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米国諜報史上に残るCIAの大失態:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100121/212359/
米国諜報史上に残るCIAの大失態
あまりにも痛い「ダブルスパイによる自爆テロ」
菅原 出2009年12月30日、米国諜報史上に残る大惨事が発生した。
アフガニスタン東部のホースト州にある米中央情報局(CIA)の基地で自爆テロが発生。7名のCIA要員と1名のヨルダン政府関係者等が死亡した。「一度にこれだけ多数のCIA要員が殺害されたのは、過去30年間を振り返っても例がない」と言われており、米国の諜報史上に残るCIAの大失態として記録された。
しかも自爆テロ犯は、CIAが911テロ事件以来、緊密に協力してきた親米アラブ国家ヨルダンの情報機関がアルカイダに潜入させていたスパイだったことが明らかになっている。つまりCIAは、「ヨルダン情報機関とアルカイダの二重(ダブル)スパイによる自爆テロ」という前代未聞の手法で、奈落の底に突き落とされたのである。
このテロ事件は、これまで秘密のベールに包まれてきたCIAのアフガニスタンでの対テロ戦争の一端に光を当てると共に、米国情報機関の脆弱さや対アルカイダ戦争の困難さを改めて浮き彫りにし、「オバマの戦争」の先行きに暗雲を漂わせている。
テロリストの勝利の瞬間欧米メディアの報道などを総合すると、事件の概要は次の通りだ。
2009年12月30日の朝、パキスタンで「諜報活動」に従事していたヨルダン情報機関GIDのスパイで医師のフマム・ハリル・アブムラル・バラウィが、パキスタンとアフガニスタンの国境の1つグラーム・ハーンを通過し、あるアフガン陸軍のコマンダーと落ちあった。
通称「アルガワン」と呼ばれるこのアフガン軍人は、ホースト州にあるCIAの「チャップマン」基地の警備責任者をつとめていた人物だった。二人はホースト州の近くの村メルマンディまで車で向い、そこに用意してあった赤のトヨタ・カローラに乗り換えた。アルガワンがこのカローラを運転し、ヨルダン人スパイ、バラウィは後部座席に座った。
そこからCIAのチャップマン基地までは約40分。地元ではここがCIAの基地であることはよく知られており、厳重な警備態勢が敷かれていた。高い土壁で囲われた基地の外周には数多くのアフガン人警備員がAK−47軍用ライフルを手に警備を行っていた。基地の周囲4カ所には要塞化された見張り塔があり、監視要員が24時間体制で警戒を続けていた。また基地の敷地内にはさらに蛇腹形鉄条網のついたフェンスがあり、さらに3つ目のゲートにはアメリカ軍の兵士たちが警備にあたっている。
この3層にわたる警備体制があったにもかかわらず、バラウィを乗せた車は一度もセキュリティ・チェックを受けることなく、CIAや陸軍情報部の建物が並ぶ基地の内部にまで到達できた。
外周警備にあたるアフガン人たちにこの重要なスパイを見られたくなかったためか、警備員たちは「この赤いカローラの客人にセキュリティ・チェックをすることなく基地内に入れるように」と事前に指示を受けていた。基地内に入ってからは、このカローラを米陸軍のエスコート車両が先導したという。
赤のカローラは基地内に設置されている簡易収容施設の手前で停車。車の傍には、バラウィの到着を待ち焦れていたCIAの要員7名が、このヨルダン人医師をあたたかく迎え入れようと用意して待っていた。バラウィは片手をズボンのポケットに入れたまま車から降り、CIAの警護員がボディーチェックをしようと近づき、ポケットから手を出すよう指示すると、そのまま爆破装置のスイッチを入れ自爆した。この自爆テロ犯の視界に入っていた人物すべて、すなわちこの現場に居合わせたCIA関係者全員がその場で即死した。911テロに次ぐテロリストにとって最大の勝利の瞬間である。
自爆テロリストの正体この自爆テロリスト、フマム・ハリル・アブムラル・バラウィは、もともとクウェートで生まれたパレスチナ系で、イラクのクウェート侵攻に伴い家族でヨルダンへ移住。その後トルコのイスタンブール大学医学部を卒業したことが分かっている。
バラウィは過激なイスラム系ウェブ・サイトの影響を強く受け、ペンネームを使って頻繁に書き込みをしていた。また一時はイエメンに拠点を置く過激なイスラム系サイトHisbah.netを運営していたこともあったという。
「子供のころからジハードにあこがれ、いつかは武器を取り、自爆ベストを着て、ガザでの戦争で殺された子供たちや女性たちの恨みを晴らすのだ」というようなバラウィの書き込みが残っている。
パレスチナ系ヨルダン人のバラウィは、2008年のイスラエルによる3週間に及ぶガザ攻撃で1300人ものパレスチナ人が殺害されたことに大きなショックと強い憤りを感じ、ガザのパレスチナ人たちを治療するために、志願して医療関係の団体にボランティアで参加したり、ヨルダンにあるパレスチナ人難民キャンプ内のクリニックで働いた。バラウィの妻はトルコ人のジャーナリストで、彼女はアルカイダの幹部を好意的に描いた『オサマ・ビン・ラディン:東方のチェ・ゲバラ』の著者でもある。
2009年1月、バラウィによるイスラム過激派サイトへの書き込みが目障りになり出したヨルダンの情報機関GIDは、同氏を拘束。3日間にわたって尋問を行った。米「ワシントン・ポスト」紙によれば、この尋問中、GIDはバラウィを刑務所に送り彼の医者としてのキャリアに終止符を打たせると言って脅し、外国人の妻や二人の子供たちにも危害が及ぶことを示唆して脅迫したという。そしてそうされたくなければGIDに協力するようにと脅され、パキスタンに行って過激派テロ集団に潜入すれば、彼の過去の記録は清算され、家族の身の安全も保障されると取引を持ちかけられたという。
実際にはここまで単純な話ではないと思われるが、いずれにしてもバラウィはGIDと取引し、ヨルダン情報機関のスパイとしてパキスタンへ渡ることに同意し、両者の関係は深まっていったという。
バラウィが「医学の勉強のため」と称してパキスタンへ渡航したのは2009年3月。彼の真の任務は「アラブ義勇兵」としてアルカイダに加わり、アルカイダの内部情報、とりわけアイマン・ザワヒリのようなアルカイダのトップクラスのメンバーたちの情報を入手して、CIAを助けることだった。
「正確な情報」を送ったヨルダン人スパイバラウィは、アフガニスタンの軍閥ジャラルディン・ハッカーニのネットワークを通じてアルカイダに潜入したという。ハッカーニはパキスタン・アフガニスタン国境の部族地域の一つ北ワジリスタンに勢力を張り、アルカイダと緊密に協力しながらCIAや米軍に対する攻撃を展開しているグループである。CIAは昨年来、ハッカーニの拠点を潰すのに躍起になっていたと言われている。
やがてバラウィは貴重な情報をヨルダンの情報機関に送るようになる。アルカイダやタリバンの訓練キャンプやパキスタン国内の安全地帯がどうなっているのか、CIAのミサイル攻撃の結果どのような犠牲や被害が現地で出ているかなど、テロリストのインサイダーしか知り得ない情報ばかりだったという。
またパキスタン国内のアルカイダやタリバンの戦闘員たちの居場所に関する情報も提供し、これを元にCIAはさらに無人機によるミサイル攻撃をエスカレートさせた。
思い出してみると、ちょうど2009年の夏頃から、「アルカイダについての正確な情報が増えており、無人機によるミサイル攻撃の精度が高まってきた」という話が米情報機関筋から出るようになっていた。バイデン副大統領が、昨年夏以降のアフガン戦略見直しの議論の中で、無人機によるミサイル攻撃の重要性を強調したのには、こうした背景があったわけである。
2009年9月頃に米・ヨルダン情報機関は、「バラウィがアルカイダのハイレベルへの潜入に成功した」と結論付けるようになり、それを裏づけるように、パキスタン国内のテロリストに関するターゲット情報の精度が日増しに上がっていった。
2009年の後半にはバラウィの管理が正式にGIDからCIAに引き渡され、CIAがこのヨルダン人スパイを運用した工作活動全体に責任を持つようになった。ただし、バラウィと直接コンタクトをとる工作管理はGIDのシャリフ・アリ・ビン・ザイド大尉が継続して担当した。
「ザワヒリ情報」の誘惑に負けたCIA2009年12月に入ると、バラウィは緊急にCIAの上級オフィサーおよびGIDのザイド大尉との会合を求めてきた。バラウィは、アルカイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリの居場所を知っていることを示唆する暗号を送り、CIA現地幹部たちの興味を駆り立てる情報の断片をちらつかせたという。
このバラウィとの会合は、米国の対テロ戦争の行方に大きな影響を与える重要な情報をもたらすことになるかも知れないと判断したCIAアフガン支局は、ラングレーのCIA本部とホワイトハウスにまでこの情報を伝えている。
米紙の報道によると、CIAとGIDの内部では、バラウィが提供する情報とこの人物の評価をめぐって、内部対立があったという。確かにバラウィが提供してくる情報は検証も可能で正確だと判断されているが、「こんなに短期間にアルカイダのハイレベルのインナーサークルにアクセス出来るようになるというのは不自然であり、この人物の思想的背景からも情報源としての信頼性に確信が持てない」と主張する工作担当オフィサーたちもいたのである。しかし、所詮、CIAの幹部たちも生身の人間である。「アルカイダのインナーサークルに決定的な一撃を加えることが出来るかも知れない」との誘惑を前にして冷静な判断を貫くのは難しかったのであろう。
しかもCIAの現場の担当官たちは、ラングレーのCIA本部やワシントンのホワイトハウスからの凄まじい圧力に曝されている。当然このバラウィの情報は昨年来オバマ大統領へのインテリジェンス・ブリーフィングにも含まれていたはずである。ホワイトハウスが、「バラウィが約束したというアルカイダナンバー2の情報はどうなっている。工作を急ぐように」とCIAを急かしたとしてもまったく不思議ではない。
政治の圧力を受け、または政治家の期待に応えようと焦るがゆえに、情報機関が慎重論を排して不確実なインテリジェンスで突っ走ってしまうのは、ブッシュ政権時のイラク戦争の時と同じ構図である。
陸軍一個大隊に匹敵する大損害このホースト州にあるCIAのチャップマン基地は、アフガニスタン国内でCIAが直接運営する2つの基地のうちの1つである。それ以外の拠点は米軍基地の中に設けられている。
チャップマン基地は、パキスタン内のタリバン、アルカイダの拠点に対する無人機プレデターによる攻撃の前線基地であり、この攻撃に必要なパキスタン領内におけるタリバンやアルカイダ情報の収集を主な任務にしていた。
この小さな基地を指揮していたのはCIAきってのアルカイダのエキスパートである。過去14年間にわたってアルカイダを追い続けたこの女性は、このテロ組織に関しては「百科事典」のような知識を持つ専門家だったが、今回のテロで死亡した。
この後に「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が出した犯行声明によれば、彼らははじめからこの女性を狙ってダブル・スパイ工作とテロ攻撃を仕掛けていた様である。
今回のテロでは他にも若いテロ専門の分析家など、実際にスパイと接触しながら工作活動を行う現場の工作担当官というよりはむしろ、その上位にあって戦略や計画を立てるオフィサーたちばかりが殺されている。またバラウィの報告を聴くためにチャップマン基地を訪れていたCIAアフガニスタン支局の副支局長も、このテロで重傷を負ったと伝えられている。
かつてCIAの分析部でアルカイダ担当部長をつとめたマイケル・ショワーは、このテロ攻撃により、「米国が有するアルカイダ専門家のトップ5のうちの数人が殺害されてしまった」とまで述べている。「このタイプの専門知識を失った代償は大きい。すぐに取って代われるようなものではなく、短期間に彼らのような専門家を作ることは不可能」だからである。また元CIAの工作担当官であるロバート・ベアは、「これは陸軍で言えば一個大隊を失ったのに匹敵する甚大な損害だ」と米メディアにコメントしている。
泥沼のアフガン戦争1月9日、アラビア語のニュースチャンネルに、バラウィが「パキスタンのタリバン(TTP)」の指導者ハキムラ・メスード司令官と並んで映っている映像が流された。ハキメラは、2009年夏に米国の無人機攻撃によって殺害されたベイトゥラ・メスードの息子である。
伝統的なアラブ衣装を身にまとったバラウィは、「われわれはベイトゥラ・メスード首長の血を決して忘れてはならない。米国内外で彼のための復讐を求め続けるのだ」とアラビア語で述べて、このパキスタン・タリバン指導者が殺害されたことに対する報復として、米国のターゲットに攻撃を加えると宣言していた。
TTPはこれまでアフガニスタン国内でテロ攻撃を行ったことはないとされていたため、今回TTPがハッカーニ・ネットワークやアルカイダと連携してCIAに果敢に攻撃を仕掛けたことに関係者は一様に驚いている。
しかも、本来ダブル・スパイを使った工作とは、非常に洗練された作戦であるため、彼らがこのような高度な技を使い、しかも目標を見事に達成してCIAに甚大な被害を与えたことは、非常に重要な意味を持っている。
今回のテロ事件によって、CIAは数少ないアルカイダやタリバン、そしてアフガニスタンの専門家を失った。またアフガニスタン東部のインテリジェンス網の再構築を余儀なくされることになった。
この分野の立て直しは容易ではないだろう。しかも、対アルカイダの情報戦における貴重なパートナーであるヨルダン情報機関GIDとの関係も、この事件を契機にギクシャクしたものになっているはずである。
言うまでもなく、今後GIDが連れてくる情報源をCIAの工作担当官は疑いの目で見るようになるはずであり、GIDも本来秘密にしておきたかったCIAとの関係をここまで公にされては、アラブ世界での立つ瀬がなくなる。今後の対米情報協力には消極的にならざるを得ないだろう。
オバマの対アフガン戦略は、本格的な米軍増派を前にして、早くも大きく後退させられたと考えて間違いない。2010年、米国は泥沼の戦いを強いられることになりそうである。
【主要参考文献】
“CIA bomber struck just before search”, The Washington Post, January 10, 2010
“How this suicide bomber opened a new front in Al-Queda’s War”, The Times, January 10, 2010
“In Afghanistan attack, CIA fell victim to series of miscalculations about informant”, The Washington Post, January 16, 2010
“CIA bomber calls for attacks on U.S. in video”, The Washington Post, January 10, 2010
“Jordanians question alliance with US after Human Al-Balawi’s CIA suicide bombing”, The Times, January 12, 2010
“The Meaning of al Qaeda’s Double Agent”, Wall Street Journal, January 7, 2010
このコラムについて
オバマと戦争2009年12月1日、オバマ大統領は3万人の増派を中心とする新しいアフガン戦略を発表した。アフガンは米国にとって「第二のベトナム」になってしまうのか? それともオバマ政権の新しい思考とアプローチは、アフガンの地に安定を取り戻すことが出来るのか? 一方、いまだ治安の安定しないイラクから、米国は無事に撤退をすることが出来るのか? また、大統領選挙の混乱以降、政治不安の続くお隣イランの核開発問題は、これからどのような方向に進んでいくのか? そして、こうした中東の混乱に乗じて北朝鮮はどのような動きを見せるのだろうか? バラク・オバマが政治生命を賭けて取り組むアフガン戦争と、米国の安全保障を左右するイラク、イラン、北朝鮮をテーマに、「オバマの戦争」を追いかけていく。
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著者プロフィール
菅原 出(すがわら・いずる)1969年東京生まれ。中央大学法学部政治学科卒。平成6年よりオランダ留学。同9年アムステルダム大学政治社会学部国際関係学科卒。国際関係学修士。在蘭日系企業勤務、フリーのジャーナリスト、東京財団リサーチフェローを経て、現在は国際政治アナリスト。米国を中心とする外交、安全保障、インテリジェンス研究が専門で、著書に『外注される戦争―民間軍事会社の正体』(草思社)などがある。最新刊は『戦争詐欺師』(講談社)。