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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu204.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子著 むずかしいのは未来
がどうなるかわからない時点で、何が起きるかを適切に推理することである
2009年11月24日 火曜日
『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子:著
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4255004854_1.html
◆『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子著 プレジデント 内田樹
http://president.jp.reuters.com/article/2009/11/04/909E82C8-C1F7-11DE-9919-08BA3E99CD51.php
これは東大の歴史学の先生が中高生20人を相手に5日間で日清戦争から太平洋戦争までを通覧したときの講義ノートである。一読して深く印象に残ったのは歴史を読むうえで必要なのは、知識よりもむしろ知性であるという著者の信念である。
著者が生徒たちの前に差し出すのは、「知識」ではなく、ましてや「史観」でもない。もっとずっと生々しいもの、すなわち「史料」である。個人の書簡、報告書、日記、地図、統計数値、そういうものがごろりと生徒たちの前に投げ出される。生徒たちはそれが何を意味するのかについて推論することを求められる。
事後的にはどれほど愚かしく邪悪なものと思えるような歴史的選択も、リアルタイムでの主観からは合理的で倫理的なものとして映現することがある。私は経験からそれを学んだが、著者もこの点についてはたぶん私と同意見だろうと思う。どのような理不尽と見えるふるまいにも主観的には合理性がある。
「あとぢえ」で、すでに起きてしまったことの理非について判定することはたやすい。むずかしいのは未来がどうなるかわからない時点で、何が起きるかを適切に推理することである。
太平洋戦争の大敗の理由の一つは日本がアメリカの航空機生産について見通しを誤ったことにある。1939年時点で日本はアメリカの2倍以上の航空機生産能力を誇っていた。しかし、2年後にはアメリカは年間2万機、日本の4倍に逆転した。
前例に固執する知性はしばしば未来予測を誤る。同じく、東条内閣が開戦決定の論拠としたのは、ドイツがソ連と休戦協定を結べば、西部戦線に戦力を集中できて、イギリスを屈服させ、その結果アメリカが継戦意欲を失うだろうという戦争終結シナリオだった。「希望的観測をいくえにも積み重ねた論理」ではあったけれど、その予測通りにことが進む可能性はゼロではなかった。開戦を決定した人々に欠けていたのは倫理性ではなく適切な推論をなす力であった。
その半面、国民党政府の駐米大使であった胡適はすでに35年の段階で、日中戦争の最初は中国軍が負け続けるが、戦線が広がり、日本軍の兵站線が延び切ったとき、ソ連が北方の手薄に乗じ、英米が南方の自国植民地への脅威を感じ、太平洋を主戦場にした戦争が始まるだろうと正しく予測していた(この話はこの本ではじめて教えてもらった)。
著者は講義の中で、近代史上の事件について、中高生たちに未来がどうなるかまだわからない時点に仮想的に身を置いて、「これから起きること」について推論させるということを何度か試みさせている。歴史的知性とは、歴史的事実の堆積から「鉄の法則性」を引き出す知性のことではなく、未来がまだわからない時点においてなお蓋然性の高い推理ができる知性の働きのことであるという著者の信念に私は深く共感するのである。
◆加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/soredemo-nihonjinha.html
刺激的なタイトルの本で、この前朝日新聞の広告をみたら12万部とあったので、売れているのだろう。大手の新聞でも書評でとりあげてられていた。
高校生を相手に、歴史学者の加藤陽子が近現代の日本の戦争史を講義するというスタイルで書かれている。
結論からいえば、面白い本だった。
ひとことでいえば、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」ではなく「それでも、日本の指導者層は『戦争』を選んだ」という視点で歴史をみていく、ということである。
このタイトルですぐに思い描くのは太平洋戦争における日米開戦だろう。
なぜ物量差が圧倒的にあるアメリカに戦争を挑むなどという馬鹿げたことを日本の指導層は実行に移してしまったのか、日本の指導層はアホが勢揃いしていたのか、それとも合理的で知性的なメンバーがそれなりにいたとしても誤謬を積み重ねて修正不可能にいたったのか……。
この本は、太平洋戦争だけに限らず、日清戦争以来、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争などそのときどきの「戦争」をなぜ日本の指導者層は選択していったのか、ということを、いわば指導者の視線に立って高校生に説いているのである。
表紙にはこうある。
〈普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか? 高校生に語る??日本近現代史の最前線。〉
裏表紙はこうだ。
〈生徒さんには、自分が作成計画の立案者であったなら、自分が満州移民として送り出される立場であったなら、などと授業のなかで考えてもらいました。講義の間だけ戦争を生きてもらいました。そうするためには、時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を簡潔にまとめる必要が生じます。その成果がこの本です。〉
あれ? 指導者層だけからの視点じゃないじゃん……と思うかもしれない。
たとえば、満州事変と日中戦争にのめりこんでいくうえで、国民がなぜ戦争を支持したかという記述が出てくる。そこでは農民は小作として貧しかった上に、29年恐慌で大打撃をうけているのに、当時の政党である政友会も民政党も非常に冷淡な態度しかとらないというような話が書かれている。
そのとき陸軍統制派が出すパンフレットには、義務教育の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護、さらに労働組合法の制定、適正な労使紛争解決機関の設置などが満載なのである。
〈政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあったと思います〉(p.317)
たしかにこうした視点は「国民視点」なのであるが、加藤は、ここからすぐに陸軍統制派はなぜそうしたスローガンを掲げたのか、という話に移ってしまうのである。彼らはドイツが第一次世界大戦に敗北した理由を分析し、武力戦では優位に立っていたのに、封鎖戦に耐えられず国民生活が瓦解していった、とみたのだ。〈そのうえで、今後の戦争の勝敗を決するのは「国民の組織」だと結論づける〉(p.318)。
国民の状況というのは、政治指導層が政策を選択するさいの「土壌」という扱いをうけている。
だから、この本を読んでうける印象は、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」ではなく、圧倒的に「それでも、日本の指導者層は『戦争』を選んだ」なのだ。(後略)
(私のコメント)
本の題名だけを見れば歴史修正主義者の書いた本というような題名ですが、今後の事を考えれば、当時の指導者の視線に立って考えてみる事も必要なのだろう。戦後の歴史教育は東京裁判史観のイデオロギーで見た歴史であり、無謀な侵略戦争をした軍部を批判していればそれで済むのだろうか?
当時の軍部は日本全国からエリート中のエリートを集めて指導層を形成していたはずだ。しかしながら彼らには戦略的な観方を見る目が無く、行き当たりばったりの事を繰り返していたように見える。現代の視点から見ればそのように見えるのですが、当時の状況を判断すれば、見通しを誤った事も仕方がないことなのかもしれない。
東京裁判は連合国側から見た歴史観からの解明ですが、裁判とは言っても政治ショーであり、今国会で行なわれている事業仕分け的な一方的な断罪である。中央省庁の官僚たちは自民党政権が倒れると言う事など想定もしていなかったのだろう。自民党政権が半永久的に続くのならば自民党の先生方と利権を山分けしようと考えてもおかしくはない。
満州事変や日中戦争も軍部だけの判断で出来る事ではなく、国民の支持が無ければ出来る事ではない。五一五事件やニニ五事件の際の国民の反応はどうであったのか、日露講和条約を巡る国民の反応はどうだったかを見れば推測はつくのですが、戦前における国民の熱狂的な強硬派は終戦と共に記憶の彼方に消え去っていってしまった。
圧倒的な物量を誇るアメリカと戦争をして長期化すれば負ける事は誰にでも分かる事だ。当時の戦争指導層はナチスドイツの電撃的な勝利にのって、硬直した当時の状況を打開しようとしたのだろう。ナチスドイツが勝つという判断は当時なら当然の判断かもしれない。ヨーロッパ全土を電撃作戦で制圧してロシアに対しても連戦連勝を続けていた。
当時の日本は中国で泥沼にはまっていた。朝鮮半島も満州国も中国も国防上からの進出なのでしょうが、東アジア全土を制圧して大帝国でも作ろうとしていたのだろう。「大東亜共栄圏」と言う言葉がありますが、欧米列強の植民地支配から開放して大アジアを建設しようという事は、鳩山総理の提唱する東アジア共同体とどう違うのだろうか?
その後の歴史展開を見れば欧米列強の反撃を食って日本は大敗しましたが、ナチスドイツが勝利していれば歴史は大きく変わっていただろう。ヨーロッパにしてもナチスドイツは消滅しましたがEUとなってヨーロッパの統一は実現している。東アジアも日本が積極的に動けば東アジア共同体も夢ではないのだろう。
戦前の日本は軍事力で強引に大東亜共栄圏を建設しようとしましたが敗戦によって泡のように消え去った。アメリカによって日本は骨抜きにされて日本全土にアメリカ軍の基地が建設されてしまった。日本に代わって中国が超大国となり東アジアの盟主として頭角を現してきましたが、アメリカはそれに同調している。
アメリカと中国が手を組む構図は戦中も今も変わらないようだ。アメリカの視点から見れば、ヨーロッパが統一されてしまうとつけ入る隙が無くなり、アメリカとしてはアジアに活路を見出すしかないのだろう。だからオバマ大統領もアジア重視を打ち出して、アメリカは太平洋国家として中国と手を組む事に決めたのだろう。
日本による「大東亜共栄圏」は否定されて、中国による東アジア共同体が作られる事でアメリカはG2戦略を打ち出した。大英帝国の時代も東南アジア支配は中国人を使って支配した構図があり、中国人は大英帝国の代理人としてマレー人やインドネシア人を使ってきた。現在のG2は米中による東アジア支配の宣言であり、日本はアメリカに手足を縛られたまま弱体化していく。
日本もドイツのように不屈の精神があれば、日本が中心となった東アジア共同体も作れたのでしょうが、日本は未だにアメリカによって占領されたままだ。軍事力による東アジアの統一は破れましたが、経済共同体としてヨーロッパのように出来ないものだろうか?
日本は確かに大東亜戦争に敗れましたが、軍事で破れただけであり明治維新からの200年戦争はまだ続いている。アメリカは国力が衰退してきていずれアジアから手を退いて行くだろう。日本はそれまでじっと我慢して見ているしかない。
日本は一時的にしろ全東アジアを統一しましたが、アメリカの妨害によって粉砕されてしまった。しかしインドやインドネシア始めとして欧米列強からの独立は達成されたのであり、大東亜戦争はムダではなかったのだ。もし将来東アジア共同体が出来る事があるとすれば、日本軍が占領した地域が東アジア共同体の地域になるだろう。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』と言う本を読んだわけではないので、書評は書けないのですが、戦前の日本がどのようなわけで大東亜戦争に踏み切ったのかの研究が疎かになっている。東京裁判史観が研究を停滞させてしまってその枠を超えていくことがいまだにできない。でなければ鳩山総理の東アジア共同体の夢は絵に書いた餅になるだろう。