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転載:JAL123便墜落事故−真相を追う−折れなかった垂直尾翼(2) http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/192.html
新)日本の黒い霧 様ブログ 5月9日記事 (今回はかなり長いですが以下に全文転載〜画像などは上記URLにて御確認下さい) JAL123便の飛行ルートを検証するシリーズの第2弾です。 少し間が開いたので前回「折れなかった垂直尾翼(1)」のおさらいを下記に示します。犠牲者の小川哲さんの写真から123便の飛行位置、高度、方角を割り出したものです。比較のため、フライトレコーダー(CFR)から解析したという、事故調査委員会発表の結論も併記します。 -- 事故調発表 -- -- (新)日本の黒い霧 結論 -- 高度、方角とも事故調発表のものとは全く異なることより、事故調発表データによく合致するボイスレコーダー(CVR)の録音についても、捏造された疑いが極めて濃厚であることは、前回もお伝えしたとおりです。未だに、日航機事故といえばこの CVR が取り上げられるようですが、嘘を何千回、何万回聞いてもそこから真実は出てきません。これまで日航機事故を調査されてきた方々が最初に陥る誤りとは、捏造されたCVRに従って論理を組み立てようとすることなのです。 逆に、識者の目を誤魔化し、事故を隠蔽するにおいては極めて有効的な手段であったと言えます。こんなインチキを事故から1週間足らずで作り上げ(録音でなく書面の方)、20数年間も一般に悟られることなく白を切り通した事故調査委員や旧運輸官僚の頭脳と厚顔さには、別の意味で驚嘆の念を覚えます。しかし、それももう終わりです。嘘は所詮嘘なのです。 ■方角が異なる目撃情報 池田昌昭氏の著書「JAL123便 墜落事故真相解明」に書かれた伊豆半島東岸、河津町での目撃談で(*1) (1)「いつもの二倍近い大きさに見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた。」 というものがあります。この他、伊豆での飛行ルートを解明する上で重要と思われるな情報があるので、続けて同書より引用します。 (2)「河津町の谷津のKさんとWさんとが、伊豆急行線河津駅前ベンチで休憩中、海側の北東上空で雷のような『ボーン』という音がした。上空を見上げるとジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の真っすぐ上まで水平飛行した。」(人名はイニシャル表記に変更しました) 河津町の市街地は西側・南側に山が迫っており、麓から山の上空は視界が狭く確認しずらいはずです。よって(1)の「右旋回」は視界の開けた東側海上で123便が取っていた飛行であると考えられます。また(2)の「駅の真っすぐ上まで水平飛行」についても同じ理由から、123便が海上から伊豆急行線の河津駅上空を通り、西側の山間部に向かって飛行したと考えられます 困ったことに、伊豆急行線の河津駅は天嶺山のすぐ北側にあります。私たちが分析した、天嶺山上空を東側へというという飛行ルートをほんのわずか北側に行ったところで、まったく反対側に飛んでいることになります。この他 (3)(南伊豆市の上空を)「やけに低い所を飛んでいる(*2)」 のように、河津町から離れた伊豆半島の南端を低空で飛行している姿も目撃されています(ただし、この証言には進路方向に関する情報はありません)。以上の情報を図1にまとめてみました。
伊豆半島南端から東海岸の河津の間はともかく、河津町上空で123便の進路が東(写真分析)や西(目撃談)であったりするのはどういうことでしょう?分析が間違っているのか、目撃者が勘違いしているのか?ただし、大きな機影(低い高度)という点では共通しているようです。実は、この一見矛盾する現象を両方満たす解があります。それは、123便が伊豆半島東海上を低空で旋回していたというものです。 旋回については(1)で「右旋回」と触れられています。また、海上「ボーン」という音と「煙」の証言があり、何か大きな異常が発生し東海岸上空を旋回し進路を正反対に取らざるを得なかった、与えられた材料を結びつける説明はこれ以外になさそうです。しかし、どうしてこんな低空で危険な旋回飛行が実行できたのか?そもそも垂直尾翼は破壊され、操縦不能ではなかったのか?それとも操縦不能のため旋回飛行に陥ってしまったのか? ここで「操縦不能」という予断は事故調査報告書に基づくものであることを思い出してください。報告書が捏造に拠っていることを知った現在、「操縦不能」を前提に議論すること自体が無意味です。すぐ近くに険しい天城山(1406m)を控える伊豆半島の東側沿岸で、わずか700mの超低空を操縦不能状態で飛行しながら、どうしてこの後に伊豆半島を横断し、静岡、山梨を経由して御巣鷹の尾根まで辿りつけるのでしょうか?旋回飛行は意図的なものであり、超低空で旋回を実施するために方向舵(垂直尾翼)、西側に迫る山を乗り越えるために昇降舵(水平尾翼)が正常に機能していなければ、とてもそんな危険飛行は決行できないはずです。 それでは、123便の超低空での旋回飛行を決断させた「ボーン」という音、「煙」とは何だったのでしょうか?
*2 ネット上の情報より。著者への配慮から。URLは非公開とさせていただきます。 ■高濱機長がとった要撃回避行動 ボイスレコーダー(CVR)を基にしたこれまでの定説によると、123便の最初の異常は「ドーン」という爆発音と共に発生します。また、生存者の川上慶子さんの証言「左後ろの壁、上の天井の方がバリッといって、それで穴が開いた」によると。大きな音がして天井板がめくれるような状況が発生するとあります。しかしCVRの信憑性が乏しくなった今、事故報告書をそのまま信じることはできないし、国民に嘘をつくことを前提に事故調が動いている中、まだ少女だった川上さんが、あるいは生存者でJALのスチュワーデスであった落合由美さんが、本当に見たままの真実を語れるような状況にあったかどうか、疑ってかかる必要があると思います。はっきりしていることといえば「飛行中の123便に何か異常があった」ということだけです。 ここで、123便の機長であった高濱機長のキャリアに注目します。高濱氏は海上自衛隊の出身で、隊に所属している時は対潜哨戒機のパイロットをしていました。以前の記事で紹介した通り、5本の指に入る名パイロットだとの評判もあるようです。 私たちの調査は、「ミサイルによる123便の撃墜はあったのか?」という観点でスタートしていますので、当初より高濱機長のキャリアに注目し、もしも戦闘機にミサイルで狙われたら、海自出身の機長はどんなリアクションを取り得ただろうか考察していました。もっとも、これについても、海上自衛隊内部の事情に詳しい国際軍事評論家のB氏に頼りきりだったのですが。 敵機の襲撃を受けたとき、哨戒機パイロットはどのようなリアクションを取るのか、B氏の解説にご注目ください。 「海上で敵機に襲撃された場合、攻撃を避けるためにパイロットが行うべきアクションは、次の3点です。 1)高度を下げること。一般的にミサイルは上空のものは狙い易いが、撃ち下ろす これらを全部やられると、最新鋭の戦闘機をもってしてミサイルで撃墜するのは相当難しくなります。また、これらは海上自衛隊のパイロットに限ったことでなく、世界中のあらゆる軍隊が要撃(ようげき:戦闘機による航空機への攻撃)回避の要諦として日々訓練しているものです。」 さて、B氏の解説を123便に当てはめると 1) わずか700m付近(低空)の高さで となり、概ね哨戒機の基本的な要撃回避パターンを満たしていることになります。海上自衛隊出身の高濱機長であるからこそ採れる軍事的リアクションと解釈し、これを逆に見れば、123便は戦闘機による追撃を受けていたのではないか?と見立てることができます。また、超低空での旋回飛行を行っていることから、従来言われていたような垂直尾翼の破壊、操縦系統の喪失はなかったはずで、むしろ意図的にこの危険飛行を選択したふしが伺えます。そして「ドーン」と「煙」の何か攻撃を受けたとしか思えない目撃証言。これら諸要因より「123便は戦闘機の襲撃を受け、要撃回避行動を取らざるを得ない状況に追いやられていた」と、ここでは結論付けたいと思います。 もう一点、川上さんが証言したような客室内部の小破壊がどの段階であったか(あるいは無かったか)については、犠牲者の一人、松本圭市さんの残した遺書「突然 ドカンといってマスクがおりた ドカンといて降下はじめる」が参考になります。この遺書からは、低空飛行に入る前、降下直前に、川上さんの証言通りの異常現象が既に発生していた読み取れます。これを「1度目の異常」と呼ぶことにします。そして「ドーン」と「煙」で河津町の住民に目撃された、低空飛行中の異常(2度目の異常)とは別ものであるとします。 これまでの話を、推測も交えてまとめると、 「何か爆発のような現象が発生して機内で1度目の異常が見られた。直後に急降下を開始。一定高度まで降下後、伊豆半島の南端を旋回して東岸に向かう。おそらく羽田に向かおうとしていたのだろう。天嶺山上空を通過し、相模湾海上に出たところ、2度目の異常(「ドーン」、「煙」)が起きる。右旋回し襲撃を回避。ここで相模湾上の飛行は危険と判断し、西へと進路を反対に取る。この時、操縦系統の深刻な障害はなかった。この2度の異常の原因は戦闘機による123便への攻撃と考えられる。」
となります。要撃回避が文字通り戦闘機からの攻撃を避けるためであれば、降下前の最初の「爆発のようなもの」と、河津沖での旋回飛行の原因となった「ボーン」と「煙」」の両方は、同じ戦闘機の存在と関係あるとみなすのが自然な解釈でしょう。この爆発や煙の原因については後日考察を加えます。 それにしても、今にも着陸せんばかりの低空で爆発音を聞かされ、こんな急旋回をやられたら、おそらく乗客は生きた心地がしなかったでしょう。同時に、これをやってのけた高濱機長にも驚かされます。その高濱機長について、B氏はこう付け加えます。 「予想される123便のこの動きは、民間養成のパイロットでは絶対にできません。そもそも、そんな訓練自体を受けていないでしょうから。それにしても、あの大きな機体をここまで操るとは、軍パイロットとしても相当に腕が良い。機長の優れた技量が伺い知れます。」 「恐い、恐い、恐い・・・・」これは乗客の白石まり子さんが残した遺書の書き出し部分です。嘘ばかりの事故報道の中で、悲しいことに、この言葉に限っては嘘と全く縁がありません。調査を進めていくと、犠牲者の悲痛な叫びがいったいどこから来るのか、そんなことまで見えてきてしまう。この活動を続けていて最も辛い瞬間です。
NON RELINQUAM VOS ORFANOS VENIAM AD VOS 管理者 (以上、全文転載終了)
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