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--- (6番目の証し) ---
詩篇62章12節「主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。」
あの朝、主はあの部屋にいる私たちを訪れて下り、私たちの手を取って、私たちは地獄へと下って行きました。私はとても説明できない恐怖感を覚えました。絶対に主の手を離してはいけないことは分かっていました。イエス様は私の命であり、私の光であり、私の望みが彼の中にあることを実感しました。そうでなければ、私は地獄に見捨てられていたでしょう。私が地獄に行くとは全く考えたことはありませんでした。しかも、そんな場所が存在することさえ信じていませんでした。私はクリスチャンでしたが、煉獄が地獄のことだと考えていました。しかし、神様は私に地獄の現実を見せて下さいました。
私たちが地獄に着いたとき、その場所が揺れたのを感じました。悪鬼たちはみな走って隠れました。主の存在に耐えられないからでした。ナザレのイエスがそこにおられるのを知って、地獄の捕われ人たちは更に大きな声で叫ぶようになりました。彼らを自由にすることが出来るのは主のみだと皆わかっていたからです。しかし、それは空しい希望でした。
私たちはイエス様と手を繋いで歩きました。そして、不品行な人々の所に着きました。イエス様は全身を完全に火で覆われた女性に目を止められました。イエス様が彼女をご覧になると、彼女はゆっくりと火から現れてきましたが、苦しみが止むことはありませんでした。その女性は全裸であったため、体の特徴がよく見えました。彼女の体は汚れきっていて悪臭を放っていました。乱れた髪の毛には黄緑色をした泥がのっていました。眼球はなく、唇はぽろぽろと落ちていました。耳はなく、ただ穴が開いていました。彼女は黒く焦げた手で顔から落ちた肉を元に戻そうとしましたが無理でした。そうすることで、痛みがいよいよ酷くなりました。
震えながら彼女は大声で叫びました。その叫び声は絶えることなく続きました。彼女はうじだらけでしたが、腕には蛇が絡んでいました。太くて体中にトゲだらけの蛇でした。彼女の体には666という数字が彫ってありました。それは黙示録が言う「獣の刻印」です。(黙示録13章16-18節)。 また、彼女の胸には火に燃えない金属板が埋め込んでありました。その板には見慣れない言語で何か書いてありましたが、私たちは理解することが出来ました。「私は姦淫者だからここにいる。」と書いてありました。
イエス様は彼女をご覧になって、尋ねられました。「エレナ、なぜあなたはここにいるのかね?」エレナは答えようとしたとき、彼女の体が苦痛で震えました。彼女は拷問の痛みに身をよじりながら、姦淫によってそこにいます、と答えました。エレナは主に向かって何度も何度も赦して下さるようにと懇願し続けました。
その時、彼女が死んだ時の場面が見えて来ました。死んだときのエレナは愛人の一人とセックスをしていました。と言うのは、一緒に住んでいる男は旅に出ていると思ったからです。しかし、男が思ったより早く仕事から帰宅して、ベッドに他の男がいるのを見つけました。彼は台所にあった包丁でエレナの背中を突き刺しました。彼女は死んで地獄に連れて来られました。死んだときと同じように全裸でした。
地獄では、すべてが物質化されて、彼女の背中にはまだ包丁が突き刺さっていました。それは激しい痛みの原因となっていました。当時のエレナはもう7年間も地獄にいましたが、生きていた時と、死んだ時のあらゆる瞬間のことを思い出すことができました。彼女はまた、ある人がイエス様のことを語ったときのことも思い出しました。イエス様が唯一の救い主であることを語りました。しかし、エレナも含めて地獄にいる全員にとり、今は既に手遅れなのです。
主の御言葉は何度も姦淫の罪についてはっきりと説明しています。姦淫とは結婚相手ではない人と性的な交わりを持つことです。第1コリント6章13節「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。身体は不品行(姦淫)のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。」第1コリント6章18節「不品行(姦淫)を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。」
イエス様が彼女との会話を終えられると、エレナは大きな炎の毛布に包まれて、その姿は見えなくなりました。でも、彼女の肉が焼ける音と苦しい叫び声が聞こえて来ました。それはとても言葉では説明できない場面でした。
私たちが主と一緒に歩き続けていると、主はそこにいるすべての人たちを示されました。 偶像礼拝をする者、魔術をおこなう者、不道徳な者、姦淫する者、嘘つき、同性愛者でした。私たちはあまりにも恐ろしくて、早くそこを離れたいと思いました。しかし、イエス様は語り続けられました。それは私たちが他の人たちに伝えて、彼らが信じるために必要なことだったのです。
私たちはイエス様と一緒に歩き続けましたが、更に力強く彼の手を握っていました。私にとって本当に印象的な所に着きました。そこには23歳の若者が腰から上が火の中に吊るされていました。彼の拷問がどのようなものかはっきり分かりませんでしたが、身体に666という数字が彫ってあるのが見えました。胸の金属板には「私は普通の人だからここにいる。」と書いてありました。イエス様を見かけると、彼は憐れみを求めてイエス様に手を伸ばしました。箴言14章12節に書いてある神の御言葉はこう言います。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」
「私は普通の人だからここにいる。」と書いてある金属板を目にしたとき、私たちは主に尋ねました。「主よ、これはどういうことなのですか?こんな理由で人はここに来ることがあり得るのですか?」 イエス様は若者に言われました。:「アンドレ、君は何故ここにいるのかね?」 アンドレは次のように答えました。「イエス様、僕が地上にいたとき、殺人と窃盗だけが罪だと思っていました。だから、僕はあなたに近づこうとしませんでした。」詩篇9章17節より、「悪者どもは、陰府(よみ)に帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。」
アンドレは、現在の多くの人々がするのと同じように罪を区別するという大間違いをしたのです。罪の支払う報酬は死である、そして、神の贈り物は永遠の命であると聖書ははっきりと言っています(ローマ6章23節)。さらに、どんな罪でも同じ罪ですから聖書は罪の区別はしないのです。アンドレは、イエス様を受け入れる機会を逃したのでした。多分、彼には主を知る無数の機会があった筈なのに、全く神の御言葉に耳を向ける気がなかったのです。その結果、彼はここにいるのです。その時、大きな炎の毛布がアンドレを巻き込んで、再び見ることはありませんでした。
私たちはイエス様と一緒に歩き続けました。遠くに粗大ごみのようなものが落ちるのが見えました。近づいてみると、それは、今、地獄に墜ちる人たちだとわかりました。心に主イエス様を受け入れずに死んだ人たちが、今、地獄に到着するところだったのです。
数多くの悪鬼たちが寄ってたかって若い男性の体を破壊しているのが見えました。みるみる彼の体はうじだらけになりました。「いやだ!何だこれは?止めろ!俺はここにいたくない!これは夢だ!誰か俺をここから出してくれ!」と彼は大声で叫びました。自分がイエス様なしで死んだことが彼には分かっていなかったのです。悪鬼たちは彼をいじめて面白がっていました。すると、彼の額には666の数字が、胸には金属板が表れました。彼が地獄に来た理由は私たちには分からなくても、彼が永遠にそこにいるのは間違いないことです。
地獄にいる人たちの苦痛は、裁きの日にはさらに激しくなると主は言われました。こんなに酷く苦しんでいるなら、裁きの日に彼らはどれほど苦しむか想像ができません。
そこに子供たちを見ることはありませんでした。あらゆる国の若者、男性、女性が無数にいました。地獄には国籍や社会的地位はありません。みな拷問され罰せられるために地獄にやって来るのです。彼らは皆、ただひとつの願いを持っていました。それは一瞬の間だけでも地獄から出ることでした。彼らは聖書の金持ちと同じように、舌を冷やすために水の一滴を欲しがっていました。(ルカ16章19節)。 しかし、それは最早や不可能なことでした。彼ら自らが永遠に過ごす場所を選んだからです。彼らが神のない場所で過ごすことを決定したのです。神様は誰もかれも地獄に送られるわけではありません。人々が自分の行為の結果として、地獄に行くのです。ガラテヤ6章7節より、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」
今、あなたは、ご自分の永遠の運命をチェンジするチャンスを持っておられます。今、イエス様を受け入れることが可能です。それに、聖書によると、命ある限り希望があります。今のあなたには、命がありますから、この機会を逃さないでください。これが最後の機会かも知れません。
神の祝福が訪れますように。
おわり
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