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「イラク戦争をどうみるか」〜熊谷弘が歴史的観点からイラク戦争を検証する〜 前編 http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/828.html
「イラク戦争をどうみるか」〜熊谷弘が歴史的観点からイラク戦争を検証する〜 http://www.kumagai.ne.jp/column/entry.php?entry_pkey=37
イラク戦争は、戦争前に伝えられたような短期戦では終らないようである。どうなるにせよ、この戦争によって世界政治が劇的に変化することは、もはや明らかだ。中東地域にとどまらず、世界政治の枠組みに巨大なインパクトを与えずにはおかないだろう。 われわれの目はもっぱらイラクの戦争に注がれているが、もう一つの発火点である北朝鮮は静かである。ただこの静かさは、一瞬にして発火する恐怖を秘めた静かさである。なぜならば、北朝鮮の核武装は、彼らがその気になれば、だれにも防ぐことは出来ない段階に立ち至っているからだ。 われわれ日本人にとって、第二次世界大戦後、戦争は他人事であった。すでに六〇年近く他国と戦争をしたことのない国は、極めて少数である。平和は、いわば当たり前の状態であり、戦争は非現実的な世界であった。 かつて江戸時代、われわれはこのような平和の空間を経験してきた。 しかし、いまやこのような幸せの時は去りつつあるようだ。戦争はわれわれの前にリアルなものとして立ち現われつつある。 われわれは、この戦争の時代をどうみればよいのか。気がついてみると、戦争を認識する道具をほとんど持っていないのではないか。そもそも、軍事学とか軍事思想とかいったものは必要ではなかったし、必要であるべきではなかったからである。 野口武彦氏は、その著書『江戸の兵学思想』(中央公論新社)の中で、次のように述べている。 「イギリスの哲学者ホワイトヘッドに、すべてこれまでの西欧思想史はことごとくプラトンの注釈史であったという言葉があるそうである。そのひそみにならって言うなら、中国・朝鮮・日本のいわゆる漢字文化圏の思想史は、おおむね孔子の注釈の歴史であった。そしていま中国および日本の兵学思想史について同じ言い方をすれば、それは基本的にいって、『孫子』解読の積み重ねであったと断じても過言ではないであろう」 『孫子』は、春秋戦国時代に成立したとされる古代中国最高の軍事思想書である。英国の有名な戦略家リデル・ハートや、また米国の数々の戦略教科書でも必ず引用されており、時代を超えて戦争を語る者の思考の原点を示すものといっていいのだろう。 そこで、試みに『孫子』始計篇の最初のページを開いてみる。 「孫子曰く、兵とは国の大事なり。 死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」(戦争は国家の重大事である。国民の死活の決まるところ、国家存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮してかからなければならない) 至言ではないか。戦争はゲームではないのだ。国家や民族の存亡のかかる問題なのである。さて、われわれはとりあえずイラク戦争をどうみるか、『孫子』の導くところに従って点検してみることにしよう。 【II】 『孫子』は、第二に作戦篇を挙げる。 「その戦いは用(おこ)なうや久しければ即ち兵を鈍(つか)れさせ鋭を挫き、城を攻むれば力屈(つ)く。久しく師を暴(さら)さば即ち国用足らず」 戦争をはじめ、それが長引けば軍を疲弊させ、鋭気をも挫き、城攻めにでもなれば戦力は尽き果ててしまい、だからといって長期にわたる軍の露営は、国家の財政を甚だしく損なう、というのである。次いで、『孫子』はいう。 「夫れ兵を鈍れさせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫(つ)くすときは、即ち諸侯、その弊に乗じて起こる」 このように軍は疲弊し、鋭気は挫かれ、戦力も消耗し、財政も行きづまったとなると、他の諸侯は、その隙につけこんで兵を挙げるに違いない。 「故に兵は拙速を聞くも、未だ巧久を賭(み)ざるなり。夫れ兵久しくして国利ある者は、未だ有らざるなり」 だから、戦争には「拙くとも早く切りあげる」ということはあるが、「巧くて長引く」という例はみたことがない。そもそも戦争が長引いて国家に利益があったためしはないのである。 第二次世界大戦後の世界は、東西冷戦の時代であった。だが、Cold War(冷たい戦争)だけであったのではない。 Hot Warも大小数多く闘われた。朝鮮戦争(1950〜52)、米国のベトナム戦争(1960〜75:第二次インドシナ戦争)、中国のベトナム戦争(1979:中越戦争)、ソ連のアフガン侵攻(1979〜89)、数次にわたるイスラエルの中東戦争(1948〜1973間:第1次〜第4次)など、実の多くの戦争が行われている。 これらの戦争の行方をみれば、すでに述べてきたような『孫子』の理論は、ほとんど寸分違わず当たっていることに気づく。 【III】 『孫子』の第三編・謀攻篇は次のように説いている。 「孫子曰く、およそ用兵の法は、国を全(まっとう)するを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」 およそ戦争の原則は、自国を損傷しないことこそ上策で、損傷するものはこれに劣る。軍隊を無傷に保つことこそ上策で、傷つけるものはそれに劣る、というのである。そこで、引き続いて『孫子』はいう。 「この故に百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」 こうしてみると、アメリカの対イラク戦争は、『孫子』の戦略思想とは程遠いところにあるようである。さらに『孫子』のいうところに耳を傾けてみよう。 「故に上兵は謀を伐ち、その次は交を伐ち、その次は城を攻む。 ・・・〈中略〉・・・故に善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも而も戦うに非らざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国をやぶるも而も久しきに非ざるなり」 そこで最上の戦争は、第一に敵の合図や政治的・軍事的計略を無力化させることである。第二の方策は、敵の同盟関係を断ち切って、敵を孤立化させることである。それが不可能な場合は、敵軍を撃破することである。最悪の方策は、敵の城塞都市を攻撃することである。 だから戦いに巧みな者は、敵を屈服させても、それを戦闘としての上ではなく、敵の城を陥しても、それを攻めたてての上ではなく、他国を亡ぼしても、長期戦によってするものではない。 以上のような戦争の進め方の原則からいうと、現在イラクで戦われているアメリカのやり方は、『孫子』の戦略思想と対極的にあるように思う。
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