の映像配信によって衝撃を受けた。
3月11日、東北関東大地震大津波の映像はNHKによって配信され、それを全世界のTV放送局が視聴者へと配信した。
大津波とは洪水であった。キリスト教社会の西欧・中欧・東欧・ロシアは、聖書にある洪水の到来を想起し絶句したと思う。洪水とは人類文明の終末というイメージがある。
「わが亡き後に洪水よ、来たれ」という言葉がある。
2011年3月11日14時46分、東北関東大地震、震源地は連続して3箇所から。
20メートルから30メートルの大津波が洪水として、東北太平洋沿岸地帯に押し寄せる。
3月12日15時36分。
今度は、福島原発第一、一号機で爆発。
この映像も全世界に配信され、国際社会の視聴者は絶句したと思う。
わたしは神奈川の地に住んでいるが、311の地震は生まれて初めて経験した横ぶれの地震だった。停電になり、地震がきた。すぐアパートの外に飛び出し、鉄柱につかまりながらおさまるまでまった。16時30分からは、東京新宿駅で、3・19東京一万人集会の宣伝チラシまきがあるため、駅に向かった、電車は動いていなかった。
駅は混雑し、大きな画面があるモニターではNHK配信による大津波が映像。それを多くの人々が見上げていた。
誰もが翌日、福島原発第一、一号機が爆発するとは「想定外」にあった。
洪水はわが魂に及び、核時代地獄の王が扉を開けて人類の日常生活にやってきたのである。
プルトニウムの語源のプルート(Pluto)は、ローマ神話の冥界を司る神。
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