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心&身魂のアセンションブログ 様
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日本航空JAL123便 墜落事件B
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(以下に全文転載)
(日本航空123便 墜落事件Aからの続きです。)
日航123便の残骸について1985年9月20日号の週間ポストに興味深い記事があるので引用します。
「この金属片には白い塗装と赤がかったオレンジ色の塗装が地上を引きずったようについている。
そして不思議なことに、これには1箇所に集められた日航機の他の残骸と違い、機体の位置を示す荷札もついていない。
当初は後部胴体の外板の一部かもしれないと思ったが、日航機はオレンジ色を使用していないという。」
普通、自衛隊は写真にもあるように、実戦ではない演習用のミサイル等にはオレンジ色の塗装を施します。
また、墜落したJAL123便の遺品の中から座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)は、尾翼が吹き飛ぶ6分前、飛行機の窓から123便を追尾するように飛行してくる物体に気がつき、それをカメラに収めています。
1990年10月14日付の朝日新聞朝刊一面に掲載されたこの写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。
・・・・・JAL123便は墜落事故などではく、撃墜事件だったのではないか?
(飛鳥昭雄作、アトランティア「KATOU」より)
北陸大学調査役の池田昌明氏によれば、謎の飛行物体として現在考えられているのは、1985年当時鋭意開発が進められていた沿岸防衛用国産追尾型巡航ミサイル「XSSM-1」の爆薬の搭載されていない演習用ミサイルではないかと考えています。
また航空評論家の関川栄一郎氏は、誘導ミサイルの精度を確認する無人標的機ではないかといっています。
では、もしこの仮説が正しかったとして、一体何故、自国民を守るはずの自衛隊が自国民を攻撃(誤射)してしまったのか?
この裏には誰もが思いもよらぬ巨大な陰謀があるように感じます。
では、その陰謀とは何か?
これを知るには、まず当時の社会情勢、とくに日米関係を再確認しなければなりません。
当時の日本の首相は中曽根 康弘。任期は1982年11月〜1987年11月、71,72,73代の3期を務める長期政権でした。
そして、中曽根内閣は小泉内閣に次ぐ歴代4位の長期政権です。
中曽根首相はレーガン大統領との間に個人的な親密関係(ロン・ヤス関係)を築くことにも成功して日米安全保障体制を強化しました。と、同時に米国への隷従と取るむきもあり、また、“ヤス(中曽根)はロンの使い走り”と批判されることもあります。
過去においても、日本の首相が長期政権の時は決まってアメリカの子飼いとなっている事が多く、それに抗った首相は、自ら退任するかスキャンダルを起こされるか心筋梗塞などの突然死を迎えるようです。
私が言いたいのは、どの首相が悪いということではなく、要は日本の首相の在任任期の長さが、アメリカの飼い犬度のバロメーターとなっているという事です。
(中曽根 康弘の経歴は、首相になる以前に大日本帝国海軍学校にて初任教育を受けた後、海軍主計科士官となって広島県「呉」の司令部に配属されています。ちなみに「呉」とは、先ほどの疑惑を持つ護衛艦「まつゆき」の現在の母港です。)
当時の中曽根内閣は、国防政策として、武器輸出三原則や軍事費のGNP1%枠を撤廃したがっていました。
また世界最先端の軍事技術を、アメリカの監視のもとで開発する国防政策を推進していました。
何故こんなに軍事に力を入れていたかというと、一つにその時代背景は、ソ連が大陸間弾道ミサイルSS20をヨーロッパに配備していたということが挙げられます。
それに対抗する形でアメリカはパーシングIIを配備しようと計画しており、東西冷戦構造が一段と厳しさを増し、一触即発の事態にもなりかねない核の脅威の中で、各国首相は厳しい外交の舵取りを行っていました。
そんな中、アメリカのレーガン大統領は、アジアがまったく無防備であることを念頭において、日米共同宣言の中で「日米で価値観を一体にして防衛にあたる」とし、シーレーン(Sea lane)防衛を推進しました。
では「シーレーン防衛」とは何なのでしょう?
日本は現在でも食料やエネルギーの約7割を海外に依存しています。
エネルギー資源だけでなく、様々な資源を海外に依存している海洋国家である日本にとって、この資源を供給するルートの確保は重要な問題なのです。
そのいくつかある海上ルートを「シーレーン(Sea lane)」と呼び、このシーレーンの安全を確保することは、今も昔も日本にとっては死活問題なのです。
しかし、このシーレーンの安全が脅かされることによって、日本の諸活動が大打撃を受けることもひとつの大きな「有事」であることが未だ十分に認識されていません。
現在も、アメリカ軍事に頼ることによって、日本のシーレーンは安全がどうにか確保されている状況です。
Friedman & LeBard(1991)は、日米関係のシミュレーション論(Coming War with Japan)において、戦後、日米安保の上に米軍が無条件に保証してきた以下の4点が放棄された場合、日本は一気に潰れてしまうと言っています。
1)ペルシャ湾岸からの石油供給に関する供給国確保の放棄、もしくはシーレーンの放棄。
2)石油供給に対する輸出市場へのアクセス・ルートの確保の放棄。
3)確実な供給源からの鉱石の持続的な輸入の確保の放棄。
4)アジア大陸からの脅威に対する日本の地域安全保障の放棄。
この4点はあくまでも米軍にとっては日本のために行ってきたボランティア的なサービスに過ぎません。
もし日米関係が悪化し始めればこのサービスは即時停止されます。
日本のシーレーンを日本の自力で確保しなければならないときが必ず来る・・・・。
「有事の際は、日本列島を敵性外国航空機の侵入を許さないように周辺に高い壁を持った船のようにする」
この気持ちが乗じて結果、あの有名な中曽根首相の「日本は不沈空母である」発言につながり、様々な論議を呼びました。
しかし、もしこの当時の日本の焦りの気持ちを逆手にとられ、手玉に取られてしまったとしたらどうでしょう・・・。
先ほど“世界最先端の軍事技術をアメリカの監視のもとで自主開発する国防政策を推進していた”といいましたが、その具体的な目玉は、国産巡航ミサイルの開発です。アメリカはこの日本の技術を自国の巡航ミサイルの中心部分に組み込み、あの「トマホークミサイル」を完成させました。
JAL123便の垂直尾翼が吹き飛んだ相模湾海上での追尾型ミサイルの発射訓練は当時シーレーン防衛を日本に勧めていたアメリカとの合同軍事訓練だったそうです。
アメリカは日本の新型ミサイルの共同開発者なので、ミサイル標的のロックオン解除、再設定は容易な筈です。
これは完全なる私の憶測ですが・・・、(こんなこと記すと怒られるんですが・・・誰かもっときっちり納得のいく説明できる人いたら教えて下さい。お詫びして訂正します。)もしアメリカ側が前もってJAL123便の航空ルートと飛行時間帯を調べ、上空を飛行する事を計算した上で、日本側に隠密に護衛艦「まつゆき」の追尾型ミサイルの標的を123便への再設定をしていたら・・・。
そして、事の成り行きを隠蔽するように助言、日本側がその通りの行動をしたら・・・(本当にすいません、こんな形でしか表現できなくて・・・)
(ちなみに当時のJALは半官半民で政府の出資率は34%、政府の圧力をかけ易かった。)
アメリカは戦後最大の日本の弱みを作り出し、そしてその弱みを握ることになります。日本はまんまとアメリカの仕掛けた罠にはまった事になります。
(→飛鳥昭雄作「KATOU」より)
その根拠?のひとつに、後の日本のバブル崩壊後の不景気を引き起こす原因となり、当時でも日本側に不利益しかもたらさない悪名高きアメリカの身勝手プラン「プラザ合意」を、航空機事件直後の同年1985年9月22日に、日本側は何の反論もなく受諾しています。
そして、窮めつけはJAL123便の航空機事故の主原因となっている「圧力隔壁の修理ミス」。アメリカ・ボーイング社は当初は事の真相を知らなかった為、「修理は完璧に行われた」と頑なに否定していました。恐らくこれは真実だったのでしょう。
しかし、不可解なのはその意見を意図も簡単にボーイング社自ら180度ひるがえします。
一体どんな裏取引が行われた結果、ボーイング社は濡れ衣をかぶるような「損な役目」を引き受けたのでしょうか?
それは、当時から現在に至るまで、日本航空と日本政府が、ボーイング社製品を購入し続けるよう、年次計画的にアメリカに強制されていることで説明できます。
もし、あなただったら、人命に関わる修理ミスを起こしたとする会社の製品を購入し続けますか?
しかし、日本は今も昔も、「世界最大の航空機事故を引き起こした原因はウチですよ」と自認するボーイング社の世界一の上得意顧客なのです。
そして日本の自衛隊は田母神前幕僚長が論文に記したように、自身の意思とは無関係にアメリカの軍事企業の型落ち在庫のみを強制かつ高額で買わされ続けているのが現状です。
この事実がJAL123便墜落事故の全ての真実を物語っているのかも知れません。
P.S 今回私が取り上げた証拠は事件のほんの一部でしかありません。
JAL123便墜落事故の遺族の大半は、この不振な点の多すぎる航空機事故の再調査を国に求めています。
しかし、国は20数年たった今もその必要はないとして、沈黙を続けています。
真実を知らされた上で、人々がどのように捉えるのかは個々の自由ですが、それがされてないのは悔しくてなりません。
失礼な文章となり大変申し訳ないです。JAL123便墜落でなくなられた全ての人々に心からご冥福をお祈り申し上げます。
↓↓↓↓上記の日航123便墜落事故のブログ記事や写真は以下を参考に記しています。
(以上、転載終了)
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