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聖書の読み方
わが子よ、もしあなたがわたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、
あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、
しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、
あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。
これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。
彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、
公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。
そのとき、あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。
これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。箴言2:1〜10
聖書をどう学んだらいいのでしょうか。今、あまりにも多くの誤りが教会の中に入り込んでいます。それらは一言で言えば聖書の読み方が間違っているからです。聖書の正しい読み方は繰り返し、繰り返し読んで暗記することです。
「彼はだれに知識を教えようとしているのか。だれに啓示を悟らせようとしているのか。乳離れした子にか。乳房を離された子にか。彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。』と。」イザヤ28:9 〜10(口語訳)
あまりにも多くの人々が手軽に聖書を理解しようとします。私は「良い聖書の解説書はありませんか?」と聞かれたら、「ありますよ、聖書です」と答えます。
聖書は一箇所に真理をまとめて書かれていません。「ここに少し、あそこに少し」書かれているのです。次のようにかかれています。
あなたがたは主の書をつまびらかにたずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。これは主の口がこれを命じ、その霊が彼らを集められたからである。イザヤ34:16(口語訳)
これは聖書自身が聖書には矛盾がなく、聖書自身が聖書を説明すると告げている箇所です。「読書百遍(どくしょひゃっぺん)意(い)自(おの)ずから通ず」という言葉は聖書に最も通じる言葉です。信仰から迷い出る人を見ていると、ほとんどの場合聖書を読むことをおっくうがって手軽に理解しようとするのです。
私は日曜学校の教育に大いに疑問を感じています。それは分かりやすくしようとして聖書を別のものにしているように感じるのです。私は日曜学校の子供たちが分かっても分からなくても御言葉を暗唱するべきだと思います。そうして蓄えられた御言葉は、その後、突然光を放ってその人を助けるときがくるでしょう。
あまりにも判り安くと考えて御言葉をこねくり回し、結局、似ても似つかぬものになっていませんでしょうか。御言葉をそのままフレッシュなままで与えてください。
確かに聖書の中には説明されなければ分からない箇所があります。ギリシャ語には3つの愛という言葉があることが判らないと、ヨハネ福音書21章の主とペテロの会話は判らないでしょう。また、当時、王宮に入るときは入り口で礼服が貸し与えられたことが判らなければマタイ福音書22章の例話は分からないでしょう。さらに恐らくは、当時、世界を支配していたローマの貨幣には皇帝の肖像があった事から偶像崇拝として嫌われたことが判らなければルカ福音書の「不正の富」の意味は判らないでしょう。しかし、そのために聖書全巻の解説書を読むとなると、それは膨大な作業となるでしょう。こういう箇所は全体から言えば10%にならないでしょうから、判っても判らなくてもとにかく読み進むことが大切です。聖書は聖書の光によって理解されなければなりません。
けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。エペソ5:13
聖書を読むとき人は変えられて行きます。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。Uテモテ3:16
偽りの教師たちは異口同音に聖書をないがしろにします。かつてアメリカの大会で講師として招かれたテレビ伝道者が「もう聖書は要りません。必要なのはPOWERです。」と叫び「POWER! POWER! POWER!」と壇上を駆け回ったのを見たことがあります。そこには聖霊の現われどころか、悪霊の現われがありました。
アメリカのチャーチ・オブ・ゴッド最大の教会を作られたウオーカー先生が聖書全巻を暗記しておられたことは非常に印象的でした。また中国のクリスチャンの多くが同じように全巻を暗記しているそうです。彼らにとって、何時、聖書が手に入るか、また奪われるか判らないからです。
もう一つの方法として、聖書を“聞く”ということも良いことでしょう。元々聖書は読むよりも聞く方が多かったのです。今のような手にとることが出来る聖書はほんの数百年の歴史しかありません。それまでは大きな巻物で一族、一国に一巻というようなものでした。人々は祭司や学者が読む聖書を聞いて覚えたのです。
聖書全巻で「聞く」という言葉は1000箇所もあるでしょうか。旧約聖書で、シェマーイスラエル「イスラエルよ、聞け」という言葉は何度も何度も出てくる言葉です。幸い現在は録音された聖書と簡単な装置があります。何時でもどこでも音楽を聞くように聖書が聞けます。石川遼くんのコマーシャルで有名な英語の上達法もただ英語を聞くだけで身につくと言いますが、恐らく本当でしょう。
どの方法であれ、とにかく聖書を暗記してください。私は口語訳聖書で育ったので新改訳はどうも覚えにくいのですが、今のように色々な訳があるのは一面困りますね。英語の場合やはり、King James Versionという権威ある訳があるので楽かもしれません。
聖書は生け造りに限ります。新鮮な御言葉だけで十分です。聖書はあなたにとって必要かつ十分なのです。 >>
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