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http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/904316.html から転載。
2009年12月03日
エンゲルス‘アフガン難攻不落’正確な分析
原文入力:2009-12-03午前09:03:40
"ヨーロッパ 異教徒 統治できる所ではない"
150年前‘英国侵攻失敗’論文で指摘
以後 ソ連軍 撤収 苦杯…米軍も呻吟
リュ・ジェフン記者
←フリードリヒ・エンゲルス.
カール・マルクスとともにマルキシズムの創始者と呼ばれるフリードリヒ・エンゲルス(1820〜1895・写真)は150余年前にアフガニスタンは "ヨーロッパの異教徒らに統治されうる場所ではない" と予言した。バラク・オバマ米国大統領のアフガン増派が決定され、エンゲルスのこういう予言が新たに関心を集めている。
エンゲルスは1857年に書いた大英帝国のアフガニスタン侵攻(1838〜1842)失敗に関する論文で「アフガニスタンは地政学的位置とアフガン人の独特の指向で政治的重要性を持った」と評価し、部族に分かれたアフガン人の独特の指向にその理由を求めた。エンゲルスはアフガン人の指向について「彼らに戦争は刺激であり単調さからの気分転換」であり、アフガン人は「勇気があり大胆で独立心が強い種族」と記述した。
歴史的にアフガニスタンはムガール帝国とペルシャの支配を受けたが、部族首長らの封建的支配権が行使されてきた所だ。エンゲルスは地政学的位置のためにアフガニスタンがヒンドスタン平原を占領した外部勢力侵略の通路となり、何回も外部の侵略を受けたという点に注目した。このような点でインドを植民化した英国も例外ではなかったとのことだ。
1838年アフガンを侵攻した英国軍は進攻8ヶ月間でカブールを占領するなど傀儡政府を樹立し統治しようとしていた当初の計画を難なく達成したように見えた。しかし軍兵力を送りかえした直後にあちこちで蜂起が続き、ついに孤立した英国軍はアフガン人と屈辱的な交渉の末、撤収せざるを得なかった。その上に退却途中4500人余りの軍人と1万2000人余りの民間人は山岳部族たちの攻撃を受け、ほとんど抹殺される悲劇を体験しなければならなかった。エンゲルスはこの時の状況を "1812年のナポレオン軍のモスクワ退却" に比喩した。
英国のアフガン侵攻失敗に対するエンゲルスのこの文は<マルクス-エンゲルス選集> 18巻に載せられている。エンゲルスのこういう歴史的教訓に対する指摘にもかかわらず、ヒンズークシ山脈を越えたソ連軍は、やはり1万4400人の戦死者と5万3700人の負傷者を抱えて恥辱的な撤収を行わなければならなかった。
リュ・ジェフン記者hoonie@hani.co.kr
原文: http://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/391217.html 訳J.S