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「アバター」が映すアメリカの苦悩 気高い「野蛮人」に憧れる野蛮な「文明人」 (日経BP)
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投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 2 月 07 日 18:58:02: mY9T/8MdR98ug
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100203/212564/?P=1

 人気のSF映画「アバター」。もうご覧になった読者も少なくないだろう。1997年の話題作「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が、3次元映像技術を練り上げ、12年ぶりに放った大作だ。前評判通りの超話題作となった。

我々は「野蛮な文明人」なのかという自問

 この映画を見て、私はすぐにケビン・コスナー主演・監督の映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)を思い出した。19世紀半ばのアメリカ西部を舞台に、フロンティアで遭遇したインディアン部族に惹かれていく騎兵隊中尉を主人公にした物語である。

 19世紀当時、「野蛮」「未開」のイメージ一色のインディアン部族が、実はスピリチュアルな文化を持ち、気高い人間であることが描かれる。一方で「文明人」である白人の粗野、野蛮さが際立つ。

 検索してみたら、アメリカの映画好きブロガーたちも「アバターはダンス・ウィズ・ウルブズのSF版(Dance with Wolves in Space)だ」と評している。アバターに描かれた地球軍は明らかに米軍のイメージであり、破壊的でかつ金儲けの手先となっている。アメリカではこの点が大いに気にいらない方々もいるようだ。

 米ワシントンポスト紙(電子版)に寄せられたコラムの中には、「世界がテロリストの脅威にさらされ、アメリカがそれと戦っている時に、この映画はイラクやアフガニスタンで跋扈(ばっこ)するテロリストに加勢しているようなものだ」と批判するコメントが見られた。どこの国にもそうした政治的視野狭窄症の方はいるものだ。

 ところで、双方の映画に共通するテーマとして、野蛮な「文明人(白人)」vs.気高い「野蛮人」の構図は、実はダンス・ウィズ・ウルブズが初めてではないのだが、何を意味するのだろうか。アメリカ人の悔恨だろうか。第1にその点を考えてみよう。

 アバターにはダンス・ウィズ・ウルブズにはない際立った要素もある。それはこの映画が今日のアメリカ人の琴線にふれるヒーロー像を提供していることだ。戦場で傷つき下半身不随となった元海兵隊員の主人公ジェイクは、戦後の幾多の戦争、軍事行動で傷ついた今日のアメリカの姿を象徴しているように私には見える。第2にこのことの含意を考えてみる。

ベトナム戦争が転換点

 1950年代、60年代の西部劇に登場するインディアンのイメージは、「野蛮人、未開人」であり、西部を開拓する白人の敵としてひたすら撃ち殺される存在でしかなかった。(「ネイティブ・アメリカン」と言うべきなのだろうが、本稿では旧い通例に従って「インディアン」と呼ぶ)

 そうしたインディアンと白人のイメージに画期的な変化をもたらしたのが1970年の映画「ソルジャー・ブルー」だ。ソルジャー・ブルーとは白人の騎兵隊員のことである。インディアンの襲撃を受けて生き残った白人の娘クレスタがヒロインで、彼女はインディアンの酋長の庇護を受けて育つ。彼女が再び白人の世界に戻る途中で若い騎兵隊の青年ホーナスと一緒になる。彼はインディアンに父を殺され、彼自身インディアンに襲われた生き残りとなり、復讐に燃えている。この2人を軸に物語は展開する。

 映画のクライマックスは、インディアン部族を襲撃する騎兵隊の蛮行である。インディアンの手足を切り裂き、女性を輪姦し、子供の眼球を撃ち抜く白人騎兵隊の狂気と蛮行が描かれる。騎兵隊の青年ホーナスは愕然とする。これを契機にホーナスの世界観、白人vs.インディアン観は逆転する。つまり野蛮な「文明人」vs.気高い「野蛮人」の構図である。この後、青年ホーナスは騎兵隊に反逆する。この点がアバターの筋立てとも共通する。この映画が当時センセーションを起こしたのは、ベトナム戦争の最中だったことと無縁ではあるまい。

 ケビン・コスナー主演・監督による1990年の映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、アカデミー賞も受賞した話題作だ。南北戦争時代のフロンティアを舞台に、駐屯基地(砦)に志願して派遣された北軍の中尉ジョン・ダンバーが主人公である。その砦は見渡す限りの平原にあり、彼ひとりだけの辺境の砦だ。

 そこでダンバーはインディアンのスー族と遭遇し、やがてスー族に幼い時に救われて育てられた白人の女性(ヒロイン)を通じてスー族と親交を深めていく。当時北米の大平原に群れをなしていたバッファローは、肉も毛皮もインディアンの生活に欠かせない。ダンバーは彼らのバッファロー狩りに参加し、これが彼らにとって神聖な儀式であることを知る。大自然の中で、それに適合し、スピリチュアルな文化を育みながら生きるインディアンの世界にダンバーは魅了される。

 スー族が敵部族の襲撃を受けた時、砦に保管していたライフル銃をスー族に渡して共に戦い、すっかり部族の一員になる。ダンバーは「狼と踊る男(Dance with Wolves)」というインディアン名をもらい、ヒロインとの結婚を祝福される。

 しかし幸せな時間は続かない。やがてダンバーは反逆の罪で騎兵隊に逮捕される。連行されるダンバーを救出するためにスー族の戦士ら数名が騎兵部隊を襲う。ダンバーは救出されてインディアンの村に戻るが、この結果、騎兵隊とスー族の戦いは不可避の情勢となってしまった。この後に展開される惨劇を悲しく予兆させるシーンで映画は終わる。

 この映画の中では、「野蛮人」と思われていたインディアン・スー族の気高さと対照的に白人騎兵隊の野卑な姿が描かれている。例えば、ダンバーがインディアンの風俗を描いた日記を、ある白人の騎兵隊員は破って排便の紙として使用する。また、狼を射撃の的にして無用な殺生をする。

アバターはSF版「ダンス・ウィズ・ウルブス」

 アバターの物語は、ケンタウルス座のアルファ系の大型惑星ポリフェマス、その衛星パンドラを舞台にしている。この星は深い森に包まれ、地球より低重力のためか原住民ナビ人は身長3メートルもある。彼らは木から木へ軽々と飛び移り、地球人には真似できない高い運動能力がある。ナビ人のオマティカヤ族は巨大樹「ホームツリー」を拠点に暮らしており、翼竜のような大型飛行動物や6本脚の馬に乗る。ナビ人は疑いもなくインディアンのイメージである。

 この地にやって来た地球人は、常温超伝導物質で強い磁力を発する希少鉱物を発見する。これを採掘して地球に持ち帰れば、地球のエネルギー技術を一変し、巨万の富になる。その希少鉱物がオマティカヤ族の居住する巨大樹の地下に莫大に埋蔵されていることがわかる。その採掘を目的とした地球の資源開発省の代表とそれを護衛する軍隊がナビ人と対立する。

 アバターとは元の意味はヒンドゥー教で言う「神の化身」のことだそうだが、映画ではナビ人と地球人のDNAからバイオ工学で作られたナビ人の肉体のことである。地球人は自分のDNAに合わせて作られたアバターに電子的にリンクすることで、擬ナビ人としてパンドラで行動することができる。ナビ人もそのことを承知しており、地球人のアバターには警戒的だ。

 主人公のジェイクはアメリカの元海兵隊員であるが、戦場で負傷して下半身が麻痺し、車椅子の生活となった。彼には双子(一卵双生児)でパンドラに派遣される予定だった科学者の兄弟がいたが、兄は不慮の死を遂げた。そこで急遽代役としてパンドラに派遣されて元々兄のDNAで作られたアバターにリンクして働くことを引き受ける。

 パンドラに着くとジェイクは派遣軍の指揮官から「お前の極秘任務は、オマティカヤ族にとり入り、スパイとなることだ」と告げられる。こうしてジェイクはアバターにリンクしてオマティカヤ族への潜入成功し、酋長の娘ネイティリからナビ人としての様々な修行を受ける。修行を重ねるうちに、ジェイクはナビ人の生活とスピリチュアルな文化に魅せられ、娘ネイティリと恋に落ちてしまう。この展開はダンス・ウィズ・ウルブズのダンバーと酷似している。

 やがてジェイクと科学者チーム、空軍のパイロットら数名は、資源開発省と軍隊のナビ人に対する暴虐に憤り、反逆して、ナビ人と共に戦うことを決意するのだが・・・ここから先はまだ映画を見ていない方のために語らずにおこう。

白人中心主義とリベラリズム思想の対峙

 さて、最初の第1の問題に戻ろう。アメリカ映画に野蛮な「文明人」vs.気高い「野蛮人」の構図が繰り返し登場するのはなぜだろうか。この構図は、アメリカの保守思想としての白人(アングロ・サクソン)中心主義に対して、リベラリズム思想が対峙する時に登場する

 すなわち、アメリカのリベラリズムが示す異文化や文化的な多様性への理解と共感が根底にあるのだ。あるいは、自然を損なうことを代償に発展して来た現代機械文明の中で、人々が抱く自然的な要素に対するノスタルジーと悔恨であるとも言える。

 インディアンを土地から追い立て、彼らとの戦闘と流血の上に今のアメリカ社会があるという事実は、やはりアメリカ文化の負う原罪として国民的な深層心理に潜んでいる気がする。ただしそれを「アメリカ人にだって過去に対する贖罪意識があるんだな」と考えれば、少々「おめでたい」ことになるかもしれない。

 人類学者のレヴィ・ストロースが50年以上も前にこう語っている。

 「文明社会は、それらのものが(=白人の目に非文明的として映るすべての要素:筆者注)真の敵対者であった時には、恐怖と嫌悪しか抱かなかったにもかかわらず、それらのものを文明社会が制圧し終えた瞬間から、今度は尊ぶべきものとして祭り上げるという喜劇を独り芝居で演じているのだ」(「悲しき熱帯」、1955年)

 このストロースの言葉に補足は不用であろう。

寄り合い国家だからこそヒーローを渇望する

 第2のポイントはアバターが描くヒーロー(英雄)像である。この点でアバターは極めて娯楽的である。娯楽的という意味は、観客が見たい夢を見させるということだ。映画のクライマックスで主人公のジェイクはナビ人の間に古代から伝わる英雄伝説にまつわるある決死の挑戦に成功し(語らずにおく)、オマティカヤ族の前に戻る。英雄伝説の復活を目撃してナビ人達は息をのむ。ジェイクは「我々の世界を守る戦いに立ち上がろう」と呼びかけ、パンドラのすべてのナビ人各部族の戦士を動員し、侵略する地球軍を相手に決戦を挑む。

 下半身不随の元海兵隊兵士がパンドラの生態系とナビ人を救うヒーロー(英雄)として復活するわけである。英雄崇拝はどの文化にも共通する要素であるが、アメリカ人のヒーロー願望には独自な根強さがある。アメリカ文学者である亀井俊介東京大学名誉教授は著書「アメリカン・ヒーローの系譜」(1993年)の中で次のように読み解いている。

 「なぜアメリカ人はそんなにヒーローを求め、歓呼するのか。もとよりアメリカ人は西欧を中心に世界中から寄り集まった国民である。文化的背景、風俗習慣、言語さえ異なる人々の寄り合いで構成される社会の人間関係は、絶えざる緊張と不安にさらされている。アメリカ人とはいったい何か、自分は本当にアメリカ人か、といった不安感を克服するために様々なアメリカの集団的なシンボルが作られてきた」

 目に見えるシンボルとしては、国旗、国歌、独立宣言、合衆国憲法など、思想的なシンボルとしては「神」「自由」である。大統領は演説の最後に「God bless America」ということを決して忘れない。

 亀井教授によると「それでもこれらのシンボルはどうにも抽象的だ。もっと自分と同一視できるような『血肉の通ったシンボル』がほしい。その渇望にこたえるものがヒーローだ」というわけである。

 映画アバターは今日のアメリカ人の琴線にふれるヒーロー像を提供している。戦場で傷つき下半身不随の元海兵隊の主人公ジェイクは、戦後の幾多の戦争で傷ついたアメリカの姿の象徴である。その主人公がアバターで新しい肉体を得て、強欲と軍事的な暴虐から世界を救うヒーローとして蘇る。

アメリカ的なるものと非アメリカ的なるものの融合

 「おいおい、強欲と軍事はアメリカの十八番(おはこ)だろう。ずいぶん勝手な発想じゃないか」と思う読者も多いだろう。その通りだ。その点で、映画アバターの物語は、最もアメリカ的な要素と極めて非アメリカ的な要素の融合であり、そこにグローバルなメガヒットとなる普遍性も備えているのだ。

 チベット人やウイグル人がこの映画を見れば、ナビ人に自分らの姿を重ね、私たち日本人や西欧人は「ブッシュ+ネオコン」権力の挫折を重ね見る。もしかしたら、アメリカを狙うテロリストでさえ、この映画に興奮するかもしれない。

 自分との反対物までを飲み込んで自らのヒーロー伝説に仕立て上げてしまうこの精神を、アメリカの超傲慢さと感じるか、あるいはタフネス(強さ)と感じるか、それは皆さまのご自由である。私自身は、ナビ人たちの戦いに不覚にも目頭が熱くなってしまったとだけ言っておこう。
 

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コメント
 
01. 2010年2月28日 02:19:44
私も感想を書きました。

映画「アバター」が現代文明人に教えてくれたこと

http://rakusen.exblog.jp/12208821/


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