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元気の出る聖書の言葉2010年12月11日
主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜
で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベ
を惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人
間と、数多くの家畜とがいるではないか。」ヨナ書4章
+++
ニネベの人々が主に立ち帰ろうと努力しているのを見て、主は彼らに災いを下そ
うとしていたことを思いとどまられました。しかし、このことがヨナを非常に不
機嫌にしたと言います。
ヨナには、ニネベの人々の悔い改めが十分でないと思われたのかもしれません。
礼拝すべき方が「主」だけであるということをニネベの人々は知らず、偶像もま
だ町の中に残っていたかもしれません。
彼は、主の憐れみに対して「甘い」との認識を持っていたようです。それで心の
中で怒りが燃え上がりました。
そんなヨナに主はお語りになります。この右も左も分からない人々、真の悔い改
めとは何かということも知らない人々を、主ご自身が創造し、育み、愛しておら
れるのだと。
ヨナは、自分の基準でニネベの人々を裁くだけでなく、主さえも裁き、怒りに満
たされました。しかし、主の基準はヨナの基準とは違いました。主の基準は「愛
」だったのです。
私たちは、自分の基準で人を裁き、神を裁き、そして自分を裁き、身動きができ
なくなっているのではないでしょうか。
しかし、人が愛するに値しないと思うようなものも、主は愛して下さった。だか
ら、私たちは救われるのです。
+++
祈り12/11
天のお父様。尊い御名を心から誉め讃えます。今日もあなたの大きな愛と慈しみ
に包み、御前に引き出してくださったことを心から感謝いたします。
主よ、右も左もわきまえない者、それは、この私です。暗闇の中でどちらに向か
えば救いが得られるか分からず、立ちすくんでいた者を憐れみ、救ってくださっ
たのは、あなたでした。
このようにして救われてきたのに、すぐに自分の基準を持ち出す愚かさをお赦し
ください。
いつもあなたの基準が何なのか、あなたの御思いがどこにあるのかを教えて頂き
ながら、あなたの愛に生きることができるよう、導いてください。
愛のない、この私の中に、あなたの愛を注いでください。あなたが愛しておられ
るように、私も愛することができますように。
感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。
岩本遠億
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