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雑録 ある日、音楽を聴きながら歴史幻想の旅へと・・・
失われたノモスをめぐるギリシアとインドへの空想の旅
音楽をまずききながら・・・・
French Suite No. 3 in B Minor, BWV 814 - III. Sarabande
http://www.youtube.com/watch?v=NNki7ANNjeM
Emre Elivar plays Bach Sarabande from the French Suite No. 3
http://www.youtube.com/watch?v=H6E-3lea_6c
最後のジーグのこのハープもいいかんじ。
Johann Sebastian Bach (1685-1750) - Suite in B minor, BWV 814 - Gigue
http://www.youtube.com/watch?v=O2JrIUSncto
前に地中海人たちの持つ受難音楽リノスの歌のことを書いた。人々はいかに生きるかというより、いかに死ぬかを求めた生き方であった、と述べた。キリスト教に伝承されたこの伝統は、英雄崇拝、死をかけて偉業をなしとげた人々の崇拝など、その起源は先史古代の死する神への哀悼を伴った祭儀であった。
しかし、当然ながらそれだけではなかった。いかに生きるかについての絶えざる自問はどこの世界でもある。私は古代ギリシアのノモスを考える。これは法律と訳されるが、おそらく違うだろう。いかに生きるかについての知恵のようなものであったのだろうと思う。
いかに死ぬかを思い巡らす、死する神への哀悼を伴った祭儀と、いかに生きるかについてのノモスの存在したギリシア先史世界へと私の幻想の旅は馳せる。
まず、死する神への哀悼を伴った祭儀、大ディオニュシア祭について考えよう。
古代ギリシアのアテナイでは、つぎの2つが1年の大きな祭りであった。
・大ディオニュシア祭
アテナイでは3〜4月のクロッカス、アネモネなど美しい花々が咲き出すなかで花祭りのなかで行われた大ディオニュシア祭では、ギリシア悲劇が演じられた。日本の花見と違って、ギリシアのアテナイでは荘厳な哀悼の気分の悲劇が中心であったわけだ。復活の喜びがその後続き、現在でもイースター・ホリディでお祭り気分だ。5月の終わりは、またすぐバラの花が咲き始め、こちらは現代日本のお花見に似て、皆仕事を休み、花祭りに浮かれる。バラの花祭りはローマで知られるがギリシアから来たものだろう。
・パンアテナイ祭
1年のはじまり、夏祭りは7月から8月の一番暑いときのパンアテナイ祭だ。夜通しの祭りから始まる。次の朝からパルテノン神殿に向かって大行列だ。ここでは詩や音楽、ダンス、体育などの競技会が催されたらしい。こういった伝統を継承しているのは現代イタリアだ。あらゆる競技会が催され各都市の市民が熱中する。カーレースのミッレミリアがこういった自発的に発生した競技会だ。オリンピックのように意図的に作り出したものではないし、黒いオリンピックとまで言われる利権あさりもない。
ギリシア文明は遊牧掠奪民族が南下してエーゲ文明を滅ぼして出来上がったものなので、前文明とはかなり断絶した点も多い。我々がギリシア的だと思うことの多くが起源が不明で意味も不明なのはこのためである。例えば、クレタ文明に見られる牛跳び競技のことは完全に断絶している。ほかの多くも意味や起源が断絶している。日本における文字の起源の断絶と似ている。倭国と日本は完全な断絶なのだ。
ノモスの断絶、失われた古代のノモス
私が気になる断絶はノモス(法、法律と訳される)の伝統である。歴史時代のギリシアではあらゆるポリスがクレタの法を手本にした。クレタの法律が最も古く、最良だと信じられていたからだ。プラトンでは、古来からの法についてクレタ人が賢人として意見を述べる。クレタ島中部にはゴルチュン市法典が石壁に彫り込まれ、ローマの法に大きな影響を与えている。それは、ハムラビ法典よりも現代の法の原点に近いのかもしれない。
しかし、ギリシア文明のノモスははるか遠い古い伝統の残照であるように感じられる。クレタ人の伝承ではノモスは合唱で歌われたものだったのだ。クレタの都市それぞれが、まるで歌を競い合うようにノモスを競い合ったのだ。ノモスこそが都市の誇りだったのだ。
ノモスは単に法というには、限定しすぎたもので、詩に近いものであった。むしろ憲法やモーゼの十戒やイエスの山上の垂訓に近いものだったかもしれない。それは、いかに生きるかについての知恵のようなものであったかもしれないと私はおもっている。聖書には知恵文学がある。そんなものに近いものではなかっただろうか、と思っている。
インドでは、シャカが旧来の戒律などの形式性を打破し、生きる道、法を説いた。その革新性、旧来の戒律の真の意味を皆が知って仏教がおこったのである。おそらく、それは先史地中海世界のノモスと似ていたのであろう。原始仏典にみられるシャカの説いた法の内容は、先史クレタのノモスにかなり近似していたように思える。これらは、いかに生きるかについての考えることになるのだ。
しかしギリシア文明ではユークリッド幾何学の公理は出現しても、ノモスは形骸化し、純然たる法律、いわゆるゴルチュン市法典だけが残り、ノモスの伝統はとだえてしまったのだ。また、後にスピノザがエチカでつくりあげた倫理公理体系はまるで見当はずれのものだった。
仏教の中の法、原始仏典の中のシャカの説いた法の中に、失われたノモスの残片が見つかるのであろうかと思う。また、仏教の中の捨身とは、遠く地中海世界からインドへやってきた思想なのだろう。仏教の中には古くて人類にとって貴重な資産があると私は思っている。また多くの人が葬式で何度も口唱するだけの阿弥陀経などの内容を現代文訳で理解してみるべきだろう。
私の歴史幻想は、いつもこの失われたノモスや失われた多くの古代のバラたちをめぐる空想の旅にでかける。現代では、これらはだれも振り返って見もしないものだ。価値のない石ころ同然に思われて捨てておかれるものたちだ。どこかにノモスや古代のバラの残存がないかと、路傍の未知の花を探したり、文学の堆積の中をを探したりしながら・・・・私は今日も歴史幻想の旅にでかける。
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