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息吹山 - 沖島 - 比叡山 - 伊弉諾b宮 - 劍山に據つて描かれた
艮(うしとら:東北:鬼門:山) ― 坤(ひつじさる:西南:裏鬼門:地)ライン
第一六章 大洪水 〔二六六〕
世は燒劫(せうごふ)に瀕せるか、酷熱の太陽數個一時(いちじ)に現はれて、地上に熱を放射し、大地の氷山を熔解したる水は大地中心の凹部(あふぶ)なる地球に向つて流れ集まり、地球は冷水刻々に増加して、さしもに高き山の尾上(をのへ)も次第々々に影を沒するに至りける。
此のとき星は其の位置を變じ、太陽は前後左右に動搖し、地は激動して形容し難き大音響に充(みた)されたりぬ。太陽は黒雲に包まれ、地上は暗黒と變じ、咫尺(しせき)を辯ぜざる光景とはなりぬ。
彼の龍宮城に在りし三重(みへ)の金殿(きんでん)は、中空に際限もなく延長して、金銀銅色(きんぎんどうしよく)の天橋(てんけう)を成し、各自天橋よりは金銀銅色の靈線を垂下し、其の端の救ひの鉤をもつて、正しきb人(しんじん)を橋上に引き揚げ始めたり。
天橋の上には蟻の群がる如く、數多(あまた)のb人(かみがみ)が救ひ上げられ、天橋は再び廻轉を開始したり。東西に延長せる天橋は、南に西に北に東と中空を廻(めぐ)り、天教山、地教山其の他數ケ所の高山の巓(いただき)に、救はれたるb人を送り、またもや憂瀬(うきせ)に沈み苦しめる正しきb人を救ひの鉤を以(もつ)て次第々々に天橋の上に引き揚げ玉(たま)ひける。
此のとき天教山の宣傳使は、何時の間にか黄金橋(わうごんけう)の上に立ち、金色(こんじき)の靈線を泥海に投げ、漂流する正しきb人を引き揚げつつあり。而(しか)して天橋にb人の充滿するを待ちて、またもや天橋は起重機(きぢゆうき)の如く東南西北に轉囘し、其の身魂相當の高山に運ばれゆくなり。b諭に、
『誠の者は、さあ今と云ふ所に成りたら、bが見屆けてあるから、たとひ泥海の中でも摘み上げてやるぞよ』
と示されあるを、想ひ出さしめらるるなり。
救ひ上げられたる中にも、鬼の眼にも見落しとも云ふべきか、或は宣傳使の深き經綸ありての事か、さしも惡逆無道なりしウラル彦、ウラル姫も銅橋(どうけう)の上に救ひ上げられたり。而(しか)して常世b王(とこよしんわう)始め盤古b王(ばんこしんわう)もまた金橋(きんけう)の上に救はれて居たりける。
ウラル彦はアルタイ山に運ばれ、其の他のb人(かみがみ)も多く此處に下されたり。此の山は大小無數の蟻、山頂に堆(うづだか)く積り居たりけるが、凡(すべ)て蟻は洪水を前知し、山上に眞先に避難したりしなり。
ウラル彦b(ひこのかみ)は蟻の山に運ばれ、全身蟻に包まれ、身體の各所を鋭き針にて突き破られ、非常の苦悶に堪へかねて少しく山を下(くだ)り、泥水の中に全身を滲し見たるに、蟻は一生懸命に喰ひ着きて、苦痛はますます激しく、またもや蟻の山へと這ひ上(あが)りゆけり。
蚊取別(かとりわけ)の禿頭も此處に居たるが、此の時許りは其の禿頭は全部毛が生えたるごとく見えたりき。全く蟻が集(たか)りたる結果なりける。
此のアルタイ山に運ばれたb人(かみがみ)は、極惡のb人許りにして、極善のb人は天教、地教兩山に、極惡者はアルタイ山に救はれたりける。
平素利己主義を持(ぢ)し、甘い汁を吸うた惡者共は、全身殘らず甘くなつてをると見えて、蟻が喜びて集(たか)るに反して、世界のために苦き經驗を嘗めたるb人(しんじん)は、身體苦く、一匹も蟻は集(たか)り得ざるなり。裏のb諭に、
『甘いものには蟻(あり)がたかる(有難(ありがたかる))。苦いものには蟻(あり)がたからぬ(不有難(ありがたからぬ))』
と書いてあるのは、此の物語の光景を洩らされしものなるべし。嗚呼地上の世界は今後何れに行くか心許なき次第なり。
(大正一一・一・一八 舊大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)
第二六章 艮坤の二靈 〔二二六〕
轟然たる大音響とともに突然爆發したる天教山の頂上より、天に向つて打ち上げられたる數多の星光は、世界の各地に其れぞれ落下した。
此れは第四卷に示す地球の中軸なる大火球すなはち根柢(ねそこ)の國に落ちて、種々(しゆじゆ)の艱難辛苦をなめたる各bの身魂の時を得て、野立彦命(のだちひこのみこと)のb徳により地中の空洞(天の岩戸)を開き、天教山の噴火口に向つて爆發したのである。俗に地獄の釜の蓋が開(あ)くと云ふは此のことである。また『天の岩戸開き』と云ふのも、此れらを指して云ふこともあるのである。
地上に撒布せられたる星光は、多年の勞苦に洗煉されて天授の眞靈魂に立替はり、殊に美(うる)はしきb人として地上に各自身魂相應のb徳を發揮する事となつた、此れらの顛末を稱して、
『三千世界一度に開く梅の花』
と謂ひ、また各身魂の美はしきb人と生れて、b業に參加するの状態を指して、
『開いて散りて實を結び、スの種子(たね)を養(やしな)ふ』
といふのである。
かくして野立彦命(のだちひこのみこと)は世の立替へ、立直しの先驅として、まづ世に落ちたる正しきbを一度に岩戸を開き、地獄の釜の蓋を開(ひら)いて救ひたまひ、世界改造のb種(かむだね)と爲し給うたる尤も深遠なる御經綸である。
却説(さて)木花姫命(このはなひめのみこと)は、月照彦b(つきてるひこのかみ)以下の諸bを隨(したが)へ、天教山の中腹なる青木ケ原に下(くだ)り着きたまうた。此處には彼の銀橋(ぎんけう)を渡りてきたれるb々の數多(あまた)集ひて、山上を見上げ乍ら、木花姫命(このはなひめのみこと)を先頭にあまたの供b(ともがみ)とともに下りきたるを見て、一齊に手を拍(う)ち喊聲(かんせい)をあげ、ウローウローと叫びつつ、踊り狂うて歡迎した。
b人(かみがみ)は遙に此の光景を眺めて大に喜び、先を爭うて青木ケ原に息せききつて上りきたり、上中下三段の身魂のb政成就(しんせいじやうじゆ)のb柱(かむばしら)の揃ひしことを喜び祝(しゆく)し、手に手に木の皮を以(もつ)て造れる扇を開き、前後左右に手拍子、足拍子を揃へ、ウローウローと叫び乍ら踊り狂うた。其の有樣は、恰も春の野に男蝶女蝶(をてふめてふ)の翩飜(へんぽん)として、菜の花に戲(たはむ)るごとくであつた。b々の一度に手を拍(う)ち祝詞(のりと)を奏上する聲は、上は天を轟かし、下は地の萬物を震動させた。
かくの如く天教山にては、上中下の身魂のb柱は、各自部署を定めて地上の世界を救濟のために宣傳者となつて巡囘し、かつ先に地上に撒布されたる身魂は、美(うる)はしきb人(しんじん)と出世して各地に現はれ、此の宣傳者の教(をしへ)を聞いて隨喜渇仰(ずゐきかつかう)した。説く者と聞く者と意氣合(がつ)するときは、bの正しき教は身魂の奧に沁みわたるものである。恰も磁石の鐵を吸ひよせる如き密着の關係をつくる事が出來る。此れらを稱して身魂の因縁といふ。
ゆゑに如何に尊き大bの慈言(じげん)といへども、教理といへども、因縁なき身魂は、恰も水と油の如く反撥して、其の效果は到底あがらない。後世印度に生れた釋迦の言に、
『縁なき衆生(しゆじやう)は度し難し』
と言つたのも、此の理に據るのである。ゆゑに大bに因縁あるものは、此の淺深厚薄(せんしんこうはく)に拘はらず、どうしても一種微妙のbの縁(えにし)の絲に繋がれて、其の信仰を變ふる事は出來ない。
b諭にも、
『綾部の大本は、昔から因縁ある身魂を引寄して、因縁相應の御用をさせるぞよ』
とb示されたのも、遠きb代の昔より、離るべからざるb縁の綱に縛られてをるからである。
『bが一旦綱をかけた因縁の身魂は、どうしても離さぬぞよ。bの申すことを背いて、何なりと致して見よれ。後戻り許り致すぞよ』
とのb示は、bの因縁の綱に繋がれてをるから、自由行動を取りつつ、一時は都合よく行くことあるも、九分九厘といふ所になつて、bより其の因縁の綱を引かるるときは、また元の大橋へ返らねばならぬやうに成るものである。
此れをb諭に、
『引つかけ戻しの仕組』
と示されてある。
扨て木花姫命(このはなひめのみこと)の宣示(せんじ)を奉じて、月照彦b(つきてるひこのかみ)、足眞彦b(だるまひこのかみ)、少彦名b(すくなひこなのかみ)、太田b(おほたのかみ)、祝部b(はふりべのかみ)、弘子彦b(ひろやすひこのかみ)其の他のb々は、折から再び廻轉しきたれる銀橋(ぎんけう)に打乘り、一旦中空を廻り乍ら、復び野立姫命(のだちひめのみこと)の現はれたまへるヒマラヤ山に無事降下した。
ヒマラヤ山には、あまたのb人(かみがみ)が夜を日についで、山の八合目以下の木を伐採し、大杭(おほくひ)をあまた造り、頚槌(くぶつち)を携へ地中にさかんに打込みつつあつた。月照彦b(つきてるひこのかみ)一行は、其の何の意なるかを知らず、b人(かみがみ)らに叮嚀(ていねい)に一禮し乍ら、山上の野立姫命(のだちひめのみこと)のb殿に向つて、隊伍肅々(たいごしゆくしゆく)として參向したのである。
(大正一一・一・一〇 舊大正一〇・一二・一三 外山豐二録)
艮坤二bの御歌
玉鏡
北海の旅路はろけし吾は今
出羽の大野の雨ききてをり
之は先年王仁(わたし)が出羽の國を旅行中、鳥海山の下をよぎりたる時、突如坤(ひつじさる)の金b樣がb懸(かむがか)られて詠じたまうた御歌である。坤(ひつじさる)の金b樣は西海の果なる喜界ケ島に御隱退遊ばされて、佗びしい月日を送つて御出でになつたが夫b戀(をつとがみこひ)しさの情に堪へ兼ねて、遙々(はるばる)と艮(うしとら)の金b樣を尋ねて鳥海山まで來られたのであるが、夫bのいます北海道の地は白雲漠々(はくうんばくばく)として何處(いづこ)の空とも見えわかぬ、又よしや首尾よく尋ねおほせても、あの嚴格な夫b樣の事、恐らくは會うては下さるまい、とつおいつ御思案の末(すゑ)此處から引きかへさうと決心され、鳥海山にお登りなされて遙(はるか)に遙(はるか)に蘆別(あしわけ)の山を偲ばれたのである。日本武尊(やまとたけるのみこと)が碓井峠(うすゐたうげ)より妃(ひ)弟橘姫(おとたちばなひめ)を追懷された故事にも勝りて、涙ぐましい御事(おんこと)であつた。故に往昔(わうせき)鳥海山はトオミ(遠見(とほみ))の山と云つて居たのであるが、後世鳥海(とりうみ)に轉訛したのである。偶々(たまたま)王仁(わたし)が其地を過ぎたのでb懸(かむがか)らせ給うて當時の御心情を詠ませられたのである。
蘆別の山は悲しも勇ましも
b代乍らのよそほひにして
之は艮の金b樣が同じく王仁にb懸らせたもうての御歌である。北海別院の歌碑に此の歌が記されるのである。
TWIST&EQUALビフォーアフター
EQUAL「天教山×(地教山+地教山)魔方陣」
http://equaljapan.blog117.fc2.com/blog-entry-130.html
EQUAL「天教山×(地教山+地教山)魔方陣」
皆さんに無断で「アクセス解析」を仕掛けてるので、
どんなキーワードを検索して、
ブログにいらっしゃってるのか、ある程度わかっちゃいます。
そのなかで意外と多いのが「矢○町ハイツ」です。
この場所は魔方陣に関係あるっちゃ「ある」、無いと言えば全く無いです。
「EQUALTVドラマ魔方陣」では、東京本願寺、築地本願寺を使って、
「正三角形」を作りました。
この正三角形の第3点にあたるのが、矢○町ハイツ付近なんですが、
ちょっと調べてみても、それほど重要なポイントに思えません。
しかし東京本願寺から正三角形の底辺に垂線を下ろす事で、
かなりたくさんの芸能事務所が引っかかります。
また、その垂線は宮中三殿の丑寅線にも近いので、
その正三角形が意味あるモノだと思い、ブログに載せました。
今回の魔方陣も正三角形ですが、第3点に何かあるわけじゃありません。
でも東京に収まるような、ちっちゃな魔方陣じゃなくて、
大陸にまで伸びる、ワールドワイドな正三角形魔方陣です。
「富士山」「エベレスト山」の座標は前回と同じです。
(エベレスト山 27°59′20.56″ 86°55′28.26″ )
第3点はロシアにあります。
(72°13'27.40"N 90°24'42.13"E)
地図上に「taymyrskiy」とありますが「タイミル自治管区」の事だと思います。
ともかく正三角形ができたので色々見てみます。
拡大するとラインがアルタイ山脈を通ってるのがわかります。
そして富士山から垂線を下ろすとアルタイ共和国。
まだ読んでませんが霊界物語の中に
「天教山、地教山、アルタイ山」がそろって出てくる場面があるそうなので、
ぜんぜん無関係ってわけでも無さそうです。
前回の魔方陣では「アルタイとエベレストが正確な南北にある」のを発見しましたが、
今回はもうひとつの関係かもしれません。
またモンゴル全土がラインスレスレで三角形内に入ります。
大本的に言えば天教山(富士山)と地教山(エベレスト)で作った正三角形ですが、
富士山と第3点を結ぶラインを拡大してみると…
王仁三郎は「富士山が天教山、エベレストが地教山」と言ってましたが、
「霊界物語にある地教山はこの山(皆神山)」とも言ってます。
「どっちやねん」と関西人でもないのにツッコミを入れたくなりますが、
この正三角形から見ると、
富士山からの一辺にエベレストという地教山、もう一辺に皆神山という地教山。
まるでバランスをとるように存在してるみたいです。
皆神「山」と言いますが、1.5km四方に収まるような大きさです。
地図の周囲の点々は住宅なので、比較すれば皆神山の小ささがわかると思います。
そんなポイントをラインが通る確立は、とても小さいはずです。
ボク的にはちょっと出来すぎな話だと思うんですが、いかがなモンでしょうか…
TWIST&EQUALビフォーアフター
TWIST「天教山×地教山×エルサレム×α」EQUAL
http://equaljapan.blog117.fc2.com/blog-entry-204.html
TWIST「天教山×地教山×エルサレム×α」EQUAL
短い記事なので小ネタっぽいですが、対象は地球規模です。
「天教山」は「富士山」
「地教山」は「ヒマラヤ山」(≒エベレスト?)あるいは「皆神山」の事らしいです。
この山々に関する魔方陣もあります。
EQUAL「天教山×(地教山+地教山)魔方陣」
くるくる「天教×地教×徳川さん?」
今回は2つの山とあの聖地が結びついていました。
地教山(エベレスト)から
→天教山(富士山) 4924.510126km
→エルサレム神殿 4964.430902km 誤差0.811…%
※0.8%は十分小さな誤差だと思いますが、
もしも正確な二等辺三角形を書こうとすれば、
エルサレム神殿から40km離れた
ヨルダン川東岸にポイントすることになります。
大きすぎる魔方陣はこういう弱点があります。
しかし巨大すぎる魔方陣なので、誤差の小ささを優先します※
あまり詳しくありませんが、
「天教山・地教山」は出口王仁三郎発の言葉だと思います。
「万教同根」とも言ってたそうですが、
魔方陣でもエルサレム(ユダヤ教)と仏教・キリスト教・イスラム教を結びつける
「万教同根」と言えるものがあります。
TWIST 「2150000000の魔方陣 T」 EQUAL
地図を見るとブッダガヤとエベレストは近くにあるので、
自動的にエルサレムからの距離も等しくなるはずます。
エルサレム神殿から
→エベレスト 4964.430902km
→ブッダガヤ 4904.248231km
誤差1.227…%でほぼ同距離だと思います。
2150000000の魔方陣の6ラインの距離は下記の通りなので、
/ 4904.248231km
/ 1234.738123km
/ 2311.491879km
/ 6815.590147km
/ 4622.295844km
/ 3421.269605km
今回の魔方陣を組み合わせると、
/ : / : / : / = 「 1 : 3.972… : 3.988… : 4.021…」
エルサレム・メッカ・ブッダガヤ・地教山・天教山は、
「1:4:4:4」の比率を持っているようです。
地教山ができたので天教山でも、と思ったら、
ホントに成り立ってビックリしました。
富士山―エルサレム神殿 9112.261488km
/ : / : / : / = 「 1 : 1.9997… : 2.949… : 3.942…」
なんだかオザケンを思い出しましたが、
キレイな“ひふみよ”の比率が出来上がりました。
黄色ラインも以前の魔方陣ではちゃんとメンバーに入ってましたが、
/ : / : / = 「 2.027… : 3 : 7.990…」( 2 : 2.960 : 7.884…)
イチオウ黄色ラインも天教山と結びついてます。
PLUS「例の魔方陣とシオンの聖マリア教会」では、
6ラインが// と ////のグループに分かれてると書きましたが、
今回もそれに則っています。
二つの山からバチカンやメッカにラインを引いても、
比率は出てきそうですが、たくさん引きすぎると
偶然に思われそうなんで、今回はやめときます。
エベレストとブッダガヤが近すぎるのが最大のウイークポイントですが、
二等辺を作ってるのはエベレストでブッダガヤではありません。
それは重要だと思います。
このブログでは珍しく(笑)短い記事でした。
でもかなり重要な魔方陣な気がします。と言っても、
「天教山・地教山を考慮して、四大聖地は配置されたのであ〜る」
とか言うつもりありません。
魔方陣では結びつけることが可能かも、って感じです。
(ひとつ心配なのはまたまた座標の問題です。
自分なりに探してみましたが「エベレスト山頂の座標」が、
ハッキリしませんでした。
前回のをそのまま使ったんですが、これから変わるかも。
それでも今回の比率に影響与えるようなズレではないと思います)
2150000000の魔方陣を見つけた時に、
どうにか日本まで引っ張ってこれないかと、
試行錯誤しましたが、その時は気づきませんでした。
でも今回の魔方陣だったら、日本まで充分繋がっていると思います。
やっとこさ、四大宗教とニッポンを結ぶ事ができて超うれしいッス
これくらい上空なら ほぼ凹凸無き惑星
第一六章 大洪水(二) 〔二六六〕 - 霊界物語ネット
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0616
第一六章 大洪水(だいこうずゐ)(二) 〔二六六〕
世(よ)は焼劫(せうごふ)に瀕(ひん)せるか、酷熱(こくねつ)の太陽(たいやう)数個(すうこ)一時(いちじ)に現(あら)はれて、地上(ちじやう)に熱(ねつ)を放射(はうしや)し、大地(だいち)の氷山(ひやうざん)を溶解(ようかい)したる水(みづ)は大地(だいち)中心(ちうしん)の凹部(あふぶ)なる地球(ちきう)に向(むか)つて流(なが)れ集(あつ)まり、地球(ちきう)は冷水(れいすい)刻々(こくこく)に増加(ぞうか)して、さしもに高(たか)き山(やま)の尾上(をのへ)も次第々々(しだいしだい)に影(かげ)を没(ぼつ)するに至(いた)りける。
このとき星(ほし)はその位置(ゐち)を変(へん)じ、太陽(たいやう)は前後左右(ぜんごさいう)に動揺(どうえう)し、地(ち)は激動(げきどう)して形容(けいよう)し難(がた)き大音響(だいおんきやう)に充(みた)されたりぬ。太陽(たいやう)は黒雲(くろくも)に包(つつ)まれ、地上(ちじやう)は暗黒(あんこく)と変(へん)じ、咫尺(しせき)を弁(べん)ぜざる光景(くわうけい)とはなりぬ。
彼(か)の竜宮城(りうぐうじやう)に在(あ)りし三重(みへ)の金殿(きんでん)は、中空(ちうくう)に際限(さいげん)もなく延長(えんちやう)して、金銀銅色(きんぎんどうしよく)の天橋(てんけう)を成(な)し、各自(かくじ)天橋(てんけう)よりは金銀銅色(きんぎんどうしよく)の霊線(れいせん)を垂下(すゐか)し、その端(はし)の救(すく)ひの鉤(かぎ)をもつて、正(ただ)しき神人(しんじん)を橋上(けうじやう)に引(ひ)き揚(あ)げ始(はじ)めたり。
天橋(てんけう)の上(うへ)には蟻(あり)の群(むら)がる如(ごと)く、数多(あまた)の神人(かみがみ)が救(すく)ひ上(あ)げられ、天橋(てんけう)は再(ふたた)び回転(くわいてん)を開始(かいし)したり。東西(とうざい)に延長(えんちやう)せる天橋(てんけう)は、南(みなみ)に西(にし)に北(きた)に東(ひがし)と中空(ちうくう)を廻(めぐ)り、天教山(てんけうざん)、地教山(ちけうざん)その他(た)数ケ所(すうかしよ)の高山(かうざん)の巓(いただき)に、救(すく)はれたる神人(しんじん)を送(おく)り、またもや憂瀬(うきせ)に沈(しづ)み苦(くる)しめる正(ただ)しき神人(しんじん)を救(すく)ひの鈎(かぎ)を以(もつ)て次第々々(しだいしだい)に天橋(てんけう)の上(うへ)に引(ひ)き揚(あ)げ玉(たま)ひける。
このとき天教山(てんけうざん)の宣伝使(せんでんし)は、何時(いつ)の間(ま)にか黄金橋(わうごんけう)の上(うへ)に立(た)ち、金色(こんじき)の霊線(れいせん)を泥海(どろうみ)に投(な)げ、漂流(へうりう)する正(ただ)しき神人(しんじん)を引(ひ)き揚(あ)げつつあり。而(しか)して天橋(てんけう)に神人(しんじん)の充満(じゆうまん)するを待(ま)ちて、またもや天橋(てんけう)は起重機(きぢゆうき)のごとく東南西北(とうなんせいぼく)に転回(てんくわい)し、その身魂(みたま)相当(さうたう)の高山(かうざん)に運(はこ)ばれゆくなり。神諭(しんゆ)に、
『誠(まこと)の者(もの)は、さあ今(いま)と云(い)ふ所(ところ)になりたら、神(かみ)が見届(みとど)けてあるから、たとひ泥海(どろうみ)の中(なか)でも摘(つま)み上(あ)げてやるぞよ』
と示(しめ)されあるを、想(おも)ひ出(だ)さしめらるるなり。
救(すく)ひ上(あ)げられたる中(なか)にも、鬼(おに)の眼(め)にも見落(みおと)しとも云(い)ふべきか、或(あるひ)は宣伝使(せんでんし)の深(ふか)き経綸(しぐみ)ありての事(こと)か、さしも悪逆無道(あくぎやくぶだう)なりしウラル彦(ひこ)、ウラル姫(ひめ)も銅橋(どうけう)の上(うへ)に救(すく)ひ上(あ)げられたり。而(しか)して常世神王(とこよしんわう)始(はじ)め盤古神王(ばんこしんわう)もまた金橋(きんけう)の上(うへ)に救(すく)はれて居(ゐ)たりける。
ウラル彦(ひこ)はアルタイ山(ざん)に運(はこ)ばれ、その他(た)の神人(かみがみ)も多(おほ)くここに下(おろ)されたり。この山(やま)は大小(だいせう)無数(むすう)の蟻(あり)、山頂(さんちやう)に堆(うづだか)く積(つも)り居(ゐ)たりけるが、凡(すべ)て蟻(あり)は洪水(こうずゐ)を前知(ぜんち)し、山上(さんじやう)に真先(まつさき)に避難(ひなん)したりしなり。
ウラル彦神(ひこのかみ)は蟻(あり)の山(やま)に運(はこ)ばれ、全身(ぜんしん)蟻(あり)に包(つつ)まれ、身体(しんたい)の各所(かくしよ)を鋭(するど)き針(はり)にて突(つ)き破(やぶ)られ、非常(ひじやう)の苦悶(くもん)に堪(た)へかねて少(すこ)しく山(やま)を下(くだ)り、泥水(でいすゐ)の中(なか)に全身(ぜんしん)を浸(ひた)し見(み)たるに、蟻(あり)は一生懸命(いつしやうけんめい)に喰(く)ひ着(つ)きて、苦痛(くつう)はますます激(はげ)しく、またもや蟻(あり)の山(やま)へと這(は)ひ上(あが)りゆけり。
蚊取別(かとりわけ)の禿頭(はげあたま)も此処(ここ)に居(ゐ)たるが、この時(とき)ばかりはその禿頭(はげあたま)は全部(すつかり)毛(け)が生(は)えたるごとく見(み)えたりき。全(まつた)く蟻(あり)が集(たか)りたる結果(けつくわ)なりける。
このアルタイ山(ざん)に運(はこ)ばれた神人(かみがみ)は、極悪(ごくあく)の神人(かみ)ばかりにして、極善(ごくぜん)の神人(かみ)は天教(てんけう)、地教(ちけう)両山(りやうざん)に、極悪者(ごくあくしや)はアルタイ山(ざん)に救(すく)はれたりける。
平素(へいそ)利己主義(りこしゆぎ)を持(ぢ)し、甘(あま)い汁(しる)を吸(す)うた悪者(わるもの)共(ども)は、全身(ぜんしん)残(のこ)らず甘(あま)くなつてをると見(み)えて、蟻(あり)が喜(よろこ)びて集(たか)るに反(はん)して、世界(せかい)のために苦(にが)き経験(けいけん)を嘗(な)めたる神人(しんじん)は、身体(しんたい)苦(にが)く、一匹(いつぴき)も蟻(あり)は集(たか)り得(え)ざるなり。裏(うら)の神諭(しんゆ)に、
『甘(あま)いものには蟻(あり)がたかる(有難(ありがたかる))。苦(にが)いものには蟻(あり)がたからぬ(不有難(ありがたからぬ))』
と書(か)いてあるのは、この物語(ものがたり)の光景(くわうけい)を洩(も)らされしものなるべし。嗚呼(ああ)地上(ちじやう)の世界(せかい)は今後(こんご)何(いづ)れに行(い)くか心許(こころもと)なき次第(しだい)なり。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)
第二六章 艮坤の二霊 〔二二六〕 - 霊界物語ネット
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第二六章 艮坤(こんごん)の二霊(にれい) 〔二二六〕
轟然(がうぜん)たる大音響(だいおんきやう)とともに突然(とつぜん)爆発(ばくはつ)したる天教山(てんけうざん)の頂上(ちやうじやう)より、天(てん)に向(むか)つて打(う)ち上(あ)げられたる数多(あまた)の星光(せいくわう)は、世界(せかい)の各地(かくち)にそれぞれ落下(らくか)した。
これは第四巻(だいよんくわん)に示(しめ)す地球(ちきう)の中軸(ちうぢく)なる大火球(たいくわきう)すなはち根底(ねそこ)の国(くに)に落(お)ちて、種々(しゆじゆ)の艱難(かんなん)辛苦(しんく)をなめたる各神(かくしん)の身魂(みたま)の時(とき)を得(え)て、野立彦命(のだちひこのみこと)の神徳(しんとく)により地中(ちちう)の空洞(くうどう)(天(あま)の岩戸(いはと))を開(ひら)き、天教山(てんけうざん)の噴火口(ふんくわこう)に向(むか)つて爆発(ばくはつ)したのである。俗(ぞく)に地獄(ぢごく)の釜(かま)の蓋(ふた)が開(あ)くと云(い)ふはこのことである。また『天(あま)の岩戸(いはと)開(びら)き』と云(い)ふのも、これらを指(さ)して云(い)ふこともあるのである。
地上(ちじやう)に散布(さんぷ)せられたる星光(せいくわう)は、多年(たねん)の労苦(らうく)に洗練(せんれん)されて天授(てんじゆ)の真霊魂(しんれいこん)に立替(たちか)はり、ことに美(うる)はしき神人(しんじん)として地上(ちじやう)に各自(かくじ)身魂(みたま)相応(さうおう)の神徳(しんとく)を発揮(はつき)することとなつた、これらの顛末(てんまつ)を称(しよう)して、
『三千世界(さんぜんせかい)一度(いちど)に開(ひら)く梅(うめ)の花(はな)』
と謂(い)ひ、また各(かく)身魂(みたま)の美(うる)はしき神人(しんじん)と生(うま)れて、神業(しんげふ)に参加(さんか)するの状態(じやうたい)を指(さ)して、
『開(ひら)いて散(ち)りて実(み)を結(むす)び、スの種子(たね)を養(やしな)ふ』
といふのである。
かくして野立彦命(のだちひこのみこと)は世(よ)の立替(たてか)へ、立直(たてなほ)しの先駆(せんく)として、まづ世(よ)に落(お)ちたる正(ただ)しき神(かみ)を一度(いちど)に岩戸(いはと)を開(ひら)き、地獄(ぢごく)の釜(かま)の蓋(ふた)を開(ひら)いて救(すく)ひたまひ、世界(せかい)改造(かいざう)の神種(かむだね)と為(な)し給(たま)うたる最(もつと)も深遠(しんゑん)なる御経綸(ごけいりん)である。
却説(さて)木花姫命(このはなひめのみこと)は、月照彦神(つきてるひこのかみ)以下(いか)の諸神(しよしん)を随(したが)へ、天教山(てんけうざん)の中腹(ちうふく)なる青木ケ原(あをきがはら)に下(くだ)り着(つ)きたまうた。ここには彼(か)の銀橋(ぎんけう)を渡(わた)りてきたれる神々(かみがみ)の数多(あまた)集(つど)ひて、山上(さんじやう)を見上(みあ)げながら、木花姫命(このはなひめのみこと)を先頭(せんとう)にあまたの供神(ともがみ)とともに下(くだ)りきたるを見(み)て、一斉(いつせい)に手(て)を拍(う)ち喊声(かんせい)をあげ、ウローウローと叫(さけ)びつつ、踊(をど)り狂(くる)うて歓迎(くわんげい)した。
神人(かみがみ)は遥(はるか)にこの光景(くわうけい)を眺(なが)めて大(おほい)に喜(よろこ)び、先(さき)を争(あらそ)うて青木ケ原(あをきがはら)に息(いき)せききつて上(のぼ)りきたり、上中下(じやうちうげ)三段(さんだん)の身魂(みたま)の神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の神柱(かむばしら)の揃(そろ)ひしことを喜(よろこ)び祝(しゆく)し、手(て)に手(て)に木(き)の皮(かは)を以(もつ)て造(つく)れる扇(あふぎ)を開(ひら)き、前後左右(ぜんごさいう)に手拍子(てびやうし)、足拍子(あしびやうし)を揃(そろ)へ、ウローウローと叫(さけ)びながら踊(をど)り狂(くる)うた。その有様(ありさま)は、あたかも春(はる)の野(の)に男蝶女蝶(をてふめてふ)の翩翻(へんぽん)として、菜(な)の花(はな)に戯(たはむ)るごとくであつた。神々(かみがみ)の一度(いちど)に手(て)を拍(う)ち祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)する声(こゑ)は、上(かみ)は天(てん)を轟(とどろ)かし、下(しも)は地(ち)の万物(ばんぶつ)を震動(しんどう)させた。
かくのごとく天教山(てんけうざん)にては、上中下(じやうちうげ)の身魂(みたま)の神柱(かむばしら)は、各自(かくじ)部署(ぶしよ)を定(さだ)めて地上(ちじやう)の世界(せかい)を救済(きうさい)のために宣伝者(せんでんしや)となつて巡回(じゆんくわい)し、かつ先(さき)に地上(ちじやう)に散布(さんぷ)されたる身魂(みたま)は、美(うる)はしき神人(しんじん)と出世(しゆつせ)して各地(かくち)に現(あら)はれ、この宣伝者(せんでんしや)の教(をしへ)を聞(き)いて随喜渇仰(ずゐきかつかう)した。説(と)く者(もの)と聞(き)く者(もの)と意気(いき)合(がつ)するときは、神(かみ)の正(ただ)しき教(をしへ)は身魂(みたま)の奥(おく)に沁(し)みわたるものである。あたかも磁石(じしやく)の鉄(てつ)を吸(す)ひよせるごとき密着(みつちやく)の関係(くわんけい)をつくることが出来(でき)る。これらを称(しよう)して身魂(みたま)の因縁(いんねん)といふ。
ゆゑにいかに尊(たふと)き大神(おほかみ)の慈言(じげん)といへども、教理(けうり)といへども、因縁(いんねん)なき身魂(みたま)は、あたかも水(みづ)と油(あぶら)のごとく反撥(はんぱつ)して、その効果(かうくわ)は到底(たうてい)あがらない。後世(こうせい)印度(いんど)に生(うま)れた釈迦(しやか)の言(げん)に、
『縁(えん)なき衆生(しゆじやう)は度(ど)し難(がた)し』
と言(い)つたのも、この理(り)に拠(よ)るのである。ゆゑに大神(おほかみ)に因縁(いんねん)あるものは、この浅深厚薄(せんしんこうはく)に拘(かか)はらず、どうしても一種(いつしゆ)微妙(びめう)の神(かみ)の縁(えにし)の絲(いと)に繋(つな)がれて、その信仰(しんかう)を変(か)ふることはできない。
神諭(しんゆ)にも、
『綾部(あやべ)の大本(おおもと)は、昔(むかし)から因縁(いんねん)ある身魂(みたま)を引寄(ひきよ)して、因縁(いんねん)相応(さうおう)の御用(ごよう)をさせるぞよ』
と神示(しんじ)されたのも、遠(とほ)き神代(かみよ)の昔(むかし)より、離(はな)るべからざる神縁(しんえん)の綱(つな)に縛(しば)られてをるからである。
『神(かみ)が一旦(いつたん)綱(つな)をかけた因縁(いんねん)の身魂(みたま)は、どうしても離(はな)さぬぞよ。神(かみ)の申(まを)すことを背(そむ)いて、何(なん)なりと致(いた)して見(み)よれ。後戻(あともど)りばかり致(いた)すぞよ』
との神示(しんじ)は、神(かみ)の因縁(いんねん)の綱(つな)に繋(つな)がれてをるから、自由(じいう)行動(かうどう)を取(と)りつつ、一時(いちじ)は都合(つがふ)よく行(ゆ)くことあるも、九分九厘(くぶくりん)といふ所(ところ)になつて、神(かみ)よりその因縁(いんねん)の綱(つな)を引(ひ)かるるときは、また元(もと)の大橋(おほはし)へ返(かへ)らねばならぬやうになるものである。
これを神諭(しんゆ)に、
『引(ひ)つかけ戻(もど)しの仕組(しぐみ)』
と示(しめ)されてある。
さて木花姫命(このはなひめのみこと)の宣示(せんじ)を奉(ほう)じて、月照彦神(つきてるひこのかみ)、足真彦神(だるまひこのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、太田神(おほたのかみ)、祝部神(はふりべのかみ)、弘子彦神(ひろやすひこのかみ)その他(た)の神々(かみがみ)は、折(をり)から再(ふたた)び廻転(くわいてん)しきたれる銀橋(ぎんけう)に打乗(うちの)り、一旦(いつたん)中空(ちうくう)を廻(めぐ)りながら、復(ふたた)び野立姫命(のだちひめのみこと)の現(あら)はれたまへるヒマラヤ山(さん)に無事(ぶじ)降下(かうか)した。
ヒマラヤ山(さん)には、あまたの神人(かみがみ)が夜(よ)を日(ひ)についで、山(やま)の八合目(はちがふめ)以下(いか)の木(き)を伐採(ばつさい)し、大杭(おほくひ)をあまた造(つく)り、頚槌(くぶつち)を携(たづさ)へ地中(ちちう)にさかんに打込(うちこ)みつつあつた。月照彦神(つきてるひこのかみ)一行(いつかう)は、その何(なん)の意(い)なるかを知(し)らず、神人(かみがみ)らに丁寧(ていねい)に一礼(いちれい)しながら、山上(さんじやう)の野立姫命(のだちひめのみこと)の神殿(しんでん)に向(むか)つて、隊伍(たいご)粛々(しゆくしゆく)として参向(さんかう)したのである。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 外山豊二録)
三鏡 589 艮坤二神の御歌 - 霊界物語ネット
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艮坤(けんこん)二神(にしん)の御歌(おうた)
玉鏡(昭7/8)
北海(ほくかい)の旅路(たびぢ)はろけし吾(われ)は今(いま)
出羽(では)の大野(おほのお)の雨(あめ)ききてをり
之(これ)は先年(せんねん)王仁(わたし)が出羽(では)の国(くに)を旅行中(りよかうちう)、鳥海山(てうかいざん)の下(した)をよぎりたる時(とき)、突如(とつじよ)坤(ひつじさる)の金神様(こんじんさま)が神懸(かむがか)られて詠(えい)じたまうた御歌(おうた)である。坤(ひつじさる)の金神様(こんじんさま)は西海(せいかい)の果(はて)なる喜界(きかい)ケ島(しま)に御隠退(ごいんたい)遊(あそ)ばされて、佗(わ)びしい月日(つきひ)を送(おく)つておいでになつたが夫神(をつとがみ)恋(こひ)しさの情(じやう)に堪(た)へ兼(か)ねて、遥々(はるばる)と艮(うしとら)の金神様(こんじんさま)を尋(たづ)ねて鳥海山(てうかいざん)まで来(こ)られたのであるが、夫神(をつとがみ)のいます北海道(ほくかいだう)の地(ち)は白雲(はくうん)漠々(ばくばく)として何処(いづこ)の空(そら)とも見(み)えわかぬ、又(また)よしや首尾(しゆび)よく尋(たづ)ねおほせても、あの厳格(げんかく)な夫神様(をつとがみさま)の事(こと)、恐(おそ)らくは会(あ)うては下(くだ)さるまい、とつおいつ御思案(ごしあん)の末(すゑ)ここから引(ひ)きかへさうと決心(けつしん)され、鳥海山(てうかいざん)にお登(のぼ)りなされて遥(はるか)に遥(はるか)に芦別(あしわけ)の山(やま)を偲(しの)ばれたのである。日本武尊(やまとたけるのみこと)が碓井峠(うすゐたうげ)より妃(ひ)弟橘姫(おとたちばなひめ)を追懐(つゐくわい)された故事(こじ)にも勝(まさ)りて、涙(なみだ)ぐましい御事(おんこと)であつた。故(ゆゑ)に往昔(わうせき)鳥海山(てうかいざん)はトオミ(遠見(とほみ))の山(やま)と云(い)つて居(ゐ)たのであるが、後世(こうせい)鳥海(とりうみ)に転訛(てんくわ)したのである。偶々(たまたま)王仁(わたし)が其(その)地(ち)を過(す)ぎたので神懸(かむがか)らせ給(たま)うて当時(たうじ)の御心情(ごしんじやう)を詠(よ)ませられたのである。
芦別(あしわけ)の山(やま)は悲(かな)しも勇(いさ)ましも
神代(かみよ)ながらのよそほひにして
之(これ)は艮(うしとら)の金神様(こんじんさま)が同(おな)じく王仁(わたし)に神懸(かむがか)らせたもうての御歌(おうた)である。北海(ほくかい)別院(べつゐん)の歌碑(かひ)に此(こ)の歌(うた)が記(しる)されるのである。
護衞艦「くらま」衝突炎上と鞍馬の火祭り サナート・クマラさん、御降臨あそばされましたね
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/495.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 29 日 23:46:01: Gsx84HOp6wiqQ
眞央ちやんの銀メダルは艮の金bさんの發動ですかね
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/788.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 01 日 00:44:07: xsXux3woMgsl6
十月十五日金曜日午後五時頃、新潟縣胎内市で龍卷發生 白頭山天池に封印されし龍bは、b國日本に宿つたか
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/127.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 01 日 20:33:16: yX4.ILg8Nhnko
東北新幹線全線開業 まつろわぬ者共、蝦夷(エミシ)達が動き出す
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/157.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 10 日 21:57:38: yX4.ILg8Nhnko
ヤツター!! 御隱れになつてゐた尊いお魚「國鱒」が見つかつた バンザーイ!! バンザーイ!! バンザーイ!!
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/178.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 16 日 23:47:10: yX4.ILg8Nhnko
で、原田武夫さん。契約の聖櫃アークの事も書く積もり?
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/190.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 18 日 20:41:09: yX4.ILg8Nhnko
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