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近未来小説
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/772.html
投稿者 taked4700 日時 2010 年 10 月 16 日 13:15:14: 9XFNe/BiX575U
 

「やっと終わった。うまく行ったぞ。」つい、そう口に出ていた。首相になって2年、やっと2016年度の予算を組み終わったのだ。市民の生活が第一というスローガンの下、市民党が政権を取ってから既に7年がたっていた。最初の数年間はアメリカの圧力がひどくて、ほとんどまともな政策は取れなかった。しかし、やっと、原発から地熱発電へのエネルギー転換が進みだしたのだ。原発は危険、東海地震が起こる、耐震設計が出来ていない、高レベル廃棄物の処理がだめ、、、、結局大丈夫だったじゃないか。原発はあと10年でほとんどすべてが運転を停止する。運転を停止しても核燃料がある限り危険だと言うが、運転しているよりも安全だ。ともかく兄さんに電話をしよう。

「やあ、兄さん。安心していいよ。これから地方経済もまわり出すからアトムの売れ行きも回復するよ。」
「本当か?もう一年早くそう言ってくれていれば、5店舗は閉めなくて済んだぞ。」
「そう言いなさんなって。これでもアメさんとの交渉は大変だったんだ。ともかくこれからの有望地域は九州と東北、北海道だ。」
「ああ、富士山電気もそう言っていた。これから店舗併設の小型地熱発電施設を作ってもらう予定だ。」
「政府の補助金は出せないけど、銀行は喜んで融資するはずだからうまく行くよ。じゃあまた。これから遅い昼飯だから。」

アトムは総合スーパーとして日本の小売業に君臨していた。ただ、あまりに急激に業績を伸ばしてきたのでこの10年ほどの不景気に経営の内実はかなり厳しかったのだ。中国や南アジアへ進出するはずがあまりうまく行かなった。以前アトムの社員だった花井がやっているカジュアルウェア専門店ムーンロードのほうがよっぽどうまくやっていた。KeepHeatとSkyGranceという下着がヒットして、日本国内はもとより中国、インドにも大規模に進出、世界第2位のカジュアルウェア売り上げを誇っていた。だから数年前から両ブランドのアトム内での取り扱いも始めていた。Keepheatは保温性に優れた下着、SkyGranceは体臭を消し汗をかくとかえってそれが芳香に変化すると言う下着だった。

「なんであいつだけなんだ。幾ら儲けたんだろう。」そう言いながら机の上のインターホンを押して秘書官を呼び出した。「今日は疲れた。午後の自治労との会合は官房長と幹事長でやってほしい。自治労の上川委員長には自分から電話で言っておくから。」財政は火の車だった。それでも公務員給与はまだ優遇されていた。来年度はいよいよ本格的な切り下げに入る予定だった。しかし、地熱発電の大幅導入で切り下げの必要がなくなるかも知れないのだ。

「もしもし、上川さん?岡川です。」「はい、首相、今日は大変でしたね。」「ええ、やっと通過しましたよ。ところで、申し訳ないが今日は自分は欠席させてもらえませんか。どうも疲れてしまってね。」「それはそれは。了解しました。給与切り下げの件は官房長から話を頂けるのですね。」「そうそう。千石官房長からいい話がありますよ。」

「千石さん、そんなにうまく行くのですか?」「言ってみれば今までは無駄金を使っていたのが、これからは生き金を使うことになるのです。安心していいですよ、上川委員長。今まではたとえば植物園を作っても人があまり来なかった。入場料収入で経費を賄えなかったのです。いくら立派な施設を作っても赤字経営で結局事業を中止するしかなかった。しかし、今度の地熱は違うのです。地熱自身が富を生み出すのです。市民生活が第一。市民の基本的欲求に最も合致するのが地熱です。24時間いつでもゆっくり温泉に入れる。付帯施設で養殖した魚の刺身も安く食べれるし、マンゴーだって周年で実りますよ。」「そりゃいいですね。でも財政は違うでしょう。」「いいえ、いいんですよ、これが。今までは自然に逆らって経済を回してきた。北風が吹きつけ雪が積もるところに家を建て、石油を掘ってそれで暖房をしてきた。人間が若いうちはそれだけのエネルギーもあった。人間自身にエネルギーがあったんです。ところが高齢化してきてそのエネルギーがなくなってきた。そのため、最近は国が公費で石油を掘って暖房をしているのです。これで財政が持つはずがない。だから、今度は各家庭で温泉を掘り、そのお湯で暖房しようと言うこと。」「原発は無駄でしたね。」「それを言ったらいかんよ。ただ、これで新規の原発関連費用はなくなるから、財政負担はかなり軽くなる。年に1兆円以上最近でもかかっていたのが無くなるのだから。」「けれど地震が起きなくてよかったです。みんな原発を直撃しなかった。」「そうだよな。市民党政権になってM7越えの地震が4回起こっているが、どれも原発から離れた場所だった。日本は本当にやばい時は神風が吹くからね。神様が付いているんだよ。」

ムーンロードの本社会議室でCEOの花井は資料説明を受けていた。今年春から検討を続けてきた2016年夏物の売り出し計画についてだった。中国やインドといったアジアだけでなくアフリカ、南米、北米、ヨーロッパの世界各国で一気にSkygranceブランドを広めると言うものだった。後進国については無料で15歳から20歳の年齢層に少なくとも一着ずつ配布すると言うプログラムや、高校や大学への売り込みのため校章を無料でプリントすること、環境保護をうたった各種ロゴをTシャツの売り出し、夏休みを利用した高校生クイズ大会や海外留学プログラムなど、さまざまなプロモーション戦略が書かれていた。どれを見ても、先端的で合理的、環境に配慮したクリーンな会社というイメージが前面に押し出されていた。既に5億着の発注は済んでいてその半分程度は完成品となって各国の倉庫へ配送されているはずだ。今日の決定は追加生産の25億着についてだった。これがうまく行けばCEOの自分に入る収入は100億円を超える。多分来年には資産が1兆円を超えることになる。いったい幾らまで増えるのだろう。1000億円を超した頃から既にあまり興味はなかった。幾ら資産が増えても寝るのにベットは一つしか必要がない。食事も関係がなかった。小さい時に食べた学校給食のカレーの味に勝るものはなかった。金があるのに越したことはない。しかし、既に十分だ。単に銀行の残高が増えるだけだ。

アトムに入社して数年たったころだった。上司に呼ばれてカジュアルウエアの仕入れ担当への移動を言われた。「おい、花井、来月から衣料品担当だ。もう会えなくなるな。」妙によそよそしかったのが印象的だった。実家が衣料品店をやっていたから移動はそのせいだと思った。ところが、しばらくして社長の岡川哲也に呼ばれ独立を勧められたのだ。その時に紹介されたのが今の部長の加治だった。加治は素晴らしく有能だった。新規出店にあたっての銀行との交渉、地元商店会や自治体関係との調整、商品の企画などなど、ほとんどみな彼が仕切っていた。それでいて全く表に立とうとしないのだ。昇給も望まない。本当にいい人材を岡川は紹介してくれていた。今のムーンロードがあるのは加治のおかげであり、加治を紹介してくれた岡川のおかげだ。同時にあのころは日本全体の景気がよかった。だから、本来はアトム自体が衣料品関連で業績を伸ばすことが出来たはずだった。なぜ岡川は自分を独立させたのか、それが疑問だった。

午後3時、アトム本店の危機対応室のテレビ画面が切り替わった。北海道積丹半島近海でM7.2の地震が起こったと言う知らせだった。震度6強の揺れが観測されていた。津波の恐れがあり沿岸部の住民に避難警報が発令。泊原発は緊急停止が無事されている。アトム系列のスーパーが近郊にあるので、緊急救援の物資の送り出しが必要だ。加藤は電話を取り、役員秘書課へ連絡を入れた。被害程度に応じて3000万円までは危機対応室の独断で動かせた。今度はM7越えなので従業員にも被害が出ているはずだ。ひょっとしたら1億円を超えるかもしれない。「岡川CEOに許可を取りたい。プログラムCの発動が必要だ。20分以内に返事をくれ。」プログラムDでもいいのかも知れなかった。ただ、北海道の経済は冷え切っていた。少しでも生活の足しになれば多少の負担は飲んでくれるだろう。それに、今度地熱発電プログラムが日本中で動き出すと言う話だった。地方経済が主役の時代の幕開け、そういった期待が北海道でも高まっていた。ここで災害援助を大々的にやれば一種の先行投資にもなる。もともと社長の岡川哲也自身が災害経験者だった。5年前、郷里の山口でM7.5の地震が起こり、生家がつぶれてしまった。危機対応室が出来たのもそれがきっかけだった。全社員向けのビデオスピーチで岡川は言ったのだ。「日本は地震の頻発期に入っている。市民の生活基盤を我々が荷なっている。いつ、どこで災害が起ころうとも、生活物資を送り届けるのが我々の使命だ。その司令塔に危機対応室がなってもらう。加藤君はその初代室長だ。災害時は一分一秒を争う。だから、必要なときは私の権限をそのまま加藤君に移譲する。危機の時加藤君が私だと思って行動してほしい。」それでもCEOはCEOだ。できる限り許可を得なければいけない。

「ミキ、大丈夫かい。」大輔は椅子に座りこんでいる妻に声をかけた。札幌でも震度3の揺れがあった。ただ、大輔たちのアパートはいつも揺れが大きく、食器棚の皿などもかなり音を立てて揺れたのだ。「びっくりした。でも、今度も原発に直撃しなくてよかったね。あの反原発運動の人が言っていたけど、耐震設計はあてにならないのでしょう。特に、衝撃波が来たら原子炉そのものが壊れると。」「どうかな、一応政府は安全だと繰り返している。だいたい日本中で50基以上原発があるのだから危険だったら作らないと思うよ。」「そうね。」「それより、赤ちゃん、大丈夫?びっくりしただけでも影響があると言われたし。」「大丈夫、大丈夫、任せて。もう400万円以上も使っているし、これ以上かけてだめなら私たちの家は断絶だわ。」「おいおい、冗談はやめてくれよ。何とか後釜を作らないと、俺なんて会社で未だに一番若いんだぜ。」「未だにお茶くみやってるんでしょう。下っ端だから。入社15年の下っ端。」からかい半分にそう言いながら、内心、ミキは不安だった。中学や高校の友人たちも皆不妊に悩んでいた。職場の同僚もそうだった。大学時代に同じゼミだったものが10人ほどいたが半数が未婚で、残りの半数も一人しか子供のいるメンバーはいなかった。急激に少子化が進んでいた。出生率は既に1を割り込んでいて誰もかれもが不妊治療を受けようとしていた。ミキも30歳になった5年前から不妊治療を受けていた。5歳未満の子供がいる家庭には月に5万円の幼児手当が支給されているが、そもそも妊娠しないのだ。「KeepHeatを買っておいでよ。アトムでまた災害支援バーゲンをやるはずだから。」「そうね。暖かくしておくともっといいかもね。未来の息子又は娘のためにKeepHeatを。」

今日は久しぶりに幹也に会う。幹也、馬鹿な奴だった。高1でぐれ始め、高3の時には女に手を出すようになったのだ。最初のころはなんとか内密に納めることが出来た。しかし、8年前の事件はだめだった。遊び仲間の夫婦の小学生の娘をレイプしてしかも殺してしまった。BBに頼むしかなかった。警察はうまく近所の知的障害者を犯人に仕立て上げてくれた。手慣れたものだ。もうかなり同じようなことをやっているんだろう。世界中で同じことをやっているはずだ。BB, BigBrotherのやることに抜かりはない。自分のように首相になったり大統領になったりして、家族が薬漬けになっている例は自分が知っているだけで6例以上あった。日本の政治家で4人、アメリカで1人、イギリスで1人だった。そのうち一人は交通事故で死に、もう一人は自殺をしていた。しかし本当に死んだのか?それは分からない、分からないのだ。幹也の場合もBBから話があった。交通事故で死んだことにして、フランスかロシアあたりで人生のやり直しをやれると言うことだった。死体は幾らでも手に入る。ただ、妻のことを思うとそれも出来なかった。心底自分を信じてくれている妻をこれ以上悲しませるのはなるべく避けたかった。

「リリアン、今夜は幹也に会いに行ける。10時過ぎには着くから。」「はい、お待ちしています。10時過ぎですね。」受話器越しに短い確認の言葉が返ってくる。リリアンは韓国系アメリカ人だった。7年前から幹也の御守り役として24時間身近についてくれているのだ。幹也は一見正常人だが、既に薬漬けで、自分の意志はなくなっていた。表向きは美術商で、リリアンが秘書をやっていることになっていた。本当はリリアンと会えることが楽しみなのかもしれなかった。半年以上会っていない。妻とも会話が無くなって既に2年がたっていた。安心して酒が飲めるただ一人の相手がリリアンだった。今日はぐっすり眠れるかもしれない。

そう思ったとたんにドアがノックされた。「首相、地震です。M7.2、場所は北海道積丹半島近海です。泊原発は無事自動停止しました。」一瞬ビクッとした。今度こそ原発が直撃されたのかと思ったのだ。「全閣僚に連絡を入れています。10分後に官邸で危機対応会議。1時間後には全閣僚集合の予定です。」「分かった。予定通りやってくれ。」ああ、またリリアンに会えない。専用の携帯電話を開き、リリアンに連絡をした。

アメリカ、テキサスの山中にある地下基地で会議が行われていた。巨大なスクリーンに世界地図が映されていた。国別の人口増加率、人口密度、エネルギー消費量、食料消費量がそれぞれの国ごとに表になっていた。「アフリカとヨーロッパは予定通りです。中国とインドは7%の遅れが出ています。反対に日本は5%の超過達成です。中東及び南米もほとんどが超過達成です。」「問題点はないのか。」「ないでしょう。すべて予定通り進んでいます。」「ただ、最近地震が多くないか。イランやイラクなどの中東地域でもかなり大きな地震が起きた。正に海が割れるような地震だったと言うじゃないか。」「いいえ、これは却って我々に有利なことです。すでにイラン、ベトナム、タイ、ラオスに原発が完成しています。地震が直撃すれば必ず大きな災害になります。正に時限爆弾の炸裂です。」「損害賠償の責任は各国政府にあると言う契約だし、もし何かあっても日本が矢面に立つから我々は責任をまのがれる。この作戦はうまく行っている。」「そうだ。これは自然災害だ。しかも、彼らはエネルギーが必要だったのだ。彼ら自身が原発の導入を決め、その危険性も我々はちゃんと説明している。」「タボス会議でも了承されていますしね。資源の奪い合いによる戦争よりはずっとましですから。おまけに原発はわが国もあります。国別の原発数はアメリカが最も多いのです。我々自身が同じリスクを背負っているのですから、誰も文句をつけることなどできませんよ。」「不法移民も増えて、アメリカ経済の下支えに彼らは非常に役立つ。労働者の不法入国大歓迎だ。」

ドイツ、ドレスデンの小さな化学工場で実験が行われていた。繊維に染み込ませるマイクロカプセルの洗濯実験だった。既に30回程度の洗濯なら洗い落ちないところまで来ていた。これを100回まで高めることが課題だった。着ているだけで薬剤が体内に取り込まれていく。微量のミネラル成分は皮膚から吸収が可能で成人の健康管理に役立つし、糖尿病などのインシュリン摂取にも使えると言う話だった。最初は、洗濯ごとにマイクロカプセルをスプレーすればいいじゃないかと思った。ところが、医師のいない地域では、一回のスプレーで半年使えるようにする必要があると言うのだった。繊維表面の細孔とマイクロカプセル表面の突起がきれいにかみ合うことが重要だったが、50回を超えて洗濯をすると急激にカプセルの脱落が起きるのだった。繊維が微妙に伸びるのとカプセル自体が動いて突起が取れてしまうようだった。一月後までに完成させることが出来たらポーラアンドポール財団から200万ドルの報奨金が来ることになっていた。2か月後になればそれが半額になってしまう。繊維の撚り具合を工夫すれば行けるかもしれなかった。布地表面にマイクロカプセルが付着しているから洗濯などで摩耗が起き、カプセルが動いて脱落が起こる。繊維と繊維を撚ると、繊維と繊維の間にわずかな空間ができるのだ。その斜面にマイクロカプセルの付着が可能なら100回ぐらいの洗濯で脱落は起きないはずだ。しかも、皮膚表面は十分に柔軟だからマイクロカプセルとの接触面は十分に取れる。

加治は迷っていた。この作戦で出生率は確実に2を割るだろう。これで地球の人口問題は解決される。しかも誰も傷つけることなしに。エイズの時は違った。いや、エイズ自体は死ぬような病気ではない。ただ単に免疫機構を壊すだけだった。自分もそう説明を受けたし、事実その通りだった。ただ、現実は悲惨だった。エイズにかかり免疫機構が壊された患者はカリニ肺炎など慢性病に侵され、長い時間をかけて死んでいくのだった。痩せこけ皮膚に死斑が出た患者を見るのは嫌だった。一時期マスコミに取り上げられたが、直ぐに報道が止まった。BBに誰かが苦情を言ったのだろう。今度のプロジェクトで30億枚のSkyGranceがアジアを中心に販売される。10億枚は子宮への卵子の定着そのものを妨げる薬剤が、同じく10億枚は卵子の成熟を妨げるものが、そして残りの10億枚は全く何も加工していない本来のSkyGranceだった。SweatTriggeredVaccine、よく考えられていた。3年前にこの計画の話が来た。それ以来ずっと準備をしてきたのだった。「これ以外やり方はない。」そうつぶやいて今朝は起きたのだった。そして、今日の会議で予定通りの実施が決まった。「これは花井のプロジェクトだ。儲けはみんな花井へ行く。自分は単に使命を果たしているだけだ。これは正義だ。たとえ薄汚れていても、この地球の、この人間の世の正義はこれしかない。」そうつぶやきながら、5年前に部長から言われた言葉を思い出した。「汚れた正義。しかし、血みどろの正義よりましだ。」ただ、それでも心の奥底で迷いがあった。

「克也、こっちへおいで。一緒にブドウを食べよう。」ブドウの甘さ、祖母のか細い声、弱い弱い声だった。ただ、ほんの少しだったが確かに温かさがあった。そう、夏の日だった。裏庭の井戸の水で洗ったブドウをよく祖母は食べさせてくれた。無造作に種を吐き出して、飛ばせてみせると祖母はそれを喜んでくれたのだ。「首相、では自衛隊派遣はなしでいいですね。」千石官房長がこちらを見ていた。もちろんだと言うようにうなずいた。何も考えることはない。全てはシュミレーションのとおりだ。俺は鏡。ずっと鏡だったんだ。「克也、こっちへおいで。一緒にブドウを食べよう。」小学校に上がる前だった。安心してそばに居れた。俺は俺、誰のものでもない。誰かの期待に応える必要はない、誰かに見られていると思う必要がない、ほっとできる場所、それが祖母のところだった。疲れるといつも祖母の記憶がよみがえる。リリアンに会いたい、そう思った。「首相の現地視察はいつにしますか?今日は未だ現地が混乱していますから、明日か明後日ですが。」災害担当の秘書官が聞いてきた。「早いほうが良い。明日にできますか。」何も考えなくとも自動的にそうセリフが出てきた。

アトムの危機対応室で加藤はほっと一息ついた。物資の調達と人の手配はついた。M7を超えていたが、都市の直下型ではなかったから被害はそれほどでもない様子だった。心配されていた津波もたいしたことがないと言う報告が来ていた。地盤の横ずれが原因の地震のようだ。正断層も逆断層も地盤の縦方向の跳ね上がりが起こるが横ずれなら縦方向の変異が少ない。兵庫県南部地震と同じのはずだ。1995年、阪神大震災と呼ばれる地震被害を出した地震だった。横ずれ断層には2種類ある。トランスフォーム型とそうでないものだ。積丹半島の近くにはプレート境界がある。プレート同士が横ずれするものがトランスフォーム型だ。今日の地震は7.2で兵庫県南部地震よりも0.1小さかった。もしトランスフォーム型が起こっていれば被害はどうしようもないほどになる。そうなれば泊原発にも被害が出るかもしれない。危機対応室の室長として、加藤は日本の最大リスクは原発だとよく理解していた。そうだ、大輔に電話してみよう。姉の息子の大輔が札幌近郊に住んでいた。被害の状況はよく分かっているつもりだったが、一般市民の目から見た実感も知りたかった。

「もしもし、アトムの加藤ですが。」そう言うと、聞きなれた声が返ってきた。「ああ、おじさん。大丈夫ですか。大変でしょう、地震対策が。札幌は多少揺れたけど特に被害はないです。もうアトムで災害救援のバーゲンをやると言うコマーシャルが出ていますよ。」「そうかい。みんなもうプログラムが出来ているからね。今回はプログラムCだから、一週間から一〇日はバーゲンをやる予定だ。被災地ボランティアも50人は行くはずだが、何か気が付いたことはないかい。」「建物被害も100戸行かなかったようだし、まあ、ホッカイロかな。さすがに北海道は寒いですからね。ああ、そうだ、さっき、ミキが帰ってきて、高齢者用のKeepHeatがあればいいなと言ってましたよ。デザインや色があまりに素晴らしすぎておじいちゃんやおばあちゃんが気おくれしているみたいだって。」「そうか。それは確かにこちらでも課題になっているんだ。ただムーンロードは若者向けファッションだからね。」そう言いながら加藤は自分でも疑問だった。既に日本の平均年齢は50歳を超えていた。5年前と4年前にかなりな新型インフルエンザの流行があり高齢者が10万人単位で亡くなった。あれがなければ日本の平均年齢は55歳を超えていただろう。

川崎の郊外にある自宅へ歩きながら上川幸一はひとり呟いた。「また地震だ。次はやばいだろう。」今日で5回目だ。5年でM7越えの地震が5回。幾ら神風が吹く国でもこれは異常だ。原発に直撃したら大変なことになる。これが政府中枢の誰もが心配していることだった。ただ、一般市民向けには原発は安全だと宣伝していた。幸運にも原発直撃の地震が起きていない。確かに今までは神のご加護があったのだ。千石官房長の言うとおりだろう。しかし、そうそう幸運は続かない。自治労委員長として既に3年務めてきた。来年は60歳。もう引退の年だ。今晩こそは妻に言わなければ。そう、移住のことだった。それも南半球、オーストラリア、パースだ。原発も地震もない国、そして日本人コミュニティがあって近所付き合いが適当にできる土地。パース以外には見つからなかった。ただ妻は反対だった。日本国内での移住でさえ嫌がっていた。子供夫婦とあまり離れるのが嫌なのだ。「孫の顔が見たい」いつもそう言って移住を嫌がるのだった。問題は原発が危ないことを言えないことだった。自治労委員長として自分は千石さんから原発震災のことを一年ほど前に聞いたのだった。1997年、兵庫県南部地震の2年後に既に原発震災のシュミレーションが政府内部で行われていた。原発直下でM6以上の地震が起きたら日本本土での居住はどこも無理というのが結論だった。八丈島か沖縄ぐらいしか放射能の影響を免れる場所はない。「仙石官房長はいかがされるのですか」「いや、俺は古い人間だからね。神様を信じるよ。日本に、東京に骨を埋めるよ。」立派な判断だと最初は思った。さすがは政治家、骨のある人だと思った。しかし、それでいいのだろうか?あと10年は原発の全廃に時間がかかるのだ。しかも、運転停止後も燃料棒や使用済み燃料はそのまま残る。北海道の稚内の近くに新たに貯蔵用のサイトが作られたが、たまっている使用済み燃料の3割も貯蔵できないのだ。電力会社の幹部連中はどう考えているんだ?疑問だったが官房長に聞いても教えてくれなかった。


SkyGranceの販売は好調だった。加治の計画通りすべては進んでいた。3種類のSkyGranceは地域ごとに比率を変えて販売されていた。アジアの地域本部も販売店の連中もこのことは誰も知らなかった。KeepHeatやSkyGranceの仕組みを知っているものはごく限られていた。ムーンロードでは、本店管理部の自分を入れて3名だけだった。花井にも知らせていなかった。岡川の兄弟にはBBから連絡が行っているはずだった。アトム社長の岡川哲也、市民党代表で現首相の岡川克也だ。しかし彼らにしても自分のことは知らないだろう。BBの組織は秘密だらけだった。直属の部下以外誰が組織内部の人間か、まったくわからなかった。ただ、ニュースを注意してみていると政治家や著名人の誰と誰は組織の人間だと見当がついた。半年ほど前セーフハウスで一緒になったスーに聞いてみたらそう認めた。スーは岡川首相の息子の面倒を見ている。セーフハウスで顔を合わせる仲間内ではある程度の話が許されていた。

「どうしよう。申し訳ない。」大輔にどう話せばいいか、そう思いながらミキは心の中でつぶやいた。地震から2か月が過ぎ、順調に経過していると思っていた。ところが今日、医師が残念そうな顔をして「卵子が存在しません」と言ったのだ。何の異常も感じなかった。体調には本当に気を使ってきた。外出には必ずKeepHeatを着た。東京に住んでいる叔父がKeepHeatを新しく3着送ってくれていたのだ。

サラ・ルース大統領は不機嫌だった。イエローストン地域で火山活動が活発化したのだった。専門家の話では既に数年前からこの傾向が続いていて、非常事態宣言は予定のことだった。ただ、大統領である自分には事前に知らされていなかった。つい2時間前に起こされて、約1時間説明を受けたところだった。一時間後の午前6時に大統領による臨時テレビ演説が予定されていた。イエローストン地域で地震微動が続き火山活動の活発化が続いていること、ガイザースの地熱発電設備が休止する可能性があり、停電する世帯が数万出る可能性が強いこと、連邦政府は万全の態勢を取っており、各市民は州政府の指示に従って行動してほしいことだった。特に問題となることはないと専門家全員が言っていた。

「そうだ。トムに電話しよう。」サラはそうつぶやいてオーバルオフィイスの電話を手に取った。今朝は久しぶりに夫と水入らずの朝食をとる予定だった。いつも定時に起き、朝のジョギングを欠かさないトムのことだ。5時40分の今ならちょうどジョギングに出かける支度をしているはずだった。呼び出し音が3度鳴った。いつものように出るのが遅い。トムはいつもそうだった。怒っているのかしら。でも、彼も承知のことじゃない。今日は少し脅してあげよう。「ハーィ、サラ。ごきげんよう。」トムの声が聞こえた。愉快そうな声だった。よし、脅かすぞ。「トム、緊急事態よ。イエローストンで大きな地震が起こるわ。そして、それが東部にも波及するはずですって。テキサスが安全だから子供たちにも伝えて、なるべく早く、、、」そう言いながら急に足を払われたような衝撃を感じた。体が浮き上がり、デスクの上の書類が宙を舞った。

エリー湖畔の原子力発電所は3つあった。そのすべてで緊急警報が鳴り響いていた。冬の太陽が昇るにはまだ数時間あり、ライトで照らされた構内を作業員が何やらわめきながら走っていた。緊急炉心停止装置が動かない、制御棒の脱落が起こった、炉心の温度がモニターできない、、、。

テキサスの軍の地下会議場でウィルヘルムはモニター画面を見ていた。エリー湖からケベックに至る断層が横ずれしたようだった。航空写真で見るとこの地域に断層があるのは明らかだった。ただ、過去数百万年動いた形跡がなかった。北アメリカ大陸の東部地域はそもそもプレート移動の圧力を受けていない。だから当然地震も起きない。専門家は誰もがそう言い、自分もそれを信じてきた。

急にドアが開き、国家安全局担当のフィル・ブラウンが入ってきた。「長官、緊急事態です。エリー湖からケベックに至る地域で全ての原発、9か所の原発が全て地震で破壊されています。原子炉は計17基、正常停止しているものは元々定期点検中の5基だけで、その他の12基はみな運転停止が出来ず、炉心モニターもできないそうです。」「了解した。予定どおりやってくれ。」何事もないようにそう答えて、またモニターに目を移した。食料や水、エネルギー、酸素まですべてがここにはそろっている。10年は楽に地下で暮らせるのだ。5000人を超えるメンバーがこの地下基地にいるがやろうと思えば地上に出なくても一生この地下世界で生活ができるはずだった。

全てのリスクに備えよ。それがBBの掟だった。そして、人類が直面する最も大きなリスクは人口増加だった。戦争は既に無理だった。核兵器を多くの国が持っていて、共倒れになるからだった。常に10以上の人口削減計画が実行されていた。だからもう10年以上大規模な戦争は起きていない。「血みどろの正義よりも汚れた正義を」そう口の中で小さくつぶやいた。目的合理主義、それがアメリカの伝統だった。プラグマティズムの国アメリカ、世界平和を守ることが我々BigBrothersの使命なのだ。

始むるを許されし我が業を成し遂げさせ給え。 花咲き満つべしとの保証はなくとも、 我をして一切を与えさせたまえ。

 

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コメント
 
01. 2010年10月19日 04:20:27: lGNDKvYXUp
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/62454083.html

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/index.html


02. 2010年10月19日 04:22:25: lGNDKvYXUp
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020407.html

01の2番目のリンクはまちがえ。上のリンクが正しい。


03. 2010年10月20日 16:16:06: lGNDKvYXUp
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2112.html

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