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元気の出る聖書の言葉2010年9月5日
実に、彼らは、平安がないのに『平安。』と言って、わたしの民を惑わし、
壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。エゼキエル書
13:10
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エルサレムが滅亡する前、そこには盛んな預言活動がありました。しかし、
そのほとんどは偽預言者によるもので、エルサレムを更なる偽善と罪に閉じ
込めることになります。
彼らは、平安がないのに「平安」と預言しました。「平安」とは、全てのも
のを全てのもので満たす、神様の満ち満ちた力と命の状態であり、神様との
しっかりした関係があるとき、人と社会に与えられるものです。
ですから、一時的に敵が去り、表面的に穏やかな状態が回復しても、神様と
の関係が壊れている時、平安はないのです。
人は、自分が神様との正しい関係にないことを指摘されるのが嫌いです。神
様に従っていないという事実を指摘される時、憎しみにも似た感情を抱きま
す。罪と汚れの中にあっても、「神様があなたに平安を与えられます」と言
ってもらいたいのです。
しかし、罪を正すことなく平安と祝福を語るのは、汚物の壁にしっくいを塗
るようなものです。表面的には美しくても、中では腐敗が進み、必ず崩れ落
ちます。
神様の言葉を預かる者が正しく語るためには、自らの中に働く罪と汚れを知
らなければなりません。自分をごまかさず、罪を悔いる心なしに、神様の真
実の平安を求めることもないからです。
私は、自分の罪と汚れを本当に悔いているでしょうか。神様の真実の平安を
求めているでしょうか。正しく神様の言葉を伝えているでしょうか。人に語
る前に、神様の言葉によってまず自分が正されなければなりません。
心からあなたのために祈っています。私のためにも祈ってください。
+++
祈り8/5
天のお父様。尊い御名を心から誉め讃えます。今日もあなたの御手に引かれ、
御前に出ることができることを感謝いたします。
主よ、私は正しくあなたの言葉を語っているでしょうか。平安がないのに「平
安」と言っていないでしょうか。罪の解決を避けながら祝福を語っていない
でしょうか。
そして何よりも、この心の汚れ、隠れた罪を忌み嫌っているでしょうか。本
当に罪を悔いているでしょうか。私自身が罪を憎み、そこから清められるこ
とを本当に求めないなら、あなたの言葉を語ることは虚しいことです。
主よ、どうぞ憐み、私の中に罪を悔い、罪を憎む心をお与えください。主よ、
罪から清めて下さい。この汚れを洗って下さい。あなたの十字架の血潮を注
いで下さい。
清い心を私の中に造り、揺るぐことのない聖霊を新たにして下さい。その時、
私は確信をもって語ることができるようになるでしょう。
私は造り変えられるでしょう。あなたの義を歌うようになるでしょう。主よ、
あなたを誉め讃えます。
今日もあなたの言葉に耳を傾けるあなたの子供たちを導き、あなたの義と平
安の中に置いてください。
感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。
岩本遠億
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