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長崎で被爆死「ふりそでの少女」 鶴折り半生 母逝く 反核運動に情熱 京都の107歳 福留さん
12月2日7時7分配信 西日本新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091202-00000011-nnp-l42
長崎原爆で被爆死し、振り袖姿で荼毘(だび)に付された少女を題材にした絵本「ふりそでの少女」。その少女の母親で反核運動に情熱を注いだ福留志な(ふくとめ・しな)さん=京都府綾部市=が11月29日、同市内の病院で肺炎のため107歳で死去した。原爆で引き裂かれた子を思い「平和が一番」と折り鶴を折り続けた半生。オバマ米大統領のプラハ演説以来、核兵器廃絶の機運がかつてなく高まる中、また1人、悲劇の証人がこの世を去った。
福留さんは戦時中、夫と中国・上海で生活。長崎市の親せきに預けていた長女の美奈子さん=当時(9)=は原爆で亡くなり、別の少女とともに薄化粧を施され振り袖姿で火葬された。
この模様を実際に見た同市の画家松添博さん(79)が1974年、絵に描いたのがきっかけで、少女の1人が美奈子さんだと判明。88年に松添さんが絵を携えて京都に福留さんを訪ねると福留さんは「炭のようになったと思っていたが、きれいでよかった」と涙を流したという。
「娘の供養のため長崎にお地蔵さんを」と願った福留さんの思いを受け建立されたのが2人の少女が空を舞う像「未来に生きる子ら」だ。綾部市民らが全国から寄付金を募り、96年4月、長崎原爆資料館の開館に合わせて屋上庭園に設置された。除幕式には福留さんも出席した。
美奈子さんが荼毘に付された長崎市滑石にある滑石中学では、この物語が語り継がれている。10月には2年生が京都への修学旅行で福留さんに千羽鶴を贈った。平和教育担当の豊坂恭子教諭(38)は「志なさんは核廃絶を願って、今年も病気と闘いながら折り鶴を1羽だけ折られたそうです。その心を引き継いでいきたい」と惜しんだ。
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福留志なさんの葬儀・告別式は2日午後1時から、京都府綾部市田野町田野山1の15、綾部市斎場で。喪主は次男の妻美智子(みちこ)さん。
=2009/12/02付 西日本新聞朝刊=