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日本人バイカル湖畔起源説
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/477.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 03 日 23:19:59: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: クドリン財務相がバイカル湖で潜水 有人艇で: The Voice of Russia 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 03 日 23:10:32)

 
 
 
 
日本人バイカル湖畔起源説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%AB%E6%B9%96%E7%95%94%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC&oldid=28214592
 
 
日本人バイカル湖畔起源説(にほんじんバイカルこはんきげんせつ)とは、遺伝学や考古学の観点から日本人の起源がブリアートのバイカル湖あたりであるとする説である。

概略

原日本人の起源に関しては、埴原和郎が骨計測の観点から日本人のルーツに関して、南方モンゴロイド系の人々(縄文人)が最初に日本に定住し、その後、かなりの数の北方モンゴロイド系の人々(弥生人)の渡来が続き、それらが混血して現代の日本人が形成されたとし、特にアイヌは、北方モンゴロイド系の人々(弥生人)とはほとんど混血せずに進化した南方モンゴロイド系(縄文人)であると仮定し、それが定説となっていた。

しかし近年、遺伝子研究の発達や、また考古学の観点から、弥生人と同じく縄文人も北方起源である事が数多くの研究者から提唱されている。「日本人バイカル湖畔起源説」は特に日本人の起源をブリアートのバイカル湖周辺と特定した説であり、以下に記載する。
Gm遺伝子からのバイカル湖畔起源説 [編集]

松本秀雄(大阪医科大学名誉教授)が、抗体を形成する免疫グロブリンを決定する遺伝子(Gm遺伝子)頻度が民族ごとに固有の値となり、民族を示すマーカーとなるという仮定に基づき、東〜東南アジアを中心に130の集団から約20,000人の血清資料を採集(シベリアの少数民族の血清はソ連科学アカデミーからのり提供)調査した結果、日本人の起源は基本的に北アジアであり、特にシベリアのバイカル地方の可能性が高いとした説である。なお、遺伝子の決定は血清に対する抗原抗体反応によって行われた。松本はGm遺伝子から日本人の起源について以下の研究結果を出した。
Gm遺伝子の分布によって、モンゴロイドは、「南方系」と「北方系」に大別される。そして、日本人のほとんどは「北方系」である。南方系モンゴロイドとの混血率は低く7〜8%以下である。
日本人は、北海道から沖縄に至るまで、基本的に北方型の遺伝子を持ち、ことGm遺伝子に関する限り、アイヌと島嶼を除き、顕著な等質性を示した。
アイヌと沖縄・宮古の人々は他の日本人集団よりも北方型遺伝子の一つの頻度が高く、南方型遺伝子の一つの頻度が低い等、幾分の相違を示し、その両者は特に等質性が高い。
台湾の土着の民族や約300年前に南中国から移住した人々の子孫である台湾人を調べると、典型的な南方系モンゴロイドのパターンを示しており、沖縄やアイヌの人々とは高い異質性を示している。
朝鮮民族は、朝鮮半島(韓国)の人々と中国の朝鮮族とは高い等質性が認められ、日本人と同じように北方系モンゴロイドに属するGm遺伝子パターンを持つが、日本人以上に南方遺伝子の頻度が高く、日本人との異質性が存在することから、当初は日本民族と非常に近い遺伝子パターンを持っていたが、中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などによって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血をする機会がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
中国の場合は、Gm遺伝子の頻度分布に、南北方向の勾配がみとめられる。漢民族の場合は、「北方型」と「南方型」の二つの型の存在を考えないと、分布パターンの説明が難しい。

以上のような研究結果から、日本民族に高頻度に見られるGm遺伝子パターンの特徴は、バイカル湖畔のブリアートをピークとして四方に流れており、蒙古、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、イヌイットに高頻度で、その源流はバイカル地方とするのが妥当であると推定した。

これに対し名古屋大学理学部の吉田茂生は2007年に書評の中で、調査結果からは日本人とブリヤートの遺伝子構成が非常に近い事が判るだけで、両者の共通祖先が他の所にいた可能性等もあり、日本人の起源がバイカル地方にあるとは言えないと主張している。

東京大学理学部の尾本恵市と国立遺伝学研究所の斎藤成也は共同論文[1]の中で、すべての日本人の故郷をバイカル湖畔とする松本の説は、埴原を含め、日本の人類学者らの強い反論に合い、我々もまた、人類の個体群の起源についての判断は単独ではなく多くの遺伝子座の情報に基づくべきであると信じる、と述べている。

しかし同時に松本と同じく埴原の原日本人(アイヌを含む縄文人)の南方起源説には賛成しかねると述べている[2]。

また、松本の研究では「日本人と韓国・中国人との異質性」や「北海道から沖縄に至るまで日本人の等質性」を示している(松本1992)が、斉藤と尾本の共同研究による系統図では「本土日本人はアイヌや沖縄県人、チベットと近く、韓国人、また中国人とは離れている」という研究結果を出している[3]。

ペンシルベニア州立大学のRoychoudhuryと根井正利は、Gmがモンゴロイドを分けるために有意な役割を果たすと述べる一方、フェニルケトン尿症遺伝子の分布が松本の仮説を支持するように見えるが、この見方は、中国の北部と南部のより広い地域で大々的な標本調査が行われない限り受け入れ難く、また、単独の遺伝子座による情報は個体群の違いに歪んだ見方を与え得ることに注意すべきである、と述べている[4]。

日本人の北方起源を提唱

松本は上記の研究結果とともに、下記の他の研究者の研究結果等も自身の研究結果と一致している点を根拠に、埴原の「原日本人の南方起源」とする点を中心に異論を唱え、「日本人集団は基本的に北方モンゴロイドに属する」としている(松本2009)。
徳永勝士は、20のモンゴロイド集団が、HLAをベースとした系統樹分析によって、(北と南の)2つの大きなグループに分けられることを認めて日本人が北方のグループに属することを示し、自身のGm遺伝子の研究結果と一致すること。
根井正利が系統樹分析で、3つの日本集団(アイヌ、本土日本人、沖縄人)全てが、北方アジア起源である研究結果を出し、埴原の二重構造モデルを否定するとともに、日本人のベースが北東モンゴロイドであることを示しており、自身の研究結果と一致していること。
篠田謙一や田中雅嗣らによるミトコンドリアDNAによる研究結果でも縄文人も基本的に北方起源であり、ブリヤートの人々と共通因子があるとしており、その点に関して自身の研究結果と一致していること。ただし、松本は南方系との混血率は自身の研究結果と相違があると述べている。
Scienceに発表された論文[5]によると、17のアジア人集団を常染色体のDNAマーカー約640,000の多型分析をした結果、アジア集団が北から南へ位置を変えるに連れて、北方系と南方系の割合が、その緯度の違いで、明確に変化することを示し、加えて、日本人は均質であり、北方の系統をより高い割合でもつことを示しており、自身の研究結果と一致していること。

考古学からのバイカル湖畔起源説

考古学の加藤晋平は著書『日本人はどこから来たか』(岩波新書)の中で「(1万2千年前〜1万3千年前)に東日本を覆ったクサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。」とする。細石刃は革新的技術であり、各地で自然発生したとは考えにくく、バイカル湖近辺から、日本地域へ人の移動とともに技術が広がったと推測している。加藤はこの考古学からの仮説と松本秀夫の研究が全く同じ結果を示したことから「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない。」と述べている。

参考文献

松本秀雄『日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く』日本放送出版協会、1992年 ISBN 4140016523
Hideo MATSUMOTO『The origin of the Japanese race based on genetic markers of immunoglobulin G』(2009レビュー)
東アジアのGm遺伝子の分布図http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/nihonjinx.htm

脚注

1. Genetic origins of the Japanese: a partial support for the dual structure hypothesis.
2. 尾本恵市 (1996)分子人類学と日本人の起源, 裳華房
3. 斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56
4. The Emergence and Dispersal of Mongoloids
5. Li, J.Z., Absher, D.M.,Tang,H.,Southwick, A. M., Casto, A. M., Ramachandran, S. et al. (2008) Worldwide   human relationships inferred from genome-wide patterns of variation. Science 319, 1100-1104.
 
 
 
 
 
 
 
 
★ダ・ビンチ・コードPART22と日ユ同祖論3とYAP因子
http://blogclub.livedoor.biz/archives/50246384.html
 
 
日ユ同祖論3とYAP因子

ダ・ビンチ・コードと日ユ同祖論3

其の一、全ての記事の根據と成つた寶來聰博士の研究成果です。         

        Y染色體多型からみた日本人の成立
        Michael F. Hammer1, 寶來 聰(1アリゾナ大學)
 
 
 Y染色體上の非組み換え領域にある4つの遺傳子坐に關して,日本人3集團沖繩,靜岡,青森)と臺灣の支那人で遺傳子型を決定した.Y染色體上のAlu配列の插入多型であるYAP因子は,日本人では 42% に存在したが,支那人には見られなかつた.此のことによりYAP因子が亞細亞に於て不規則な分布をしてゐる事が明らかと成つた.Y染色體上の4つの遺傳子坐で得られたデータより,集團間の遺傳的距離の推定,Y染色體のハプロタイプの構築により集團内の遺傳的多樣度および各ハプロタイプ間の多樣度を檢討した.Y染色體ハプロタイプの進化學的解析により,YAP (DYS287) 坐とDXYS5Y坐の多型はただ1囘の起源を持つのに對し,DYS1坐の多型およびDYS19坐に於るマイクロサテライトの對立遺傳子群は1囘以上の起源を持つことが示唆された.遺傳的距離の解析により,沖繩の人は本土の日本人とは遺傳的に離れてゐる事が明らかと成つた.此のことは,現代日本人が繩文人および韓國或は支那本土からの移入民である彌生人からの異なる遺傳的寄與を受けた結果であり,また沖繩の人は彌生人とは殆ど混合する事はなかつた,と云ふ假説を支持する.YAP(+)染色體は繩文人により齎され,YAP(−)染色體の流入は彌生人の移住により齎されたと考へられる.詳細は,文獻11に發表した.

其の二、もつと詳しく!
 男の祖先・女の祖先のDNAで日本人のルーツを探る

父から息子へ、母から子へ
 日本人のルーツに就いては明治以來樣々な論議が行はれてきた。然し、殘念なことに純粹に科學的な議論が行はれてきたとは言ひ難い。政治的・イデオロギー的に「かうあつてほしい」或は「かうあつてはほしくない」と云ふ感情に理性が押し流され「信じ度い事を信じる」科學とは無縁の「學説」が公然と大手を振つてなされてきた。然し、最近に成つて生物の設計圖であるDNA(デオキシリボ核酸deoxyribonucleic acid)によつて日本人のルーツを探る事が出來るやうに成つた。
 DNAは細胞の核および細胞内の小器官であるミトコンドリアの中に存在する。DNAは遺傳暗號を書き記した文字である4種類の鹽基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)が延々と竝ぶ長大な分子で、A-T、G-Cが對に成る形で2本のDNAが螺旋状に成つて存在してゐる。核のDNAは細胞が分裂するときに小さく折り疉まれいくつかの固まりと成つて分かれる。此れを染色體と云ふ。此の中に性染色體と呼ばれるものが一對ある。男性の場合だとXY、女性の場合はXXと云ふ組み合はせに成る。したがつてY染色體を形成するDNAは父から息子へと遺傳していく。此れに對してミトコンドリアのDNAは母親から子(男女兩方)へと受け繼がれていくのである。

「繩文男」と「彌生男」
 男性には「繩文系」と「彌生系」があると云ふ。Y染色體は、睾丸や精子の形成にかかはつてゐる。Y染色體に書き込まれた文字數は6000萬個に上る。他の染色體に比べて、Y染色體の多型は極端に少なく、凡そ200カ所見つかつてゐるが、Y染色體のDNAのある特定の場所に插入された、凡そ300の鹽基からなる『YAP』(ヤツプ)と云ふ部分がある。

 中堀豐・徳島大醫學部教授らの研究グループによれば、Y染色體のYAP多型は東亞細亞では日本人にしか見られず、昔から日本にゐた人たち特有のものと考へられてゐる。日本人で數パーセント見いだされ、其れもアイヌ人、沖繩人で頻度が高い。寶來聰教授の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられると云ふ。
 ところが、韓國をふくめユーラシアでも、此の突然變異の遺傳子は殆ど見つからず、日本以外で唯一見つかるのはチベットだけであると云ふ。世界的に見ても其のほかには黒人にしかみられない變はつた遺傳子型である。
 此のことから、ヤツプがあるのが繩文系男性、ないのが彌生系男性と判斷出來る。
 東亞細亞人で4タイプに分かれ、日本人男性も「タイプ1」から「タイプ4」まで4つに分けられる。中堀教授らの研究グループは、1999年にY染色體にあつて胎兒期に睾丸を作るやう命令する「SRY遺傳子」の465番目の鹽基が、人によつてC(シトシン)かT(チミン)かの違ひがある「多型」である事を發見した。中堀教授は<1>ヤツプの有無<2>SRY遺傳子の465番目の鹽基がCかTか<3>DXYS5Yの鹽基の違ひと云ふ、Y染色體中の3つのDNAの型をもとに、日本人の男性を繩文系と、タイプの異なる3つの彌生系の4つに分類した。
 YAP+タイプ2の集團は、都市部では北から南まで均等に分布し、金澤、福岡、大阪、札幌のいづれで調べても、人口の約25%程度を占める。然し本州や四國の山間部では5割を占めてゐた。彌生人に追はれた繩文人と云ふ通説にほぼ合致する結果である。
 日本の男性は1萬年以上前から日本列島に住んでゐた繩文人、繩文時代後期に大陸や朝鮮半島から移住してきた彌生人にルーツを持つてゐるのである。ついで乍ら、中堀教授らのグループの研究によれば、繩文人の系統とされる「タイプ2」の男性の精子數は、彌生人系より2割以上も少なく、2〜4倍も無精子症に成りやすいと云ふ。

母親の系譜
 寶來聰博士などの研究グループは、いままで、外見の特徴から白人に由來すると考へる研究者さへいたアイヌの人々のルーツを探るため、1960年代に採血された血液からミトコンドリアDNAを分析し、更に、繩文の人骨5體のミトコンドリアDNAを分析して、アイヌのルーツが繩文人である事を突き止めた。
 更に、東亞細亞の5つの集團のミトコンドリアDNAを分析し、日本人の成り立ちを調べた。其れによると、本州では、日本人固有のタイプは4・8%、其れに對して韓國人や支那人と共通の配列を持つ人が凡そ50%に達し、アイヌや沖繩と共通のタイプを持つ人が4分の1であつた。現代の日本人が北亞細亞人、特に韓國人に尤も近い遺傳的類似性を持つてゐる事を確認した。此のことは、彌生時代以降に大陸や半島から日本へ遺傳子の擴散が生じたとする從來の説と一致する。更に、寶來博士らは太平洋を隔てたアンデスの先住民が、日本のアイヌや沖繩の人々と非常に近い事を示したのである。詰り、1萬2千年前に日本列島に移動し、繩文の文化を築いた集團がゐた。其れから1萬年後、別の集團が再び日本列島に渡つてきて彌生文化を築いたのである。
 最近の研究では、繩文集團も決してひとつではない事が分かつてきた。沖繩と、アイヌの人々のDNAを較べると、少なくともひと文字は違ふのである。此れは其れぞれの祖先が、日本列島に渡つてきた當時から既に別の集團だつた事を示してゐると云ふ。

外國の場合
 今日の歐羅巴人をミトコンドリア遺傳子で見ると、20%がアナトリア(現トルコ共和國の亞細亞部分)の農民由來で、Y染色體遺傳子でみると、22%が同樣にアナトリアの農民由來だと云ふ。殘りの約80%は4萬年前から1萬年前にかけて歐羅巴に進出した狩獵採取民の遺傳子だと云ふ。アナトリアの農耕民が先住の民族を征服した結果、歐羅巴に印度・歐羅巴語と農耕が傳はつたのである。

征服なくして文化傳播なし
 文化の交替は、基本的には新しい住民の進出により生じるのであり、其れがないところで文化だけが傳播すると云ふことは、基本的にはないと思ふ。彌生人の進出により、繩文世界の崩壞が起こつたのである。征服なしでの文化傳播の例としてよくあげられる明治維新にしても、からうじて「征服」から逃れたものの、「征服」を免れるための方途として西洋文明を受け入れてゐるのである。壓倒的な武力の前に屈してゐる點では征服されたのと同じである。
「『征服』に近い事態があつた、と感じてゐますが、政治的、或は差別の問題につながつてしまふからみんな言及したがらないのです。形質的にみると、 
 今の日本に就いて、かう言へるかもしれません。
 二千數百年前から1500年ほど前に渡つてきた人たちの子孫は威張つてゐるが、其れより前とか、後に渡つてきた人たちの子孫は虐げられてゐる。
 歴史の皮肉ですよね。」 (『日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは繩文系?其れとも彌生系?』 
隈元 浩彦 新潮OH文庫)
 
 
TITLE:男の祖先・女の祖先 DNAで日本人のルーツを探る
DATE:2006/07/29 17:49
URL:http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
 
 
 
 
男の祖先・女の祖先 DNAで日本人のルーツを探る
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm

「YAP因子」と「木に巻きつく蛇」
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/258.html
投稿者 M総合研究所 日時 2007 年 4 月 01 日 10:36:17: YhMSq6FRP9Zjs

「アルザル人が再び地上に舞い戻る日は近い」&「マイクロ兵器」
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/293.html
投稿者 M総合研究所 日時 2007 年 4 月 04 日 09:42:42: YhMSq6FRP9Zjs

そして、アルザル「旧約聖書:外典エズラ記(ラテン語第13章41〜45節)」
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/105.html
投稿者 M総合研究所 日時 2008 年 9 月 01 日 14:28:09: YhMSq6FRP9Zjs

漫画レベルの連中(戦争マニア権力者達)に生殺与奪の権を握られていたりするのか/通には一笑に伏し切れず本当なら笑っちゃう話
http://www.asyura2.com/09/wara6/msg/665.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2009 年 2 月 18 日 15:21:51: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
 
 

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