★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ59 > 105.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「冬に」:裁判員制度を題材にした小説の試み
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/105.html
投稿者 taked4700 日時 2010 年 11 月 25 日 08:18:12: 9XFNe/BiX575U
 

冬に

11月26日(月)

 「腹が減った。」そうつぶやきながら、小久保勇気は毛布の中で天井を見上げた。寒い。もう11月の下旬。昼間と言えど暖房をしていない北向きの部屋が寒いのは当たり前だった。エアコンはあるがこの部屋に引っ越してきて以来使ったことがない。朝からつけっぱなしのテレビで昼のニュースをやっている。「何を言ってるんだ。ウソばっかりじゃないか。」そう言いながら、枕元に転がっていたカップヌードルの容器をゴミ箱に放り込んだ。昨日の晩からインターネットでいろいろな刑事事件の報道を調べていたのが、朝方になって、敷きっぱなしのせんべい布団に潜り込んでそのまま寝てしまったのだ。
 手帳を開いて予定を確認する。午後3時から裁判傍聴だ。すぐに昼だからあと3時間強しかない。初めて刑事事件の裁判傍聴をする。幾つか刑事事件を調べて、一般の関心が最も高いのがこれだと決めたのだ。本の一次原稿締切が来月7日、一応の出版予定が来年の1月初旬だ。できれば12月中に出したい。テレビを見て、もうすぐに正午のニュースが始まるのを確認した。今出ればコンビニはちょうど昼飯を買う客で混んでいるだろう。

 2012年、日本の景気は冷え込んでいた。都会だけではなく、地方都市にもホームレスが当たり前にいた。公園や駅のトイレに入ると、そこには必ずと言っていいほど炊事の跡があり、片隅にカセット式のコンロが置いてあったりした。

 「ああなっちゃうのかな、自分も。」秋山信弘は小さくつぶやいた。目の前にある公園のベンチにまだ40代と見える中年の男がずっと座っていた。自転車がそばにあり、その荷台にはビニールの大きな袋がしばりつけてあった。男から目をそらし、片手に持ったショルダーメガホンをもう一度握り返して、もう一方の手で口元にマイクをあてた。既に3回目か4回目になるセリフ。「自分は県立高校の教員を20年間やってきました。しかし、その内、10年以上大掛かりな入試不正が行われていたのです。入学定員の3割以上の生徒が入試成績に関係なく合格になっていきました。自分は入試不正をやっていた選抜会議の録音テープを県へ提出してあります。しかし、県は一切その検証をしないのです。そればかりか、自分の周囲ではさまざまな事件が起こりました。女子更衣室精液事件、現金盗難事件、ラブレター事件、職務命令事件など、ほぼ毎週と言っていいほどさまざまな自分を陥れるためとしか思えない事件が起こっていったのです。」言いながら疲れを感じた。以前は多少反応があったのだ。こちらを向いて頑張れと言うように手を振ってくれる人もいた。しかし、それでも実際に話しかけてくるものは一人もいなかったし、資料を各家庭のポストに入れても全く反応がないのだった。「日本は植民地化されているのです。このままでは、日本のエリートシステムが完全に破壊されます。2010年の口蹄疫を思い出してください。なぜ1000億円もの被害を出したか。2010年の口蹄疫では、感染してから発症するまで調査がされなかったのです。2000年の時は、一例目の感染疑いが出てから、半径50kmの範囲を決め、その中の農場に立入検査がされ、1例目以外は全て発症前に感染が突き止められたのです。口蹄疫は感染すると発症する前からウィルスの吐き出しが始まります。2010年のときは症状が出て牛の舌に水疱ができ、足の皮がむけ、そういった症状に農場の関係者が気が付き、県へ通報してやっと感染した家畜の処分をやっていったのです。明らかにおかしいことなのに、このことを報道するマスコミはいなかった。もちろん政治家もこのことを問題にはしなかったのです。」みんな聞いているのだろうか?タクシーの運転手が何人かまとまって話し込んでいる。でもこちらを聞いているようには見えない。「エイズの時も同じでした。2重の意味でエイズの時はおかしいことが起こりました。アメリカ国内で非加熱製剤がエイズ感染のもとになる可能性があると分かり、アメリカ国内で使用しないことにし、アメリカから世界中の政府に対して非加熱製剤が危険だと通報がされました。しかし、アメリカ国内で非加熱製剤の製造は禁止にならず、在庫も廃棄されず、何年間もアメリカから輸出され続けたのです。これが一つ目です。そして、二番目は日本政府がアメリカからの通知を受けていたのにも関わらず非加熱製剤を使用禁止にせず、何年間も血友病の患者の方の治療に使い続けさせたのです。薬害エイズ裁判では、輸入して日本国内で販売をした製薬会社は罰せられましたが、そもそも、危険な薬剤の製造を続けさせ、それを輸出させたアメリカ政府の責任は一切追及されていないのです。」もうそろそろ止めよう。本当に疲れている。「入試不正は重要な問題です。毎年毎年何十万人という人々が背中にリモコン装置を付けられ、自分の良心に基づいて判断することが出来なくなっているのです。日本の官僚制度が、専門家と言われる人々が、その本来の役割を果たさなくなっているのです。これはみなさんの問題です。私たちの誰もが関係するこの社会全体の問題なのです。ぜひ分って頂きたい。自分はホームページを開いています。しかし、まったく反応がないのです。そればかりか、偽のホームページが見せられていると言うことをよく聞きます。自分が見るときは、確かに自分が作ったそのままのものが見えるのですが、自分が居ないところでは違うものが見えるようになっているはずです。インターネットはもともと原理的にそれができるようになっているのです。実際、あるスーパーの店員さんは自分が学校のグラウンドに落ちていたコンドームの件で学校側を訴えていると書いてあったと教えてくれました。しかし、そんなことで自分は学校を訴えているのではありません。コンドームのことなどで自分が学校ともめているなどという事実は全くないのです。女子更衣室精液事件、現金盗難事件など、明確に本来なら刑事事件になるもので学校を訴えているのであり、何よりも定員の3割以上にも上る入試不正事件があるのです。入試不正をやった選抜会議の録音テープの反訳、文字に直したものも自分のホームページに載せてあります。ぜひ、読んでいただきたい。秋山信弘と言います。ぜひ、ホームページを見て、どんなことが書かれているか、自分に教えていただきたい。ありがとうございました。」ああ、やっと終わりだ。なぜ、ありがとうと言わなければいけないのだろう。もちろんそれは聞いてもらってありがとうということだ。今度の選挙で自分に投票してもらうからでもある。しかし、本当に当選できるだろうか?そう思いながら、ショルダーメガホンを片手に持って、周囲を眺めた。忘れ物はない。バックだけだ。

 都立図書館の休憩コーナー。午後3時開廷だから、午後2時過ぎにここを出れば十分だ。「一応確認しておくか」そうつぶやいて小久保勇気は携帯から東京地方裁判所へ電話をかけた。「もしもし、刑事書記官室をお願いします。もしもし、えーと、平成23年のわ、第240号事件ですが、今日3時開廷でいいですか?傍聴券配布にはならないですよね。ええ、大丈夫ですね。はい、ありがとうございました。」勇気はそう言って、もう事件番号を覚えてしまったなと苦笑いをした。事件番号を知らないと裁判所は問い合わせに応じようとしない。幾ら有名な事件で誰が被害者でと言っても、裁判所は事件番号を聞いてくるのだ。記者になりたての頃はこのことさえ知らなかった。そして、事件番号はほとんど報道されない。だから、民事で事件記録を誰でもが見れると言っても、実際は事件番号を知る術がなければだれも事件記録を見れないのだ。刑事事件の記録閲覧は検察に申請、許可が必要だが、やはり事件番号がなければ申請自体ができない。つまり、裁判の公開と言っても、事件番号を報道しないことで実質的にアクセスの道を閉ざしているのだ。勇気は横のソファーに散らばった10枚ほどのA4コピー用紙を一つにまとめながら、他に調べることはないかともう一度考えた。記者時代は以前の記録など簡単に集めることが出来た。パソコンで有料検索サービスをやっているが、週刊誌の見出しなどは出てこない。

 2010年11月、首都大学東京4年の女子大生が殺され、バラバラになった遺体が丹沢山中で発見された。当初手がかりが全くなく、このまま迷宮入りかと思われた事件だったが、事件発覚のちょうど2か月後犯人が出頭してきたのだ。容疑者名は阿部健太郎、23歳、大学2年の時に婦女暴行未遂で退学になり、それ以来まともな職についていない。覚せい剤中毒が疑われたが、明確なことを警察は言っていない。しかし、どう考えてもおかしなことがいっぱいあった。まず、遺体がひどく細工されていたのだ。頭部と四肢が切り離され、内臓はなくなっていたと言う。しかも、肩や腰の関節部分からきれいに手足が切断されていたと言うのだ。見つかったのは頭部と胴体、そして右手のひじ関節の部分までと両足のひざ関節までだった。頭部はひどく殴られた跡があり、サッカーボールのように膨らんでいたと言う。頭部と胴体は一部に火で焼いた跡があったと言う。そして最も不思議なのは、発見された遺体は多少腐敗していたが動物が肉や骨をかじった跡がないと言うことだった。鋭利な刃物で一部の肉をそいだようだったと言う。

 当初、ずいぶん騒がれた事件だった。一か月間ほどはテレビのワイドショーで毎日取り上げられていた。友人の家に遊びに泊まりに行き、翌朝、無断でいなくなってそのまま行方不明になったのだ。行方不明になったのが11月14日の日曜日、そして、ちょうどその10日後に頭部が丹沢山中の沢で見つかった。11月16日には家族から行方不明の届け出がされ、19日には顔写真が公開された。その直後に、被害者が港区にある高級キャバクラに勤めていたと言うことがインターネットで流れ、店の宣伝写真がインターネット上の掲示板に貼り付けられた。首都大学の荒川キャンパスに通っている友人のアパートが京浜東北線王子駅の側にあり、駅の防犯カメラに被害者の映像が映っていることが報道されたのが犯人出頭後の2011年1月末だった。更におかしなことに、頭部発見場所に通じるルートにある商店の防犯カメラ映像がわざわざ調査されていない様子だった。つまり、警察が遺体遺棄は行方不明の直後に行われたに違いなく、11月14日から20日の間に遺棄されたはずだとしてしまったのだ。だから、21日以降の映像は捜査していない様子だった。しかし、丹沢というたいして高くない山でイノシシやトンビ、カラスが遺体を荒らさないはずがない。遺体に動物が漁った跡がないと言うことは、発見直前に遺棄されたはずだった。更に、被害者の家族が行方不明の届け出を出したのがあまりに早すぎる。携帯電話が通じず、何人かの友人に聞いても居場所が分からなかったからだと言う。しかし、22歳の大学生が携帯電話が通じないだけですぐに行方不明と判断するだろうか?身代金の要求もカードからの預金引き出しもされていなかったと言う。しかも、その状態で、警察は捜査を開始し、首都大学の荒川キャンパス内の物陰などを探し回る映像がテレビ放映されたのだ。

「行方不明者は毎年10万人単位でいるのだろう。何の被害も犯罪の気配さえない時点でなぜ警察が動いているんだ?」東京地方裁判所へ歩きながら、携帯電話に向かって、小久保勇気は話していた。「なぜだろうね。被害者の関係者が警察に影響力を持っているとか、首都大学関係者が騒いだとか、いろいろあるよ。」「そうか。確かにね。その可能性はある。でも被害者の飯田里佳子は新潟出身だろ。2日で警察に捜索願というのもおかしいと思わんか?」「そうだね。うん。幾ら女子大生でも家族と毎日連絡を取っているとは限らないし、携帯電話をどこかに置き忘れて数日連絡が取れなくなることはあるだろうしね。ただ、彼女は被害者だ。殺人事件の被害者だよ。家族には何か予感があったのかもしれない。」「かもしれない、か。警察はどう発表しているんだ。何も発表していないのだろう。」「そう、僕の推理でしかない。いいかい、勇気。事件捜査は警察がやるんだ。僕らはただの記者だ。社会で起こっていることをなるべく正確に報道する。これしかない。あまり、警察発表に疑問をさしはさむべきじゃないよ。」「浩は体制派だからね。俺は落ちこぼれ組だ。馬原浩は将来社会部デスクが約束されている。こちらは、既にフリーの身だ。今じゃ警察の会見にも出れないからな。」「フリーの身はフリーの身でいいことがあると言っていたじゃないか。実際、自分の好きな事件を追いかけられる。大石さんみたいになると言っていたじゃないか。」「大石さんか。最近まったく会ってもらえない。フリーはフリーでいろいろなしがらみがあるんだよ。」「だけど、まあ、裁判員裁判の本を書くのはいいアイデアだと思うよ。やっぱりいろいろな矛盾点が出てきているからね。じゃ、会議の準備があるから。今晩にでも電話くれよ。」「ああ、ありがとう。裁判員のみなさんがどんな様子だったか報告するから。」

 馬原浩、新聞記者時代の友人だった。今でも気楽に話せる数少ない知り合いの一人だ。5年前、新聞社を辞めた時、ある程度は人間関係が難しくなるだろうとは思っていた。しかし、これほどとは思わなかった。以前親しくしていた記者仲間のほとんどが自分を避けるようになっていた。電話を掛けると一応話はできるが、逃げ腰なのは明らかだった。経済部の記者だったので、経済に関する本でも出せば自分一人ぐらいの生活費は稼げるとタカをくくっていた面もあった。ところが、記事を書いて週刊誌の編集部へ持ち込んでも、見てもくれないのだ。スーパーのレジ打ちかマクドナルドのアルバイトをやるかと思った時もあった。派遣会社に登録も考えた。ただ、やはり、自分の経験を活かしたかった。確実に今の社会は隠されていることがある。それを明るみに出したい。それが望みだった。

 「困ったな。」と松中信は困惑してつぶやいた。ここまで目立ってしまうと部長として動かないわけには行かない。問題は二重だった。如何に害がないか、または、影響力がないか、それを説明できる状況にすること。次に、この告発の芽を何とか育てていくことだった。どちらも難しかった。これまで何回も失敗してきた。うまくカバーできなければ自分の命が危ない。それにこのバカもただでは済まないだろう。しかし、もっと痛めつけても大丈夫だろうか?今まではみんな途中でダメになった、一人を除いては。「ともかく江夏さんに知らせなければ」そう独り言を言い、電話かけた。

 「やっぱり関心は続かないよ。なんと、自分を入れて傍聴は6人だ。2010年ころは抽選だったのに、驚きだね。」「そうか、一昨年は裁判員裁判というとほとんど毎日テレビでやっていたからな。だけどあれだけの事件で一般傍聴が6人というのはあまりに寂しいね。」「まあね。ただ、記者席はまあまあ埋まっていたよ。われらの毎朝新聞も来てたよ。若い奴が。」「それで、裁判員はどうだった?」「検察側の冒頭陳述があって、被告がすべて認めますと言って、それで終わりだからね。まったく問題点が出てこない。あれじゃ、裁判員は何も事件の本質が分からないよ。」「そうなんだよな。ほとんどの争点は公判前整理手続きで詰められてしまっているからね。」「いや、それより、全てが性善説に基づいているんだ。これが癌だ。浩が言っていることもあるんだけど、それ以前の段階で事実が捻じ曲げられているんだ。」「具体的に言うと、、、」「だから、これは、あくまでフリーの記者が素直に事件を見たらということだよ。いいか、馬原。まず、事件そのものがでっち上げの可能性が高い。これはお前に初めて言うけれど、被害者は死んでいない可能性が高いんだ。見つかった遺体は、不自然に細工されていた。あれは医学部の解剖実習につかった遺体のはずだ。そう仮定すると、きれいに説明が付く。発見された頭部はぼこぼこに殴られていたのだろう。多分、遺体の顔は公開されなかったはずだ。そもそも、葬儀の時に遺体があったのかさえ疑問だ。」「ちょっと、ちょっと待てよ。あまりにそれは飛躍しすぎでは?」「いや、だから、フリーの記者としてと言ってる。いいか、馬原。最近の事件は異常だよ。または、事件捜査が異常だと言ってもいい。」「そうか?」「そうさ。いいかい。冬って言っても丹沢だ。北海道の山じゃないのだから、イノシシも居ればトンビやカラスもいる。動物の死体があったらすぐにそいつらに食い荒らされるよ。それなのに、今回のは、確か、えーと一週間も野ざらしだったと警察は言っているじゃないか。遺体発見の直前に遺棄されたのは間違えがない。ところが、警察は写真公開の直後には遺棄されていたはずだとしてしまっている。あれは却って捜査妨害というか、捜査を故意に手抜きしたと言うか、警察が何らかの形で動かされていると言うことだよ。防犯カメラの捜査を被害者写真公開以前のものに限ってしまったと言うのだから。」「そうか。確かに。小久保の言うことも分かるよ。でも、動機はなんだ。警察も被害者もグルだと言うのだろう。」「そうさ。絶対にグルだ。ただ、確かに動機は分からない。ただ、ずっと考えてきているのだけれど、今は、いや、この20年は日本は急激に変わってきている。裁判員制度にしても検察審査会にしても、そういった制度変更の一環であるはずだ。」「いや、小久保の言っていることは分かるよ。日本の国際的な存在価値はほぼなくなってしまっている。1985年のプラザ合意以来、日本はどんどんおかしくなってきているからね。これは、小久保が以前のあの記事に書いた通りだよ。たださ、いいかい、今回の裁判員裁判で何を取り上げるのか、公判前整理手続き、それが今の小久保の仕事だろう。違うか?」「そう。そうなんだな。だけど、ともかく、この事件はでっちあげだよ。それを裁判員裁判でやるのだから、まるで、そうだな、多分、底なし沼にバベルの塔を建てるようなものだよ。だけど、確かに、公判前整理手続きが問題なのは変わりがない。その点についてはちゃんとやるから。また、進展があったら報告するよ。明日か明後日にはまた電話するから。」「OK、あまり頑張りすぎるなよ。じゃあ、また。」

 「シロ、タロー、飯だぞ。」口笛を吹いて猫を呼んだ。夕方の6時少し前、11月の夕暮れは早く、すっかり暗くなっていた。その暗闇の中に白いものがとことこと近づいてくるのが見える。「タロー、元気か。シロもいい子だね。」2匹の頭をなでキャットフードをストックボックスから一握りづつ容器に入れ、玄関わきに置いた。秋山の家族は猫だけだった。両親は離婚し、11歳の秋山を児童養護施設へ入れたまま、その後、行方不明になった。18歳で施設を出、新聞配達をしながら大学を卒業。民間企業に勤めながら教員試験の準備をして30歳の時にやっと高校の教員に合格したのだ。ただ、教育界の現実はひどいものだった。「じゃな。また明日。」猫に向かってそう言うと秋山は玄関のドアを閉めて、台所に立った。家の中は寒いと言ってもそれほどでもなかった。ただ、12月になればかなり寒くなる。本当は猫を家の中へ入れてやりたかった。実際昨年までは家の中で飼っていたのだ。ただ、今年の春、教員を勧奨退職して、街頭演説を始めだした途端、タローもシロもそれまでの猫トイレを使わなくなり、畳の上におしっこやうんちをするようになったのだ。

 鹿児島の駅前の喫茶店で飯田里佳子はメールを打っていた。「桂子でーす。明日9時から打ち合わせがあるから、ジャズ喫茶MMCに集まってとのこと。今回は、遅れたら罰金1万円だって。連絡なしの欠席は同じく3万円。ちゃんと集まろうね。」22名のメンバー全員にメールを送ると後は暇だった。もともとは福岡の貿易商社の正社員になるはずだったのが、予定変更ということで、鹿児島で組織の連絡役をやっているのだった。今の名前は田村桂子、新潟出身だが高校卒業後アメリカへ行き、そこで4年間過ごして帰国子女という触れ込みだった。事実、この2年間ほどアメリカに居た。テキサスの州立大学の外国人用の英会話クラスに在籍していたのだ。首都大学に在籍していても本当は落ちこぼれだと思っていたが、実際にアメリカに来てみると日常の会話は特に困らなかった。驚くことに英会話クラスでは最上級のグループに入れられたのだ。かなり有名な大学卒業と言っている人たちでもbe動詞の使い方がきちんとできていないことが結構あった。

 新橋の駅からほど近い4階建てのビルの一室で、二人の男がパソコンの画面を眺めながら話していた。「桂子は大丈夫みたいだね。まじめに仕事をやっているようだ。」「ええ、部長、もうかなり退屈している様子です。ほら、モバゲーやっていますよ。」「この角度からじゃモバゲーかどうか分からないだろう。まあ、君のプランがうまく行っている。あそこまで簡単にやれるとは思っていなかった。もう少しマスコミが疑うのかと感じていたからね。」「だからみんなが言うんですよ、松中部長は心配性だと。日本新聞は既に幹部の半分は直接こちらから報酬を取るようになっていますし、後の連中は怖がって黙って従うばかり。太陽放送だって、あの解説委員が首つりをしてから見事に自主規制しています。BBの影響力は充分に効いているのですから。」「確かにね。ただ、現場の記者の中には不満を持っているのもいるんだろう。マスコミも既にリストラがかなり進んでいるし、大ぴらに組合で戦う奴もいるみたいじゃないか。」「ああ、大石大次郎ですね。訴訟ではずいぶん勇ましい主張をしていたようですが、結局負けたんですよね。今度最高裁を取り巻いて糾弾集会をやるとか言っているようですが、あまり影響力は持ちませんよ。」「いや、だから、会社にいる連中はいいが、フリーの連中が動くのではと心配しているんだ。いくら、フリーの中にもエスがいると言っても、今のままじゃ食っていけないからな。」「心配いりませんよ。部長は聞いていないのでしょうが、江夏さんが動いているそうです。裁判員制度こそが意味があると言うことでした。」「そうか。まあ、江夏さんは江夏さんでいろいろやっているみたいだね。ただ、こちらも忙しくなるんだ。ふう。今後、この桂子君に結構活躍してもらう予定です。あの家族はみんなこちらで抱えていますからね。」「部長、それはきちんと手続きをしてもらわないと。こちらは人事権はありません。」「分かっていますよ、和田君。」

 地下鉄に揺られながら杉内俊也は考え込んでいた。「裁判ってこんなものなのか、なんだか拍子抜けだな。」凶悪犯が一風変わったそれらしい雰囲気でいるとは限らないと分かってはいた。ただ、バラバラ殺人をやるような奴なら、もう少し何かそれらしい雰囲気があるはずだった。ところが出てきたのはごく普通の若者なのだ。中肉中背、多少痩せていてスポーツ刈り、額に大きなほくろがあった。目だったのはしょっちゅうまばたきをしていたことだった。大学2年の時に婦女暴行未遂で退学。半年前に大麻所持で捕まり現在執行猶予中。風俗バーで雑用をしていて、被害者とは出会い喫茶で知り合い、自宅アパートで売春代金のことでけんかをして殺してしまったと言う。現場写真が見せられたが、ごく普通の小さいアパートの部屋が写っているだけだった。遺体写真の代わりにスケッチが見せられた。なんだか医学部の教科書のような印象だった。犯人の親族が来ていないのは予測していたが、被害者の親族も一人だけだった。両親は交通事故で10年ほど前に亡くなり、それ以来祖母が面倒を見てきたと言うのだ。

11月27日(火)

 久しぶりに晴れた空から明るさだけを持った朝日が差し込んでくる。「じゃ行ってくるからな。今夜は遅くても1時には戻るから。」マスクをかけながら、大石大次郎は妻に向かって叫ぶと自宅マンションのドアを閉めた。インフルエンザがまた流行っていた。妻の忠告に従って大石も最近は必ずマスクをつけて外出していた。この時期に自分が風邪でダウンしてしまうわけに行かない。
 昨日、阿部健太郎の裁判が始まった。予測通り、今朝の新聞では事件に関して何の疑念も報道されなかった。「これは大本営発表と同じだ。占領軍が何かやっているんだ。」今朝、朝食をとりながら妻に言うと、妻は「そうね。おかしいわね。」としか言わなかった。2003年、1ヵ月の休暇を取ろうとして会社を懲戒処分になり、それを裁判で争ったが昨年最高裁で負けが確定してから妻はあまり乗り気ではなくなってきたようだった。もともと労働運動に積極的だったのは妻のほうだった。知り合ったのも大学1年の時のべ平連のデモだった。ただ、実際の生活はいろいろ金がかかる。特に、首になった時はまだ長男が高校生だったし、長女はちょうどイギリス留学の最中だったのだ。確かに、苦労を掛けている。でも、なあに、俺はまだ負けないぞ。まだまだ引退は早いと納得させてやる。今日は出版関係の組合会議が午前中にあり、午後は自治労との会議、その後、昔の記者仲間と新橋で飲む予定だった。5日後の日曜日、最高裁の周りを抗議の人間の鎖で取り囲む予定だった。せめて400人、できれば500人動員したい。

 「寒かったですね。昨日は眠れなかったですよ。」杉内はマスクをかけたまま他の裁判員に話しかけた。「ええほんとに。私なんか、お酒飲んじゃいました。そうしないと頭から写真のことが離れないんですもの。」「そうでしょう。自分も駅前の牛丼屋でビールを2杯飲みましたよ。ただ、失敗だったな。家まで帰るのが寒くて。」そうまだ20歳そこそこの若者が応じた。「写真は以前は本物だったそうですよ。昨日はイラストや模型を写真に撮ったものですからね。ただ、それでも十分にショックでしたね。」「写真もそうですけど、話せないのがつらいです。夫にも息子にも証拠関係のことを話せないのでしょう。あれがこうで、こうなっていてって、もっと話せたら気がはれるんですけど、話せないってつらいですね。」と初老の主婦が応じる。「アメリカなんかは自由に話せるそうですよ。陪審員仲間で何年も同窓会を開いたりするそうです。」「アメリカは広いですからね。日本は狭い社会だし、うわさがすぐに広まるから被害者のプライバシー保護のためにも審議内容は秘密にするほうがいいって理由らしいです。」「ただね。もっと軽い犯罪だったらいいんだが。死刑とか無期、または懲役5年とか、または、まったく逆に無罪ってこともあるんだから。我々には荷が重いですよ。」「テレビでやってました。多数決で死刑に決まっても、無罪だと思っていた人はずっと黙っていなければいけないのかって。どうなんでしょうね。」「そうそう、だから個人名を言わないようにして会議内容は明らかにしてもいいと思いますけどね。」そう一言杉内が付け加えると、待機室のドアがノックされ、書記官が覗き込んで、「そろそろ法廷へ行く時間です。準備をしてください。」と告げた。

 さいたま市浦和駅東口から徒歩5分ほどの2階建てアパート。和田強は小さな旅行バックを2つ持って部屋を出た。ドアの横にある電気のメーターを見て、数値をチェックした。電気は全て切ってある。冷蔵庫のコードも外してあった。ブレーカー自体は切っていなかった。コードをすべて外すのは、一応、火事の用心のためもあった。誰かから聞かれたら、そう答えることになっていた。しかし、本当の目的は違う。誰かが侵入したら多くの場合電気を使う。その痕跡が分かるようにしているのだ。これから羽田に向かう。昼過ぎの便で鹿児島へ向かうのだ。足元を見るとタンポポが咲いていた。季節外れの花。寒風にかすかに揺れる黄色い花を和田は心に焼き付けようとした。

 春日部市南桜井駅前。スーパーの大きな駐車場を前に秋山は話していた。「こんにちは、みなさん。秋山信弘と言います。お騒がせしてすいません。県立高校で、今、大規模な入試不正が行われています。多分全国的です。自分は明確な証拠を持って入試不正を告発しています。選抜会議の録音テープです。教員70名余りが出席した会議の録音テープです。そこでは、合格確約のことが明確に語られています。入試成績と関係なく定員の3割とかそれ以上の生徒が合格となっていったのです。県に提出してありますが、県は一切それに関わろうとしません。明らかな不正が行われているのです。おかしいと思いませんか?」やはりほとんど聞いていない。八百屋さんとお弁当屋さんは聞いているだろうが、スーパーの中には聞こえない。やはり、住宅街でやったほうが良いな。ただ、最近は夏はクーラー、冬は暖房で窓が開かない。ショルダーメガホン40wでは音が小さすぎるんだ。「入試不正は確実に組織的に行われています。平成5年ごろに急激に制度変更がされたのです。中学から県立高校への推薦入試が大幅に増えたのもその頃です。中学での校外模試が禁止にもなりました。そして、中学での成績が高校と同じく絶対評価に変わったのです。そのどの制度変更でも埼玉県は先頭を走っていました。今では推薦入試という言葉を使わなくなっています。しかし、実質的には同じです。5教科の試験をしないで、単に中学の成績と作文とか面接で主に決めていく。まあ、最近は簡単な総合テストをする例が増えていますが、どちらにしても5教科、英、数、国、理、社という5教科の入試をしないのです。その結果、どんどん中学生が勉強をしなくなっている。塾をのぞいたら、多分、日本の中学生の勉強時間は先進国で最低です。中国と比べたら確実に半分以下です。ひょっとしたら10分の1ぐらいかもしれない。そして、教員の印象で成績が決まってくる。この子は興味を持って授業に参加しているとか、よく発言するとか、そういった印象で成績が決まるのです。いったい誰がどういう理由でどれだけの成績なのか、それがどんどん見えなくなっているのです。全ての制度変更が成績の中身を見えにくくしています。入試制度を不透明にする方向で制度変更が長年されてきたのです。実を言うと自分が勤務していた高校では中間試験や期末試験の問題が盗まれて組織的に生徒へ流されていた可能性が強くあるのです。2つ証拠があります。一つは、入試から英語が外されたのです。県立高校で英語が入試科目からないところは非常に珍しい。なぜ、英語を外したか。それは、英語の答案で非常に不自然なものがあったからです。入試は記号で答える部分が半分ほどあります。そして、記号部分だけが正解、あっていると言うものが幾つもあったんです。幾つかは偶然で当たると言うこともあるでしょう。しかし、本来選択が難しい問題も○なんです。そして、そういう生徒を入学後一人一人見ていくとアルファベットさえ書けないと言うことがあったのです。もう一つ、それは、自分は英語ですから進学クラスの担当を時々やるのです。そして、いつも90点ぐらいとるトップの成績の生徒に進行形のことを聞いたのです。そしたらできなかった。中学の1年から2年でやることです。こんなことはありえない。あり得ないんです。それで、中間試験、定期試験の問題を事前に作ることをやめて、試験当日の朝、早く起きて作って試験をやってみたのです。そしたら、そのいつもクラスでトップの成績だった子は最下位に近い点数でした。他にもいつももっといい点数だった生徒が不自然に点数を落としている例が幾つもあった。ほかにも、このことを暗示する事件はいっぱい起こっています。ある教員は自分の定期試験の監督をやっていて、だまって、職員室へ帰ってしまい、5分以上生徒はカンニングのし放題になったと言うこともあります。多分、定期試験の問題、入試の問題が漏れている、売買されていると言うことは全国的に行われているはずです。本来、ちゃんと勉強すれば高校段階の勉強はできるのです。誰でも本来能力があるのです。それが、組織的な入試不正、試験不正によって故意にゆがめられ、本来力をつける機会を奪われてしまっているのです。いいですか。短期的には確かにカンニングによって、不正によって、いい成績が取れる、本来受からない高校に受かる、確かに得です。しかし、人間、3年とか4年とかしか生きないわけじゃない。何十年と人生あるのです。70歳とか80歳とか人生は長い。その時、本来自分を鍛える青年の時期、その時期の手抜きが響いてきます。実際、いいですか。大学生の低学力化、大学の高校化、高校の中学化ということが起こっています。既にそういうことが言われだしてから10年以上が経ちます。東京大学の理系の学生、薬学部の2年生が小学校でやる算数ができなかったと言う記事が出ていました。4×3−6÷2、これができなかったと言うんです。あの東京大学ですよ。しかも、理系の2年生だ。東京6大学、早稲田や慶応、東大だけでなく早稲田や慶応を含んだ東京6大学の学生、それぞれ30名を選んで同じ問題をやらせたらなんと15%ほどができなかったと言うのです。大丈夫でしょうか。なぜ、こんな小学校でやるような問題、それも基礎的な必須学力です、それが大学生ができない。一つの鍵はAO入試、推薦入試にあります。学力を問わない入試があるから高校で、または、中学時代から勉強をしない。それでも合格してしまうのがAO入試、推薦入試なのです。その結果、企業ではAO入試で入った学生は取らない、そういった動きまで出てきていると言います。日本の大学の卒業生は採らずに外国の学生を取る、そういった一流企業も多くなっています。」

 「証拠調べってあんなに簡単でいいのかね。以前はどうやっていたんだ。今日なんかは単に捜査員が感想を述べただけだ。」「あんまり興奮するなって、小久保。お前だって記者だったんだから現実をわかっているだろう。今回は否認事件じゃない。もう認めているんだから証拠調べはできるだけ簡単にやるんだ。」「いや、だから馬原は体制側だって言うんだ。物証はないんだぜ。凶器は見つかっていない。不燃ゴミに出してもう処分されてしまったと言う。」「ふむ。そうだな、小久保の言っていることも分かるよ。犯罪の跡はあるのに、犯行の証拠がでてこない。石井紘基、あの民主党議員の刺殺事件が典型だったね。」「あれだけじゃない。1997年に起こった東電OL殺人事件、神戸連続児童殺傷事件、その他その他いっぱいある。」「それで、小久保はどんな証拠調べだったらいいと思うの?」「いや、それは、まあ、分からないよ。おれはそもそも警察回りじゃない。裁判なんて素人同然だ。ただ、物証がないまま、または、事件の跡をほとんど検証しないまま犯人が作られていっているのがおかしいと言っているんだ。」「だけどさ、小久保。いいか、阿部が、阿部健太郎だったけ、あいつが犯人じゃないのなら、だれがやったんだ。そして、動機はなんだ、警察も絡んでいるんだろ。」「分からないよ。ただ、ただ、そうだな。首都大の事件とほぼ同じ時期に埼玉大学の女学生がやはり殺された事件があったじゃないか。あれは凶器が出てきているが、やはり不自然な事件だった。そして、両方とも被害者の女子学生は進学校出身じゃない。あの事件が起こった当時、就職先争いじゃないかというインターネット上のうわさがあったんだよ。」「何?就職先争い?意味不明だな。」「いや、だからさ、ちゃんと勉強して入った連中と推薦とかAO入試で入った連中で就職口の奪い合いがあるっていう話なんだ。」「はあ?それで殺人はないだろう。飛躍のしすぎだよ。小久保は事件を作りすぎているんじゃないか。」「まあ、確かに考え過ぎかも知れない。ともかく、証拠調べが簡単すぎる。裁判員が理解できないから精神鑑定書も1枚でいいとか、病院のカルテの証拠調べを認めないとか、何かいろいろあるみたいだな。インターネットで読んだだけだけど。本当なのか。」「ああ、それは本当みたいだよ。こないだ日本新聞の司法記者が言っていた。こないだと言ってももう1年以上前だったと思うけど。」

 「大石さん、今度の日曜日、楽しみですね。」「いやー、自治労の皆さんのご協力がなければもう何もできませんよ。特に江夏副委員長の声掛けがなければ、今日の会議も出来なかった。本当にありがとうございます。」新橋の居酒屋の2階で大石大次郎は重ねて謝意を表した。自治労の副委員長がこうして夜の飲み会に付き合って出てくること自体が異例だった。「大石さんはジャーナリストの鏡だと思っているんですよ。2003年のイラク取材の件以来、僕はずっと大石さんに注目してきたんだ。」「ありがとうございます。結局、あれで会社側に負けたんですけどね。1週間以内なら取材OKという話もあったんですよ。ただ、もっと本格的にやりたかった。よくばりなんです、自分は。それで情勢が読めなくて。」「いえいえ、人間小利口になったらいけない。今の報道はどんどん体制寄りになってきていて批判精神を失っていますからね。ただ、新聞やテレビの経営も厳しいそうじゃないですか。」「ええ、江夏さんのほうがそういう経営関係はよくご存じだと思いますが、地方の新聞社やテレビ局はかなり苦しいみたいですね。」「しかし、労働運動は盛り上がらない。なぜだと思います。昔だったら、生活が苦しくなったら組合を作ってみんなでなんとかすると考えたものだが、、、。いや、自治労も組織率は自慢できるものではないのですがね。」「いえいえ、公務員関係は強いですよ。ただ、、、。」そう言って大石は次の言葉を探した。組織的な組合つぶしの動きがある。いや、そういったことは以前も、昔からあったのだ。ただ、この5年ほどは違う。組合内部から組合つぶしとしか思えない動きが噴出しているのだ。大手航空会社の組合が組合員の病歴から家庭環境、容姿まで詳しくデータとして管理してい、しかもそのことが明るみに出て、組合幹部が訴えられた。文芸誌出版で歴史のある山陽月光社は組合幹部が3億円の使い込みをやって刑事告訴されていた。組合幹部が女子社員と問題を起こした話などはそれこそいっぱいあった。組合活動の自殺、自壊が始まっているのだ。「やっぱり一人っ子が多いのが一つの要素だと思うんですよ。小さい時から他人と協力して何かをやっていくと言う体験のない若い人が多い。それから、会社側の圧力が昔に比べてものすごいようですね。昔の経営者なら、却って組合活動を奨励するような人もいた。自分の会社も組合ができるほど大きくなったかと喜ぶんですね。」「そうそう。自分の親父の友人というのが機械加工の会社をやっていたんですがね、自慢していたんですよ、俺が組合を作らせたんだと。まあ、従業員管理の一環なんでしょうが。」「ええ、そういうタイプもいましたね。ただ、純粋に会社が育っていくのをうれしがっていた経営者もいたんですよ。」あの航空会社はその後倒産している。一応再建されているが、以前からの株は価値が無くなった。株の空売りだけでもかなりの利益を得た連中がいたはずだ。組合幹部連中は確実に何かを知っていたはずだ。「例えば、トヨタやホンダの経営者がそうでしたね。」「大石さん、日本の企業はみんなそうでしたよ。松下にしてもソニーにしても、日本の戦後は彼らが支えていた。懐かしいな。」「そうなんです、江夏さん。新聞社も同じで、自分が新人の頃は社長よりも組合書記長のほうが偉いと言われたんですから。それだけ、社長が社員の自主性を大事にしてくれて、やりたいようにやらせてくれた。時代がよかったんでしょうね。」

 「おいおい、やめてくれよ。また故障か!」秋山信弘は一人でつぶやいた。プリンターの電源が入らないのだった。今朝はちゃんと動いたのに、多分、昼間やられたんだ。ビラのせいだな。選抜会議の会話を載せたビラを今日初めてポスティングしたのが原因だ。入試不正の街頭演説を始めて2か月。なるべく個人につながる話はしてこなかった。これは単なる個人の犯罪じゃない。政府ぐるみの、いや、もっと大きな力が働いているかも知れない。それに、誰か個人を特定するとほぼ必ず誰か関係者が犠牲になるのだった。何人かの生徒の顔が思い浮かんだ。深夜の寒さが足元から伝わってくる。5時少し前に帰ってきてネコへ食事を与え、スーパー銭湯へ行ってから5時間ほど眠ってつい30分ほど前に起きたばかりだった。
 「止めた。寝るぞ。」自分で自分にそう宣言してジャージのまま布団にもぐりこんだ。目をつぶって、相川施設長の顔を思い浮かべた。美しい顔だった。美しい?そう、確かに美しい目つきだった。あの頃、既に70歳ほどの相川施設長、普通に見たら決して美人じゃないだろう。高校時代だった。朝学校へ自転車で出かけるのを施設の玄関で相川施設長はいつも見送っていた。ある朝、背後が気になって振り返ると施設長がこちらを見ていた。その時、美しい目だと思ったのだ。60歳まで看護婦をやり、自分がお世話になる数年前から施設の運営を始めていた。結局相川さんは独身だったんだ。そう、アリスはどうしているだろう。今ならもう50代のはずだ。自分よりも3つ年上。毎週金曜日の夜、近くの大学から学習指導のボランティアが来ていた。クリスマスのパーティがあってハンカチ落としをやった時、隣に座ったのがアリスだった。一言も話したことはない。不思議の国のアリス。ずっとアリスのことが心の中にあった。高校時代自分が頑張れたのもアリスがいたからだった。高校時代、あのころが一番良かった。自分のことだけを心配していればよかったのだから。

11月28日(水)

 「起きて、桂子、もうすぐ着くんだから。」和田は横で眠っている田村桂子に向かってつぶやいた。朝一番の飛行機で二人は鹿児島空港をたち羽田へ向かっていた。まだ起きない、不思議な女だ、ほとんど面識のない自分と旅行しながらこうして不用心に眠れるなんて。窓に頭をもたせ掛けて寝ている桂子の肩を軽く叩き「もうすぐ着くぞ」と繰り返した。「おはようございます。ごめんなさい、私ぐっすり眠ってました?」「ああ、あと15分ぐらいで着陸だ。今日の予定をもう一度確認してほしいんだ。」「はい、大丈夫です。ええと、まず、一緒に本社へ行ってブリーフィング、それから、午後は浦和と大宮まで一緒で、春日部で私一人になる。夕方5時から不動産屋さんに会って、夜はそのアパートに泊まる。」「ブリーフィングでとちったら今回の話はなしになるんだから、分かってるね。」「任せておいてください。昨日の夜もずっと一人でRしてたんですから。」「信頼しているからな。」そう言いながら改めて度胸のある女だと思った。今朝、桂子の行動記録を読んだ。確かに昨夜桂子はRをやっていた。しかし、ほんの1時間だ。しかも、夜中の2時過ぎからだった。それまでは支部の連中とパーティをやっていた。酒を飲んでいないのがまだしもの救いだ。改めて桂子の顔を見ると、もうすでに目をつむってRに入っている。Rは「練習」またはreciteの略だ。具体的に場面を想定し、どうやって接近し、相手がどう言ったらどう応えるか、そして、どうやって話を切り上げてターゲットから離れるか、そこまでの練習をすることを言う。

 ”女子大生 就職口 争い”馬原はサーチエンジンでインターネット上の記事を検索していた。昨夜小久保勇気から言われたことが気になって昼食後の短い時間を使って勇気が見たと言うブログ記事が残っているかチェックしているのだ。それらしい記事は見当たらなかった。被害者名を入れて探しても、報道記事の写しならいっぱい出てくるが勇気が言っていたようなものはない。ほとんどは「ひどい事件が起こりました」とか「犯人は死刑ですね」とか「キャバクラでアルバイトしていたんだからこんな目にあって当然です」のように被害者をけなすような短い書き込みばかりだった。ただ、勇気の言っていたことが本当の可能性があると感じだしていた。1990年代の就職氷河期のころから公務員関係で情実採用がはびこっているというのは公然の事実だった。それにあいつがいる。6年前、新入りの記者が自分に向かってこう言ったのだ。「報告してくれないと分かりません」なに?と思った。俺のほうが5年以上先輩だぞ、先輩に対してなんて口をきくんだ、そう思ったが、そこで怒ることは止めておいた。その後、そいつのバックが誰か調べてみた。ところが親戚はいないようなのだ。大手の広告主とも関係はないらしい。「まあ、背景は分からないが、彼には注意して接することだね」当時のデスクからそう言われた。

 
 「やっぱり夕方になると寒い」そうつぶやきながら今朝セーターを着てこなかったことを後悔した。10時からビラのポスティングと街頭演説をずっとやっている。昼過ぎにスーパーでパンを買って公民館の軒先のベンチで座って食べた。それ以外休憩を取っていない。後少しだけやって帰ろう。5時には帰らないとシロやタローに悪いからな。「こんにちは、みなさん。秋山信弘と言います。県立高校の大規模な入試不正の告発をやっています。毎年毎年何十万という人々が背中にリモコン装置を付けられて自分自身の良心に従った判断ができなくされているのです。そればかりでなく、本来入試不正、試験不正のゴールであった地方公務員、国家公務員の職が危うくなっています。国や自治体の財政が破たんするからです。ここ春日部市は1100億円を超える借金があります。埼玉県は3兆円を超えます。国は1000兆円を超えた赤字です。そもそも毎年毎年40兆円を超えた借金を新たにしているのが近年の日本の現状なのです。しかも、その借金をどこからまかなっているか、これが問題です。国や自治体の借金はみなさんの預金、貯金から出ているのです。多くの評論家は日本は外国から借金をしていないから財政赤字は心配ないと言っています。しかし、それは違うのです。いいですか、国や自治体がやっている事業で利益の出ているものがありますか?何もないのです。利益の出る事業など行政がやれるはずがないのです。唯一利益の出るもの、それが税金を集めることです。つまり、今の借金は将来、税金を集めて返すしかないのです。」ああ、疲れた。みんな、聞いているのだろうか?これは皆さんの問題なんだよ。「外国からの借金ならそれを踏み倒せばいいのです。しかし、日本の場合は、行政が返せなくなれば、それは、皆さんの貯金がパアになることを意味しています。いいですか、将来、それもかなり近い将来、皆さん自身の貯金を下ろすために、皆さん自身が税金をいっぱい納めないといけないことになるのです。消費税を10%どころか20%を越えて高率にしないといけないと言われている。しかし、みなさん、20%を超えた消費税なんて負担できますか?」いや、もっと複雑だ。財政赤字は構造的な問題だ。国内的な問題だけではなく国際的な要素もある。調べれば調べるほど深刻な状況だった。どう言えば分かってもらえるのだろう。「実を言うと消費税には仕掛けがあるのです。ワナと言ってもいい。もうすでに日銀は毎年毎年数兆円に上る国債を買っています。労働の裏付けのない、ただ単に日銀が輪転機を回して作っただけのお金がどんどん社会に出ているのです。価値のないお金が出てくれば、それだけお金全体の価値が無くなります。お金の価値が無くなる、つまりインフレになるのです。それもハイパーインフレになると言われているのです。1年で物価が2倍とか3倍、ひどい場合は10倍とか20倍になる。ところが、ハイパーインフレを望んでいる人たちがいます。役人です。官僚はハイパーインフレを待っていると言われているのです。なぜでしょうか。それは、それは財政赤字をチャラにできるからです。2倍のインフレが4年続けば、財政赤字は10分の1以下になる。1年で2分の1、2年で4分の1、3年で8分の1、4年で16分の1です。1000兆円の借金があっても、年2倍のインフレが4年続けば100兆円以下になってしまうのです。」いや、本当はもっと複雑だ。インフレになれば預金金利が上がる。低利の預金は解約されて引き出されるだろう。長期の国債を買っている銀行はみんな倒産だ。「物価が上がっても大丈夫だ。年金は物価スライドだから。皆さんそう思われていませんか?違うのです。物価スライドは1年遅れなのです。物価がどれだけ上がったかを調べて、その上がった分だけ年金額を引き上げる。そういった仕組みです。だから、物価が2倍になって、その翌年にやっと年金は2倍になるのです。年2倍のインフレが続けば、実質的に年金の価値は半分になるのです。そして、いいですか、ここが消費税の巧妙なところですが、消費税はインフレと同時進行するのです。物価が2倍になれば消費税も2倍になる。物価が3倍になれば消費税も自動的に3倍になるのです。多くの税金は前年の所得に比例します。消費税以外の税金は多くの場合、インフレになれば目減りするのです。つまり、行政に対してインフレにしないようにブレーキがかかる仕組みになっていたのです。しかし、消費税は違う。消費税は、行政に対してインフレにしろとすすめる効果があるのです。インフレになっても目減りしない税金、それが消費税です。消費税を上げると言うことは行政に対してハイパーインフレを起こせと許可を与えるようなものです。そして、インフレになればその分だけ年金は目減りするのです。消費税値上げは認めてはいけません。」

 「もしもし、小久保です。忙しいみたいだから、また後で、9時ぐらいにかけるから。じゃあ。」そう言って勇気は携帯を切った。これで3回目だ。何かあったのだろうか?しかし、会議中でも携帯には出るのが記者の習慣だ。今日は特に話したいことがあった。埼玉大学の事件もおかしいことが分かったのだ。今朝から都立図書館にこもって以前の報道を調べた。裁判傍聴の後、埼玉の県立図書館にも行って地元の新聞を調べたのだ。埼大教養学部4年、故郷の山口県で中学教員の採用試験に合格していた。ところが、12月のクリスマス直前バイト先から自宅アパートへ帰り、そこで殺されたのだ。午前11時にはバイト先を出たはずだとされる。しかも、おかしなことに、死後丸1日たってから火事が起こり、遺体はほぼ丸焼けになったと言う。犯人は既に捕まり、裁判も済んでいた。おいおい、一度殺しておいて、丸1日たってからもう一度犯行現場に行って放火、そんなことするか?しかも、アパートは学生アパートでいつ人に見られるか分からない。それに被害者は全裸で発見されたと言う。犯人は60歳過ぎの男だ。幾ら男だからと言って22歳の若い女を全裸にできるだろうか?更に、抵抗されたから殺したはずだ。学生アパートだから、昼間でも人がいた可能性が高い。

 春日部市内の不動産屋を出ながら、田村桂子は不思議に思った。ブリーフィングではターゲットをあまり痛めつけるなと言われたのだ。社会的な評判を落とすだけでいいとのことだった。何だ。それだけのことなら私でなくてもだれでもできる。実際、ブリーフィングでのシュミレーションは全く問題がなかった。幾つかケース別にやってみたが、どれも、自然に演技できた。ターゲットの家から駅側に30mほど離れたアパートの一階に入居する。ターゲットはネコを2匹外飼しているから、その猫を使って接近する。50歳、独身、選挙活動をやっている。昨日の朝言われたのはそういう条件だった。だから、どうやってターゲットの家に入るか、自分のアパートへ誘うか、いくつかのパターンをやってみていた。ところが今日言われたのは、そこまではやる必要がなく、適当に会話を楽しめと言うことだった。なるべく通行人がいるところで、二人が親しくしていればそれでいいと言う。却って深入りさせないほうが良いような言い方だった。もう一つは英語を使え、留学していたことを言えと言うことだった。どうやらターゲットは英語に関係があるようだ。ターゲットのことを知っておくことが必要だが、必要以上に情報があると却ってそれが不審を招く。今回は単に会話をするだけだからこれだけの情報で十分だ。そうか、だからロフトの部屋なんだ。不動産屋で見せられた家具付きアパートの部屋の写真を思い出しながらそう思いついた。

 夕飯のテーブルを囲みながら杉内俊也は多少興奮していた。「いや、だからね。かあさん。思い切って質問してみたんですよ。被告人は麻薬の影響があったんじゃないかって。そしたら、医師は麻薬は関係ありませんだって。そう答えたですよ。よっぽど髪の毛の分析はしたのかって聞いてみたかったけどやめておいた。それでよかったな。証人尋問が終わって、休憩時間に裁判官がわざわざ来てね、公判前整理手続きで麻薬関係のことは調べが終わっているので気にする必要はないって言ってくれたんです。証人調べの前にお知らせするべきでしたねって謝っていましたよ、裁判官が。」「あなた、いいの、裁判のことあまり話したらいけないんでしょう。」「お前は心配しすぎだよ。裁判は元々公開しているんだ。今みたいな話は公開の場でやっている話と同じさ。」「うーん、何かよく分からないわね。どこまで話していいのか?」「だから、評決に関することは秘密だ。誰が有罪を主張して誰が無罪と言ったか、または、懲役何年は誰の意見か、それだけだよ。」「だけどあなたは麻薬の影響があるのではと思ったんでしょう。納得はしたの?」「そりゃ納得したよ。裁判官がもう気にする必要はないと言っているんだ。それより、どの程度反省しているか見てくださいと言うことだ。本気で反省しているかどうか、それって難しいよな。」「俊也さんは慎重な人だから、きちんとした判断ができますよ。」義理の母親が話を引き取ってそう言った。

 9時のニュースが終わりかけている。まだ馬原から電話がない。馬原ぐらいの年齢になればもう家に帰っているはずだ。午後9時きっかりに電話をかけた。しかし、また留守番電話だった。「小久保勇気です。何かありましたか?面白いことに気が付いたから、時間があったら電話をください。夜中でもいいです。」とメッセージを入れたのだ。

 「ええ、部長。見違えるばかりです。30歳前後のOLにぴったりですよ。髪は肩まで。左ほおにほくろが二つ。大宮駅で待ち合わせた時は分かりませんでしたよ。」「そうだろ。あの子は優秀だよ。ともかく今回は一週間だからね。もし、応援が必要なら言ってくれたまえ。」「はい、ともかく明日と明後日の様子を見てみます。桂子はもうすぐ寝るみたいですね。さすがに疲れたと見えます。ターゲットはずっとホームページのブログを書いています。」「まだホームページのことは大丈夫だ。くれぐれもターゲットがあまり深入りしないように注意してくれ。和田君のことだから心配ないとは思うけど。」
 
 「勇気か。ごめんごめん。携帯を置き忘れちゃってさ。カメラマンと一緒に社の車で国会へ行って、帰ってきたときその車の中に忘れちゃったんだ。カメラマンがまた出ちゃってさ、今さっきやっとその車が帰ってきたんだよ。」「いや、そうならよかったよ。ごめんな。遅く電話してもらって。まだ社に居るんだ?」「うん。まあね。いつものことだよ。それで、話したいことってなんだ?」「もう夜中の12時を過ぎているから5分で簡単に話す。埼大の事件もでっち上げの可能性があるんだ。遺体はやっぱり替え玉だ。火事が起こったのは顔や体の特徴を隠すためだよ。全裸だったのは死後硬直の状態で保存された遺体だったからだ。多分、死んですぐに保存室へ入れられたんだろう。死後硬直のままで冷凍保存され、一日放置されたのはそれが溶けるのを待ったんだろうな。あまり置いておくと腸管などで消化酵素が働いて器官が変異していくそうだ。一日というのはその意味でもぎりぎりの時間だったはずだ。」「おいおい、また事件を作っていないか。犯人は捕まっているんだろう。だいたい、替え玉殺人の動機はなんだ。」「それは分からない。ただ、埼大の被害者も進学校出身じゃない。他にも共通点がないか今探しているところさ。」「ふん、そうか。俺も昨日勇気が言っていた就職口の奪い合いという記事を探してみたんだが、もうないな。」「探したのか。興味を持ってくれてありがたいよ。あれはねぇ、確か、どっかの掲示板の記事を個人が自分のホームページに転載していたんだ。掲示板もホームページももう覚えていない。」「いや、僕のほうはいいんだよ。問題は勇気だ。どこまで追いかけるつもりなんだ、この問題。」「うん。そうだね、君が言っている意味はよく分かるよ。裁判員制度のほうをちゃんとやれと言うことだろう。」「そうそう、分かっているじゃないか。」「馬原の信用を落とすことはしない。、手抜きはしないつもりだよ。明日は求刑だ。検察側は無期懲役を言い出すようだ。」「まあ、いいルポができるといいね。期待してるからな。」「ああ、ありがとう。じゃまた。」そう言って勇気は電話を切った。もう少し自分の推理に反応してくれるかと思った。今日はほとんどこのことを調べるのに使った。結構いい推理だと思ったのだが、馬原は褒めてくれない。まあ、あいつも忙しいからな。

11月29日(木)

 秋山は久しぶりに朝早く起きた。いつも夜寝つけないのが昨日はよく眠れたのだ。テレビで首都大の女子大生が殺された事件の求刑が今日だと7時のニュースを流していた。この事件は去年も秋に報道された。手足を胴体から切り離したそのやり方が漁師がイノシシなどを解体するときのやり方に似ていると週刊誌が騒いだのだ。誰か共犯がいるはずだと言う記事だった。「今はもう秋。誰もいないこの家。私は忘れない、海と約束したこと。さみしくても、さみしくても、死にはしないと」昔のフォークソングを思い出し、少しふざけてそう歌ってみた。今は秋でもここは埼玉だから海はない。タローとシロがいるから自分はこの家で孤独じゃない。自分は幸運なんだ、そう思った。

 パソコンに向かって小久保勇気は公判前整理手続きについての文章を校正していた。昨夕、駅前のコンビニで買ったサンドイッチを食べたのが失敗だった。7時過ぎに起き、軽く体操をしてからメールのチェックをし、コーヒーを淹れサンドイッチを食べた。10分ほどしてから軽く腹に違和感を感じ、予期した通りその数分後ひどい下痢をしたのだ。コーヒーは、昨夜も淹れて飲んだから正常なはずだった。「卑怯な奴らだ。あいつら自分たちで何をやっているか分かっていない。」そう言いながら、もう一度、昨夕のコンビニの様子を思い返した。確かに混んではいなかった。一人か二人客がいただけだ。店員は明らかにおかしかった。自分がおにぎりの棚に手を伸ばし、いくつか選ぼうとすると明らかにうれしそうな気配を示したのだ。だから、おにぎりは一つだけ選び、サンドイッチと弁当を買った。本来なら都立図書館へ行くはずだった。ただ、まだ下痢が続く可能性がある。後一時間ほどは様子を見なければならないのだ。

 田村桂子はアパートを出るところだった。原則としてこれから10日間は和田に連絡ができない。どう動くかは自己責任だった。まずは近所の様子を見ておく必要があった。ターゲットはほぼ毎日春日部駅前で街頭演説をする。できれば今日中にその姿も見ておきたかった。演説内容に興味はない。「不偏不党、われわれは国家の意志を体現している」多少疑わしいと思っていたが、現実はそう動いている。和田やその他のメンバーが言っている通りに社会は動いているのだから、これを疑ってみても何にもならない。新潟の故郷の街の市長もそう言っているんだから。そうだ、キャットフードも買っておかなければ。アパートの横の公園で猫を手なずけることが出来るかもしれない。土曜日か日曜日には行動を起こすのだし。でもスーパーが開店するまで1時間以上ある。まあ、駅の周りももう一度確認しよう。あの辺に幾つかスーパーがあるのは確実だ。

 大石大次郎は朝から電話をかけ続けていた。今度の日曜日、最高裁判所を囲む人間の鎖をやるから出てこないかという誘いだった。天気予報では晴れるはずだった。名簿に従って順番にかけてい、ちょうど24人目に小久保勇気の名前が出てきた。数秒躊躇して電話をかけた。「小久保君ですか。お久しぶりです。大石です。」「あ、大石さんですか。おはようございます。お元気でいらしゃいましたか。」「ええ、相変わらずですよ。このところちょっと忙しくてね。君に会いたいとは思っていたんだけど。どお、最近、仕事は?」「ええ、ご心配おかけしてすいません。今裁判員制度についての本を出す予定なんです。毎朝新聞時代の同僚から話があって、出版社はもちろん毎朝出版なんですが、、、。やっぱり、新聞とは違いますね。速報性がない。」「そうだねぇ。新聞には新聞の、本には本のいいところがあるから。それで、ほら、あの記事を本にするって話、ほら、今年の春言っていたじゃないか、あそこで、ほら、国会図書館のロビーで会った時、あれはどうなったの。」「はい、ええ、銀行の不正についての記事ですよね。あれは止まってます。一応半分以上は書けているんですが、全部で、多分、250頁ぐらいになる計算です。だいたい、150頁分ぐらいは校正まで終わっています。後はまだ断片的な文章で終わっているんですけど。ただ、毎朝出版も乗り気じゃなくて、当然ですけど。」「ちゃんと完成する見込みはどのくらいあるんですか。いや、そのね。僕も何冊か本を出しているから、知り合いの出版社に頼んでみることもできるんだよ。」「えぇ、そうですか。ありがとうございます。ただ、そうだな。大丈夫なんでしょうか。何か圧力がかかっているみたいなんですよ。財務省から話が来ているんじゃないでしょうか。すいません。こんな話ししちゃって。」「圧力ねぇ。そりゃ嫌がる連中はいますよ。君も、あの記事で辞めたんですしね。ただ、本当のニュース価値のある記事でしたよ。」「ありがとうございます。そう言って頂くとうれしいです。」「いや、何ね。今度の日曜日、最高裁判所を囲む人間の鎖をやるんだ。そこで僕も話をするんだけど、その時に小久保君、原稿持ってこないか。できているところまででいいから。あと、企画書と。」「ありがとうございます。大変に。そうだな。ぜひお願いします。日曜日の件はインターネットで見ました。9時には行くようにします。いや10時には確実に最高裁判所の正門のところに行きます。」「まあ、大丈夫ですよ。僕はずっとあのあたりに居ますから。午後の1時過ぎまでは大丈夫ですよ。あと、おにぎりがでますから。まあ、久しぶりに話しましょう。」
 大変だ。大石さんから話が来るなんて。本当は大石さんに期待をしていた。もっと前から頼みたいと思っていたのだ。ただ、うまく行かなかったときのことが怖かった。ともかくあと3日しかない。企画書はずっと前に書いたのがあるが、新しく書いたほうが良い。裁判員制度のほうはまあ順調に進んでいる。公表されている事実を寄せ集めて分かり易いように並べ替えればいいのだから、本来なら自分でなくてもだれでも書けるものなのだ。「首都大女子大生殺害事件、あのバラバラ殺人事件の裁判員裁判はこう進んだ!」多分、こんな帯でも付くのだろう。残念なのは被告人や被害者のバックグラウンドがほとんど取材できなかったことだ。本当は被害者は生きている。そう書きたかった。しかし、そんなことを言い出せば確実にキャンセルだ。それに何と言っても馬原の信用を傷つける。今日も午後3時から開廷だ。求刑だから被告人や被害者家族の様子を見ておく必要がある。忙しくなるぞ。

 春日部駅西口。秋山はショルダーメガホンを持ってふっとため息をついた。街頭演説を始めてもう2か月。選挙まではあと2年もある。早く退職をしすぎたかな、とまた後悔の気持ちが起きてきた。いや、もう待ってはいられないんだ。事態はどんどん悪化している。誰かが声をあげなければいけない。このままで行ったら、本当に日本は破滅するかもしれない。東海地震と浜岡原発、財政破綻と米国債、入試不正と階層化社会、構造的に日本は植民地化されている。何年か前にフィリピンに行ったときのことを思い出していた。駅を出るとそこに片手のない少年が物乞いをしていた。みすぼらしいランニングシャツを着て腕のない肩をそのままさらしていた。まずしさ。そして、彼の背景に見える高層ビル。貧困と富が同居していた。ああなったらいけない。いや、日本はもっとひどいことになる可能性がある。
 「こんにちは、みなさん。今日は原発と地震について話をさせてください。静岡県に浜岡原発があります。なんと、そこは東海地震の震源の真上なのです。もう150年以上東海地震は起こっていません。明日起こっても不思議ではないと言われている地震。それが東海地震です。」ふう、もう、多分、数十回は同じことを話している。原発の耐震設計は想定でやっていて、実際に大きな地震に耐えたと言う実績はない。だから、2007年の中越沖地震ではマグニチュード7少しの大きさだったのに、柏崎刈羽原発は結構な被害うけた。2m近い地盤沈下が起き、送電管が折れ、変圧器から何トンにもなる絶縁油が漏れてそれに引火。原子炉本体の真上にあるクレーンが落下までしている。最もひどいのは危機対応の部屋が地震でドアが歪み使えないということだった。耐震対策はあくまで想定。本当に大きな地震が起こったらどうなるか分かったものではない。それに、縦波の被害は全く考慮されていないはずだ。そして、原発震災が米国債の踏み倒しとリンクしていたら、、、。

 駅前広場の一角にある公園のベンチで田村桂子は演説を聞いていた。そうだよ。原発は危険。ただ、電気がなかったら困るじゃん。だけど、なんだかさえない人だな。あんな地味な人が演説をするなんて。当選なんてするわけないじゃん。それにネクタイもしていない。身なりは基本だよ。でも、安全パイだな。部屋に誘っても襲ってきたりはしないタイプだ。さて、どうやって近づくか。ネコを見るなら今だ。よし、ネコを見に行くぞ。

 和田も演説を聞いていた。「そうか。話題になるわけだ。面白い。確かに惜しいな。痛めつけるなとはこのことか。」秋山の写真を何枚か撮り、身長、体重、髪型、顔つき、服装の特徴、襟のボタンをかけているか、そでのボタンはどうか、靴はどうか。靴ひもはどうか、一応頭の中で秋山の姿を再現してみた。秋山の顔がはっきり浮かんだ。眼鏡がその金属の柄を耳に延ばしている。襟元、シャツは青のチェック柄、もうよれよれ、アイロンはかけていない。望遠カメラでズームをするように体の各部がはっきりと浮かんできた。

 東京地方裁判所。杉内俊也は一階受付でその日開かれる刑事事件の一覧表を見ていた。法廷名と事件名、開廷時刻などが書かれたものだ。証人尋問をやっているものを探した。民事も刑事も、ほとんど法廷では何もやらない。民事は単に書証を提出して次回期日を決めるだけ。刑事も証拠については要旨を述べると言うことで現実には民事とあまり変わらない。一つひとつの事実を法廷で細かく検討などしないのだ。だから、仮にも裁判というものを見るのなら証人尋問ぐらいしかない。今は9時少し過ぎだから9時半開廷のものがいい。普通裁判員裁判は連日午前中から開廷される。今日は裁判所の都合で午前中の裁判がなかった。裁判員の集合が午後1時半だから、午前中の裁判を見学しようと杉内は考えていた。
 タンポポが咲いている。いや、ヒマワリだ。これを持って逃げなくては。俺は飲み込まれてしまう。逃げるんだ。ヒマワリを持って。走れ。いや、泳ぐんだ。もう水が来ている。泳げ。泳げ。泳げ。
 「もしもし、もう終わりましたよ。大丈夫ですか。」女の声が聞こえる。「あ、はい、ええ、はい、すいません。つい、疲れていたもので。」うっかり寝てしまったのだ。証人尋問を傍聴しようと法廷に入った後、椅子に座ったきりその後の記憶がない。書記官がドアを出ていくのを見送りながら、疲れていると改めて思った。ほとんど寝ていない。昨日、夕飯後、裁判の仕組みを改めて調べてみようと思ったのだ。インターネットで「裁判 問題点」と入れて検索をかけるといっぱい記事が出てきた。100万を超える数が出てきたのに驚いた。分からないのは、そもそも、証拠とはなんだと言うことだった。裁判とは何が本当に起こったのか、それを調べるところではないのか? 本当のことが何なのか、それが分からなかったら刑罰など決められない。杉内は阿部健太郎と言う青年がバラバラ殺人をやったとはどうしても思えなかった。殺人罪は、死刑、無期、5年以上の懲役だ。もちろん情状酌量で3年とかにもできる。ところが、この人はやっていないと言うための方策はないのだ。無罪というのも違う。そもそも、阿部健太郎は罪を認めている。心神耗弱、これが一番納得しやすかった。実際弁護側は精神科の医師による証拠調べを申請し、検察側と弁護側の医師がそれぞれ一人ずつ証人として出てきていた。でも二人とも麻薬の影響については触れなかった。検察側の医師は責任能力に何の問題もないと言い切った。弁護側の医師は多少同情的で、不規則な生活や過度の飲酒が影響を与えていた可能性を指摘した。違う、違う、そうじゃない。知りたいのはもっと違ったことだ。「先生は本当にあの人がやったと思いますか」そう聞きたかったのだ。「こんなどこにでもいる青年がバラバラ殺人なんてできるわけがないと思いませんか」そう言いたかった。だけど阿部は自供している。だから、薬がこの普通の市民を凶悪な殺人鬼に変えたのだと言ってほしかったのだ。薬が阿部を悪魔に変え、悪魔が殺人を犯した。これしか真実はない。阿部が薬を飲んでいないと言ったって、誰かから一服盛られていた可能性もある。それを調べたいんだ。しかし、裁判員が証拠調べをやらせることが出来るかどうか、結局わからなかった。朝の4時過ぎまでパソコンに向かっていろいろな記事を読み、もう寝ようと床に入ったがコーヒーの飲み過ぎでほとんど眠れなかったのだ。7時すぎまでうつらうつらし、普通の刑事裁判がどうなっているのか知りたくて朝食抜きで裁判所に来たのだった。

 裁判所内のコンビニで小久保勇気は迷っていた。また下痢をしたら困る。場合によっては1時間以上たってから下痢が始まることもあった。買い物がうまく行かないのはすでに5年ほど前からだった。下痢はまだいい方だった。時には何日も喉が痛んだり胃がおかしくなることがあった。警察や保健所にも行ったがらちが明かなかった。「医師の診断書が出ていないのに被害届は受け付けれない。メーカーの検査で異常がないと出ている以上検査をしても無駄。」木で鼻をくくったような答えが返ってくるだけだった。こうやって殺しているんだ。弱毒性の食品で喉頭がんや食道がんにかからせる。一つひとつの食品は弱毒だから、正常だと強弁できる。スーパーやコンビニの店員は実際に癌を見ることはない。

 「こんにちは。傍聴ですか。」小久保が菓子パンをいくつか選んでいると、マスクをかけた男がそう話しかけてきた。「ええ、傍聴です。裁判員裁判のやり方を見たくて。」「そうですか。自分も傍聴できたんですどね。裁判って難しいですね。」「そうですね。よかったらお昼一緒に食べませんか。」「ええ、はい、自分は眠ると困るんで、食事はしませんけど。ガムを買いに来たんですよ。」人の取材が今できるならありがたい。それにこの男は何か話したそうだ。「ええ、じゃ、ちょっと話でも。」一緒にレジをして食事場所のテーブルに座る。「傍聴は初めてですか?」「ええ、初めてです。裁判って、どうやって真実を確かめるのか、それを知りたくて傍聴に来たんですよ。朝来て、刑事裁判の証人調べの傍聴に行ったんですけどね。疲れていて、それで、寝てしまったんです。(はくしょん)ごめんなさい。風邪を引いたみたいだな。」「大丈夫ですか。流行っていますからね。そうか、それで眠気防止のガムを買ったんだ。大分疲れているんじゃないですか。」「ええ、昨日寝ないで調べたんですよ。裁判員裁判のこと。でも分からないんですよね。さっぱり分からない。」「何が分からないんですか。そんなに熱心に調べるなんて。」「いえ。ただ、そうだな。裁判員が疑問に思ったことがあった時、それを新しく証拠調べできるのか、まあ、そういうことかな。」「ああ、そうか。ずいぶん鋭いですね。」「そんなことないですよ。」「何か、公判前整理手続きというのがあるみたいなんですよ。そこで、証拠調べをするかしないか、決めてしまうみたいですね。ご存知でしたか。」「ええ、そのことは聞いています。ただ、ほら、弁護士さんや裁判官も気がつかないことを裁判員が気が付くと言うこともあるじゃないのかなと思って。そんなこと、ないですかね。」「ああ、そうか。本当に鋭いですね。何か、具体的に考えているんですか。}「いえ、特に、何も具体的な事件はないのですけどね。まあ。」「確かにそういうことってあるでしょうね。実際、今の裁判はインチキですしね。」「インチキってなんですか。」「いえ、ほら、何年か前の埼玉で元厚生事務次官夫妻が刺殺されましたよね。あれ、犬のかたきって。信じられますか。」「ああ、本当。言われてみると、確かに。」「あれは絶対に真犯人が別にいる。替え玉ですよ、あの小泉ってやつは。それなのに、警察も裁判所もあいつが犯人だと認めてしまっている。」

 春日部のアパートで田村桂子は早い夕食を作っていた。大根の味噌汁とハンバーグ。ハンバーグは出来合いのものを買ってきた。キッチンは狭いからろくな料理はできない。「あーあ、鹿児島が懐かしいな。やっぱり南国は暖かい。」そういいながら、軽く身震いした。一応エアコンで暖房していたが料理をするところはそれが利かない。昨日の朝鹿児島を発ったのがうそのようだった。懐かしいな。そう思った。昨日、鹿児島空港を離陸したときに見た桜島が思い出された。異様な形だった。生きている火山。そうだ。そうだ。あの山は生きているんだ。

 アメリカ大使館の近くの日本料理店で江夏貴と松中信は食事をしていた。「裁判員制度はかなり定着してきましたね。」「うん、結構準備したそうだから。慎重にやっているんだよ。」「思ったほど反対運動も出てこないし、見直しなしでこのまま行きますか。」「うん、行くでしょう。この前、見直しの検討会があったそうだが、特に大きな問題点は出てきていないらしい。何か気になる点があるのかね。」「いえ、いえ、陪審員制度と裁判員制度、うまく制度変更をしてあると感心しているんです。」「そうか。そりゃよかった。どこがいいと考えているのかね。」「そうですね。まず、公判前整理手続きです。あれで、事実認定が公開の場から切り離された。特に重要なのが被告の知らない場所で公判前整理手続きがやれる点です。一番の当事者である被告人のいないところで公訴事実を自由に決めることが出来る。真実と事実の分離ですね。」「そうだねぇ。確かにその通りだ。ただ、昔から検察官が公訴事実を決めていたんだから、本当は変わっていないんだ。」「ええ、まあ、その、公判前整理手続きをやると、その後は原則として新しい証拠調べ申請ができないわけで、ええ、確かに、認められれば可能ですが、、、原則としてできない。つまり、二重の意味で事実が出てこない構造です。」「まあ、その通りだね。弁護士の腕次第という面が強まるのは分かるよ。裁判員裁判は強制だ。アメリカのように被告側が選択できると言うものじゃない。しかも、裁判員に対する圧力は禁じられているから、反対運動も起きにくい。殺人も、強姦致傷も、危険運転も、みんな事実は遠くなったんだ。日本はこうするしかなかったんだよ。」「と言いますと?」「いいか、いつも言っているように、日本は植民地なんだ。植民地経営のかなめは官僚だ。裁判員制度は官僚の力を強めるためのものなんだ。」「はい。いえ、もちろん、それは分かっているですが、、、。司法取引の導入はしないのですか。アメリカでは司法取引と陪審制度が基本の骨格です。」「それは聞いていない。多分、取り調べの可視化とのセットだろう。どちらにしても、まだまだ時間がかかるだろうな。3年はまだかかるだろう。」「2015年以降ということですね。」「そうだ。他に何か聞きたいことがあるかな。なければもう僕は行くよ。裁判員制度について僕の知っていることはみんな君に伝えてある。いいね。」「はい、それはよく分かっています。ありがとうございました。」

 毎朝新聞社編集部。馬原浩は迷っていた。小久保勇気が言い出している就職口争いの件だった。首都大と埼大の女子大生の事件は替え玉殺人であり、背景には入試不正がある。多分そうだ。そもそも、阿部の裁判はもっと早くできたはずだ。事件発生が一昨年の11月末、解体の様子が漁師のやり方に似ていると共犯の件で週刊誌が騒いだのが昨年のやはり11月だ。そして、今年、やはり11月だ。11月は進路が決まる月だ。中学にしても高校にしても進学先を決める。就職先を決めるのも11月が期限だろう。あの二人の女子大生が入試不正で合格したのなら多分就職先まで約束されていたはずだ。この不景気な時代、単に学歴だけでは就職できない。それに、昨年の記事は明らかに不自然だった。漁師の解体のやり方に似ている?そんなことは捜査当初に分かるはずのことだ。なぜ1年もたって報道するのだ。やはり11月に意味がある。そして、殺人をでっち上げるとは相当に脅しを必要としていると言うことだ。だれが、だれを、何のために脅すのか?

 新橋の4階建てのビルの一室。松中は和田の表情を観察していた。「悪いね。こんな遅く呼び出して。」「いいえ、部長。大丈夫です。秋山の件ですか。今朝、演説を聞きましたよ。なかなか思い切ったことを言っていますね。」「そうだろう。今の日本にはまれな奴だ。ただ、問題児なんだな。それで、桂子はどうだい。」「ええ、仰ったとおり、なかなかテキパキしていますね。割り切りが良いように思います。」「酒は飲んでいないか。結構飲むかもしれない。鹿児島から離れて一人になったから。」「飲むようには見えないですね。少なくとも、酒類には興味を示していないようです。スーパーでも酒類売り場には行かなかったはずです。」「そうか。それでどんなアプローチでやるのだろう。」「まだ決めていないようですね。キャットフードは既に手に入れたのですが、まだ猫をてなずけていないようです。」「そうか。それならいいかな。変更をしたいんだ。」「ケース変更ですか?」「そうだ。かなり情勢が厳しくなってね。許容できないと言う話なんだ。」「許容できないと言うと、ケースJですか。まさかね。」「いや、そのまさかだ。準備期間は2か月。遅くとも来年3月にはけりをつけなければいけない。桂子も使ってくれ。予算はあまりない。一応、計画を立てて、来週末には提出をしてほしい。それから、地域の連中に知らせるのは来年だ。できればなるべく遅くしたい。なるべく手荒なことはしたくないんだ。もう一度交渉してみるつもりだ。」「来週末ですね。はい、わかりました。確かに、秋山はかなり思い切ったことを言っているようですね。気になっていたんですが、本当にバックは居ないのですか。」「いない様子だ。そう、ただ、両親の消息は分かっていない。しかし、昔のことだ。影響はないと思う。確か、40年ほども前だよ。秋山が10歳ぐらいの時に離婚して、施設に預けて、そのまま行方不明だ。原因は事業の失敗。レコードや楽器の輸入をやっていたらしい。まあ、今生きていたら70過ぎだ。たとえ生存中でも会おうとはしないだろう。兄弟はいないし、親戚も付き合いはない。友人は既に何回かチェックしてある。あとは、そう、生徒も秋山のほうから連絡をしないだろう。」「はい、わかりました。」「よし、これで。今晩は春日部に戻らなくていいよ。自由にやってくれ。ありがとう。急に呼び出して。」

 新橋駅に向かいながら、和田は考えていた。なぜだ。どこからの苦情か、それを松中は言わなかった。秋山が握っていること、それを調べなければ背景は分からない。原発関係だけなら、桂子の今のプランで十分なはずだ。それにケース変更が大きすぎる。ケースJはJuryのことで、日本では裁判員裁判にかけることを意味する。悪ければ殺人、軽くても強姦致傷か放火だ。迷惑条例違反で略式起訴、罰金で済む話じゃない。ともかく、桂子に知らせておこう。ここ当分、地域の連中はともかく動かないようになっているから、桂子だけ止めればいい。

 新橋から赤坂に向かうタクシーの中で松中も考え込んでいた。和田は何を知っているのか?裁判員制度の本当の目的はなんだ?江夏が動いていると言っていた。大石の件は心配ない?大石はいまだ人気がある。マスコミに出る機会は減ったが、大石が動けば、かなりの支持を集めるだろう。しかし、今日、江夏は知っていることは全て言ったと念を入れている。多分、本当のことを言っている。それともやはり俺にも言えないことが進行しているのか?2015年。多分、財政破綻をしているだろう。可視化はその後だ。つまり、それまでは強引な取り調べができる。何だ?何にを裁判員制度でやろうと言うのだ。それとも、、、。ともかく和田がどう動くか、それが問題だ。ケースJだから、かならず江夏に連絡を取るだろう、もし、裁判員制度に関して彼奴が中心になっているのなら。

 「やあ、遅くなってごめん。」「ああ、待ってたんだよ。どうした?求刑はやはり無期懲役だってな。」「うん。それより、今日は面白いことがあったよ。」「何?」「いや。傍聴に来た人と話したんだ。それで、その人が言うんだよ。検察も弁護士も言い出さない疑問を裁判員が持った時、どうしたらいいのかって。鋭いと思わないか。とてもすごいと思ったよ、俺は。」「え、何?もう一回言ってくれ。」「だから、検察側や弁護側が問題にしないことを裁判員が取り上げることが出来るのかってことだよ。気が付かなかったけど、結構大きな問題だ。免罪事件ならまだいい。弁護側はなんとかして無実を証明しようとするからね。しかし、事件全体がでっち上げの時、つまり、検察も弁護士も、犯人さえもグルの時、裁判員はその定食を食べるしかないかってことさ。」「おいおい、本当にその傍聴に来た人が言ったのか?それとも、またお前の悪い癖か?お前の悪い癖なら止めたほうがいいぞ。」「何言っている。本当のことだよ。これが本当だ。いや、まあ、その傍聴の男はただ裁判員が新たな証拠調べができるのかって、そういう疑問を持っていただけさ。ただ、いいか、やっぱり、彼が言っていたことが本質をついている。そう思うよ。裁判員制度はでっち上げ事件をいかにも本当に起こったかのように見せるための舞台装置なんだ。」「うん?おかしいだろう、それは。」「何がおかしい?」「いいか。マスコミは警察発表をそのまま流している。どれほど記者が疑問に思ってもそれを記事にすることはない。普通の人はそれをみんな信じてしまうから、どんなに不合理な事件でもそれに気が付かない。だいたい、事件が起こったと言うこと自体知らない。ニュースを見ない、新聞を読まないと言う市民が増えているからね。」「いや、それは分かっているよ。だから、今までとは質の異なった、もっとひどい事件が起こされるのじゃないか?そして、誰もが関係のある事件で、みんなが関心を持つような事件。だから、殺人が入っているんだよ、裁判員裁判に。」「質が異なるか。どうかな。やっぱり考え過ぎだと思うけどな。誰かほかの人には聞いたのかい、その話。」「いや、今話したのが最初だ。ただ、今朝、大石さんから電話があった。」「大石さん?すごいな。どうしてるって。」「いや、今度の日曜日に最高裁を人間の鎖で囲むから出てこないかって言うお誘いだ。」「それで大石さんの意見を聞きたいと言うことだな?」「いや、意見を聞くなんて。ただ、そういう話をしておけば何かの役に立つかなと思ったんだ。それから、あの原稿の話、大石さんが紹介してくれるかもしれない。企画書を持ってこいだってさ。」「そうか。おめでとう。よかったな。やっと日の目を見るか、あの記事も。」「いや、まだ決まった話じゃない。ただ、紹介はしてくれそうだ。心配はしないでいい。ちゃんと裁判員制度の原稿は上げるから。」「ああ、ただ、そうだな。さっきの話は入れたいのか?」「だめなんだろう。そちらの考えているのはあくまでも普通の問題点の指摘だ。常識社会の常識ジャーナリズムだから。」「そう言うなって。こちらも懸命にやってるんだ。じゃあな。頑張れよ。」

11月30日(金)

 春日部市八木崎駅駅前広場で秋山は春日部高校の生徒が学校へ急いでいるのを見ていた。もう一月前だった。春日部駅で街頭演説をしていたとき、ある男子生徒が見下すような目つきで目の前を通り過ぎて行ったのだ。無駄なことをやっている、お前は負け組、俺は勝ち組だ、そう言っているように見えた。ただ、それが腹立たしいとは思わなかった。単に、根深い入試不正の仕組みがどんどんとはびこっているのを感じた。教員時代の特に後半はひどいものだった。職員室ではほぼ毎週末、ゴルフ大会の話がされていた。あるとき、隣の席のALT、外国人指導助手の机の上に封筒が載っていた。朝会以降、秋山はほとんど英語課準備室に居て職員室に戻ることはなかったが、帰宅時にたまたま職員室へ寄ったのだ。封筒のあて名書きは「自慰尊」となっていた。ジェイソンをもじったものだとすぐに分かった。他に職員はいなかった。黙って封筒を手に取ると封は元々されていないようだった。中を見ようかどうか迷ったが、そのまま自分のバックに入れた。帰宅後、それを読むと渋谷での飲み会の案内だった。ただの飲み会ではないのは一目瞭然だった。いわゆる性的サービスを売り物にしている店だ。そして、その飲み会のタイトルは「クズの会定例飲み会のご案内」となっていて若手の教員の名前をもじったものが幹事として並んでいた。数日後、ジェイソンにその話をしてみた。彼は、It's none of your business.と答えた。それ以上は話をしなかった。ジェイソンはまだいい方だった。以前のALTは授業中、意図してわなを仕掛けてきた。微妙に発音を変えて話すのだ。同僚というcolleagueをほとんど最初の「コ」の音を発音しないで言ってきたことがあり、leagueとしか聞こえなかったこともあった。何度か聞き返し、それがcolleagueと分かったが、生徒にはいい印象を与えていないのは明らかだった。こうして悪い評判が作られ父兄にも伝えられていく。
 しばらく生徒が登校していくのを見ていたが、思い直してショルダーメガホンを拾い上げ、秋山は話し出した。「こんにちは、みなさん。秋山信弘と言います。自分は県立高校で20年間教員をしてきました。そして、その中で、大規模な入試不正が10年間以上大ぴっらに行われてきたのです。多分、埼玉県全県で行われています。いいえ、多分、全国的に広まっているはずです。教育システムが乗っ取られ、それが植民地化の道具とされているのです。毎年毎年背中にリモコン装置がつけられて、自分の良心に従って判断できない学生が何万人、何十万人と作られていっているのです。」

 神田神保町の古びたビルの一室。江夏貴が6人の若者を前に話していた。「おはようござまいます。全員、集合時間前にきちんと集まって皆さん優秀ですね。メールでお知らせしてあるように今回の仕事は3日間缶詰です。終了は日曜日の午後5時です。途中で抜けたり、外部と連絡したりは一切できません。大丈夫ですか?何か途中で用事がある人は今抜けていただきます。誰も居ませんか?はい、では大丈夫ですね。えー、先ほどの缶詰のことですが、正確に言うと、缶詰は今晩からです。今日の昼食はみなさん自分で食べに行ってかまいません。自由外出です。ただ、連絡はなるべく取らないでくださいいいですね。では、これから本題に入ります。今日は皆さんに民主主義とは何かをまず考えていただきます。民主主義とは何か。どう思いますか?民が主になるそういう主義のことです。民が主になる。つまり、誰か偉い人がいてその人が社会を動かすのではなくて、普通の市民が社会の主人公となって社会を動かすことです。普通の市民、皆さんと同じ一般人が、一般人こそが社会の主なのだと言う考え方です。昔は王様が偉かったんです。江戸時代は徳川将軍が一番偉かった。将軍様が例えばお奉行様を決め、お奉行様が裁きをするわけです。ただ、皆さん、本当に将軍様が偉いと思いますか?北朝鮮をごらんなさい。金正日、将軍様、将軍様と言われています。彼を偉いと思いますか?人民は、一般の北朝鮮の市民はみんな飢えて亡くなっているのです。将軍様がきちんとした政治をしていないからですよ。だいたい社会とはだれが作っていると思いますか?将軍様が、王様が、誰か偉い人が作っていると思いますか?いいえ、いいえ、違いますよね。社会を作っているのは普通の市民、皆さんと同じ一般の市民なんです。違いますか?社会を作っているのはみなさんなんです。みなさんこそが社会を作っている。コックさん、スーパーの店員さん、会社の事務員、派遣社員の皆さん、自動車整備をやっている人、ガソリンスタンドで働いている人、町工場で時給幾らで働いている人、こういった人たちこそが社会を支えているのです。みなさんこそが社会の主なんです。民主主義はだから、皆さんが皆さんの住んでいる社会の決まりを作っていこうと言うシステムなんです。いいですか。いいですか。社会は進歩しているんです。だんだん良くなっている。よくなっているんです。その成果、証拠がこの民主主義です。昔は誰か力の強い奴がリーダーになった。王様になって彼が何でも決めたわけです。それが変わっていった。“人民の、人民による、人民のための政治”。リンカーンが言った言葉です。民主主義こそが正義なのです。それはイギリスの歴史、アメリカの歴史が証明しています。イギリスでは王様が何でも決めていた。昔はそうだったわけです。それが、議会政治に変わった。王様が法律を作るのではなく、いや、王様が法律ではなく、議会が法律を作る、つまり、普通の市民が、皆さんが選んだ議員が法律を作る、そういうシステムに変わって行った。進歩していったわけです。その結果、アメリカは最初から王様はいなかったんですね。アメリカはイギリスの植民地でした。それが独立して、イギリスの王様はいらないと、そうしちゃったわけです。そして、アメリカのリンカーンが言ったのが“人民の、人民による、人民のための政治”です。そしてそういったイギリス、アメリカで生まれたのが陪審員制度です。裁判官、あの司法試験を受けて合格した人がなる裁判官ですね。裁判官が物事を判断するのではなくて、普通の市民、一般市民が、皆さんと同じ市民が裁判をしようと、それが陪審員制度です。いわば、人民の、人民による、人民のための裁判。これが陪審員制度です。市民目線の裁判と言ってもいい。普通の社会人の、一般常識の市民目線で物事を判断しようと、これが陪審員制度なんです。いいですか。殺人事件が起こりました。人殺しです。犯人が捕まりました。裁判が始まります。検察官は有罪を、弁護士は無罪を主張するわけです。だけど、本当のことなんてわからないんですよ。神様だけが知っている。または、真犯人と神様だけが知っていると言ってもいい。つまり、検察官も弁護士も、そしてもちろん裁判官も知らないんです。真実のことなんてわからない。誰も知らないんです。誰も真実を知らないとき、誰が有罪、無罪を決めるか。または、誰がそれを決める資格があるか。どう思います。皆さんはどう思われますか。ちょっと休憩しましょう。20分間休憩です。いいですか。コンビニは玄関を出て右に行ったところにあります。2,3分で行けますよ。20分後にまたここに集合してください。」

 「和田が出てきた。田中、行くぞ。」「はい」「木村はあの二人連れ、佐藤は向こうの女のグループだ。」

 「和田は何も話しませんでした。男の二人ずれは和田と同じグループであるのは確実です。挨拶をしていましたから。女のグループもいたのですが特に会話はないようです。ただ、昼も出てくる様子です。和田は弁当を買いました。ほかのメンバーは買っていませんからほぼ確実に出てきます。はい、ええ、昼にも観察を行います。では。いえ、部屋は聞くことが出来ません。建物内には入る予定がありません。」

 「では、みなさん揃いましたね。」江夏はまた話し始めた。「いま、皆さんは全員が外出した。多分、コンビニへ行かれたんでしょう。自分の行動は自分で決めた。もし、小学校のように放課後までは外出はできないと言われたらどうしますか。それも理由なしに。いやですよね。自分のことは自分で決める。これが自然ですし、これが正しいのです。そして、裁判においては、真実を知っているのは被害者と真犯人、この二人です。いえ、もっときちんと言えば、犯罪を起こした真犯人しか、真実を知ることはないでしょう。罠にかけられて濡れ衣を着せられ、被害にあう方もいるからです。いいですか。真実は真犯人しか知り得ないのですよ。なぜ、その犯行が行われたか、その理由は、やった本人しか分からない。ひょっとしたら、本当に極端な場合、犯人にもわからないことがあるかも知れない。まあ、精神錯乱とかそういう場合は責任能力なしということで罰せられないのですが。さて、真実が知り得ないものであれば、何も裁判官に裁判を任せるのではなく、普通の市民が裁けばいいではないか、これが陪審制度の精神です。正義とは何か、それは、人々が集団で生活するとき、どうすればみんなが平和に生きられるか、紛争なしに、または、紛争を平和的に解決するために、普通の人々が長年かけて築き上げてきたものです。これが市民目線の常識というものなのです。そして、難しい法律用語を使うことなく、市民の常識、市民の感覚を生かして裁判をやろう、これが陪審制度です。日本でも同じような制度が導入されました。やっと日本でも普通の市民が罪を裁く時代が来たのです。正義を普通の市民が実施する、その時がやっとやってきた。今こそが一般市民の手に正義を握る時なのです。」江夏は一呼吸置いた。ふう、彼奴と彼奴は興奮している。そう、みんなの出番なんだ。当てにしてるぞ。和田の奴、まったく聞いていない。まあ、あいつは仕組みを知っている。「もう一度言います。やっと日本においても、正義を決める、何が正義かを決める、その力を普通の市民が握る時代がやってきたのです。さて、今日は、2つのケーススタディをやっていただきます。皆さんが裁判員として、判決を下していただきたいのです。一つは強盗殺人事件、もう一つは強姦です。裁判官役は私がやります。今日はケーススタディですから、あまり深刻になる必要はありません。容疑者、弁護士、検事はいませんが、資料がここにあります。それぞれの言い分が書かれていますから、今から正午までは資料を読んでいただき、昼食後に資料説明、夕食後に評議を開始します。夕食はこちらで用意しますから、午後からは完全に缶詰です。いいですか。なお、資料は持ち出し禁止です。」そういうと、江夏は傍らの箱から資料を出して配り始めた。

 東京地方裁判所、円卓法廷。「では一応確認が済みました。それでは、まだ少し時間がありますから、皆さんの感想と言いますか、印象と言いますか、そういったものを言って頂きしょう。一言ずつ簡単にお願いします。右陪審の田中裁判官の次に座っている裁判員の方から順番に発言をしていただく。いいですか。じゃあ、お願いします。」「はい、なんだか正直に言うと、よく分かりません。あんなひどいことをやったんですから死刑はしょうがない。そうとも感じます。ただ、裁判は罰するところでもないと言うことですよね。更生の可能性もある。そこのところをよく考えてと言うことですが、それが分からないのです。死刑、無期、懲役5年。あまりに幅がありすぎるように思います。」「はい、よく分かります。では次の方。」「はい、自分もよく分かりません。ただ、幅があるのはしょうがないと思います。長年寝たきりでもう絶対に治らない。そういった病人の方から頼まれて殺人という場合もあるでしょうし、相手が憎くて殺すと言う場合とは違うわけですから。ただ、阿部被告がどれだけ更生の可能性があるか、どうやって見極めるのか、難しいと思います。まだ若いですから、それだけで更生の可能性があるとある意味言えてしまいます。しかし、それでいいのかという問題もあります。年齢だけで減刑されるなら裁判は本来いらないと言う気もしますし。本当に分からないんです。」「はい、次の方。」「はい、私は質問があります。もっと早く裁判ができないのでしょうか?この事件だってすでに2年前のものです。阿部被告も2年前の事件ですから、もう、そのころの記憶はなくなっている、少なくともかなり犯行の時の気持ちは薄れていると思うのです。それに、言っては悪いかもしれませんが、ウソもつけると思うのです。もう2年もたっているのですから、どう答えたらいいか、どうすれば有利かって考える時間がいっぱいあったはずです。犯行の時の気持ちを聞いても、2年も前なら覚えていないと思います。それで、本当の気持ちが分からないってこともあると思うんです。だから、被告人質問の時も、、、」「あっと、今は時間が後あまりありません。ですからそのぐらいでいいですか。すいません。昼食後、また再開しますから、その時に仰ってください。では次の方。」「はい、自分も疑問があります。証拠調べを新しくやったほうが良いと思うんです。先ほどご説明がありましたから、できないと言うのはよく分かります。裁判員が新しく証拠申請ができないのは理解しました。ただ、どうしても安部被告が正気であったとは思えないんです。薬でどうかしていたんじゃないか、そう思えてしょうがない。判決書にそう書いていただくことはできないのでしょうか?そして、毛髪検査をしてから控訴してくださいと、それはどうでしょうか?」「はい、それは午後話しましょう。では次の方、お願いします。」「自分は無期しかないと思います。いえ、量刑の判断は事実認定、有罪か無罪かの判断のあと、最後だとは分かっています。感想として申し上げているのです。自白しているのですから無罪ということはありえない。しかし、更生の可能性がないとも言えない。少なくとも計画性はないし、それに反省していると言っています。年齢も若い。そうであれば死刑もない。あと残るのは無期ではないか。そう思うのです。」「はい、次の方。」「はい、申し上げることをしないと言うのはできないんでしょうか。わたし、やはりわからないんです。本当のことを言うと、裁判というもの自体がよく分からないんです。だって、私たちは関係ないんです。被害者じゃないのですから、関係ないと思うんです。なんで殺人事件なんてひどいことに関わる必要があるんでしょう。どうでしょう。普通の方だったらいやだ思うんですよ。わたし、関係ないんですから。」「はい、ありがとうございました。では左陪審の小林裁判官、お願いします。」「そうですね。今回は自白事件で証拠もそろっています。社会的な影響も大きい事件ですから慎重な審理が必要ですが順調に進んできていると思います。」「はい、では、右陪審の田中裁判官。」「はい、自分も自白事件である点が重要だと思います。検察側調書の信頼性に問題点はないですから、後は更生の可能性、減刑ができるかどうか、できるとすればどの程度かということが問題になると思います。」「はい、では、みなさん、ありがとうございます。裁判長としては、いま、もうすでにまとめは指摘されたと思います。考慮するべき点として、被害女性の責任という点があります。また、被害者が22歳で将来のある女性である点、そして、家族の方の処罰感情も強いものがあります。では、先ほども申しあげたとおり、午後はまず事実認定、有罪か無罪かの判断、そして、量刑をどうするかという順番で評議を行います。午後1時にこの部屋へお越しください。何かあれば刑事書記官室へ連絡してください。では、ご苦労様でした。」

 小久保勇気は裁判所内のコンビニの入り口でずっと待っていた。昨日話した男が裁判員ではと思ったのだ。マスクをかけていたので分からなかった。ただ、今朝、昨日のことを思い返していたらふと気が付いたのだ。確信はない。ただ、阿部の裁判では50代の男で頭の禿げている裁判員がいたし、昨日の男も同じだった。それに、たしか二人ともメガネをかけていた。接触できるとすれば昼休みしかないし、それにはコンビニが一番可能性が高い。ただ、裁判員に何かを言うことは禁じられていた。裁判員の判断に影響を与える行動は明確に法によって禁じられている。それでも、なんとかして阿部の事件は全体がでっち上げの可能性があることを何とか伝えたかった。

 馬原は外出していた。小久保が言っていたこと、就職口を巡る争いが事件の背後にあるはずだと言う推理が本当だと思い始めていた。いや、ほぼ確信になっていた。根拠は幾つかあった。東大合格者を出している高校が非常に広く分布するようになっていた。以前は学区の2番手高でも東大合格者が何年も一人もいないということが珍しくなかった。更に、役所の採用試験について、以前、志願者の中から数名を選考過程に参加させ、試験の透明性を確保しますとうたっていた市会議員候補が最下位に近い得票しかできず落選したのだ。試験問題が漏れているという話は常にあった。情実採用がまかりとおっているとも言われていた。何年か前、大分で小学校教員の採用試験で不正が表面化した。しかし、中学や高校でも不正があるとテレビに顔出しで告発がされていたが事件化しなかったのだ。しかも、あの時、採用試験で点数のかさ上げがあったとされた教員について、ほとんどまったくかさ上げの証拠は示されていなかった。本当に点数かさ上げがあったかさえはっきりしないのだ。そもそも、表面化したきっかけは教育委員会No.2がデパートで商品券を多量に買ったからだと言う。それを通報された警察が内定を開始して、そのNo.2が自分の娘の教員への就職に商品券を使っていたとされたのだ。No.2の男の顔写真はもちろんのこと、その娘の不正採用の話もマスコミに載った。不正採用で氏名が明らかになったのはこれだけだ。商品券の大量買い、しかもそれは数百万という金額ではない。高々数十万だ。そんな金額で警察が捜査を開始するだろうか。そして、大分での事件は全国教育長会議の直前だった。あれは、採用試験不正が表面化するとこうして顔出しで罰せられるぞという脅しではなかったのか?それだけ、日本中で不正採用がはびこっている。もし、教員や公務員の多くが不正採用なら、今まで自分が払って着た分を今度は取り戻そうとして不正採用をやるだろう。自分の仲間が増えること自体がそれだけ安全性が高まることを意味する。不正が不正を生む構造ができている。これは伝えておかなければいけない。

 神田神保町の古びたビル。
 「出てきた。木村、行け。」「左に行っている連中が二人いる。田中。」

 「ええ、うまく行きました。コンビニ内で待機していた佐藤が確認しました。裁判員裁判のケーススタディの話をしていたそうです。これから缶詰だと言う話もしていたそうです。いえ、コンビニ内のトイレでの会話です。佐藤が念は念を入れて仕掛けていたので、うまく行ったんです。」

 ショルダーメガホンを地面に置きながら秋山はふと空を見上げた。誰かが見ている。誰かが自分を見守ってくれているのだ。自分の安全を祈ってくれている。多分、あの人だ。ほとんど話したことはなかった。彼女が新採用で学校に来た年の文化祭、人がいない教室で生け花をやっていたときの横顔。輝いていた。しっかりした考え方を持っていると聞いたことがあった。しかし、それだけ、告発の手伝いを頼むことをためらった。新聞報道される社会不正や腐敗ではない。なまの争いなのだ。「ありがとう。」そうつぶやいて、改めてスピーカのマイクを握った。「原発は危険です。原発の耐震設計は想定でやっているだけです。耐震設計は実際に地震が起こり、こういう建物だったらこういう被害が出る。こういう構造だと大丈夫だ。そういった実証データをもとにしてやっているのです。ところが、大きな地震が原発を直撃した例は世界で一例もないのです。日本がまさにその実験台になっているのです。原発に被害がなく、ただ大きな地震が起こるだけでも大変です。首都圏で大きな地震が起これば100兆円を超える被害が出ると言われています。しかし、いいですか。その被害をどうやって手当てするか、そのことは国民に知らされていないのです。確実に預金封鎖がされるでしょう。国債の強制割り当てもされるはずです。株式市場の封鎖もされるかもしれない。多分、大幅な円安、輸入物価高、そしてインフレが始まります。多分、いろいろなシステムが壊れます。コンピュータシステムが壊れいろいろなデータベースがダメになるかも知れない。大きな投機がされるかもしれない。誰かが不正な利権を行使する可能性が強い。大地震が起こったら、そして、100兆円を超える被害が出た時、どうやってそれを手当てするのか、それは公開されていないのです。一般市民に知らされているのは、避難場所がどこかとかタンスやテレビの固定の仕方だけです。」そう、これにはもっと複雑な罠が仕掛けられている。ビス規制だ。オペレーショナルリスク、営業が困難になる確率だ。大きな地震に襲われて、店舗がやられればそれだけで被害だ。まして、大規模な震災の復興資金が必要になった時、市民は預金を引き出さざるを得なくなる。そして、それは銀行が国債を現金に換えることを意味する。つまり、国債が大量に売りに出され、国債の暴落が起こる。そして、それは国債発行利率の暴騰につながる。そして、それを防ぐために日銀が銀行の国債を大規模に買い上げ、それに加えて新規国債の直接引き受けをする。その結果、日本円は労働の裏付けのないものが大幅に増えて円安が急激に起こる。その中で、日本企業は、金融機関だけでなくほとんどの大企業が自己資本比率を下げるだろう。オペレーショナルリスクのリスク率変更がされるからだ。すぐにリスク率の見直しがされなくても、企業の格下げはされるはずだ。社債の格下げが始まれば、投げ売りが始まる。それだけ日本企業は資金確保が難しくなり、保有している米国債を売らざるを得なくなる。つまり、米国資本が米国債を安く買い戻すことができるようになるのだ。まして、政府が保有している米国債を大量に売るとなれば、その売値がどうなるかは大きな影響を持つ。
 今年3月に退職してから、全力で、ずっと考えていたのだ。なぜ、ちゃんとした根拠を持つ入試不正の告発がきちんと処理されないのか。数か月考えた挙句出てきた答えは日本が植民地化されていると言うことだった。植民地化の典型が米国債の処理だった。日本政府は、日本が全体として幾ら米国債を保有しているのか、それを公表していない。政府部門が持っている米国債の金額さえよく分からないのだ。そして、これには時価会計も絡んでくる。日本の伝統的な企業会計は原価会計だった。それが国際会計基準に合わせると言うことで時価会計になったのだ。しかし、時価というのは資産を仮に今売ったとしたらいくらで売れるかを推測したものだ。通常の状態なら鉄を1トンいくらで売れるか、その価格はほぼ推測が付く。しかし、大規模な震災の時、市場の取引は全く異なるはずだ。市場価格が動くとき、時価はいかようにもつけることが出来る。そして、復興には多分10年以上かかる。その時、日本企業は徹底的に買いたたかれるだろう。更に、原発震災ともなれば、事態はより深刻により急速に動く。


 「裁判員制度のケーススタディ?いったいなんだ。」松中は迷っていた。江夏と和田が裁判員制度のケーススタディをやっている。つまり、判決を出すと言うことだ。しかし、それがどういう意味があるのだ。一般市民を集めて裁判員裁判の真似事とは?そして、そのことは自分に知らされなかった。勘が当たっていた。和田を見張らせて正解だった。自分が組織から外されつつある。確実だ。和田のあのオペレーションにあまり賛成しなかったことが原因だ。都立高校の校長が大学への入試不正、内申書の大掛かりな改ざんの告発をやろうとしていた。それを不動産購入時の住民票の不正移動があったと言うことで逮捕したのだ。住居用不動産の購入は税の減免が受けられる。住民票の移動など多くの人が当たり前にやっていることだった。松中は刑事事件化を嫌っていた。刑事事件化してしまえば、公的に経歴に傷がつく。対象は一生立ち直りができなくなるのだ。そして、ある意味、告発を本腰を入れてやり出す可能性もあった。

 東京地方裁判所。杉内は必死に考えていた。阿部は犯罪を犯していない。あんな普通の青年にバラバラ殺人などできるわけがない。麻薬の影響があるはずだ。しかし、麻薬検査はされていたのだ。警察が逮捕当時麻薬検査をやっていた。阿部は長髪だったので、犯行時の麻薬使用の有無が判定できたのだ。たった今、裁判長から、元々影響がないことを公判で取り上げる必要がないと言うことで証拠として取り上げていないと言う説明がされたのだ。だから証人も麻薬に触れなかったのだ。しかし、売春の代金のことで殺しをする、それが今の若者なのだろうか。時代が違う。自分が20代だったころとは違う。しかし、ただの殺しではない。バラバラ殺人だ。しかも、鋭利な刃物でまるで解体したようにバラバラにしてあったと言う。そんなことができるのか。なぜ、山中に捨てたのだ。しかも、土に埋めることなしに。自分なら、バラバラにする代わりに穴を深く掘ってそのまま死体を埋めるだろう。山中に遺棄するなら、バラバラにわざわざする意味がない。まるでバラバラ遺体を見せつけているようなものだ。こんな目に合うと見せつけたようなものだ。しかし、阿部が誰かに見せつける意味があるのか?分からない。本当に阿部がやったのだろうか?

 小久保勇気は裁判所を出ていた。午後1時過ぎまで待った。結局、あの男は出てこなかった。または、元々裁判所に来ていなかったのかもしれない。あの裁判員とは違うやつだったのだ。しかし、もし彼が裁判員だったら、もしそうなら、なんとかして事件自体がでっち上げだと言うことを分かってもらいたかった。そして、裁判がどうなるのか、どんな判決を書くのか、それを見てみたかった。
 少し歩いて気を落ち着けようと思った。衆議院第一議員会館に知り合いの代議士がいた。もう何年か連絡を取っていない。しかし、相談してみる価値はあった。自分から連絡を取れば会ってはくれるだろう。評議は早く終わったとしても5時までは続くはずだ。まだ3時間はある。議員会館で話をして、帰ってきても十分だ。あの男に会うためには、裁判所入り口で、今日5時まで待つか、それとも月曜日の朝待つか、どちらかしかない。評議は今日と月曜だけだ。自白事件だから評議の日数は少ない。2日あるのは最近では長い方だった。携帯を取り出し、電話をかけた。留守番電話が出た。何も言わずに電話を切った。どうするか決めなければいけない。遠くにコンビニが見える。寒い。熱いコーヒーが飲みたい。しばらく歩いて小久保は迷わずそのコンビニへ入り、缶コーヒーを買った。店の外へ出て一気にそれを飲み干すと空いた缶を脇のゴミ箱へ入れた。歩きながらもう一度電話をかけた。すぐに応答があった。男の秘書が出て、議員はしばらく戻らないと言った。相談したいことがあるので時間を頂けないかと伝言を頼んだ。裁判所に戻るか迷いながら議員会館へそのまま歩き続けた。
 急に下痢の気配を感じた。周囲にトイレはない。どうするか。タクシーを止めて乗る。だめだ。タクシーの中で本当に下痢になればどうしようもない。議員会館まで持つか、それとも途中でトイレがあるか。

 小久保はトイレの中で電話をかけていた。「すいません。加藤さん。今、日比谷公園のトイレに居ます。申し訳ないのですが、ズボンを汚してしまったんです。本当に申し訳ないのですが、替えのズボンかジャージはないでしょうか。ええ、はい。申し訳ない。本当に。すいません。ありがとうございます。はい、では、ここで待っています。」最初は馬原に電話をかけた。しかし、また電話が留守番電話になっていたのだ。それで、仕方なく議員秘書にまた電話をかけ、着替えがあるかどうかを聞いたのだ。気さくに議員秘書は応じてくれた。どうやら、飲み会などで服を着替える必要があり、着替えの服やジャージは幾つか常備してあるようだった。

 新橋のこぎれいな6階建てのペンシルビルの最上階。
 和田は早口で説明をしていた。「いえ、確かにそれは分かりません。首都大や埼大の女子学生が殺されたことが直接就職口の争奪戦と結びつくとは思いません。たかが二人を消しても就職の問題が解決するわけではありません。しかし、小久保が言っていることが正しいように思うのです。首都大の被害者も埼大の被害者も殺されてはいない。そうではなくて、地下へ潜れと言われたのではないでしょうか。数年前、イギリス人英語教師を殺した千葉大生がいましたが、彼は整形をして逃亡していた。どこで整形したのか、結局明らかにならなかった。女ならもっと変身は容易でしょう。ともかく、小久保が言っていたように、不正入試で入ってきたものが多すぎて、ポストが足りなくなっているのは事実であるはずです。最近、一流企業は東大生もあまり採用しない。きちんと学生時代の実績を見て、実力のある学生だけを取っています。学歴だけでは通用しなくなっている。そして、実力があれば外国籍の学生も採用しています。競争は世界的なものになっているのです。入試不正組がつける就職口は公務員しか残っていない。しかし、公務員はますます採用を抑えている。」

 神田神保町のビル。
 江夏の話を聞きながら和田は驚いていた。アメリカで刑事だけでなく民事でも陪審制が行われている本当の意味が分かったような気がしてきた。江夏は人民裁判を仕掛けているのだ。確かに今までも行われてきたことだった。しかし、裁判制度がこれに使われるとは。確かに、本来民主主義とは誰か特別な人間に無条件で権力を認めるものではない。あくまで一般市民、社会の多数を占める普通の人、彼らが如何におろかであろうと、その一般市民にこそ社会の決定権があるとするのが民主主義だ。そして、もし、真実が知り得ないものであるなら、何も裁判官という特別な人種に判断を委任しなくても、ごく普通の市民が市民目線で判断し、罪を決めることもそれなりに筋が通っている。ただ1点を除いては。

 大石大二郎は出版社に電話をかけていた。以前小久保勇気から渡された新聞記事のゲラ刷りを手元に置いていた。それは6年前の毎朝新聞のスクープ記事だった。正確に言うとスクープ記事になるはずのものだった。印刷に回される直前にストップがかかり、結局没にされたのだ。キャッシュカード詐欺に対する預金者保護法が2006年に施行されたが、それを悪用して、自ら預金を引き出しながら被害を装い、預金者保護法を使って補償金をだまし取る犯罪が起こり出した。小久保のスクープは、その犯罪に銀行内部の人間が絡んでいると言うものだった。それには印章をプリンターで偽造して郵便局で払い戻しを受ける詐欺についても、なぜ、印鑑を郵便局員が預金者から窓口で借り受け、預金者の見ている前で払い戻し用紙に局員が押印することをしないのかという文章もあった。
 既に2社に電話をかけ、ていよく逃げられていた。内容をある程度話すと出版しても売れないでしょうと言って逃げるのだ。小久保の原稿はこのゲラ刷りよりももっとニュース価値のあるはずのものだった。それが、かんぽの宿の問題やバブル後の銀行倒産、そして、RCCによる資産査定とその売却に関するものも含んでいるだろうと推測していた。そうでないと200頁を超えるはずがない。大石自身が同じ内容の本を書こうとしていた。ただ、本能的に危険であることを感じて止めていたのだ。同様な内容の本を政治家が書いて出版直前に取りやめになったと言う話も聞いていた。

 裁判所内の円卓法廷。
 「ほぼ事実認定については問題がないと思います。阿部は飯田を自宅に連れ込み、そこで売春の報酬を巡って口論になった。そこで飯田から大学中退のことを言われてかっとなり殴りつけて気絶させた。そのまま飯田を風呂場に連れて行き、バスタブに顔をつけて窒息死させた。数日間そのまま放置して処置に困り風呂場で解体、山中に遺棄した。風呂場のルミノール反応は弱いですが検出されています。問題は、飯田が本当にそう言ったかという点です。計画性の有無の判定に関係してきます。」「売春代金のことでけんかをしたと言うのは本当なんでしょうか?元々阿部が金に困っていて、飯田から金を借りていたと言う可能性もあるのではないですか?」「はい、法廷では触れませんでしたが、それについてはかなり可能性は薄いですね。阿部はかなりの報酬をもらっていたのです。銀行口座にもある程度の残金はあったようです。」「そうですか。」「しかし、もし阿部に金があったのなら、けんかにならなかったのではないでしょうか?」「そうですね。その可能性もあります。」「事実として確認できるのは飯田がキャバレーに勤めていて、週に何日か出会い喫茶にも出ていたと言うことです。これは店の従業員の証言があります。」「阿部の部屋や阿部の車から被害者の指紋や頭髪は見つかっていないのですよね。」「いえ、風呂場から血痕が見つかり、その血液のDNA分析から被害者のものだと言うことが確定しています。これは法廷でも証言がされました。」「いえ、血液は後から付けることも可能ですから。」「そこまで疑ってしまうと。」「そうですよ。阿部は自白しているのです。彼がやったことに間違えはない。」「そうですね。疑ればどこまでも疑れる。自白事件ですからね。」「では、けんかの末殺したと言うことでいいですか。異議はありませんね。はい。では、これでこの点については合意ができました。」「計画性についてはどうでしょうか。合意できないようであれば決を採って決めることになりますが、いいですか。」「もう少し話せませんか。」「はい、自分も時間を取ることに賛成です。」「ちょっといいですか。では、もう一度確認させてください。裁判員裁判では、合理的疑いを残さない証明をしていきます。つまり、すべての証拠を注意深く、公平に検討した後に、被告人が有罪であると納得できればいいのです。合理的疑いとは、理性に基づく疑いで、単に憶測に基づくものではありません。すべての証拠を注意深く公平に検討した後、被告人の有罪を堅く確信した時、私たちは被告人を有罪とし、逆に無罪である真の可能性があると判断した時は、無罪としなければなりません。」「多少固い言い方ですね。もっと噛み砕いて言いましょう。過去にある事実があったかどうかは直接確認できませんが、普段の生活でも、関係者の話などを基に、事実があったのか、なかったのかを判断している場合があるはずです。ただ、裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されませんから、証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に有罪とすることになります。逆に、常識に従って判断し、有罪とすることについて疑問がある時は、無罪としなければなりません。このほうが理解しやすいですし、結論にも到達しやすいと思います。」「そうですね。ただ、常識と言われても、よく分かりません。」「ええ、これはある意味結論が出にくいものなのです。いつ、どこで、だれが、なにをと言うことは事実ですから客観的なものです。しかし、なぜという判断は主観的なものなのです。ただ、例えば被告がサラ金から借金をしていて返済を迫られていたと言う客観的な状況があれば、金を強奪しようとしてという動機を認定することが出来ます。被告について、事前に凶器を用意していたと言う自供はありませんし、現場から凶器は見つかっていません。また、遺体の頭部などに凶器による傷も見つかっていません。これらの事実からすれば計画性はなかったと認定できるとしていいのではないでしょうか。」「みなさん、これでいいですか。では、計画性はないと言うことでいいですね。」「すいません。後戻りする様で申し訳ないのですが、自分はどうも阿部がやったとは思えないのです。そのことについて、もう一度話すことはできますか。」「ええ、皆さんがよければ。いいですか。はい。では、話してください。」「ありがとうございます。自分の知り合いの子供に阿部とほぼ同年齢の青年がいるんです。とっつきはいいとは言えません。時には癇癪も起こして、ものにあたることもあるそうです。ただ、根はとても穏やかで、優しい人間です。それは私にもわかるのです。阿部についても、けんかをするまでは分かるのです。そういうこともあるでしょう。自分は高校時代までしか喧嘩はしたことがありません。しかし、駅などで酔っ払いがつかみ合いのけんかをしているのを見たことはあります。けんかはあると思うのです。誰でもがやるのでしょう。しかし、その結果、殺してしまうのは、どうでしょう、自分はどうも信じられないのです。」「ただ、被告は自供しています。」「そうですね。信じられないと言うお気持ちは理解できます。それは、あなたがよい人格を持ち、正常な社会で暮らしているからだと思います。」「ありがとうございます。ただ、自分はどうしても不思議なんです。手は、つまり、指は発見されていないんですよね。なぜ、手とか足が発見されていないのでしょう。自供では同じような場所に遺棄したと言うことでした。それに、なぜバラバラにしたんでしょうか。もし自分が殺したのなら、バラバラなどにせず、そのままの遺体を深い穴を掘って埋めると思うのです。そうすれば発見もされにくい。バラバラにする方が穴を掘るよりもずっと大変だと思うのです。どうでしょうか。皆さんはどう考えますか。すいません。さっきからどうしてもこれが疑問なのです。」「はい、みなさん、どう考えますか。」「はい、やはり、被告の自供した通り、風呂場で解体したと言うことでいいのではないでしょうか?女性と言っても、遺体をそのまま運ぶのは困難です。それに、外で穴を掘るのは見られてしまう可能性があります。時間がかかりますからね。多分、2時間とか3時間は少なくてもかかるでしょう。」「そうですね。遺体の解体については、マンションの一室で小柄な女性だったようですが、バラバラにして骨を砕きトイレに流して証拠隠滅を図った例があります。」「遺体の遺棄については事実として山中で発見されているのですから、事実認定に問題はないと思います。指などは動物が食べてしまったのではないでしょうか。」「いえ、皆さんの言われたことで大分納得しました。すいません。ただ、それでも、なぜ、被告人があんな恐ろしい犯罪ができたか、どうしても信じられないのです。すいません。みなさん。」「いいえ、いいんですよ。あなたのように事実を慎重に検討することは常に必要です。動機について、最高裁の判例があります。あの、毒カレー事件についてのものです。今から読み上げます。『動機が解明されていないことは、被告人が犯人であるとの認定を左右するものではない』いいですか。動機そのものは犯人か犯人ではないかの認定に関係はないのです。事実として遺体が見つかり、被告も自供している。これで必要十分な証明がされているのです。」「すいません。自分も疑問が出てきました。事件当時の報道を思い出したのです。頭部が発見された時、殴打された跡はあっても、動物等に食われた跡はなかったと言う報道があったはずです。確かかなりの日数山中に放置されていたと言うのですから、イノシシやトンビ、カラスなどに食われていないのはおかしくないでしょうか。指などをイノシシが食べたのなら、頭部やその他の人体を食べたはずです。どう思いますか。皆さん。」「それは、草に半分埋もれていたと言うことではないですか。結構山と言っても草が生えていますし。」「そこまで考える必要があるのですか。被告は認めているのですし、実際一人の女性が犠牲になっているのですから、いちいち細かいことを言っていてもそれこそ収拾がつかなくなります。」「疑問に思われている裁判員がいられるのはいいことだと思います。物事を細部まできちんと検証しようと言うことは必要なことです。ただ、今言われたように、わたしたちは神様ではありませんから、本当の細部までは分かりません。真実は分からないのです。そこで、裁判では起訴事実と言い方をしますが、何を持って犯罪とするかという事実を決めます。ここでは、阿部被告が、死体遺棄罪や死体損壊罪は問われていません。被告は殺人罪のみを問われています。よって、今問題にされていることは評議で問われる必要はないのです。」「すいません。傷害致死ではないのでしょうか。けんかの末殺したのですから。」「いいえ、殺人とは殺す意図をもって殺人を実行することを言います。被告は気絶した被害者を風呂桶に沈め窒息死させたのですから、殺人罪で裁かれることになります。」

 午後4時半近く、日比谷公園内のトイレ。
 「ありがとうございます。加藤さん、本当に助かりました。恩に着ます。徹夜で歩いて帰宅するかと思っていたところなんです。助かりました。」「いえいえ、お役にたてて幸いです。よくあるんですよ、同じようなことが。この間も他の代議士が飲みすぎちゃって、ビールをこぼしたと言うことでズボンの替えを頼まれて。これ、差し上げますから。」「あ、ありがとうございます。先生によろしくお伝えください。本当にすいませんでした。寒い中。」「いいえ、どういたしまして。」
 加藤が持ってきたのは着古したジャージだった。きれいに洗濯がされていた。着替えながら、どうしようか迷った。体の芯が冷えていた。1時間ほど自分で洗濯し濡れたままのズボンをはいていたのだ。トイレには炊事道具や入浴道具も置かれていた。石鹸も幾つかあり、それを無断で使って洗濯したのだ。着替え終わると、足の温度が戻ってくるのが分かった。考え方が積極的になった。よし、待つぞ。あの男に話をしなければ。
 
 秋山は帰宅して口笛を吹き猫を呼んでいた。寒くなった。外飼をやめようと思った。近所にある神社の銀杏の木はすっかり葉を落としていた。 

12月1日(土)
 
 神田神保町のビル。
 江夏は6人に向かって話していた。「昨日の強盗殺人事件。みなさん非常にまじめに、そして慎重に評議をされていました。とても好感が持てました。本当の裁判官が見ても、皆さんの評議の仕方を高く評価するでしょう。懲役9年は妥当な判決だと思います。では、今日は強姦事件についてです。すでに資料を読んでいただきましたが、もう一度要点だけ確認します。強姦否認事件。被害者はA子。高校3年生です。被告はX。イラク反戦運動をやっているNGOの事務局長です。記者もやっていて、たびたび週刊誌にXの記事がでます。夏休み中にイラクやアフガニスタンの現状を撮影した写真展が行われ、それに同級生と行っていたA子は、それ以降、XのNGO事務所にたびたび顔を出していました。10月の第2土曜日、取材に行くからと誘われ、Xの車に乗って出かけたところ房総半島の山中に連れて行かれ、そこで襲われた。A子は悩みましたが一月後の11月中旬、保護者とともに警察に届け出て、Xが逮捕された。物証はありません。A子は服などはみな燃やしてしまった。また、Xの車もシートカバーなどが取り替えてあり、毛髪などは見つかっていません。事件当日、XとA子が一緒に事務所にいたことは確認されています。午後1時ごろ一緒に車で出かけたことも事務所前の店の従業員が証言しています。また、市川のガソリンスタンドでXの車が給油し、その時の店員がXとA子を見たと証言しています。ただし、防犯カメラ映像は消されてしまって残っていません。Xの供述では、A子が取材に連れて行ってくれと言い出した。船橋を出たところでA子が急に腹痛を訴え、自宅へ帰ると言い出したので、バス停に戸の閉まる小さな待合室のようなものがあったのでそこでA子を下ろしたと主張しています。A子は当日の時間経過についてあまり覚えていないと言っています。、取材先は佐倉市にあります。当日、午後4時半に約束していて、その時刻にXは現れたと取材先は証言しています。市川のガソリンスタンドの店員はレシートの記録から午後2時を数分過ぎた時にXに給油したとしています。このガソリンスタンドから取材先までは30分かからないのですが、Xは途中でパンクをし、その修理に手間取ったからだとしています。しかし、その目撃情報はありません。場所の記憶もはっきりせず、パンク修理が実際に行われたかどうかは裏付けはありません。X自身が体調が悪くなって、しばらく車の中で休んだりしたため時間がかかったと主張しています。これについても第3者の目撃情報はありません。Xによれば、市川のガソリンスタンドで買った缶コーヒーがおかしかったのだと言うことです。A子は缶コーヒーを一緒に飲んだのですが、特に缶コーヒーがおかしかったかどうか気が付かなかったとしています。ともかく、被告には約1時間から2時間のアリバイのない時間があるわけです。こちらの事件についてはパソコンで写真などを見ることが出来ます。」そう言って、江夏はパソコンを取出し、6人へ一台ずつ手渡した。

 秋山信弘は春日部警察署近くの新興住宅地に来ていた。今朝、自転車でビラをポスティングしてあった。コンビニで200枚コピーしたものだった。すぐに入れ終わり、今度はショルダーメガホンを持って出かけてきたのだ。今朝から心に引っかかっているものがあった。ニュースで自衛隊に今春入隊した若者が自殺したと言うのだ。埼玉県出身だと言う。 一人の生徒がちょうど自衛隊へ入隊していた。比較的よく話をしていた生徒だった。帰宅方向がほぼ同じなので時々彼を車に乗せて自宅近くまで送ってあげていた。秋山は自分の告発のことを生徒に知らせていた。入試不正のこと、女子更衣室精液事件のこと、現金盗難事件のこと、ホームページのこと、その他その他。ただ、それぞれ、簡単に触れただけだったし、ホームページを見てほしいとも言わなかった。その生徒はカンニングのことに怒っていて、クラスの半分以上はカンニングをやっていると言っていた。学生服の襟のところに紙がはさんであるとか、定期試験の最中に平然と答案用紙が回されていると言うような話も秋山に対してしていた。この2月、二人とも学校を離れるのでお別れパーティでもやろうと市役所で待ち合わせ、近くにあるビッフェ形式のレストランで食事をとったのだ。市役所でしばらく時間をつぶそうとホールのベンチに腰を掛け二人で話をしていたら、柱の陰からこちらを見ている男がいるのに気が付いた。何かに怒っているような、心配をしているような、そんな気配が感じられた。今朝、自衛隊員の自殺のニュースを聞いて真っ先に思い出したのがその男のことだった。ご両親のところへ電話をして確認したい。そういった衝動に駆られた。しかし、やめておいた。
 自分のことを誤解している。そう思った。自分は何も組織に属してはいない。組織を作ろうともしていない。ごく普通の誰でもが持っている常識、それに訴えたいだけだ。道路にごみを捨てるものはいないだろう。少なくとも今の日本社会は、平然と道路にごみを捨てるものはいない。それと同じで、入試不正は明らかに社会悪なのだ。少なくともいま行われているような組織的な大規模な入試不正は。本来、若い人は自分を鍛える機会を持つ。さまざまな困難に直面し、失敗し、悩んで成長していくのだ。若い時は失敗が許される。特に中学高校時代は。しかし、入試不正は若い人のもっとも日常的な乗り越えるべき壁である勉強というものをただの金で買える品物にしていた。そして、そういった壁を取り去る代わりに金をむしり取り、しかも彼らの背中にリモコン装置を取り付けて、彼らの良心にコントロールを加える。若い時の一瞬の楽さ、または、失敗の回避、それを得るために一生をロボットにしているのだ。多分、多くの人は自分が何をやっているか理解していない。
 秋山はショルダーメガホンを掲げて話しだした。「こんにちは、みなさん。お騒がせします。高校入試不正が大掛かりに行われています。自分は選抜会議の録音テープを県へ提出してありますが、県は全く無視しています。なぜ、ちゃんとした証拠があるのに県は公然と無視できるのか。それは、国を超えた権力が働いているからでしょう。同様なことは以前にもあったのです。それは、例えば、サブプライムローン組込証券です。年収がほとんどない人々に数千万円の不動産物件を売り、年利10%以上と言う高利のローンを組ませたのです。年利10%以上というと日本ではちょっとしたサラ金と同じぐらい高い金利です。なぜそんなに高い金利で人々が借りたかというと、それだけ不動産の値上がりが激しかったからです。ローンが払えなくなったら売ればいい。売ればそれだけで利益が出ると言う構造がありました。一種のバブルだったわけで、直ぐに破裂した。日本のバブル期と同じです。しかし、アメリカの巧妙なところは別にあるのです。サブプライムローンを証券化して、しかも、他の証券化商品と混ぜて、サブプライムローン組込証券というものを多量に作って世界中の金融機関に売り込んだのです。もちろん、アメリカの銀行自体もいっぱい買いました。結果的に、バブルははじけて、不動産物件は値下がり、サブプライムローンは払えなくなり、それを組み込んだ証券もかなり値下がりしました。それによって、世界中の銀行が数兆円から数千億円とかという規模で損をしました。日本の銀行は日本のバブル崩壊のことを覚えていましたから、あまりサブプライムローン組込証券に手を出していず、ほとんどの銀行は数百億円の規模の損害で済んだ様子です。では、誰が儲けたか。アメリカの投資銀行です。サブプライムローン組込証券を作りそれを世界中に高値で売ったアメリカの金融機関が儲けたのです。リーマンブラザースという投資銀行がつぶれたじゃないかというかもしれません。いいえ、彼らも儲けたのです。正確に言うと、高値でサブプライムローン組込証券を世界中に売った時、巨額な儲けを出していたのです。そして、その儲けはすぐに経営者や株主が持って行ってしまった。そして、サブプライムローンが破たんした時、リーマンはまだいっぱい在庫を持っていましたから、それらが不良品になり、破たんしたのです。問題はアメリカ政府にあります。不動産が永久に値上がりするはずがない。それは世界の常識です。ところが、アメリカの政府、監督当局はその常識を発揮せず、サブプライムローン組込証券の規模拡大を規制しなかったのです。結果として、アメリカという国全体で見ると、数十兆円規模での儲け、ぼろ儲けと言ってもいいくらいの儲けを手にしたのです。その代り、アメリカの庶民が犠牲になりました。多くの方が、年収をはるかに超えた不動産ローンを抱えて苦しむことになったのです。もっとも、アメリカの場合、幾らローン返済残高が残っていても、その不動産の所有権を放棄してしまえば、借金はチャラになるのです。1億円の借金があっても、2000万円でそれを売って、その代金を銀行へ渡せば、後の8000万円は貸した銀行の責任になる。こういったことがあったから、人々が争ってサブプライムローンを組んで高い不動産を買ったのです。そして、サブプライムローン組込証券が大量に作られ、それが高値で世界中の金融機関に売られ、結果的にアメリカの投資銀行だけが何兆円と言う規模で儲けたのです。バブルは必ずはじける。この簡単な常識をアメリカ政府が発揮しなかったことが原因です。ところが、このことはほとんどマスコミに載らない。少なくとも、公的にはアメリカ政府の責任は追及されていないのです。」
 秋山は大きくため息をついた。サブプライムローン問題、多くの一般市民はあれがどういうものだったかさえ知りはしないだろう。そして、今、自分の話を聞いても、何か不正があるんだと言うことぐらいしか理解はしない。しかし、あのことによって、世界の景気は大きく落ち込んだ。経済は冷え込み、日本もその被害を大規模に被ったのだ。確実に、多くの人に関係のある大規模な不正だったのだ。そのことに多くの人々は気づかない。ただ、自分も、教員として現役時代、ほとんどニュースを理解していなかった。日々の生活に忙しく、世界がここまで劣化しているとは気が付かなかった。日本だけでなく世界中の国々が植民地化されている。
 「いいですか。今、大規模にアメリカの軍産複合体によって世界中の国々が植民地化されているのです。自分が告発している県立高校の大規模な入試不正もその一環であるはずです。ちゃんとした証拠を持って告発している。インチキをやっていた選抜会議の録音テープです。そのテープで、定員の何割にもわたる生徒が成績に関係なく合格にされていったことが分かる。教員70名余りがいた会議のテープです。発言者にこの録音の発言をしましたね、と聞けば、直ぐに確認できるのです。ところが、県は一切やろうとしない。2008年に自分が起こした入試不正があったとする確認訴訟では、県はなんと自分がもう退職しているから入試不正の訴えの利益がないと主張し、一切の証拠物の認否さえしなかった。そして、しかも、裁判所は県のそういう主張を認めたのです。日本は今植民地化されようとしています。かって、昭和の40年代まで、フィリピンは日本よりも大学進学率が高かったのです。しかし、その当時、既に大学教育の中身は陳腐化されていて、単なる卒業免状を与える機械だと揶揄されていました。多分今日本で起こっているような入試不正が行われ、多くのフィリピン市民が、背中にリモコン装置のつけられた、自分の良心ではものごとの判断ができないロボットにされていったのです。多分、そのころ、フィリピンの官僚や裁判官、医者、教員といった方たちがどんどんそういったリモコン装置付きのロボットになっていったのです。そして、今どうなっているか。国民の何割にもわたる人々が一日100円ほどの生活費しかない状況です。農地の大半が数十家族の持ち物になり、小作農が非常に多い。彼らは、家族が病気なると、治療費が出せない。だから、お父さんやお母さんが自分の腎臓を売るのです。ブローカーがいて、腎臓一つ30万とか40万で買う。そして、ブローカーは医者にその売り手を紹介し、十万円ほどの手数料を取る。医師はアメリカや日本からの人工透析をやっている患者から数百万円の料金を取って、移植手術をやるわけです。フィリピン社会全体がこういったことを許容するものになっているのです。正しいと思いますか?これが究極まで植民地化された社会です。日本もいずれそうなりますよ。」 
 はは、無駄なことかも知れない。そう感じた。いつも、そういう感じはあった。高校時代から、そういった虚無感というのはあったのだ。急いで遅刻をしないように通学路を走る。しかし、それがどんな意味があるのか?なんのために。そういった疑問はいつもあった。自分の命、自分の意志、自分のこころ、そういったものが何のためにあるのか、いつも疑問だった。正当性、なぜ、自分はいるのだろう?そういった疑問だった。ヘルマン・ヘッセの「荒野のオオカミ」に描かれた哄笑、何のためにもならない努力、全ては無駄なのだと言う感覚。しかし、それを癒してくれたのがアリスだった。全てを捨て去っても世界に向かってイエスという,そういった微笑み。そう、高校一年のあのクリスマスパーティで隣に座ったアリスが自分に向かって微笑んだあのほほえみ、希望と絶望の淵を軽やかに歩いていく、人生は、命は生きるに値するのだと自分に信じさせてくれたあのほほえみ。
そうだった。高1の3学期、自らに絶望して自殺未遂をやったのだ。友人とキャンプに行くと言ってテントと携帯用の燃料ガスボンベを施設から借りて丹沢へ一人で行った。ガスボンベに小さな穴をあけ、それを足元に置き、眠った。翌日、目が覚めた。自分は生かされたと思った。それからしばらくして、アリスのあのほほえみが自分の心の中に浮かんできたのだ。
 「フィリピン社会は究極的に植民地化されています。大規模農場の小作人の方々がストをやる。すると、警察や軍隊が動員され、ストの中心となった人々が殺されていくのです。そして、弁護士も、マスコミも、裁判所も、みんなそれを認めてしまうのです。どんなにひどい暴力が行われてもそれがとがめられない社会。一般の人々が一日数十円の賃金で働かされ、その一方で年収何億にもなる人がいる。それが当たり前とされる社会。それがフィリピンです。日本も今まさにそれに向かっている。フィリピンは今大学進学率、15%ほどだそうです。社会が貧しくなり、進学そのものができなくなった。それだけ、アメリカの資本家による搾取、富の吸出しがされているのです。日本も今、正に、そうなろうとしています。本来、教育は、それによって社会全体が豊かになるためにあります。よりよい社会を作るためのものが教育です。ところが入試不正がはびこった結果、教育が階層化社会を作る道具になっているのです。人々を分断し、本来人々が持っている力を失わせ、社会全体を植民地化するために使われているのです。大規模な入試不正、組織的に毎年毎年数十万という若い人がひも付きにされていくこのシステムを何としても廃止しなければいけません。」
 そのためには道州制がいい。小学区制にして、基本的にはその地域の大学にしか進学できないようにする。そして、成績はすべてオープンだ。誰でもが大学の学務課で全ての学生の成績を閲覧できる。提出レポートは大学のサイトである程度の期間公開し、卒論は卒業後3年はサイト上で公開。入試は9割が5教科の学力試験で1割が推薦。大学への文科省の天下りは廃止して、理事会は教授会に吸収。大学運営費の5割は国が持ち、残りは道州が負担し、基本的に学費は無料。こうすればいやでも地域おこしをせざるを得ない。地方では地熱発電をやり出すはずだ。日本の人口規模があればできるはずだ。

 神田神保町のビル。
 和田は考えていた。江夏が何を狙っているか。記者、NGO、強姦致傷、多分、一つのことを狙っている。性的な事件は情報を公開しない。そのことを一般の人々も納得する。だから警察が誰かについてレイプ関係の捜査をしているとその周辺の人物に聞き込みをしても、その聞き込み自体が対象に伝わることはない。そして、その対象の人物は社会的に抹殺されるのだ。まして、親告事件だから被害者が被害届を取り下げたと言えば、公的には何も動かなくても、水面下ではかなりきわどいところまで対象を追い込める。江夏はそれを裁判員を使ってやろうとしているのだ。誰を対象に?Xの年齢を言っていない。多分、自分以外の参加者のパソコン画面にはXの顔が映されているはずだ。サブリミナル効果を使って心に刷り込まれる。
 「結局、これって、芥川龍之介の小説と同じだね。藪の中だよ。本当のことは当事者しか分からない。本当にレイプがあったのかさえ分からない。」「本当にそうですね。ただ、被害者がいるわけだし、脅しているのでもないのだから、本当に事件はあったんでしょう。」「そうか。確かにそうだね。」「そうですよ。女子高生が被害を訴えるのって勇気いるんですから。」「いや、藪の中っていう小説の中では、当事者の証言そのものが食い違っていて、矛盾するんだ。当事者は勿論本当のことを知っている。ただ、自分自身の心の問題とか相手に対する思いやりとか復讐心とかで必ずしも本当のことを言うとは限らない。だからと言うわけでじゃないけど、この事件でも二人の言っていることが微妙に真実とは異なっている可能性がある。」「裁判長はどう思っているんですか。」「うん、私としては、説明の時に言った通りです。」「だから、裁判長は裁判員を誘導したらいけないと思っているんでしょう。ねえ。」「ええ、まあ、そうでもないのですが。まあ、もう少し皆さんが意見を言ってから、私の見方については言いたいと思います。」
 なかなか江夏は用心深い。そう和田は感心していた。自分がここにいる意味は江夏を監視するためでもある。そして、自分以外の5人の裁判員役が何をどう考えているのか、それをチェックする役目もある。危険なのは、自分と同じような監視役が5人の中にいる可能性があることだ。今度のことも全体で何が目的となっているのか、まったく知らされていない。だれが、どんな役目を言われているのか、それは全く明かされていないのだ。藪の中のことを言いだしてみたが、これ以上続けると危険かもしれない。しかし、誰を想定しているか、多分、みんなの中には既に潜在心理に刷り込まれているものがいるかもしれない。
 和田は、この数年のBBのやり方に危惧を抱いていた。小学生の女児が同級生の首をカミソリで切り、殺してしまう。しかも、それは、ホームルームから遠く離れた教室へ相手を呼び出し、座らせて目をつむらせ、背後から首の血管を切りつけたのだと言う。その他、男子高校生が母親の首を切り離し、それを持って警察に自首すると言う事件もあった。確実にマインドコントロールが行われている。BBによる日本の植民地化、それが進んでいる。自分自身が属している組織だが、そのやり方はあまりにひどいと思っていた。どこかでブレーキをかけなければ。少なくとも、邪魔な相手はきちんと合法的に倒すことが出来る。自分にはその自信がある。そういった自負があった。いったい、幹部連中は何をやりたいんだ。松中はなぜ秋山へのケース変更をしたのか。幹部連中が動いている。何だ、何が目的だ?

 松中も考えていた。西新橋の4階建てビル。階下には警備会社が入っている。今朝6時半には入室し、何が起こっているのか整理しようとしていた。アメリカの大統領は予想に反して現職大統領の再選が決まった。つまり、まだ、何かの準備をやりたいと言うことだ。民主党時代には何かの準備がされる。そして共和党時代にその収穫がされるのだ。その典型がウィンドウズの普及とサブプライムローン組込証券を使った大儲けだ。ただ、簡単なパターン化は危険でもある。常に未来は予想がつかない。歴史はある意味繰り返すがその中身は常に新しい。問題は江夏だ。日本が植民地化されていく、それも徹底的にされていくと江夏は再三言っていた。メキシコ、韓国、フィリピン、実質的に植民地化されている国々は多くあった。ただ、徹底的とはどういう意味だ?植民地国家の特徴、それは教育システムが機能せず、社会階層が固定化し、官僚機構がただのごまかしの道具となることだ。日本は既にかなりの程度までそうなっている。これ以上何をしたいのだ。日本は新興国の工業化と日本自身の少子高齢化によってもうすでに破たん国家への道を歩んでいる。それに加えて教育腐敗がある。日本社会は正に癌にかかったように徐々に弱っていくはずだ。それとも、大地震と原発によって急性死が予定されているのかもしれない。ただ、大地震は自然現象だ。だから、大地震への対策を立てさせないような社会工作が実質的にはされていく。確かに、首都機能移転はされていない。原発からのエネルギー転換も進んでいない。しかし、これらは既に数十年こういった体制になっている。すでにこうなっているのだ。こう考えていて気が付いた。秋山だ。あのような普通の市民層から変革を求める動きが出るのをつぶすための仕組みが必要で、それが裁判員裁判だ。もともと強姦致傷が裁判員裁判の対象に入っていることに違和感があった。高度にプライバシー保護が必要な犯罪。それをわざわざ一般市民にやらせる。強姦致傷事件が入っているからこそ、裁判員の秘密保持がある意味必要なのだ。普通の殺人事件なら、裁判員の名前を伏せるだけで評議の内容を公開してもいいはずだ。市民目線を活かすなら、行政事件や国賠訴訟をこそ取り上げるべきなのだ。

 小久保は苛立っていた。パソコンがきちんと動かないのだ。カーソルがたびたびかってに動いて入力がうまく行かない。こういう時は、記事が完成しかかった時に用心しなければいけない。一文字デリートしようとした途端、記事全体が消えてしまうことがあるからだ。そもそも、ウィンドウズでリモートアクセスとかリモートデスクトップ機能を使っている人がどの程度いるだろうか?こういった機能は別売りにして、もともとのOSには組み込んでほしくない。
 企画書を書くのに手間取っていた。昨夜は8時過ぎまで裁判所の門のところで待った。しかし、男は現れなかったのだ。評議が早く終わったのかも知れなかった。いつも自分は欲張りすぎる。結局、追いかけすぎて、逃がしてしまうのだ。キャッシュカード詐欺と預金者保護法、RCC関係者の不正、RCCの社長だった中坊公平は10億円以上の詐欺容疑で告発され、弁護士資格の返上をして起訴をまのがれている。私腹を肥やしたのではないとされるが、RCC物件の不当な取引は相当行われていたと田中森一と言う辞め検弁護士が書いていた。1985年のプラザ合意、あれが日本のバブル景気のきっかけだった。竹下政権ではふるさと創生という口実で全国の自治体へ一億円を配った。いったい何の意味があったのだ。そういう形でバブルが作られ、人々は好景気に踊った。そして、このころから援助交際という名の売春が10代の少女に広まっていく。テレクラが出現したのが1985年、プラザ合意と同じ年だ。そして、1993年には高校教師という女子高生と教師との恋愛ドラマというか肉体関係を扱ったドラマがテレビドラマが放映された。この時期、多分、あのスーパーフリーという集団強姦のサークルも活動を開始していたはずだ。そして、1995年から始まる就職氷河期、多分、この時期に大量の不正採用がされて、多くは教員や市役所職員になっているはずだ。物心両面での破壊工作がされている。組織的に植民地化されている日本。全てを書きたい。そう思った。しかし、そうすれば大石は嫌がるだろう。嫌がりながらも、多分、大石は紹介してくれる。しかし、その結果、大石に迷惑がかかるかも知れない。どうしよう。小久保勇気はパソコンを前に迷っていた。

 杉内俊也も迷っていた。「私に娘がいて、誰かに殺されたら、絶対に死刑にしてくれと言うと思うわ。」と妻が言ったのだ。違う、事実そのものがおかしいのだ。阿部が、あのやさ男がバラバラ殺人などやれるはずがない。考えれば考えるほどわからなかった。「そりゃ、誰だってそう思うさ。ただ、事件がでっち上げだったら、お前ならどうする。」思い切って聞いてみた。妻は結構感覚が鋭いのだ。何か、今の行き詰まりから抜け出すきっかけを言い出すかもしれない。「でっち上げって、犯人が認めているのでしょう。何がでっち上げなの。」「いや、ほら、埼玉で起こった元厚生事務次官夫妻の刺殺事件があるじゃないか。犬のかたきというのを信じるかい。」「ああ、あの小泉って犯人。でも、警察がそう認めているんでしょう。それに、あれって、偉い人じゃない。事務次官ならいろいろあるのじゃないの。あなたの事件はただの女子大生でしょう。」「確かにね。でっち上げる必要がそもそもないか。そうだな。」「バラバラ殺人がおかしいと思っているのでしょう、あなた。顔にそう書いてあるわよ。」「よく分かったな。」「だけど、ほら、奥さんが夫を殺して、バラバラにして、公園なんかに捨てたって事件あったじゃない。」「ん、そうだな。確かに持ち運びには小さい方が便利だ。」「それに、江東区だったかで、同じ階の女性をやはりバラバラにしてトイレに流したって事件もあったし、できるんじゃないのその気になれば。遺体の処理に困ったら人間何でもやるのよ。あの阿部って犯人、調理師か何かやっていたんでしょう。きれいに関節のところで切り離されていたっていう記事を読んだわ。昨日、あなたが出かけているときにインターネットで調べたのよ。」「そうか、確かに、調理師か何かをやっていたのかもしれない。大学中退でいろいろな職業を転々としたと言うからね。」「何で知らないの?裁判では、経歴も全部出てくるんでしょう。」「そりゃ、お前、アルバイトなんていくらでもあるし、そんなことまで言わないよ。それに、関節のところできれいに切り離されていたなんて、何も話をしなかった。だいたい、裁判員裁判なんて、短すぎるんだよ。たった一週間ほどだ。それで、死刑か無期か懲役5年かを決めるんだ。ひょっとしたら無罪かも知れないケースだってあるはずだ。それに、証拠もほとんど出てこないんだ。これは、法廷でやっていることだからお前に言っていいと思うけど、公判前整理手続きっていうのがあって、そこで、証拠をみんな整理してしまうんだ。弁護士がこれを出したいと言っても裁判官が認めなければ裁判には出てこない。おかしいんだよ。」「ああ、それ、でも、後からでも出せるって書いてあったわよ。裁判員裁判についての説明、昨日大分読んだのよ。」「うん。確かに。でも、それって実際にはむずかしいんだよ。裁判員裁判の日程は事前に決まっている。証拠調べも何月何日の何時から何時までって決めてあるんだ。そこへ急に新しい証拠調べを入れるなんて、現実にはできないだろうな。阿部の裁判だって証拠調べは実質的に10時間もなかったんだ。」

 大石は喜んでいた。やっと小久保の本の出してもいいと言う出版社を見つけたのだ。どうしても見つからなければ、大石自身が資金を出して自費出版の形を取ろうかと考えていた。売れなかった場合の在庫を引き取ると言う契約を結ぶ方法もあった。資金不足の出版社の中には印刷費用自体を提供してくれれば出版を引き受けると言い出すところもあった。ただ、大石自身が多少宣伝すれば本はかなり売れるはずだ。経営が危ない出版社に任せるよりはなるべく定評のあるところへ任せたかった。

 春日部の小さな公園で田村桂子は猫に向かってつぶやいた。「おいしい?あまりがっつくんじゃないって。これは二人のもの。私からの特別ボーナスだよ。」桂子が持ってきたキャットフードを食べている二ひきの背中をなで、ふと秋山はどんな会話を猫とするんだろうと思った。「お前たちの名前は何?あの秋山のおじさんはなんて二人を呼んでるの?」一匹を抱き上げて、顔を正面に向け、猫の目を覗き込んだ。「私は田村桂子、昔は飯田里佳子だった。でも、私は私。名前なんてどうでもいい。あんたもそうでしょう。元気でいようね。またいつか会う時があるかも知れない。元気でいるんだよ。」

 秋山信弘は玄関で口笛を吹いていた。ネコが来ない。帰宅すると大概は玄関の近くにいて呼ばなくても寄ってくる。玄関に居なくても口笛を吹けば普通はすぐにやってくるのだ。まあしょうがない。玄関のかぎを開け、中に入り、そのまま横になった。疲れた。朝からずっと外で街頭演説をするのは久しぶりだった。毛布を頭までかぶり目をつぶった。街頭演説で見かけた何人かの高校生や中学生のことが浮かんできた。あるものは少しびっくりしたような表情をしていた。二人ずれの多分高校生らしい女子生徒は20mほど離れたところで制服からジャージに着替え始めた。そう言えば、少し前は高校生らしい女子生徒が秋山のすぐ近くにずっと佇んでいた。何も考えたくない。眠りたい。そう思ってもう一度毛布をたぐって体の上に乗せた。

 馬原浩は自宅に帰っていた。妻と一人息子の三人家族。息子浩一はちょうど7歳になる。妻は小学校受験をさせたがっていた。しかし、馬原は反対して、公立の小学校へ入学させたのだ。小さい時は多様な経験をさせたほうが良い。そういって妻を説得した。しかし、中学、高校と進んだ時、受験を無視できないことは分かっていた。
 「なあ、俺が会社辞めたらどう思う。」「なーに?」「いや、今会社を辞めて北海道にでも行って農業をやるって言ったら、お前はどう思うかっていうお伺いだよ。」「何言ってるの。そんなのできっこない。」「だけど、農業もいいぞ。一日畑を耕して、雑草を抜いて、本当に労働の実感が分かるんだ。」「何夢を見てるの?あなたに農業なんてできるわけないじゃない。何か会社であったの。教えてよ。」「いや、だからさ、今の社会は複雑だからね。新聞社っていうのはいろいろあるんだよ。」「だから?」「いや、だからさ、本当はこうなんだと言うニュースが報道できなくって、本当は違うってことをわざわざ流したり。」「だから辞めて農業をやるの?話が飛んでるわ。」「いや、農業はやっぱりいいよ。人に気兼ねすることなく、ある意味、絶対善という面がある。うまいコメ、うまい野菜、うまいジャガイモ。いいよなあ。」「なにがあったの、ねえ。浩さん。話してよ。」「だからさ。今のマスコミは本当のことは言えないんだよ。圧力があまり高い。危険なんだ。」「だから逃げるの?それっておかしいでしょう。」「いや、逃げるんじゃない。」「じゃあ、何なの?」「そうだな。今の社会は巨大な騙しの機構になっているんだよ。そして、僕のようなマスコミ記者はその騙しの神殿の司祭というわけだ。騙しによって利益を得る人々も居れば、たんに騙されて働かされて犠牲になるだけの人々もいる。これは多分わかるよね。ただ、今の日本は違うんだ。騙しの仕組みがあまりに大規模に、あまりに複雑になっている。だから、それを修正できないんだ。あまりに車体重量が重たくなってブレーキが効かないまま坂道を滑り降りるトラックというところかな。それを止めようとしたら自分が下敷きになるしかない。」「なんだか随分な話ね。一体何があったの。」「いや、だからさ。例えば目玉焼きを食べる。だけど卵は本当に人間のものなのか?違うでしょって話だ。僕たち人間の生活は基本的に他の生き物の犠牲の上に成り立っている。それで、今、何が起こっているかというと、今の僕たちの生活は、同じ人間の犠牲の上に成り立っているって事なんだ。そして、悪いことに、どんどん犠牲になる人々は増えているんだ。僕たちは今、ある意味生き残り競争に入っているんだよ。他を犠牲にするしかない。そうすることによって、自分自身がそういう犠牲になる運命に落ち込んで行っているんだ。」「何があったの。はっきり言ってよ。」「だから、いいかい。日本は独立なんてしていなんだ。植民地なんだよ。元々日本は敗戦国だ。ただ、ソ連という共産圏があったから、アメリカから優遇されてきた。それがソ連消滅の頃から日本のあからさまな植民地化が始まったんだ。日本の財政が急激に悪化し始めたのもあの頃からだ。いいかい、今の僕の仕事はそういった植民地化を進めることなんだ。そして、それを進めた結果、今度は自分自身が奴隷になる。そういった構造にもう日本は成っているんだよ。いいかい。もうすでに日本の教育システムはかなりインチキになっている。植民地化の手先になるか、そうでなければ3流高校から3流大学へいくしかない。僕がもし本当のニュースを流すと言い出せば、浩一はいじめにあうだろう。そもそも、仕事を続けられるかどうかもわからない。いいか。あの、桶川女子大生刺殺事件の犯人を割り出したフォーカスの記者、彼の娘さんは事故死してるんだ。」「だから、新聞社を辞めて農業をやろうというの?私は嫌。嫌よ。」「農業は少なくても嘘をつかなくてもすむ。少なくとも他人を犠牲にしなくていい。僕は農業をやりたいんだ。もう、今の仕事に耐えられないんだよ。お願いだ。」「嫌よ。私は誰も犠牲になんてしていない。私はあなたのために自分を犠牲にしてきたわ。あなたもちゃんと働いてきたのよ。逃げ出したら、いつまでも逃げることしかできない。だめよ。私は逃げないわ。」「いや、君は本当の社会を知らないんだ。知らないんだよ。どれだけ世界がおかしくなっているか、それをほとんどの人が分かっていない。本当は、僕自身が分からせるための仕事をしなければいけなかった。でも、それができなかったんだ。そこまで、日本の社会はおかしくなっているんだ、、、。もういい。忘れてくれ。僕自身が勇気がなかったんだ。それは認めるよ。ただ、もう遅い。いや遅くはないのかもしれない。分からないんだ。もう寝る。ごめん。もう寝るよ。疲れた。」

 ふと目が覚めた。夢を見ていた。友人が運転する車の後ろに座り、横を見ると自転車に乗った女子高生がいた。あっという間にその自転車が車に接触し、自転車をひっかけたまま車が進んでいく。運転をしているはずの友人は気を失ってしまい動かない。窓の外には自転車に乗ったままの女子生徒がいる。それが分かっていながら秋山自身も金縛りにあったように体が動かないのだ。危ない、そう思った時に目が覚めたのだ。
 そのまま、秋山は腕を伸ばして大きく欠伸をした。もう10時を過ぎている。5時間ぐらいは寝たのだ。猫に夕食をあげなければいけない。自分自身も夕食を取っていない。それでも寝ていたかった。
 あれは教員になって数年目のことだった。学年末の成績会議。自分が副担任をやっているクラスの生徒のことが話題になっていた。欠席とレポート未提出で退学にすると担任が話していた。自律神経失調症でたびたび学校を休み、レポートも提出が遅れていた。ただ、生徒自身はごく普通の生徒で何の問題もなかった。母子家庭で、母親が何としても卒業させたいと言っていた。2学期末もレポートの未提出が問題になり、母親の熱心さが根拠となって様子を見ることになったのだ。ある教員が退学という担任の主張に反対していた。授業態度に何の問題もないのだから、そして、自律神経失調症という病もあるのだから、レポート未提出についてはおおめに見てもいいではないかというものだった。自分が担任だったらそういうだろうと思った。ただ、実際に動いているのは自分ではなく、その担任だった。そのため、自分はその会議で発言はしなかった。結果的にその生徒は退学になった。そして、数年もしてから気が付いたのだ。あれは見せしめだったのではと。既にそのころから定期試験の生徒への漏出はあったはずだ。金を払って試験問題を買わなければこうして退学になるぞという見せしめ。ほぼ確実にそのケースだった。
 もう一人の生徒のことも頭に浮かんできた。秋山が授業をやっているとほかのクラスを抜け出して秋山のクラスに入り込んでくるのだ。積極的に妨害をするのではなく、秋山と同じ英語の教員の授業が嫌だと言いに来るのだった。教室の空いている席に座らせて授業を受けさせていた。学年末は当然赤点で、そのままでは留年、又は退学ということだった。秋山はその時の成績会議で数十分しゃべり、基礎学力もあり、非行も原則としてないのだから、そして、片親家庭の子供を退学させることは貧困を再生産させるものだとさえ言った。職員の多数決の結果は進級を認めると言うものだった。翌年のあるとき、その生徒がやってきて、お願いがあると言うのだった。父子家庭で父親に黙ってバイトをやり、そこで事故を起こしてしまい、その賠償金が必要だと言うのだ。父親には言いたくないから秋山に金を貸してほしいと言うことだった。ただ、その事故のことを尋ねると確かにすらすらと説明はするのだが、どうも本当のこととは思えなかった。その場所に行ってみたいと言っても駄目だと言うし、バイト先の人に会いたいと言ってもできないと答える。最終的に父親に話をして、父親が了解するなら金を貸してもいいと答えた。するとそれはできないのであきらめると言ってきたのだ。しばらく欠席が続き、次に会った時には、すぐに返すので、貯金を下ろさなくていいからサラ金で金を借りてくれと言い出した。その後、姿を見なかったのだが、学期末に近くなったとき、授業中のグラウンドにバイクで乗り入れてきたと言う。退学に反対をすることはできなかった。
 同じようなケースは何例もあった。もっとひどい形で生徒が犠牲になる例もあった。無力な生徒、無力な家庭、見事にそこには貧困家庭と教員という階層化された姿があった。
 秋山はそのまま横になりながら、ぼんやりと昔のことを思い出していた。確か小学校4年か5年の時だ。庭のイチジクの木の側で、木にたかっている小さいカミキリムシを捕まえては地面に叩きつけていた。長い触角をつまむとチーチーという鳴き声を立てる。その小さい体を地面に向かって叩きつけるのだ。何匹同じことを繰り返したかは覚えていない。ただ、しばらくして、なんて無駄なことをやっているのだと思ったのだ。カミキリムシに悪いと言う気持ちがなかったと言えばうそになるだろう。ただ、殺傷をしたと言う罪悪感とは違ったものだ。自分一人が取り残されている、そういった感覚が確かにあった。ただ、カミキリムシを叩きつけてもそれがどうなるものでもないと気が付いたのだ。

12月2日(日)

 早朝5時半。大石大次郎は自宅から出ようとしていた。ほかの誰からも先に最高裁の正門ゲートに到着していたかった。玄関まで見送りに来ていた妻に多少早口で言った。「今日はなるべく早く帰る。打ち上げも午後4時には終わらせて午後6時には帰宅する。しなかったら俺はどこかで成仏したと思ってくれ。」妻は「はい、はい」と答えた。

 午前6時。小久保勇気は一息ついていた。一応企画書が完成したのだ。どこまで書くか、それをぼかしていた。編集の人と相談したい。または、出版社の社長と相談して、ともかく記事を世の中に出したかった。企画書を3部。今まで書いた原稿をやはり3部。一応、これで用意はできた。不思議だったのは、今朝の3時ぐらいからパソコンが普通に使えるようになったことだった。今から横になって10時に起きれば昼には最高裁判所へ行ける。よし、少し休もう。

 和田強はベットの上で横になったまま、昨夜のことを思い出していた。×は有罪。女子高生が嘘を言う理由がない。それが結論だった。江夏も同じ意見を言った。和田は違う可能性があると言いたかった。×が社会の不正を告発していて罠に嵌められている。女子高生は社会の複雑さを分かっていず目の前の損得だけで嘘をついていて、×はその女子高生を庇い、本当のことを言えない。薮の中という小説を持ち出してそのことを示唆したつもりだった。しかし、そのことを分かれと言うほうがムリだった。自分が相手の立場なら分かるはずもない。それよりも今日の予定を江夏は言わなかった。朝食を済ませて9時に会議室に集合。それだけだった。しかし、既にケーススタディは昨日で終わっている。今日は昨日の応用問題をやる日だ。

 午前10時、最高裁判所正門前。大石はパンフレットを手に声をはりあげていた。「人間の鎖はこちらで受付をやります。こっちですよ。パンフを渡します。こちらへどうぞ。」

 200mほど離れた場所で松中信は心配そうに大石を見ていた。

 そこから更に100mほど離れたビルの一室で江夏貴は大石と松中を見つめていた。やはり松中が来ている。悪いな。こうするしかないんだ。太平洋戦争敗北のあのときからこうなることは決まっていたんだ。俺のおやじは戦死をした。体中を蜂の巣のように機関銃
掃射を浴びて、まるでボロ雑巾のような身体になって死んだんだ。日本は負けた。もうこれ以上無意味な死は嫌だ。

 春日部駅東口。
 秋山信弘は話していた。「原発は危険です。そして、原発でつくられる電気は高いのです。政府は原発の発電コストが1kwh5円ほどだとしています。しかし、現実は違います。20円近くするのです。今電気代は1kwhだいたい22円ほどです。これは、アメリカの約2倍、韓国の約3倍もします。しかし、地熱発電をやれば10円以下にできると言われています。では、なぜ、地熱発電をやろうとしないのか。これは、国際的に日本のエネルギー自立が妨げられているからです。原油や液化天然ガス、これらの輸入代金は総輸入代金の約3割もしています。毎年ほぼ20兆円ほどです。日本にこれだけの買い物をさせるために地熱発電が妨げられているのです。しかし、今日本はまさに財政破綻に陥ろうとしています。高い金を出している余裕はないのです。そして、この20兆円ほどの資金が国内還流すれば、日本の景気は良くなるはずです。では、日本は具体的にどう妨げられているか。1995年、阪神大震災が起こりました。その2年後、東京電力OL殺人事件が起こったのです。東京電力の上級女子社員、経済動向の分析をされている方でしたが、その方が数年間の売春のすえにある外国人に殺されてしまったという事件です。しかしこの事件は矛盾する点が数多くある。まず、その被害者の女子社員、売春をする理由がない。年収が1000万円ほどあったはずなのです。経済的に行き詰ってはいないのです。次に、彼女は自分が東電の上級社員であると買春客に言いながら何年間も売春を続けたとされています。そんなことできるわけがない。もし本当ならすぐに噂になります。週刊誌がすぐに騒ぐでしょう。または本社にその知らせが行って、すぐにクビになっていたはずです。更に、事件が起こった後、マスコミが騒いだわけです。一流会社の上級社員がそんなことをやっていたと、さんざん話題にした。それに対して、お母さんが手紙を書いています。自分は娘がそんなことをしていたとは知らなかった。少なくとも娘は殺人事件の被害者です。家族も残されている。だから、あまり騒がないでくれと、そう書いているわけです。これはよくわかります。もし知っていたら、お母さんがそんなことを許すわけがありません。ところが、警察は全く違った証言を刑事裁判の場でしているのです。つまり、娘さんが帰って来ず、行方不明の届を警察に出しに来たとき、「娘は売春をやっているのでその関係で事件に巻き込まれたかもしれない」、そうお母さんが言ったと警察は裁判の場で証言したのです。しかし、この二つのことは完全に矛盾します。更に数千万円にはなったはずの売春で稼いだはずの金、これも、どうなったか分からないのです。そして、この被害者の方のお父様も東京電力の社員でした。幹部になって一年で降格され、その2年後にガンで亡くなっているのです。ちょうどその頃は、世界中で原発が危険だと言われていた時期でした。お父様は地中送電線の責任者であったと言います。たぶん地震にも詳しかったはずです。そして、チェルノブイリの原発事故、あれは小さな地震が原発の直下で起こったからだと言われています。そして、日本は地震国ですから、原発は危険だと東電社内で言い出した。だから、降格され、ガンで亡くなったのではないでしょうか?そして、その当時すでに大学生になっていた娘さんはお父様の遺志をついで原発が危険だと考えていた。そして、1995年の阪神大震災を見て、娘さんは日本は地震の活動期に入った、そう考えられたのではないでしょうか。そして、お父様と同様、東電社内で原発は危険と言い出した。その口を封じるため、東電OL殺人事件が起こされた。違うでしょうか。警告だったから売春という徹底的に人格を貶める事件がでっち上げられた。そうではないでしょうか。」

 午後1時。小久保勇気は最高裁判所へ急いでいた。多少寝坊してしまったのだ。遠くに正門が見えた。大石がマイクを手に何か話しているのが見える。と、大石が急に跪いた。周りに人が駆け寄るのが見えた。

 江夏もそれを見ていた。作戦はうまくいった。心の底に悲しみを感じていた。

 江夏の居る部屋の真下にある会議室で一人の青年が機械をバックにしまいこもうとしていた。強力な電磁波をまるでライフル銃のように発射することのできる装置だった。ただ、操作は簡単で、ターゲットに照準を合わせ、スイッチを押せばよかった。電磁波なので風や重力の影響は受けないからだ。青年はバックを閉めながらつぶやいた。「昨日判決を出したんだ。お前は死刑。裁判員がちゃんと検討した結果だ。」

 大石が倒れるのを松中も和田も見ていた。そして、裁判員制度の意味を悟った。
「ちがう。これは間違っている。これは単に卑怯な支配のやり方でしかない。誰でもが同じ生命を背負っているんだ。誰かが他の誰かをここまで騙すことはゆるされない。それは、自分も、そして、相手も、同じ人間だからだ。」松中も和田もふたりとも同じことを考えていた。


冬に、葉を落とした木々のように、
私も、
友を捨て、
ふるさとを捨て、
意思だけで生きている。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. taked4700 2010年11月25日 19:35:00: 9XFNe/BiX575U : nL8EejuKzA
投稿者です。一箇所、明確な間違えを見つけました。

真ん中ぐらいにある

>新橋のこぎれいな6階建てのペンシルビルの最上階。
 和田は早口で説明をしていた。「いえ、確かにそれは分かりません。

新橋のこぎれいな6階建てのペンシルビルの最上階。
 >>馬原<<は早口で説明をしていた。「いえ、確かにそれは分かりません。

が正しいです。「和田」ではなく「馬原」です。

お詫びして訂正します。


02. taked4700 2010年11月26日 03:38:49: 9XFNe/BiX575U : c6WJsxyJag
投稿者です。一連番号を付け忘れたので、本来の番号とは連れてしまっているのですが、自分のジオログとの整合性を取るために、一応、下のように一連番号をコメントとして入れておきます。

*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<243>>
TC:23564, BC:15832, PC:?, Mc:?


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ59掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ59掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧