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今年で時効を迎える1995年の朝木明代転落死事件。
インターネットには色々な情報が混同した状態であがっているので、検索
して概要をえることが難しい。ウィキでさえまとまりのない偏った事実しか
でてこない。事件を当時からずっとウォッチしてきた私が今一度振り返って
みることにします。
まず、朝木明代という人物。1944年うまれの団塊世代でサヨクです。地元の公立高校を出た後、銀行に就職し、後の支店長と結婚。趣味ではじめたサヨク市民運動が昂じて市会議員に。事件の起こった95年には3期連続の当選を果たしており、コミュ誌「東村山新聞」を主宰する成果もあり人気は実にNo1でありマスコミにも注目される存在だった。
事件の3年前、1992年ごろから朝木の活動に大きな影をおとしだしたのが創価学会である。サヨクと宗教は対立する運命にあるというマルクスの言葉どおり、朝木の単純なサヨク思想はその直接的な闘争の因果を創価に求め、三色旗めがけての批判を繰り広げる。当然、色んなレベルでの報復にあい、ビルから転落したときも、創価叩きも真っ最中であったことから、創価の関連性が疑われだしたのである。
それでは実際の転落死にまつわる事実関係はどうなのだろう。本当に創価学会員か創価に雇われた暴力団員のような連中が暗躍し、朝木を拉致、殺害するようなことは起きたのか。
私は眼を皿のようにして、あらゆる情報にあたったが、その必要がないことに気付くばかりであった。この事件は、非常に簡単に説明のつく自殺なのである。
謀殺を主張する娘の朝木直子らは、しきりに創価学会の関与を指摘し公共の出版物やメディアで訴え、訴訟沙汰にもなっているのだが、一体、なにを根拠にそう言い続けるのか。
証拠など一つもない。
本当に朝木が犯人グループによって拉致され殺害されたのなら、ありえない設定があまりに多い。朝木は自殺する前に自宅からわざわざ活動を共にする秘書に「気分が悪いので遅刻する」と電話を入れて会話をしている。何度かかけ直してまで直接話し、留守電のメッセージを入れていないことからしても犯人が「アリバイ」を作らせたわけでないことは容易にわかる。自宅に戻っている証拠だけを残したいのであればメッセージがあれば済むことだからだ。
そして自殺する先に選んだのは深夜営業の店舗が複数入った人通りの多い界隈の商業ビルの5階と6階の間の階段である。拉致して殺害しようとする連中がわざわざ好んで人目につく場所に来たいとは考えないことはいうまでもない。しかも、5階と6階の間では高さからいって死に至らしめるには十分でないのだ。それは、死ぬこともあるだろうが、それは打ち所が悪い場合であり、重傷で生還するほうが確率的には高いのである。
これだけでも他殺の線はまず無いと断定する材料に十分である。
朝木は、いつでも他人のあらさがしをし、少しでも気に入らないことがあると、やれ不正だ、やれ違憲だといって声を荒げてさわぎだす幼稚な人格の持ち主であった。それが、仲間内の都合を通し、選挙結果をごまかそうとした行為で今度は自分が糾弾をあび全国ネットのメディアで批判をうけるはめになった。小さなことで取り乱しては他人を糾弾してきた朝木だけに、自分自身の不正を押し切る図太さはなく、いままで保ってきた威厳が全て崩壊してしまったのだろう。更年期障害までが加わり、50歳の朝木を揺さぶる。
万引き事件(真相については断言しない)や、創価との争いの中で受けた嫌がらせというものも、徐々に朝木のバイタリティーを奪っていく要素だったのだろう。最後に秘書とかわした電話での会話が音声記録として残っていて、鈴木松美が解析しているのだが、思いつめた声色がまさに自殺間際の切羽詰った心理をあらわしているのだという。
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