http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/363.html
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(回答先: b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る 投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15)
米欧勢の体現する「時代精神」によってまずは「黙殺」され、ついには「圧殺」された日
本勢の原爆開発。しかし米欧勢からして日本勢が密かに例の「出と入り」の原理に反する形
で明らかに過剰な「出」、すなわち核開発を行っているのではないかという懸念は実のとこ
ろ1960年代前半から再び頭をもたげ始めていた。
1963年1月。「日英原子力協定」に関するイギリス下院の審議に際して、「多数の日本
人原子力科学者が中共(註:中華人民共和国)で協力し、働いているという情報があるが、
英国の原子力情報が日本人科学者を通じて中共に流れ、核拡散に利用されないよう同協定に
規定してもらいたい」旨の質問が野党(労働党)側議員から行われたのである(保阪正康
前掲書第318〜319頁)。
当時、戦後間もなくの原爆研究者を巡る状況を知っている者たちはこの報に触れて思い当
たる節があったのだという。なぜなら日本が終戦を迎えた直後の1945年8月下旬。厚木
基地と立川基地から百数十名の軍籍を離脱した日本人たちが一律2万円(当時)の軍資金を
握りしめ、中国大陸に渡り「捲土重来(けんどちょうらい)」を期したことは事実だったからだ。そしてその中
に原爆研究者たちが含まれていたのである。
同じくこの章を書いている最中(2010年9月下旬)に、日中間では尖閣(せんかく)諸島を巡る領
土紛争が突如、燃え盛り始めた。日中双方が政府レヴェルでもこれを煽(あお)りたてる勢いを一時
期は見せる中、この「事実」を読んで知っていた私はふと考えた。
「何という茶番なのか」
中華人民共和国が現在の地位を国際社会で得ているのは何といってもその核兵器に原因が
ある。しかしそれを開発したのは我が同胞かもしれないのだ。しかもその中国と日本は領土
紛争を抱え、角を突き合わせている。― 一体これはどう解釈したら良いのか。
怖いのは米欧勢ではなく、「謎(エニグマ)」そのものである日本勢なのかもしれない。「黙殺」と
「剥き出しの腕力」の向こう側には実のところ、「出と入り」という原理を静かに破り去って
きた日本勢に対する、彼らの絶えざる恐怖心があるのかもしれない。
小學館刊
平成二十三年(西暦ニ〇一一年)一月二十二日發行
原田武夫氏著
「世界通貨戦争後の支配者たち ― ロスチャイルド家と「黄金の国」の密約」
第四章 早過ぎた二人の天才と「默殺される日本」
日本の原爆研究 二百四頁據り
【門跡】旧皇族・旧華族の神社仏閣【別表】
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/kyoto/1146301498/
122 :120 :2007/03/02(金) 18:54:28
大日本皇道立教会2代目会頭 四条隆愛(従二位勲三等)
2代目副会頭 三嶋弥太郎(子爵・正三位勲一等)
3代目会頭 四条隆徳(侯爵・正四位勲四等)
3代目副会頭 秋月左都夫(正三位勲一等)
その他重要人物
一条実孝(公爵・従二位勲二等・大葬使祭管長)
野村吉三郎(海軍大将・学習院院長)
牧口常三郎(学校教員・後に『創価教育学大系』を著す)
児玉誉士夫(後に国粋同盟東亜部長、海軍委嘱特務機関員)
案外知られていないことだが、いまこの国の中枢部に存在している創価学会の前身は大日本皇道
立教会という右翼系の団体だったのだ。そしてまた、ここには日蓮が大きく関係していることがわかる。
■法難
>その後、戦時下の昭和18年(1943年)7月に牧口常三郎は、治安維持法違反、並びに不敬罪容疑で逮捕、
>投獄され、翌昭和19年11月18日に獄中で死亡している。
>また一部には、彼らの逮捕は、創価学会の前身であった「大日本皇道立教会」が南朝系天皇を奉る団体
>であったため弾圧されたとの説も流されている。
>ただ、もし仮に「大日本皇道立教会」が南朝系だったとして、なぜ「創価教育学会」のメンバーだけ
>が逮捕され、秋月左都夫(皇道立教会副会頭・読売新聞社長)や児玉誉士夫は逮捕されなかったのか?
>日本中の有名人を集合させた「大日本皇道立教会設立発起人」名簿。
>そして、会頭・副会頭として83歳の長老・宮内大臣に73歳の出雲大社宮司。
> 彼らを押し退けて、名も地位もない中山忠英が、なぜトップの座に就いたのか?
> しかも「大日本皇道立教会」は、中山忠英以降、中山忠英以外には誰も会長の座に就くことがなかった
>。「大日本皇道立教会会長」というポストは、中山忠英だけのために用意されたものだったのだ。
136 :名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/23(金) 10:07:19
大日本皇道立教会の会長;中山忠英
創価学会の前身であった「大日本皇道立教会」
明治天皇の生母は公家中山慶子である。以下引用
http://www.club-kamikaze.net/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=19
48投稿者:; 投稿日:2007年02月26日(月)16時19分47秒
すなわち
1)オウム真理教事件も
2)北朝鮮拉致事件も
3)秋田の人間養殖殺人大学も
4)日蓮宗関係者石原莞爾日中戦争も
全て同じミームである模様だ。
これらは「自分たちと考え方が合わない者は
躊躇せずに暗殺しても良い」とする日蓮の立正安国論のミームが起源と
見られ、この日蓮宗のポアの概念こそが、創価学会の本質そのものなのである。
日本の謀略の大半はここから来ている。
22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 18:42:22 ID:tJAfBaCL0
国家神道もオームも神のために殺人をする事を美化するのって嫌だよね
「在野神道」の吉田神道・水戸神道・大本教など。
特に大本教の出口は黒竜会の内田良平と仲が良かった。
戦前最大の在野神道勢力が大本教なんだが、内田を媒介にして在野神道が連合した。
政府はこれに弾圧を加えたということ。
池田大作 - Wikipedia 據り
中国との関係
これまで10度訪中し、北京、西安、鄭州、上海、杭州、広州、武漢、蘇州、無錫、南京、桂林を訪れている。また、周恩来総理、搶ャ平副総理、李先念国家主席、江沢民国家主席、胡錦濤国家主席、温家宝首相、王毅駐日大使、崔天凱駐日大使、唐家セン国務委員、国学大師・季羨林、常書鴻元敦煌研究所所長、作家・巴金等と会見するなど、中国各界の要人と親密な関係にある。
国交正常化への貢献
1968年9月8日 「日中国交正常化提言」を発表。
※この提言について、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科長の天児慧教授は、「既存の枠組みを超えて、正常化を大きな流れにする面から、大きな意味をもった」と述べている。
1974年5月30日 中国の招聘により初訪中。
李先念副総理と会見。席上、李先念は、池田による「国交正常化提言」等の活動に対し、「大きな働きをされました。大変に価値あるものです。周総理も重大な関心を寄せておられます。本来なら総理が会って、ごあいさつすべきなのですが、総理は今、病気療養中です。『池田会長にお会いしたいけれども、今回はお会いできないので、くれぐれもよろしく伝えてほしい』と申しておりました」と語った。
1974年12月5日 2度目の訪中。
搶ャ平副総理と会見。その直後、病気療養中の周恩来総理の強い意志により、周恩来と池田との会見が行われる。席上、周恩来は「池田先生とは、どうしても、お会いしたいと思っていました」「池田先生が再三にわたって、中日両国人民の友好関係を発展させねばならないと提唱されてきたことをうかがい、私は大変にうれしかった」「これからは世界の国々が互いに尊敬し、励まし合って進むべきです」「中日平和友好条約の早期締結を希望します!」と語った。
2007年4月12日 温家宝首相と会談。
温家宝首相は、「贈池田先生/慈航創新路/和諧結良縁/温家寶/二〇〇七年四月」という自筆の書を贈り、「私は、先生のことを、大変、尊敬しています。池田先生は、文化、文学の面において、大変、造詣が深いだけでなく、中日両国の友好のために、自ら多くの努力を捧げてこられました」「私は、先生の著作を読ませていただくときに、これは哲学であり、修養だという気持ちを抱いています」と語った。
青年交流への「貢献」
1984年、池田の提案により、「中華全国青年連合会(全青連)」と創価学会青年部との交流が始まる。池田自身が全青連の訪日団と会見した。また、池田が創立した創価大学は、1975年に日本で初めて、新中国から日本への正式な留学生を受け入れた。
教育交流への「貢献」
北京大学や中国社会科学院などで記念講演を行っている。また、創価大学との教員・学生の交換などが活発である。さらに、池田の思想・哲学・行動を研究するための機関として、「池田大作研究会」(北京大学)等の研究機関が設立されている。
文化交流への「貢献」
1967年に北京芸術団が、池田が設立した民主音楽協会で公演。池田が創立した東京富士美術館で中国敦煌展、北京・故宮博物院名宝展を開催した。
池田名誉会長 中国・温家宝総理と会談 [聖教新聞]
http://www.asyura2.com/07/cult4/msg/262.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 13 日 21:53:25: QYBiAyr6jr5Ac
□池田名誉会長 中国・温家宝総理と会談 [聖教新聞]
http://www.seikyonet.jp/sg/Satellite?c=Page&cid=1161803072646&p=1161803072646&pagename=sp%2FLayout&pid=1176421093747&subparam=0
4月13日
池田名誉会長 中国・温家宝総理と会談
春の列島に“熱烈歓迎”の歓声が高鳴る!――池田名誉会長は12日午後5時25分から30分間にわたり、中国の首相として6年半ぶりに来日した温家宝総理と都内の宿舎で会談した。胡錦濤国家主席とともに中国の「新世代のリーダー」である温家宝総理。会談では温家宝総理の来日の成功を喜び合うとともに、日中国交正常化35周年に当たり、万代の友好を願って周恩来総理の信念の言葉が確認された。また温総理は、「創価」の思想とは「慈悲」と「創造」と理解していると共感を表明。青年交流、文化交流を一段と進めていくことなどが語り合われた。明年、いよいよ北京オリンピックが開幕。それを慶祝して、民音では「日中文化・スポーツ交流年」の本年秋、「中国雑技団」を招聘。さらに明年5月、東京富士美術館が「大三国志展」を開催する。
胡錦濤主席、池田大作氏と会談へ(産経新聞)
http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/306.html
投稿者 近藤勇 日時 2008 年 3 月 20 日 19:43:08: 4YWyPg6pohsqI
胡錦濤主席、池田大作氏と会談へ
2008.3.20 00:35
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080320/plc0803200036001-n1.htm
5月の来日が予定される中国の胡錦濤国家主席が、来日時に創価学会の池田大作名誉会長と会談する方向となっていることが19日、分かった。中国側が「胡主席が日本で会いたい民間人3人のうちの1人」として池田氏を指名したという。胡氏は主席就任前の昭和60年と平成10年にも都内で池田氏と会っており、会談は今回で3回目となる。
胡氏の来日について日本政府は、中国側に5月6日からの5日間の日程を打診中で、現在、正式な回答を待っている。胡氏は日本で天皇、皇后両陛下や福田康夫首相と会談するほか、中国とゆかりの深い古都、奈良などを訪問予定で、この間に池田氏との会談をセットする形だ。
中国は昭和47年の国交正常化の地ならしを行った池田氏について「井戸を掘った功労者」と評価している。また、「中国で池田氏は宗教家というよりも、強い力を持った政治家という位置づけだ」(日中外交筋)とされ、公明党などを通じた政界への影響力にも期待しているとみられる。
西園寺公一 - Wikipedia 據り
かつての文革礼賛者はその後新興宗教やカルト的団体に接近する者が少なくなかったが、西園寺も晩年は子息とともに創価学会に傾倒。入会こそしなかったものの、外部の理解者の立場にあった。 中国寄りの創価学会に賛同しなお影響力を誇示しようとしていたようであるが、一方の創価学会にとって、中国とのかかわりが深く名門の末裔でもある西園寺父子は組織の「権威付け」には重宝な人物であった。
創価学会に入信した元華族は少なくなかった。中でも池田大作の側近となり公明党参議院議員も務めた北条浩元創価学会会長、浩の叔父で同じく公明党参議院議員となった北条雋八元子爵が知られる(後北条氏)。戦国大名北条早雲の子孫が幹部を務めていたことは創価学会・公明党の権威付けに大きな効果をもたらした。また香淳皇后実兄久邇邦久侯爵の未亡人で、女優久我美子の大叔母でもある松浦董子が、苦しい暮らしの中熱心な信者であったことが董子死去時に紹介され話題となった。現・公明党衆議院議員の池坊保子は創価学会員ではないが、父は元子爵梅渓通虎である。
著しく中国共産党寄りだった姿勢や、言論人として責任を負わなかった態度には批判が多い。北京時代の公一については「中国の忠実な代弁者」「昔、ハイファイを直訳して、高忠実度音響再生装置といったが、役柄としては、そのハイファイである」とも、また「北京の吉良上野之介」とも評されている。当時、香港経由で中共政府を訪れた日本人は、まず北京の西園寺邸を訪れた。そのとき、新中国でいかに振舞うべきか粗相のないよう示唆を与えるのが公一の役目だったからというのである。公一は、文化大革命開始当初にいち早くこれを支持し、毛沢東・江青夫妻や林彪などを礼賛した。 また文革を疑問視する保守派政治家や言論人、台湾関係者を非難する言動を繰り返していた。西園寺の言動は中国国内で文革の宣伝・扇動にも用いられた。しかし昭和51年(1976年)の毛沢東の死後、文革が終結し、華国鋒によって江青ほか四人組が逮捕されると態度を一変させた。 更に昭和56年(1981年)、江青らに死刑判決が下ると早速これを支持し、江青を非難するに至った。 当時の日本においては西園寺以外にも文革礼賛者が少なくなく、一定の理解者まで含めると相当数に及んだ。大半の者は言論責任を負うことをしなかったが、その多くは口を閉ざし、あるいは論壇から退場していった。しかし西園寺は自身の不見識を棚に上げ、なおも中国共産党におもねり、更に論壇にも居残ろうとする態度を取り続けたことから、保守派はもとより中立的な言論人からも厳しい批判を受けた。「自己批判」を口にしながら「江青にだまされていた」等と言い訳に終始し、自分が何を間違えたのか検証しようともしない姿勢は批判者を呆れさせるほどであった。
米國にとつて最強の敵は、b國日本を寄生・支配し續ける藤原五攝家と其の背後にゐる世界最兇の邪惡な靈能集團だ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/326.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 12 日 23:49:08: yX4.ILg8Nhnko
佛魔謀略邪惡靈能集團の本體・中樞部は、興福寺と春日大社だ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/348.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 02:18:55: yX4.ILg8Nhnko
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