★阿修羅♪ > 戦争b2 > 116.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
無事解放に至ったのは、政府と『犯人』を仲介してくれた部族=地元住民のお陰だ。これをひと絡げに「テロ」と見ていたら、幸田さん事件と同じ結果に成っていただろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここから)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009112402000206.html
【国際】【関連】『シャワーを浴びたい』 学校建設感謝 地元住民も祝意
2009年11月24日 夕刊
真下さんが解放され、自宅前で喜びを語る妻の恭子さん(左)と長男の玄さん=24日朝、東京都板橋区で
【サヌア=内田康】「ちょっとシャワーでも浴びたい。九日間全然(風呂に)入っていないので」−。イエメンの首都サヌア近郊アルハブで武装グループに拉致された後、八日ぶりに解放され、二十三日夜(日本時間二十四日未明)、記者会見した真下武男さん(63)は、やや疲れた様子ながら、ほっとした表情を浮かべた。
「真下さんが解放され、アルハブからサヌアに向かっている」。そんな情報が流れ始めたころから、事件を管轄するサヌア州政府の庁舎には、日本やイエメンの記者たちが続々と集まり始めた。庁舎内に用意された会見場は多数の記者で身動きが取れないほどに。
午後九時すぎ、関係者に支えられるようにして姿を現した真下さんは、大勢の報道陣に一瞬、驚いたような表情を見せた。
席に着いた後は、しっかりとした口調の英語で「日本、イエメン両政府や大使館、すべての方々の協力に感謝します」とお礼を述べたが、視線は下を向きがち。それでも「外に出られず、四畳半か六畳くらいの部屋に閉じ込められていた」と拉致生活を振り返りつつ「シャワーは浴びられなかったけど、一番きれいなのはおしり。水で洗っていたから」と冗談も飛ばした。
真下さんの会見に同席した同州のドアイド知事が「学校建設でイエメンに尽くしてくれた。われわれは絶対に忘れない」とねぎらった通り、庁舎前の路上には、数十人のイエメン人が解放を祝って集まっていた。
アラブ伝統の刀を腰の前に差し、スカートのような民族衣装を着た部族の男性たち。会見を終えた報道陣が庁舎から出ると、事件解決を誇るかのように、みな右手を夜空に向かって突き上げた。
◆喜びの家族『刺し身とお酒用意』
「好物の刺し身とおいしいお酒を用意してあげたい」。イエメンで八日ぶりに解放された真下武男さんの妻恭子さんと長男の会社員玄さんは二十四日朝、東京都内の自宅前で取材に応じ、ほっとした表情を浮かべた。
同日午前二時すぎ、外務省と勤務先から解放の連絡を受けた。その後、電話で夫と直接言葉を交わした。
武男さんは、一年ずつ海外と日本で暮らす生活を続けており、最後に家族と会ったのはことし四月。
恭子さんによると、武男さんは「携帯電話とビデオを取り上げられ、狭い部屋に閉じ込められていた。どこにいるのかも分からなかった」と話し、「夜にゆっくり電話する」と切ったという。
「一時、解放の情報が出たまま進展がなかったので、どうなるか心配だった」と恭子さん。家族は現地には行かず、武男さんの帰国を日本で待つという。
◆犯人側が『おめでとう』
【サヌア=内田康】犯人グループの一人ムハンマド・サーレフ・アルゴーブ容疑者(30)は二十三日夜、二回にわたり、サヌア市内で取材中だった本紙エジプト人女性助手の携帯電話に自ら電話をかけ、被害者の真下武男さんの解放に祝意などを伝えた。
一回目の電話は、犯人側が真下さんを解放する直前の現地時間午後六時ごろ。同容疑者は淡々とした口調で「人質の解放を決めた」と語った。さらに、解放された真下さんがサヌア市内で会見を始める直前の午後九時ごろにも電話をかけ、「おめでとう」とだけ言って切った。
本紙側はその後、犯人一家の別の男に電話した。イエメン政府に四年前から拘束され、犯人側が釈放を求めていた男について、電話に出た男は「テロリストと新聞は書くが、うそだ。家が貧乏だから、彼はイラクで働いていただけだ」と主張した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここまで)
人質に「テロには屈さず」と見殺した愚は2度と繰り返しては成らない。
関連:
■拉致邦人の解放確認急ぐ イエメンの日本大使館(共同通信)
http://www.asyura2.com/09/warb1/msg/619.html
投稿者 近藤勇 日時 2009 年 11 月 18 日 07:00:20: 4YWyPg6pohsqI