08. 2011年2月14日 18:24:10: prWPWego9M
サンデル教授から学ぶ(2)実際にあった事件を題材にした質問も出された。 いずれも人格者の乗組員4人が乗った船が事故に遭い、生き延びるために3人が1人を殺して食べたという事件である。 乗組員は、船長のダドリー、一等航海士のスティーブンズ、船員のブルックス、17歳で孤児で身寄りがなく友達には止められたがこの旅が自分を男にしてくれるだろうと考え若者らしい希望に胸を膨らませて出航した給仕のパーカーである。パーカーは忠告を無視して海水を飲んだために具合が悪くなっていて死が近いように見えたという。19日目にダドリーは、くじ引きを行い残りの者を助けるために誰が死ぬかを決めようと提案。ブルックスは拒否した。その翌日も救援船が現れず、ダドリーは、ブルックスに見ないように言い、スティーブンズにパーカーを殺そうと合図した。ダドリーは祈りを捧げて、パーカーに「お前の最後の時が来た」と告げて殺した。4日間、彼ら3人はパーカーの身体と血液で生き残った。24日目にドイツの船に収容され、イギリスに連れ戻されて逮捕され裁判にかけられた。彼らは必要に迫られての行為だと主張した。3人が生き残れるのなら1人の犠牲はしかたないと論じた。検察官は、殺人は殺人であると言い、事件は裁判にかけられた。 議論を単純にするために法律的な問題は横に置いて、もしも君たちが陪審員だったら彼らは道徳的に許されるか否か=有罪か無罪かを問う質問。 この質問に対して、道徳的非難と法的責任の違い、3人が生き残った場合の社会への貢献を考慮した弁護、長いこと食べずにいたことの精神状態を考慮した意見、「君は殉教者になれるぞ」などとパーカーの同意を求めていたらなどの条件を示す意見、同意を得ても正統化されないという多くの意見、パーカーが自分から言い出していれば許されたという意見、ダドリーが最初に示したくじ引きだったらどうか、同意という手続きがあれば正統化されると考える人が多い、などなど多くの議論がなされた。 パーカーの自発的な同意があっても仲間が彼を殺すことは正統化されないという意見を求めたところ、黒人女性が答えた。 「パーカーが殺されるのは他の乗組員は救助されるという望みがあるからですよね。でもいつ助けが来るかわからないんですからパーカーが殺されるべきだという明白な理由はありません。だから無意味な殺人です。救助されるまで誰もいなくなるまで仲間を殺し続けるんですか。(サンデル教授:この状況の道徳的な論理はそうだね。救助されるまで一番弱い者を1人づつ選んでいくということだろうね。この事件の場合は、幸運にも3人がまだ生きているところで救助されたということだ。さぁ、パーカーは同意したとすると、これで問題ないのだろうか。)いいえ、正しくありません。(サンデル教授:なぜ正しくないのかな。)カニバリズム(=食人)は道徳的に正しくないと思います。とにかく人間を食べるべきではありません。」 同意があろうがなかろうが無条件で断固として間違っていると言う人は?という問いに対して、黒人男性が答えた。 「殺人は殺人です。我々の社会においてはどんな場合でも殺人は殺人で殺人によって違いがあるとは思いません。(サンデル教授:ベンサムの最大幸福理論や当時の新聞記事や大衆の意見などをこれでもかこれでもかと示した。)でも失業している人達だって家族を養いたいと思うのは同じじゃないですか。どんな場合でも自分の状態をより良いものにするために誰かを殺したら殺人は殺人です。どんな理由の殺人であれ、殺人は殺人であり、例外を作ってはなりません。同じ行為はすべて同じ。殺人も、殺人にいたる精神状態も家族を養う必要性も同じです。(サンデル教授:これが3人ではないと仮定してみよう。30人いや300人だと考えてみよう。たとえば戦争中で3000人の命がかかっているとしたらどうだ。)もっと大勢の命がかかっていてもやはり同じです。(サンデル教授:ベンサムが集合的な幸福と言っているのは間違っているというわけか。)えぇ。僕が正しいです。」 仮に「生命の安全と神への信仰とのどちらかを選べ、と言われたならば、迷わずに信仰を取れ。」という宗教を4人とも信仰していて実践していたら、ぎりぎりのところで4人とも救助されたという可能性が残る。 DNAや生まれ育った環境と教育、トラウマの経験が正義感に大きな影響を与えていることがわかる。 9.11同時多発テロでは多くの死者を出したが、対テロ戦争ということで始めたイラク戦争では、はるかに越える死者を出した。 結果論と死者数で考えると、イラク戦争の方が悪であると言える。 サンデル教授「古代ローマではローマ人は娯楽のためにキリスト教徒をライオンと戦わせていた。これを功利主義の理論にあてはめると、大勢のローマ人の集合的な喜びは一握りのキリスト教徒の耐え難い痛みより大切だということになる。」 最大幸福最小不幸社会を目指さなければならないだろう。
|