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飄(つむじ風) 様ブログ
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/
10月31日記事
暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!52
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/10/123_b350.html
(長いですが以下に全文転載〜画像などは上記URLにて直接御確認下さい。)
前々回、前回に引き続き、
日航機123便生存者数疑惑の真相を追う。
これまでの情報、新たな情報を整理して考察する!
7人であるか、8人であるかは分からない。少なくとも、4人以上であることは確かだ。御巣鷹の日航機123便生存者の可能性である。当時の日経新聞にもはっきりと一面トップに出ているではないか。その検証は、必要だ。何故、そのニュースが消えたか?
「nikkei8-13.jpg」をダウンロード(クリックすると、新聞を拡大)
消えたのではなかろう! 消したのだろう。記事を消したのは、許そう。命を消すことは、許せない。3人はその後どうなったのか?徹底解明が求められる。
情報の交錯なら、その事実を明らかにすべきだ。誤報なら、誤報の経緯を解明すべきである。それが蓉として為されていないのは、大きな疑問である。
はたして正確な調査・報道があったなら、こういう事にはならなかったであろう。隠されたものは、顕れるのである。しかし、調べれば調べるほど、到底、明らかに出来ない闇の事情が垣間見える。そう感ずるのは投稿者だけであろうか。
しかし、真実は明かされる必要がある。その理由は簡単だ。まっとうな人間は、偽善に生きることを潔くしない。真理は真実にこそ宿る。真理こそ、人間の目的だからである。他にどんな理由があろうか。
【転載開始】扇子? そういえば扇形に光が広がった、という目撃が<以下引用> (123)
2010-08-26 05:30:22
実は妙なことを今頃思い出したのです。それは最近日航機事故を検証した分厚い本を本屋の新刊書の中から見つけて立ち読みしたことによります。(DVD付き)20年後の今頃その本のおかげで私の見たものが123便だったことを知ることになりました。
私たち家族は恒例の北軽井沢キャンプから未割り当て区域であった福島のある村に向かう途中でした。もう何処の山間であったかは記憶にありません。しかし今思えば旅客機があんな低空で飛ぶような場所ではありませんでした。
私はその機体をわずか数十秒間見たに過ぎません。それは123便が最初頭上に来たとき異常に低い高度であったことと山の谷間にいたため視界が限られていたことによるのです。しかし、今思い出せば上空を私が見上げてその機体の姿を見たいと思ったその動機となる現象があったのです。
それは異常なエンジン音だったのです。フオー、フューン、ゴオー、としょっちゅうエンジン音が変化していたのです。ジェット機のエンジンは普通車のエンジンのように回転を上げたり下げたりを短時間で繰り返すような使い方ができないものなのです。そうした使い方をすれば異常燃焼を起こして生ガスが思わぬところで爆発することだってあり得るでしょう。
パイロットはそうした極限状態を試しているように思えたのです。私たちの頭上を飛び越えていくその機体は異常なエンジン音を除けば若干機首を上に向けすぎているようではあったが報道で言われているようなひどいダッチロールはなく比較的正常に飛んでいるように見えたのです。主脚は出ていて着陸態勢のようにも見えます。比較的速度は遅くフラップも降りていました。
かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そのままでかなりな高度を取り10キロほどの距離を進んだと思います。
そして上がりきるとかなり急な右旋回360度。そして今度は急激な降下をしながら来た方向と反対側の稜線の向
こうに降りていった。その後しばらくまたあの変化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッという直近の落雷のような音。そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷が落ちたようだねと言った。
まさか墜落した音だとは思わなかった。その後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び??!
回る音が遠くで聞こえるだけ。旋回し遠ざかっていった。雷はその後鳴らなかった。これが私の記憶の飛行状態の全てです。今思えばあの日は晴れていたはずだった。夕方とはいえ落雷は平地であればあり得ない。私たちは山岳地にいたので晴れていてもあり得ないことではなかったのでそう思いこんだのだと思う。
それだけではありません。私はその機体の窓が見える高度で見たわけですが、機体の損傷がほとんど分かりませんでした。機体後部の隔壁のさらに後部部分も(ソフトクリームのコーンのような形の尾部部分)壊れていませんでした。垂直尾翼が異常に小さいように見えたのが唯一の異常でした。家族に向かっておかしいなあの機体垂直尾翼が異常に小さいぞと言ったのです。
私はその本を読むまでその機体と確かに日航ジャンボであったのですが墜落した機体と同じだとは思っていなかったのです。それは事故原因とされる隔壁破壊による機体後部の大幅な損傷をイメージしていたからに他なりません。報道された損壊状況とは著しく違うのです。
私は今証言できるのです。あの日航機は隔壁破壊はなかったと。そして見事に垂直尾翼はほとんどなかったと。その機体を機長たちは見事に操縦していたと。それもエンジンコントロールだけでである。そしてあの操縦を可能にしたのは水平尾翼の存在であった。ほとんど見た目の損傷はなかった。昇降舵も存在したと思う。
私は専門家並に航空力学を独学で勉強した人間であり、中二でラジコン機を最初から設計して自ら作り飛行させた人間である。ラジコン技術には天才少年とまでそのころ言われたのだ。私の航空機を見る目は全くの素人ではないのです。
私はそうした専門的な目で機長たちの超人的な努力に並の敬意を越えた敬意を覚えざるを得ない。その努力会ってあの数名の生存者を可能ならしめたと思う。
それに引き替え。アメリカ軍と日本政府の対応はとんでもなく。憎むべきものと言える。なんと墜落の二時間以前にアメリカ軍のヘリは現場に到着し生存者救出のためワイヤーで降下する寸前であった。それを中止させ帰還命令を出していた事実が明らかとなった。(米軍パイロットの証言)そのことは生存者たちの証言でも明らかだが、その証言は無視されていた。
日本側が墜落現場を特定し救出活動を開始したのはなんと12時間後のことであった。この遅さは異常である。なぜならばその救出をいち早く行おうとしていた米軍のパイロットたちは二機の自衛隊機を現場付近で確認していたからである。
つまり自衛隊は事故の二時間後には墜落位置を知っていたという事実である。事故現場から目視で自衛隊機が確認できたと言うことは事故現場の煙を容易に自衛隊機から確認できたはずだと言うことが導き出せるのである。
これはいったいどういうことなのか。。。。?
隔壁破壊がなかったとすると、なぜボーイング社は隔壁の修理ミスを自ら言い出したのか。。。?
シンドラー社ではないが自ら自分のミスを認める会社は欧米にはない。そういう感覚は持っていないのが欧米流である。わたしは今国家というものの恐ろしさを改めて痛感している。聖書がそれを獣として著す正確さをあらためて感じている。
もしもっと真実を政府が語っていれば私はあれが日航機であったことを証言できたであろう。...残念である。今さら隔壁破壊は嘘だと言っても始まるまい。
以下はあるブログにあった証言である。私たちのいた北軽井沢と菅平はそれほど離れていない。
「ドドーン」。
物凄い大音響が菅平の奥、峰の原の山々にこだました。
20年前、家族でペンションに休暇滞在中のときだった。
夕闇が早い山の薄暗い午後7時前、「何だスゲー音だ!!」と
子供達が口々に叫びながら、「落雷?」。晴れた空なのに?
Pensionでの夕食後、TVのニュースに見入ったら、
行方を追っていた自衛隊機が、御巣鷹山に炎上している
形跡の場所を発見。
それが墜落現場だった。
峰の原から、東南東の方向へ直線距離で約80Km。
時間的にもぴったしの轟音。
いみじくも今も耳にこびりつく「ドドーン」は、
墜落激突した時の音だった。
私の8月12日の誕生日に。
520人の上に冥福と、ご遺族の上に、
主の平安を祈りつつ。
ところで私の記憶はだんだん鮮明になりつながってきました。私たちは子供のトイレか何かで車を止め車外に出ていました。その時尾根の向こう側からフオー、ヒューン、グオーとジェット機にはあるまじきエンジン音が右に行き左に行き近づいてきました。かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そして上がりきるとかなり急な右旋回。そして今度は急激な降下をしながら来た方向と反対側の稜線の向こうに降りていった。その後しばらくまたあの変化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッと言う落雷のような強烈な音。そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷が落ちたようだねと言った。まさか墜落した音だとは思わなかった。その後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び回る音が遠くで聞こえるだけ。雷はその後鳴らなかった。これが私の記憶のしている当時の状況全てです。
この記憶を前提に、いろいろな疑問がわいてきます。まずは墜落したと思われる寸前の無音時間と最初の爆発音のような激しいバシッという音と、その後の機体の崩壊が進む時間を示すバリバリバリという長い衝撃音。
その間3秒ほどの時間があった。その時間差はボイスレコーダーの記録と一致する。事故記録によれば最初に導体の真ん中を尾根に打ち付け分解した機体がその斜面に機体が打ち付けられバラバラになったということになっている。私はこの3秒間とあのジェット戦闘機の高速で飛行するエンジン音は気になる。ジェット機の速度である最初に接触したとされる尾根の頂上から下の斜面でバラバラになるまで3秒の時間は長すぎる。3秒あれば尾根二つ三つ飛び越えてしまう速度のはずなのだ。最初のバシッという爆発音がどうしてもよけいなんです。そして私たちの耳に届いていたあの戦闘機のジェット音の正体は。最初に墜落現場に行ったのは米軍のC130輸送機とされています。でも私の記憶では直後から戦闘機が一機以上いたはずだと申し上げられるのです。自衛隊の撃墜説まで出てくるのはこう言った事実が存在するからだと思います。墜落の瞬間は山の遙か向こうで見ていませんので何も言えません。ただ私の記憶と事実とは調べれば調べるほど撃墜された事がより疑われる事実だったことが分かります。
みなさんに申し上げておきます。近くで銃弾を肉眼で見ることは不可能です。でも速度はマッハ1を超えます。本物のミサイルは映画と違ってマッハ2を越えます。それが意味することをさとってください。ただしまっすぐこちらに遠くから近づいてくる場合は砲弾でも見えるのです。ペンタゴンに突入した旅客機を近くの高速道路があり車がたくさん走っていた時間にだれも目撃できていない事実はそれがマッハを遙かに越えた飛行物だったことを意味しているのです。
写真1:小川さんの写真に写りこんだオレンジ色の発光体
あの窓から写したものは墜落間近に撮られた写真であればそれが何であるかは理解できるでしょう。低空であることから最初の衝撃とは関係ない写真でしょう。【転載終了】
しかも、墜落現場の遺体散乱状況は、誰が考えてもおかしな点が見受けられる。到底、物理学的な法則から墜落直後に散乱したとは、考えにくい。この点、planzさんが提起しているので、転載したい。
【転載開始】
日航123便事件の真相・・・遺体の飛散状況
「墜落遺体」飯塚訓 を読んでいて、どうしても納得いかないことがある。
現場の座席別の遺体の散乱状況図だ。
素人目にもこれを見るとどうしても腑に落ちない。
今更という内容だが、これが問題にならないのは絶対におかしい。
これは、かなり大まかだが現場に重ね合わせてみる。
逆さまの状態で墜落しているとの事なので最後部が衝突の勢いで折れて、すげの沢へ落ちるのは分かる。
その中の乗客が中でまとまって亡くなっているのも当然。
しかし、半分から前の乗客の飛び散り方はどう考えてもおかしい。
進行方向から考えてすげの沢方向に広がるのが当然だ。
地面に叩きつけられてからの飛散であるから風向きは関係ない。
なぜすべてが西方向へ飛んでいるのか。
東へはまったく飛んでいない。一つもだ。
そしてこれ。
よく知られた画像だが、誰がどう見ても東から西へすべてが飛ばされている。遺体の飛散状況と合致する。
間違いなくとてつもない力が現場全体に加わっている。そして爆風による焦げも放射状に焼き付いている。
その力は何か。ミサイル以外に考えられない。
後部が折れたのも、むしろミサイルの機体中心部への命中が原因なのでは・・・
その辺の疑惑を提示していないのは気になるところだが「墜落遺体」は必読である。
* もしかしたら、書けないだけで何かを伝えるための散乱図だったのか?
古い本だが、疑惑とは別に現場の異常な光景は身震いがするほどだ。
おそらく現場に居合わせたら発狂する可能性もあるだろう。
なんにしても、こんな異常事態を誰も追究しないのは絶対におかし過ぎる。
いつまで経っても忘れられる事ではない。
納得がいかない!【転載終了】
もう追記する必要はないだろう。明らかに空中で散乱し、地上に落下したものだろう。そして、その際、飛行機の進行方向以外の外力によって、散乱したものであろうと考えられる。
異常なのは、それだけではない。発見当初の撮影現場写真であるが、火災では考えられない発光現象が見られる。この事は前回記載の『落合証言』にも見られるように、『灰色っぽい、夕方の感じなのです。』と表現されている。
「1536.jpg」をダウンロード(クリックする拡大)
こうなると、普通の説明では事足りない。別の物理現象を想定しなければなるまい。そこに中性子爆弾説が登場する。今だに感知される放射線測定値など、重要視する必要があるだろう。
極めつきは、墜落情況の再調査が求められる。下載の画像を注視されたい。決して、飛行機は高速で激突したのではなかった可能性がある。表現するなら、ほぼ垂直状況で云ってみれば『ドスン』と地上に落下したのだ。周囲の立ち木との関係性はそれを物語っている。
とすれば、多数の生存者説も頷けないわけではない。その原因は蓉として知れないが、思考を柔軟にして考えれば、小説の話に戻るが、ウンモ星人云々の話が全く以て荒唐無稽と捨てきれなくなってくるのである。
その事は、読者諸氏の自由な検証に委ねたい。何も投稿者の話に追随する必要はない。何事も盲信する必要性はないわけである。同時に、投稿者の見解は見解として、排斥される云われもない。排斥されたとしてどうって事もないが・・・・・。
すると、直近に面白い情報に接した。コメント氏に依るが、どうも御巣鷹でUFOの撮影に出くわしたようだ。UFO=未確認飛行物体であることは、間違いない。氏のブログに掲載されていたので、速攻、転載しておきたい。
だんだんと繋がる御巣鷹の怪。この繋がりは、そのまま日航機123便墜落事故(事件)の暴露に繋がっていく。しかし、それだけに事は収まらないのだ。今回、その件には触れないが、近代の巨大闇事件、そして、現今の国際政治状況の謎が含まれている。これは確信である。
何れ、踏み込んでみたい。
【転載開始】ももはなブログさんより転載
123便墜落の真相究明と御巣鷹上空の不思議な物体
<前半省略>→全部見る
御巣鷹の尾根から上空を撮影したのだが、その中に、ちょっと不思議なものを発見した。
解り辛いのでちょっと画像を暗くする
@を拡大すると、このように上下左右対称形が現れた。
次にAを拡大
B
C
D
E
取りあえずいくつかピックUPしてみたが、拡大するともっと黒い点らしきものがわかる。
最初は鳥かと思ったが、この尾根は標高1565メートル。
そこから上空を撮影している。
また、秋の雲と呼ばれる鱗雲(巻積雲)は、上空高く高度5 - 15km程度に浮かぶ。
拡大する過程でデフォルメされるものなのかも知れないし、BやD、Eは横や縦に動きがあるので、鳥の可能性も十分にある。
けれど@には上下左右に影もなく、限りなく円形に近い形状と思われる。
123氏が言うように、やはりここには常識では理解出来ないような事が存在するように思われる。
昇魂の碑の真上にケムトレイル↓
【転載終了】
(以上、転載終了)
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