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主の祝福と警告
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/148.html
投稿者 山ちゃん 日時 2010 年 4 月 28 日 10:12:08: XjtGJYeP2OT7g
 

主の祝福と警告


「私はこの予言の業に加わるあらゆる手を祝福します。というのは、古の預言者が語ったように、もし、律法学者が私の聖なる言葉を尊ぶことがなければ、あなたがたはそれを聞くことはあり得なかったからです。私はこの業の伝達に関わるすべての人々を祝福します。私は、あなたの知らない方法であなたに報酬を与えます。また、ここに述べられる疫病や災害からあなたを守ります。この女預言者に供給する人は、エリヤに食事を与えたやもめのように、預言者の報酬を受けるでしょう。

これらの予言を否定あるいは抵抗する人々は苦い杯を飲むことになるでしょう。あなたは自分自身の救いに抵抗しているのです。あなたは知識の不足によって損なわれるでしょう。だれでもこの予言の業を破壊しようと試みる人を、私は破壊します。『わが油そそがれた者たちにさわってはならない、わが預言者たちに害を加えてはならない』とあるからです」。

1998年2月13日
召され、選ばれた神の預言者
J.ダグラス・スワッフィールド
(J. Douglas Swaffield)


人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。(新訳聖書 マタイによる福音書24: 37-39)

ノアたちへのメッセージ

「この世を愛する人は世の終りの予言を否定するでしょう。悪魔的な、人の知恵を通し、人の努力による、人の建造の業であるバビロンの崩壊を見て彼らは泣き叫ぶでしょう。
地上の束の間の都市を求めず、神が設計者であり建築者である土台と一つである人々は真のアブラハムの子たちです。彼らは私の喜び、私の友です。彼らは自分の命よりも私を愛します。私が命の創始者であるからです。これらのしるしにより、贖いの時が近いことを知って彼らは歓喜します。

地上の命を保持しようとする人々は、迫り来る災いを拒絶します。私と私の義を愛する人々は邪悪な者たちによって悩まされますが、暗闇の崩壊を歓迎します。

人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようでしょう。彼らはあざけり笑ったのですが、その時、既に遅かったのです。

ノアたちがいるので、私はこれらの予言を与えました。彼らにはこれらの言葉を聞いてほしいと私は願っています。彼らは喜んで言葉を受け入れて実を結び、私に栄光を帰すのです。パリサイ人のように怒り狂った不信者たちに驚いてはいけません。ラオデキアの教会は自己満足とプライドのゆえに吹き飛ばされます。悔い改めのない者たちの中にあって、数人の人たちが心を開いているので、私は戸を叩いて語りかける」とイエス様は言われます。

これらの予言の言葉は人々の心の思いと意図とを裁いて、彼らをばらばらに分裂させてしまうことでしょう。言葉は人の心の隠れた思い、即ち、真に私を愛するか、自分の命を愛するかを暴露するでしょう。

すべて人の達成したものは私の前では無に等しいのです。日の下ではすべてが無です。すべてこのような奮闘努力には終わりが有ります。私がいつまでもこの堕落した民と奮闘するわけではないからです。それは一時的に過ぎません。その日はもう幾ばくも残されてはいません。世は禁断の果実によって毒せられました。それはちりから出てちりに戻ります。私は、再創造の言葉をこの堕落した民に語りました。信じるなら誰でも新しい命を得るためです。暗闇を愛する者には罪定めがあります。

私が肉体となったのは、あなたがたが霊の体をまとうことが出来るためです。私はあなた方の死を死にました。それは、あなた方が私の命を生きることが出来るためです。私はあなたがたの罪を担いました。それは、あなたがたが私の義を担うことができるためです。

私は人々の心を試します。私は、これらの予言を用いて彼らの心が探られ、悔い改めて彼らの魂が救われるかどうかを見ましょう。ニネベの人々は聞いて悔い改めました。

多くの人々はこれらの言葉によって、救いを見出すことでしょう。教会から確証を得ようとするのではなく、「異邦人」の中に実を見出しなさい。ユダヤ人は私を拒んだけれども、ニネベの人々は信じて解放されました。

あなたには多数の霊的な子供たちがあります。
私の言葉は前進して、私が立てた喜ばしい目的を達成するでしょう。それには収穫があります。私の言葉は命の言葉であるからです。嘘つきは激怒しますが、真理は多くの人々を自由にします。」

1998年2月11日
J.ダグラス・スワッフィールド
(Douglas Swaffield)

 

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コメント
 
01. 2010年4月28日 15:30:02: AQqyLULhMc
普通これを脅迫という。
脅迫しなけりゃ従わせられない神、なんて無能なんだ。

02. 山ちゃん 2010年4月28日 17:41:47: XjtGJYeP2OT7g: c66228xczw

ええ、仰る通り脅迫です。
しかし、脅迫して、金を出せ、と言っているのではありません。
なぜ、脅迫しなければならないのか?
時が迫っているのに、信じない人が多いからです。
言わば、愛するがゆえの脅迫です。

崖っぷちに自分の子が、のほほん、と立っているを見て、黙っている親がいるでしょうか。


03. 2010年4月28日 19:02:10: B5offegeiY
阿修羅さんへ
「迷える子羊たち」とか言いますよね。人間は家畜ですか?

事実であるなら信じる必要はありません。ただ事実として述べればよいのです。それでいて布教活動をするのは何故ですか?
仏教は布教活動をしないようです。それは、聞く耳を持った人なら自分から聞きにくることを仏陀が知っていたからでしょう。
キリスト教は布教活動をしますよね。それは信じなければならないことが山ほどあるからです。信じなければならないことは「嘘」です。事実を述べているなら、信じようが信じまいがそのとおりになるので布教する意味はありません。彼らにはどうしても聞かせなければならない理由があると考えるのが妥当です。

事実から言えば、「信じなさい」と人に伝えてくることだけでも、彼ら(神々)が生き物であることを証明していることになります。彼らが死なないというなら、一切のことに口出しする必要はなくなります。苦しむことが無いのですから。
彼らが伝える「行為」は、自分が創造主でないこと(神の世界の中間管理職か?)を証明してしまうのです。(私は神を作った神も居ると考えます。)

仏教はすべて理詰めです。仏陀の言った事を信じろと伝えますが、同時に「自分を信じろ」とも伝えます。「何故か?」と自問し続けることで必ず仏陀の到った結論に到達できるからです。仏陀の言った事に信じなければならないことは一つもありません。全て事実だからです。信じたくない人は信じなくていいのです。

地獄はあります。ですが、それは自分自身が作るものです。神が用意するものではありません。それは因果によります。この世界全てが因果と無縁ではありません。
自分の不用意な言動が自分の立場を悪くするのと同じです。

因果を勘違いしている人がいます。単なる原因結果ではありません。
たとえばインターネットは技術の進歩で可能になりました。LSI(CPUはVLSI、VVVVぐらいか?)の開発、ICの開発、半導体の発見、電気の発見、遡ればきりがありません。
それと同時に、ここに書きたいと思う人(私)がいて、それを読みたいと思う人(あなた)がいるのです。その双方のそうしたいという思いが無ければ、インターネットがあなたに何も伝えることはできません。
人が発した悪意ある言葉を聞き、それで不快になって他の人にきつく当たる。これが繰り返されれば世の中はどんどんぎすぎすしたものになっていくでしょう。暴力が連鎖するのもそうです。
こういった全てのつながりが因果です。私の存在はあなたの存在とは無縁ではないということ、これが事実です。全ての生き物の存在が全ての人(生き物)と無縁ではないのです。

聖書の神は他の神の存在を否定します。悪魔の存在も認めながら、その行動を否定します。この世の(全ての)生き物の存在を否定する生き物は、この世から否定されるでしょう。自分以外の生き物を否定した時点で聖書の神は負けたのです。

私は神の糧が信心ではないかと思っています。ですが、事実は事実で信じなくても起こるのです。信じても起こらないのです。信じたら叶うのなら、オリンピックに出る人(それどころか大会に出る人)は全て金メダリストです。神を信じたらそうしてやると言いながら、それが叶うのはあの世だなんて、まるで詐欺師のようではありませんか。

もし神が脅迫しているなら、それは神がそれを起こす(将棋版をひっくり返す、カードをかき回す)という意味です。神がその全責任を負うことになります。人ではありません。その因果によって地獄をつくりそこへ向かうのは神です。人ではありません。
自分の思っているようにならなければダダをこねるわけですか。以前、有史で数回行ったようにまたそれを行うのですか。神は少しも成長しませんね。

一応他の矛盾点としてあげるのは、キリスト教を信じれば、他の宗教から地獄行きを言われることです。ユダヤ、イスラムとは同じと詭弁するかもしれませんが、聖書を経典にしない宗教の神からは地獄行きといわれるでしょう。結局どの宗教を信じても地獄行きは確定ですね。
私はユダヤ、イスラムとキリスト教が違う神だと考えています。

それなら事実(仏陀の言葉)に基づき自分(の判断)だけを信じて生きてもいいではありませんか。こうして生きる人は、キリスト教がいう「善人の行動」と自然に同じようになりますよ。
あなたも神に心を突き動かされて書いているのでしょうが、事実は事実として受け止めてください。事実は信じる必要がありません。


04. 2010年4月28日 19:20:35: AQqyLULhMc
>>02
子供に包丁をつきつけて躾けをする親はいません(ごくたまに虐待するのがいるけど)。
神ってこんなレベル?

05. 2010年4月28日 21:24:28: DYPQkcY0kc
>03さん
そうですね
ユダヤ、イスラム、キリストの神様は同じかどうかは私には判らないけれどね

私は無宗教だけれども
03さんの仰る事に共感を覚える
日本にいて、お葬式に行けば、お坊さんのお話を伺う期会は
確かに多いのですが
そう言った期会がなかったとしても、ほぼ同じ考えに至っているのかな
と思います。
そう言った意味で、今の日本に生きて良かったと思える。

又、事実を事実として受け止める事は
山ちゃんの投稿をも内包していると私には思えるし
それは、幸せで有意義な人生を送る事になると思います。

天国や地獄と言われる所に暮らしていたなら
きっとこんな考えには至れなかったでしょうね


06. 2010年4月29日 02:45:24: FDEPliTMii

釈迦は、私の言う事を鵜呑みにしては、いけない。

私が言う事を、貴方が体験し理解したら、研鑽、研究したら、


  その時、釈迦である私の教えを理解できる。

  その時、あなたも、仏陀なのだ。


     と教えた。


  釈迦である私を、


    信用しろ!  など言っていないのだ!


 小学生に算数を教えるとき、先生は、まず手本を見せる。

  こう計算したら、いいのですよ、と。


さあ、生徒諸君、同じように、計算をやってみましょうね。


  できるようになる。


 先生を、信用しろ、とは言わない。


このようにして、釈迦は、弟子たちを、教えたのだ。

 神を信用しなければ、あなたは、地獄に行きますよ。


  アホちゃうか!!!


 考える脳みそを、人間は、持っている。


  釈迦は、それを、使いなさい、と教えたのだ。

   これが、智慧なのだ。


彼岸に行くには、智慧を使うのだ、と、釈迦は、般若心経で、言っている。


 
 そう、あなたも、智慧を使えば、悟り、彼岸に行けますよ。

   これを、釈迦は、言ったのです。


  神を、信じなさい、などを、釈迦は、言っていない。

   自分で考え、知恵を使いなさい、これが、近道なのです。

以上。


07. 山ちゃん 2010年4月29日 08:04:00: XjtGJYeP2OT7g: c66228xczw
少し長いのですが、あるミャンマーの出身の男性の不思議な体験談です。

● 釈迦の熱心な弟子

 私は十九歳三ヶ月の時(1977年)、正規の僧侶になりました。私がいたその僧院の年長の僧侶は私に新しい仏教徒名を与えました。そうすることは私たちの国の慣習なのです。私はそれからウ・ナタ・パニタ・アシンスリヤと呼ばれるようになりました。私たちは僧侶になると、生まれた時に両親から与えられた名前はもはや使わないのです。私が住んでいたその僧院の名前は、マンダライ・キャイカサン・キャイングと呼ばれていました。

 その年長の僧侶の名前は、ウ・ザディラ・キャル・ニ・カン・サヤダウ(ウ・ザディラは彼の称号です)と呼ばれていました。彼は当時、ミャンマー中で最も有名な仏教僧でした。彼がどういう人であるかは、だれもが知っていました。彼は広く国民から栄誉を受け、教師として尊敬されていました。
 彼がそういう人『であった』と私が言うのは、1983年に彼は致命的となる交通事故に巻き込まれて急死したからです。彼の死はだれにとってもショックでした。当時、私は僧侶となって六年たっていました。

 私は、最善の僧侶になって仏教のすべての教えに従おうと熱心に努力していました。ある段階の時、私は墓地に移り住み、そこでいつも黙想する生活をするようになりました。釈迦の数々の真理を心から知りたいと願う僧侶たちは、私がしたのと同様のことをするのです。森の奥深くに入って行って、自己否定と貧困の生活をする僧侶たちもいます。

 私は、自分の利己的な思いや願望を否定し、病気や苦しみから逃れ、この世の循環から自由になることを追求しました。その墓地で、私は幽霊を恐れてはいませんでした。私はそのような内なる平安と自己実現を達成しようと努力していましたので、たとい私の腕に蚊(か)がとまっても、それを払いのけず、蚊が私を刺すがままにしていました!

 私が何年もの間、熱心に努めていたのは、できるだけ立派な僧侶になることと、どんな生き物も傷付けないことでした。私は、私の前のすべての先祖たちがしてきたように、仏教の聖典を学んでいました。

 私は僧侶としての生活を続けていましたが、ついに、とても重い病気にかかりました。当時、私はマンダライにいましたが、治療を受けるために病院に連れて行ってもらわねばならなくなりました。医者たちは私を検査して、私が黄熱病とマラリアの両方に同時にかかっていると言いました!

 入院してから約一ヶ月後、私の体はますます悪化していました。医者たちは、私には回復する見込みがないと言って、私に死を迎える準備をさせるために私を退院させました。

 以上が私の過去についての短い説明です。次に、この後私に起こった驚くべきことをいくつかお話ししたいと思います。

● 私の人生を永久に一変させた体験

 私は病院を退院させられた後、僧院に戻りました。そこでほかの僧侶たちが私の世話をしてくれました。私の体はますます衰弱していき、私は意識がなくなっていきました。

 後でわかったことですが、私は現実に三日間死んでいたのです。私の体は腐敗して死の悪臭を放っており、私の心臓は鼓動が止まっていました。私の死体を火葬にする準備がなされ、伝統的な仏教式の清めの儀式が施されました。

 私は自分の体の中で意識が薄らいでいきましたが、私の知性と霊は完全にはっきりしていたことを覚えています。
 私は、とても、とても激しい嵐の中にいました。すさまじい風のために地上の光景全体が平らにされており、そこには木々や、立っているものが何もなく、平らな平地があるだけでした。私はしばらくの間、その平地をとても速く歩きました。ほかに人はどこにもいなくて、私が一人いるだけでした。

 しばらくしてから、私は川を渡りました。その川の向こう側で、私は、とても、とても恐ろしい火の池を見ました。仏教では、私たちにはそのような場所についての概念はありません。最初、私は混乱してしまっていて、地獄の王のヤマを見るまでは、そこが地獄であるとはわかりませんでした。
(ヤマは、アジアのいたるところの数多くの文化の中で、地獄の王に対して付けられている名前です)

 彼の顔はライオンの顔のようであり、彼の体もライオンのようでしたが、彼の足はナガ(蛇の霊)のようでした。彼の頭には多くの角がありました。彼の顔は非常に凶暴で、私はこの上なく恐ろしくなりました。私は震えながら、彼に名前を尋ねました。彼は、「俺は地獄の王、滅ぼす者だ」と答えました。

● とても、とても恐ろしい火の池

 その地獄の王は私に、火の池の中を見ろと言いました。
 私がのぞき込むと、サフラン色の長服が見えました。それは、ミャンマーでは仏教僧が着る服です。私が近寄って見ると、だれか男の人の剃(そ)られた頭が見えました。

 私がその人の顔を見た時、それはウ・ザディラ・キャル・ニ・カン・サヤダウ(1983年に交通事故で死んだ、あの有名な僧侶)だとわかりました。私はその地獄の王に、なぜ、私のかつての指導者がこの拷問の池に閉じこめられているのかと尋ねました。私はこう言いました。
 「なぜ、彼はこの火の池にいるのですか? 彼はとても立派な教師でした。彼は、『あなたは人間なのか、それとも犬なのか?』という教えのテープも出していた人です。そのテープは、何千人もの人が、人間としての自分の価値は動物よりはるかに偉大であることを理解するの役立っていました」

 その地獄の王は、こう答えました。
 「確かに彼は立派な教師だったが、イエス・キリストを信じなかった。だから彼は地獄にいるのだ」
 私は、その火の中にいるもう一人の人を見ろと言われました。
 頭の左側に非常に長い髪が巻かれている男の人が見えました。彼も長服を着ていました。私は地獄の王に、「この人はだれですか?」と尋ねました。

 彼はこう答えました。
 「こいつは、おまえが拝んでいるゴータマ(釈迦・仏陀)だ」
 私は地獄の中でゴータマを見て、心がとてもかき乱されました。私は抗議して言いました。
 「ゴータマは立派な倫理を持っていて、道徳的にも立派な人格を持っていたのに、なぜ彼がこの火の池の中で苦しんでいるのですか?」

 その地獄の王は私にこう答えました。
 「彼がどんなに立派だったかは問題ではない。彼がこの場所にいるのは、永遠の神を信じなかったからだ」 それから私はもう一人の男の人を見ました。彼は兵士の服を着ているように見えました。彼は胸に大きな傷がありました。
 私は尋ねました。「この人はだれですか?」

 地獄の王は言いました。
 「こいつは、ミャンマーの改革の指導者のアウン・サンだ」
 私はこう告げられました。
 「アウン・サンがここにいるのは、彼がクリスチャンたちを迫害して殺したからだが、一番の理由は、彼がイエス・キリストを信じなかったからだ」

 ミャンマーには、人々が言う決まり文句があります。
 「兵士たちは決して死なない、彼らは生き続けるのだ」
 私は、地獄の軍団には、こういうことわざがあると告げられました。
 「兵士たちは決して死なない、ただし彼らは永遠に地獄に行くのだ」
 私が見ると、別の男の人がその火の池の中にいました。彼は非常に背が高い人で、よろいかぶとを身に着けていました。彼は剣と盾も持っていました。この人は額に傷を負っていました。

 この人は、私が今まで見ただれよりも背が高い人でした。彼は、人が腕を伸ばした時の、ひじから指の先までの長さの六倍分と、人が片手を広げた時の全部の指の幅とを合わせた分の背丈でした。その地獄の王は言いました。

 「この男の名前はゴリアテだ。彼が地獄にいるのは、永遠の神と彼のしもべのダビデをののしったからだ」
 私は混乱してしまいました。なぜなら、私は、ゴリアテにしてもダビデにしても、それがだれなのか知らなかったからです。

 地獄の王は言いました。
 「ゴリアテはクリスチャンの聖書に記録されている。おまえは今は彼を知らないが、おまえがクリスチャンになれば、彼がだれかわかるはずだ」
 それから、もうひとりの地獄の王が私のところに来ました。ある生き物も見えました。彼の仕事は、その火の池のすぐ下に火をたいて、それを熱くしておくことでした。

 この生き物は私にこう言いました。
 「おまえも火の池に入るのか?」
 私は答えて言いました。
 「ちがう! 私はここで見ているだけだ!」

 火をたいているこの被造物の表情は、非常に恐ろしいものでした。彼は頭に十の角があり、手には一本の槍を持っており、その槍の先から七つの鋭い刃が出ていました。その被造物は私にこう言いました。

 「おまえの言う通りだ。おまえは、ただ見るためにここに来たのだ。ここでおまえの名前を見つけることができないからな」
 彼は言いました。「おまえは今、来た道を引き返さねばならない」
 彼は私に、あの荒れ果てた平地のほうを指差しました。私がその火の池に来る前に、最初に歩いた平地でした。

● 道の分岐点

 私は長い間歩き、出血していました。私は暑くて、激しい痛みもありました。
 三時間ほど歩くと、ようやく、広い道のところに来ました。しばらくその道を歩くと、ある分岐点に来ました。一つの道は左のほうに延びていて、広い道でした。それより狭い道が右手側に延びていました。

 その分岐点に標識があり、左に延びている道は主イエス・キリストを信じていない人々のための道であり、右に延びている狭い道はイエスを信じている人々のための道であると書かれていました。

 私は、その広いほうの道がどこに通じているのか見たいと興味を持ったので、その道を進み始めました。私の前方およそ300ヤード(270メートル)のところを、二人の男の人が歩いていました。
 私は彼らと話ができるように彼らに追いつこうとしましたが、どんなに懸命にしてみても追いつくことができませんでした。

 それで私は向きを変え、あの道の分岐点に引き返しました。私は、その二人が私から離れて道を進んで行くのを見続けていました。

 彼らがその道の終点に着いた時、彼らは突然、突き刺されました。この二人の男性は激痛で叫び声を上げました! 私も、彼らに起こったことを見て、叫び声を上げました!
 私は、その広いほうの道の終わりは、そこを進んで行く人々にとって大いなる危険の中なのだとわかりました。

● 天国をのぞき込む

 私は、今度は、あの信じている人々の道を進み始めました。一時間ほど行くと、その道の表面が純金に変わりました。それはとても純粋であるため、私がのぞいて見ると自分の姿が完全にはっきり映って見えました。

 それから私は、男の人が私の前に立っているのが見えました。彼は白い長服を着ていました。
 美しい歌声も聞こえました。それは何と美しくて清らかだったことでしょう! それはこの地球上の教会でなされている礼拝より、はるかにすばらしく、より意味深いものでした。

 その白い長服を着た人が、自分といっしょに歩きなさいと私に言いました。
 私は彼に尋ねました。
 「あなたは、どういうお名前の方ですか?」
 けれども、彼は答えませんでした。
 私が彼の名前を六回尋ねた後、その人はこう答えました。
 「私は天国への鍵を持っている者です(マタイ16・19)。天国は、とても、とても美しい所です。
 あなたは今はそこに行くことはできませんが、もしあなたがイエス・キリストに付き従うなら、地上であなたの人生が終わった後、そこに行くことができます」

 その人の名前はペテロでした。それからペテロは言いました。
 「さあ、起きて、あなたが出て来た所へ帰りなさい。
 仏陀(ぶつだ)を拝んでいる人々や、偶像(ぐうぞう)を拝んでいる人々に語りなさい。彼らがそれを変えなければ、彼らは地獄に行かなければならないと、彼らに告げなさい。
 神殿や偶像を建造する者たちも地獄に行かなければならなくなります。
 自分のために功徳を得ようと僧侶たちにささげ物をしている者たちは地獄に行くようになります。
 僧侶たちに向かって祈りをし、彼らを『プラ』(僧侶への尊称)と呼ぶ者たちはみな、地獄に行くようになります。
 偶像に向かって歌い、それに『命を与える』者たちは、地獄に行くようになります。
 イエス・キリストを信じていない者たちはみな、地獄に行くようになります」
 ペテロは私に、地球に帰って、私が見たことについて証ししなさいと言いました。

 彼はさらにこう言いました。
 「あなたは、あなたの新しい名前で話さなければなりません。今から、あなたは、アテット・ピャン・シンタウ・パウル(『生き返ったパウロ』)と呼ばれることになります」
 私は帰りたくありませんでした。私は天国に行きたかったのです。
 天使たちが一冊の本を開きました。
 最初、彼らは私の子どものころの名前(シトピン)をその本で探しましたが、見つかりませんでした。

 それから彼らは、私が仏教僧のフード(頭巾)を着けるようになった時に私に与えられた名前(ウ・ナタ・パニタ・アシンスリヤ)を探しましたが、それもその本には書かれていませんでした。
 それからペテロは言いました。
 「あなたの名前はここには書かれていません。
 あなたは戻って行き、イエス様のことを仏教徒の人々に証ししなければなりません」

 私はその金の道を歩いて引き返しました。
 ふたたび、美しい歌声が聞こえました。それまでも、それ以後も、私が一度も聞いたことのない美しい歌声でした。ペテロは、私が地球に戻る時まで私といっしょに歩きました。
 彼は私に、天国から空に達する一つのはしごを見せました。そのはしごは、地上には届いてなく、空中で止まっていました。

 そのはしごの上に、大ぜいの天使たちが見えました。天国に上って行く天使たちや、はしごを降りて行く天使たちがいました。彼らは非常に忙しくしていました。
 私はペテロに尋ねました。
 「彼らは、どういう者たちなのですか?」
 ペテロは答えて言いました。
 「彼らは、神の使者たちです。彼らは、イエス・キリストを信じているすべての者たちの名前と、信じていないすべての者たちの名前を、天国に報告しているのです」
 それからペテロは、帰る時間ですと私に言いました。

● 「これは幽霊だ!」

 次に私が気付いたのは、泣き声でした。私の母がこう叫んでいるのが聞こえました。
 「我が子よ、あなたはどうして今私たちを置き去りにしたの?」
 私はまた、大ぜいのほかの人々が泣いているのも聞こえました。私は自分が箱の中に横たわっていることに気付きました。

 私は体を動かし始めました。
 私の母と父が叫び出しました。
 「彼は生きている! 彼は生きている!」
 遠くにいたほかの人たちは、私の両親の言うことを信じませんでした。

 それから私は両手をその箱の両横の上に置き、まっすぐに座りました。大ぜいの人々が恐怖に襲われていました。彼らは叫び声を上げました。
 「これは幽霊だ!」  そして、全速力で走って逃げ去りました。そこに残っていた人々は、何も言わずに震えていました。

 私は、悪臭のする液体と体の分泌物の中に自分が座っていることに気付きました。それはコップ三杯半くらいの量でした。それは、私の死体が棺(ひつぎ)の中に横たわっていた間に私の胃や体内から出て来た液体でした。そのため、人々は私が確かに死んだと知っていたのです。
 後でわかったことですが、私は炎の中で火葬にされる寸前でした。
 ミャンマーでは、死体は棺の中に置かれ、それから蓋(ふた)が釘打ちされて閉められ、棺が丸ごと焼かれるのです。

 私が生き返った時は、私の母と父が、まさに最期の時として私の体を見ることを許されていたところでした。あとほんの少しで私の棺の蓋が釘打ちされて閉められ、私は火葬されてしまうところだったのです!

 私は自分が見聞きしたことを、すぐに説明し始めました。人々はびっくりしました。
 私は、あの火の池の中で見た人々のことを彼らに話しました。また、クリスチャンたちだけが真理を知っていること、私たちの先祖たちや私たちは何千年もの間だまされてきたことを彼らに話しました!

 私は、私たちが信じてきたことはどれもうそであることを彼らに話しました。
 人々がびっくりしたのは、私がそれまでどのような僧侶であり、私が仏陀の教えにどんなに熱心であったかを知っていたからです。

 ミャンマーでは、人が死ぬ時、その名前と年齢が棺の横に書かれます。僧侶が死ぬ時、その僧侶の名前と年齢と、彼が僧侶として仕えた年数が、棺の横に書かれます。
 私は死んだ者としてすでに記録されていましたが、おわかりのように、私は今も生きているのです!  (終)
● 補足
 アテット・ピャン・シンタウ・パウル(『生き返ったパウロ』)は、この体験をする前は、長年にわたって仏教僧のフード(頭巾)を着け、仏教徒としての教えに厳格に従っていました。病気になって死ぬ前、彼はキリスト教に触れたことが全くなかったのです。彼が墓の中にいた三日間に学んだすべてのことは、彼が初めて知ることばかりでした。
 彼は生き返った後、ただちにイエス・キリストの福音を宣べ伝え始め、ほかの僧侶たちにも、偽(にせ)の神々をすべて捨てて心からイエス・キリストに従うようにと勧めてきました。
 ビルマ人の牧師たちは、彼がほかの何百人もの僧侶たちをキリストへの信仰に導いてきたことを証言しています。

出典:エターナル・ライフ・ミニストリーズ


08. 2010年4月29日 08:18:41: 2XylE9CvMM
>>06氏に同意

>>07
他者の不思議な体験は、あくまで他者の不思議な体験として
聴いておくのがよいでしょう。
自己投影や感情移入してはいけません。


09. 2010年4月29日 15:50:11: O3s6Z5xRnB
山ちゃんが07で投稿したことを整理すると
キリストは地獄の王のしもべのように思えます。

ならば、そこに出てくる、神やキリストと呼ばれる者
を鵜呑みにする事は出来ません

神やキリストは他に存在するのかもしれないからです。
地獄へ行った僧侶は、熱心だったかもしれませんが
彼が熱心だったのは経典や釈迦の教えと言うマニュアルに過ぎません

カルマが悪い事のように思う方も居るかも知れませんが
カルマを背負って初めて判る事もあるのではないでしょうか?

カルマを背負わないように、キリストの教えに背かないように

そんな風に生きて何を得られるでしょうか?
まるで、今の社会そのものではないですか

死後があるとして、死んだ後までそんな風に過ごすのか?

死後があるとして
「あなたは犬に生まれ変わります。」
天国(飼い犬)と地獄(野犬)があります。
言う事を聞けば天国になれますよ

どちらが幸せか?
人それぞれなんだと思う。


10. 山ちゃん 2010年4月29日 16:47:26: XjtGJYeP2OT7g: c66228xczw

ここにある証しは全く聖書の言うことと同じです。火の池があるし、滅びに至る広い道があれば、天国へと至る狭い道も福音書に出てきます。ペテロもいるし、パウロも後になって登場します。地獄の光景は「恐るべき火の制裁」を思い出させます。

07の証しを読まれた方々、ご感想をお聞かせ下さいませんか。
いろいろお有りでしょう。怖い!とか、嘘だろう!とか、イエス様を信じてみたいとか。
正直なお気持ちをお寄せ下さい。

人に見られるのはいや、という方はメールでも結構です。勿論、公表しません。
メアドはー>yamayori2007[アットマーク]yahoo.co.jp です。
ついでに、これまで掲載したその他の投稿についてのご感想でも結構ですよ。
ただし、不真面目と思われる投稿やメールにはご返事は致しかねますので。


11. 2010年4月29日 18:40:09: S78EsIhmRw
 主よ、憐れんでください。悔い改めのない私を憐れんでください。

12. 山ちゃん 2010年4月29日 19:37:25: XjtGJYeP2OT7g: c66228xczw

11さん。よく申し出て下さいました。有り難うございます。
主が憐れんでくださって、あなたを悔い改めへと導いて下さいますように。

もし、出来ますならば、更に一歩進んで、具体的に何を悔い改めるべきか、主の御前に出て、はっきりとさせて頂こうではありませんか。
神はあなたをとても愛しておられますよ。


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