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神の預言者リンダ・ニューカークの証し 私の人生における神様の御手(1)
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投稿者 山ちゃん 日時 2010 年 4 月 30 日 09:07:45: XjtGJYeP2OT7g
 


神の預言者リンダ・ニューカークの証し
私の人生における神様の御手(1)


1987年、私は世と私自身との正面衝突を経験しました。成功という私の美しい夢は暗く脅迫的な影によって汚されてしまいました。

仕事は失い、寂しさと退屈さは心理学者としての道を閉ざしてしまいました。

そこで、1986年の春の終わり頃、私は心理学の博士号を取得するため、また開発センターで やや知恵遅れの人々のための仕事を得ようと思っていくつかの州を回りました。

私が就職の申請をしますと、部署の担当者は骨を犬に投げやるように、他の誰もが欲しない食べ残しのような仕事を私に投げてよこしました。「それを取るか、去るかです。私は新しいボスです!」と、彼女は言いました。

「厳しく、深く、遅れている! なんと閉鎖的な部署であることか!」私は失望して引き下がりました。

これらの貴重な魂は、撚(ねじ)れた体に縛られ、吹きさらしの心のゆえに、最低限の必要さえも伝えることができないのでした。尿の臭いが大きな娯楽室に充満し、そこいる20人以上の人たちは恰も囚人のような有様でした。居住者たちの声高なわけの分からぬ騒音の中で、私は彼らの回復プログラムの作成という大切な作業を実施しました。

長年にわたる精神病院での仕事を通して、私は不安定な患者について非常に注意深い者となっていました。或る人たちは明らかに雑多な診断を受けていました。例えば、吸い殻を拾おうと思って、突然スタッフメンバーたちを押しのけて走り出す患者の場合はそうです(訳注:著者によれば、この患者は自閉症で衝動を制御出来ない人とのこと)。多くが明らかに自閉症でした。他の人たちは一ヶ月か二ヶ月の幼児程度の知能で、付きっきりで面倒を見なければなりませんでした。ある若い女性は性病で毎日しかも一日中自慰行為をしていました。

後の数ヶ月、私は主に無視されたケアと行動管理のためのプログラムを書きましたが、殆ど無視されました。これらのプログラムは無意味な言葉の羅列による官僚的な廃棄物の山のようでした。

社会の屑が最低賃金ゲームをするのに雇われたようでした。聞くところによると、だれも見ていない時に、彼らはこれら無力な人たちと乱交パーティを開いたといいます。
この仕事は、既に出血している深手の傷の中をレーザー光線でスライスしていくようなものでした。時々、台風が私の中で巻き起こりました。その台風は、私の人格間の境界を破棄するぞと脅しをかけてきましたし、また私の奥の暗い部分を圧迫して私の心臓は張り裂けそうになりました。私の思いはむやみやたらに何度も折り重なって来ました。不毛な感情の高波が、私の衰えた自己意識に追い被さってきました。

ああ、暗黒!なんという暗黒!私は内と外の暗黒のなんと恐ろしいことか。私は影の中のライオンに追われるガゼルのようでした。ライオンがそこにいました。ライオンの臭いがしました。ライオンの息づかいが聞こえました。私はライオンに触れて、熱い息に滅ぼされると感じました。

「走れ!走れ!走れ!」。そうです、私は暗闇の中のライオンから逃げなければなりません。

私は娯楽室を飛び出して地面に身を投げようかと思いました。だれも見ていないようにと願いました。少なくとも、だれも問いかけたりしないように。夜の孤独はさらに恐怖が襲いました。この状態が夜遅く襲って来るのでした。そこで私は夜の中へと全速力で突っ走ったのです。エネルギーの最後の一滴まで消費してしまいました。それから、気がおかしくなる恐れが和らいだとき、私はアパートに急ぎ戻って、もう一度ウイスキーをあおるのでした。

ウイスキーよ、おお、ウイスキーよ!ウイスキーをもう一杯。困ったときの友こそ真の友。何と甘い慰めであることか!ウイスキーは私の孤独感を癒し、また私の恐怖を洗い流してくれました。それはライオンを寄せつけしませんでした。ウイスキーは私の化粧じみた指であけた土手の穴をふさいでくれたのです。

長年にわたって、ウイスキーは私の楽しみと喜びの一部でした。私はウイスキーを愛する人たちとパーティーを開きました。それから、私は独り飲みを覚えたのです。私はよく飲み過ぎたのですが、そいうときの自分が嫌いでした。人事不省に陥るような飲酒により私は自尊心を失い、また、自制心もなくなりました。ジャック・ダニエル(訳注:テネシー産のウイスキーで1866年ジャック・ダニエル氏によって開発された)と私は愛憎の踊りを踊りました。情熱的な恋人のように、私たちは自暴自棄の興奮により、お互いをまさぐり合ったのでした。

五ヶ月の間、私は地獄の苦痛を味わいました。近くの精神衛生センターから子供をカウンセリングする仕事をもらったとき、私は光を見たと思いました。長年の間、子供たちは私の人生の恋人だったのです。

彼らの考えがのびのびしていること、また、感情に裏表がないことを、私は大切にします。彼らの甘い微笑と貴い心は私を癒してくれます。私の心がどんなに砂漠のようであっても、生き返らせてくれるのです。

この仕事ですべてがうまく行きました、と言うことが出来ればホントによいのですが、残念ながら、ある時から何かが間違ったことに気が付いたのです。セラピストたちは次々と去って行きました。牧会カウンセラーが首になったとき、私は深い悲しみを感じました。

私には周りを思案する時間はありませんでした。私はセンターでカウンセリングをしたり、情緒障害児のための最初の保育園の設立などで非常に忙しかったのです。六ヶ月以内に、登録のための補欠人名簿がありました。私はゲットーに入って行って子供を探してはフォロ−アップをしました。私の責任が急速に拡大したのです。

私の直属の上司が去ったので、彼女の仕事の半分が私の上に追い被さって来ました。私は週に二晩は学校へ、そしてセンターでの週一晩の電話番では私にとっての大切な時間をほとんど持てませません。

私の持っていたわずかばかりのエネルギーがあらゆる方向に吸い取られてしまいました。私の息子の将来のことがいつも心配でした。1985年12月に息子が父親と同居すると決めた時には私の心はとても痛みました。知能の高い知事の息子が学校生活に失敗して、狂気の輩(やから)に追随して遂にはマリファナとその集団の縄目に突き落とされるのを私はなすすべもなく見ておりました。

私の労働を緩和するためにもう一人のカウンセラーが雇われました。私の六ヶ月間の働きの検証をするために、私はディレクターから呼ばれましたが、そのとき、彼女はこの人物が一度も来なかったと言いました。彼女は当分の間は支援を得るのは不可能と断言しました。

彼女のドライな言葉に私の中で何かがプツンと切れた感じがしました。私は涙ながらに三人分の仕事は出来ないと言って拒否しました。私は、一つの仕事、ただ一つの仕事だけをやります、と言いました。

翌日、彼女は朝早く保育園にやって来ました。彼女が私に解雇の手紙を手渡した時の彼女のクールで無関心な態度を、私は決して忘れないでしょう。

絶望の感覚は即座に怒りに取って替わりました。彼女は二度と私の悲しみを見ないでしょう。私は、一生懸命働いて、大金を生み出すものを創り出したのに、すり減った靴同様に捨てられてしまいました。この火のような怒りは、私にとって最初で最終でした。

私の霊の暗くなった光の中、絶望した者の叫びを聞いてくださるようにと、私はイエス様に向かって叫び求めました。私は何ヶ月もの間、霊的な飢え渇きを持って、教会から教会へと渡り歩きましたが、相応しい教会を見つけだすことは出来ませんでした。突然の私の孤独な状況は私の知る限り最も長い夜でした。私の魂は、あまりにひどい霊の干ばつの中に苦悶しました。

「どうか、どうか私の祈りを聞いてください。どうか、どうか私をお助けください」、と私はイエス様に請い求めました。「私はお金もなく、気力もなく、命もなく、ただ孤独と極貧のみです。」自殺という暗い思いが私の心を過(よ)ぎります。ジャック・ダニエルとライオンが私に勝利しようとしていました。

孤独の中にあって、私の心は情愛深い男性に会いたい気持ちでふらふらと揺れました。私は毎日こんなことばかり考えていましたが、常識の方がまさっていました。男を拾っては虐待され罵倒されては別れたのでした。私は31歳までに四回結婚して離婚し、この七年間は独身でした。

人間関係では、私は幼いときから審議未了事項を追体験していました。精神分裂症(訳注:統合失調症)を持っていた私の父は、私の妹を愛しましたが、私を嫌いました。私が父の膝に座ろうとすると、彼は繰り返し私を押しのけては、「乗れ!」と卑劣な声で言いました。

深い内面において、私はすべての男性から拒絶されることを恐れました。この深い感覚の欠如のために、私は無条件の愛を知ることと、与えることがありませんでした。私の心の最前面にはいつもこの拒絶がありました。そして、私の最も孤独な時代にそれが巨人のように雷鳴のような足音を立てて私の感情へ向けて突進して来たのです。

ある夜遅くのことです。私がジャック・ダニエルに浸る中でイエス様に請い求めたとき、なにか優しい暖いものが私の寝室を満たしたのです。大いなる平和が内に入ってきて、私を幼児のように甘やかしてくれました。こんな平和を旦て私は味わったとがありません。ある明るい輝きが私の部屋の片隅を照らしました。

「子よ、私はイエスです。おいでなさい、そして、私の膝にお座りなさい。私はあなたを拒んだりはしませんよ。父親に対するあなたの心の傷を癒してあげましょう。」

私はこの輝きに心を奪われました。すると突然、イエス様は彼の聖霊の中で私を拾い上げてくださって私は彼の膝に座りました。どれくらいの時間であったかわかりません。私にわかっていることは、その日から後、父親への悪感情を持つことはなくなりました。その夜、イエス様は私の心を癒してくださったのです。

「それは少しおかしいんじゃない?」と、恐らくあなたはお尋ねになることでしょう。


ホントにそうなのです。これは本当のことです。この経験の後、私は何日も愛で輝いていました。無一物であった私に希望が与えられました。悲しみしか知らない私に喜びがもたらされたのです。このことによって、イエス様が実際であり、完全に失われ見捨てられた者の祈りを聞いて下さるお方であることがはっきりしたのです。イエス様は命と生きる希望を私に与えて下さいました。

つづく
 

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