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パキスタン 宗教を奉じる極右勢力にどう対応すべきか 占領と宗教的復古主義、双方との対決を (かけはし)
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投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 11 月 20 日 21:56:36: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/frame091123f.html

帝国主義、原理主義双方と闘うための具体的綱領が必要だ
                          ファルーク・タリク

 パキスタンは、アメリカ国務長官ヒラリー・クリントンの先の訪問をもって、国際ニュースのトップとなった。この訪問は、この地域におけるアメリカの政策に対するパキスタンの支持を固めるためだった。以下は、パキスタン政治における宗教的偏執勢力の役割と最近の強力さに対する、アメリカの責任を検証した。

アメリカと政府が混乱の元凶

 パキスタンは再度世界の注意を集める焦点となった。毎日、殺害、傷害、さらに共同体の追い立てを伴った、真新しい自爆攻撃と軍事作戦に関するニュースがある。近頃、いくつもの学校が一週間以上の閉鎖を命じられた。子どもですら死や自爆攻撃について話している。
 イスラマバードは、百二十五カ所以上の警察検問所を備えたある種の要塞都市となった。ラホールやその他の大都市も、同じ運命にさらされている。つまり、あらゆるところで警察による道路封鎖がある。テロ攻撃があるたびに当局は、新たに高度の防衛警戒警報を出し、追加的な障壁を設置する。当局とメディアは最近までこれらの「テロリスト」を、イスラム世界のために闘っているムジャヒディン(イスラム教を守るための戦士―訳者)と描いてきた。何という皮肉か。オバマ政権による強い圧力の下に、パキスタン政府は国のさまざまな地域における一連の軍事作戦に乗り出すことになった。これは前例のない殺害の波に導いている。そしてそこには、家を離れ一時的な避難所に向かうことを強制された何十万人以上もの人びとが付随している。
 さまざまな国籍をもつ宗教的偏執勢力は、9・11後アフガニスタンから押し出され、避難所をパキスタン内に見出した。彼らには二つの目的がある。一つはパキスタンをよりイスラム的にすることであり、もう一つは、アメリカ帝国主義とのパキスタン政権の親密な関係に対して、政権に教訓を与えることだ。しかしながら、その代価を払っているのは普通の人びとなのだ。
 この宗教的偏執勢力は新しいファシストだ。彼らは政治的敵対者の肉体的抹殺に信を置いている。彼らは反帝国主義者であるかのように見えるかもしれない。しかしそうであっても彼らは進歩的な勢力ではない。逆に彼らは、歴史の歯車を逆転させることを欲している極右勢力なのだ。

世俗国家からの変質の責任

 ご承知のようにパキスタンもまた「パキスタンイスラム共和国」である。宗教は国家の要となっている。憲法と司法の諸規定は、イスラムのデマゴギーを全面的にまとっている。教育指導要領のほとんどもまたイスラムイデオロギーで染め上げられている。科学的な説明であってすら何ほどかは、苦労して宗教を無理矢理持ち出している。宗教は生き方となっている。慈善へのすべての寄付は、最終的に宗教機構の金庫に収まる。宗教のない生活は考えられない。パキスタン国家にとっての合理性とは、唯一ムスリムのための場であることだ。とは言えそれはかつて、世俗的なムスリム国家であることだった。一九四七年に国家が作られたとき、住民は原理主義的ではなかった。しかし時が進むにつれてパキスタンは一つのイスラムイデオロギーを取り入れた。そしてそれが今日、先の宗教的偏執勢力に、イスラムの国という彼らの夢をふくらませるための好都合な土壌を与えている。
 一九七〇年代末、ロシアのアフガニスタン侵略をとらえてワシントンは、土着の対抗勢力を成長させると決定した。アフガニスタンで「共産主義」と戦うために、ワシントンは、パキスタンの軍事独裁者、ジア・ウル・ハク将軍、並びにパキスタンの情報機関、ISI(軍統合情報部)と密接に協力した。アメリカの直接的指導の下になされたタリバンとムジャヒディンの勃興を説明する本は何十とある。しかしISIには、一九八七年のソ連撤退後資金供与を止める理由など何もなかった。もはやこれらのゲリラにアメリカが興味をなくしたとしても、ISIは、カシミールに関するインドとの対立においてはこれらのジハードが役に立つことを見出していた。
 第二に、パキスタンには数多くの宗教政党がある。ジャマッティ・イスラミとジャミアト・ウルマイ・イスラムは、スンニ派やワハビ派の他の諸政党と並んで、全面的に一つのイスラム革命をめざしている。

ヒラリー・クリントンの告白

 アメリカ国務長官、ヒラリー・クリントンその人も、宗教的偏執勢力を後押ししたことに対するワシントンの責任を認めた。二〇〇九年四月二十三日に行われたアメリカ下院小委員会に対する彼女の告白がここにある。それは、アメリカ人がアフガニスタンの現在の悲惨な状況を実際に引き起こした、とするものだ。いわく、「ご承知のようにちょっとしたうまい考えのように響いたことを語ったのは、民主党が率いた議会と連携していたレーガン大統領だった。ISI、さらにパキスタン軍部と取引しよう。そしてムジャヒディンの新兵を募りに出かけようと。ここにはそれだけのきわめて強力な論拠がある。それは、ソ連を終わりにするためには悪い投資ではなかった。しかし、われわれが種をまいたものには十分注意を払おう。なぜならば、収穫するのはわれわれだからだ」。
 しかしながら、まいた種の収穫を刈り入れつつある者はアメリカ人だけではない。数え切れないパキスタン政府当局者には、全くの金銭的などん欲を動機にアメリカ人が彼らに要求したことは何でもやる準備ができていた。一九七八年以降のさまざまな諸政権はすべて、アメリカの親密な同盟者だった。ここには、ジア(一九七七―一九八八年)とムシャラフ将軍(一九九九―二〇〇八年)下の軍事独裁の二十年が含まれる。これらのさまざまな政権が宗教的偏執勢力に、宗教的教育機構創立を可能にさせた。そしてその機構は国の宗教的文化を変えてしまった。

公共教育無視とマドラス勃興

 パキスタンの若者にジハードをもたらすために宗教的偏執勢力が使った主な戦略の一つが、宗教学校(マドラス)開設を通すことだった。それらはジア独裁体制の下でキノコのように増えた。現在宗教学校はパキスタン中にある。一万五千以上の登録済みマドラスの内およそ半数はパンジャブ地方(パキスタン中央部―訳者)にある。専門家はその数はもっと多いと評価している。
 例えば、二〇〇五年に州がそれらを数えようとしたとき、地域内の五分の一は登録を拒否した。マドラスは、宗教的な教えと共に無料の教育を売り物にしたが故に、勤労民衆の間に一つの場を見出した。実際、無料の公共教育に向ける十分な財源を確保する上での政府の失敗は、マドラスの前進に向け道を掃き清めた。パキスタンは、世界の中で識字率が最低水準にある国の一つだ。教育に関し、諸政権は三%以下しか支出していない。パキスタン人のおよそ半分しか読み書きができない。
 それは、ベトナムのような一人当たり所得が同じような国の比率よりもはるかに低い。ユネスコによれば、学齢期にある子どもの内パキスタンでは三人に一人しか学校に行っていない。学校に行っても、その内三分の一は五学年までに退学だ。少女の入学は世界の中で最低のグループにあり、エチオピアやイエメンより遅れている。マドラスはパキスタンの小学校の約七%を占めるにすぎないが、その影響力は、公共教育の不十分性と地方の生来的な極度に強い信仰心によって増幅されている。そしてその地方には人口の三分の二が生活している。これらのマドラスが宗教的原理主義にとっての実体的な養育基盤だ。この国における一万五千以上の登録済み宗教学校は百五十万人の生徒と五万五千人の教員に向けられている。二〇〇二年以前、宗務省によれば、パキスタンの登録済みマドラス数は六千を超えてはいなかった。
 9・11後アフガニスタンを離れた宗教的偏執勢力はパキスタンにやってきた。そして彼らは、宗教的同盟者であるMMAが握る二つの州、北西辺境州とバルチスタン州の政府の助けを下に、もっと多くのマドラスを素早く創立することができた。二〇〇七年までに、国中には約一万三千の登録済み宗教学校があった。この時期ムシャラフ将軍はいわゆる「反テロ同盟」の仲間だった。彼は宗教的偏執勢力と帝国主義双方をうまく操っていた。二〇〇九年三月までに、パキスタンの登録済みマドラス数は一万五千七百二十五に達した。
 宗教的偏執勢力とアメリカ並びにパキスタンの情報機関との協力は、9・11まで抑制されることなく続いた。その後筋書き全体が変わった。ムジャヒディンにはテロリストとのラベルが貼られ、アメリカは宗教的原理主義の成長に対する軍事的解決を求めた。宗教的原理主義の成長は、アメリカとパキスタンの情報機関が作り出した結果というだけではなく、労働者階級とその同盟層が抱える基本的な諸問題のどれであれ、その解決に関する文民政権と軍事政権の完全な失策の結果でもあった。
 次々と交代した諸政権は、封建制度の支配力、パキスタン資本家の絶対的に搾取的な本性と労働者と農民に対する彼らの侮辱的な取り扱い、より小さな民族に対する抑圧と彼らが所有する天然資源の搾取、これらに終止符を打つことができなかった。支配階級は民主的な基準をもたらすことに惨めに失敗した。これこそ、軍事独裁が文民政権を打ち倒したときにはいつも、民衆の圧倒的多数が独裁に対するいかなる抵抗をも示さなかった理由だ。

軍事的解決路線に出口はない

 パキスタン人民党という現在の文民政権は、宗教的偏執勢力との取引に関してこれまで矛盾してきた。スワト地域において彼らは、和平協議からイスラム法廷を創設するための宗教的偏執勢力との合意へと、歩を進めた。二〇〇八年の総選挙の中で、宗教勢力は決定的に打ち破られた。二〇〇二年の総選挙で一五%を得票した地域で、彼らは二〇〇八年、三%以下しか手にしなかった。大衆が宗教勢力を拒絶した二〇〇八年総選挙の直後、宗教的原理主義を終わらせるための大衆的決起の代わりに、現政権は交渉を選択した。
 これが宗教的偏執勢力にさらに進むための刺激を与えた。彼らはマラカンド地区でのシャリア法を要求した。これは受け容れられ、協定が署名された。それは宗教的原理主義者にとってはまさしく励ましだった。彼らはそのとき、もっと多くの地域を支配するという彼らの企てにおいて、それ故彼らがイスラマバードから遠く離れているわけではないとの印象を与えつつ、さらに先に進んだ。ある種のパニックの中で政権は、アメリカの全面的な支援の下に、二〇〇九年六月、マラカンド地区における全面的な軍事作戦を選択した。結果は、三百五十万人以上の国内難民と五千人以上の殺害だった。
 現政権は原理主義者に対する軍事的勝利を豪語し、人びとに家に戻るよう求めた。しかしこれは軍による軍事的勝利などではなく、宗教的偏執勢力の一時的な退却だった。二〇〇一年十月の軍事攻撃の際アフガンのタリバンが行ったことを、宗教的偏執勢力も行った。彼らの基盤を救い出すことが可能となるようにだ。それはまた、単に後で再登場するための軍事的退却でもあった。宗教的偏執勢力に対する軍事的勝利の祝福は次の攻撃まで一カ月ももたなかった。
 二〇〇九年十月の一カ月間で彼らは、国のあちこちの警察訓練センター、有名なGHQ、軍総司令部を攻撃することができた。この月は両陣営における殺害を伴った最悪の血塗られた月と見なされた。他にはどんな選択肢もないと言いながら、パキスタンの多くのリベラル派は、宗教的偏執勢力に対する軍事行動を支持してきた。しかし、いかなる軍事的回答も宗教的原理主義者を排除などできない。それこそアフガニスタンの事例であり、パキスタンもそうなるだろう。軍事行動はただ彼らを他の地域に追いやることができるだけだ。宗教的原理主義者は都市テロリズムの戦術を使ってきた。都市テロリズムは、原理主義者の支配下にあると見なされた地域に侵攻する、というような方法で排除することなど不可能だ。マラカンド地区における、そして今のワジレスタンにおける軍事行動は、宗教的偏執勢力をパキスタンの他の地域に押し出すことになった。

短期と長期、戦略不在の口実

 軍事的解決は、原理主義者との戦いにおける終局的解決に向けた当面の段階として提出されてきた。それは、最小限目標と最大限目標という、古いスターリニスト理論に似ている。「最大限を手にするために最小限を要求せよ」は、哲学だった。それは、革命の最小限段階と最大限段階として知られていた。社会的領域ではこれは、短期戦略と長期戦略と表現されている。彼らにとって、軍事的解決は短期戦略であり、一方、長期戦略は諸改革とより高い発展を必要とする。しかしこれは全くの嘘である。要するにそれは何も解決しないだろう。これはまさにアメリカ帝国主義を喜ばせるための口実でしかない。短期と長期の戦略の間には何もないのだ。
 宗教的偏執勢力との戦いが前進しなければならないのであれば、それはいわば革命の綱領をもって始める以外にない。それは、国家から宗教を切り離すという政治的意志をもとに出発しなければならない。それは、パキスタン国家の性格という問題に対処しなければならない。宗教は国民の基礎となることはできないのだ。パキスタンの二民族理論は、バングラディッシュが成立した六〇年代と七〇年代のできごとによって深く切り裂かれた。似たような線に沿って、今バルチスタンでより深刻な危機が爆発しつつある。バルチスタンの独立を求める強力な運動が発展中だ。

全体を一括する計画が必要だ

 宗教的原理主義と戦うための具体的な綱領が存在しなければならない。それは、自爆攻撃に対する直接的対処と次のことを結び付けなければならない。次のこととは、経済的、政治的、社会的分野における行動の全体計画と共に、宗教的偏執勢力の拠点から彼らの活動にくびきをつけることだ。ここには、宗教的マドラスの国有化と教員の再訓練が含まれるべきだ。そこには、私有部門と公共部門双方における最低月一万二千ルピーの即時の賃金増額が含まれるべきだ。すべての差別法は廃棄されるべきであり、パキスタンの全市民は等しい憲法上の地位を享受しなければならない。
 現在、宗教的少数派を二級市民の地位におとしこめる法がいくつかある。政府には、宗教的偏執勢力に対する地方の抵抗を全面的に支援することに責任を負わせなければならない。宗教的原理主義者の拠点の市民社会組織には、それらが機能可能となるために、州による全面的な支援が与えられるべきだ。州は、宗教的偏執勢力と戦うための地方防衛委員会を維持し強化するために援助すべきだ。集会と演説の全面的な自由をもって、あらゆる私有部門と公共部門において、労働組合のすべての権利は復活されなければならない。
 現在の文民政権は軍事的解決を追求している。差別法のほとんどは、冒涜法を含んで今もそのままだ。政権は、軍事独裁の下で発布されたこれらの差別法を廃止するどのような計画も持っていない。それ故市民社会の諸組織は、諸権利回復に向けた政権の行動を要求する必要がある。宗教的原理主義勢力は国際的な基盤で組織している。彼らに対する戦いはその同じ水準で組織される必要がある。
 アメリカの「テロとの戦争」は、宗教的原理主義により多くの燃料を注いでいる。それはムスリムに対する戦争と見られている。帝国主義勢力によるイラクとアフガニスタンの占領は、テロ攻撃に対する政治的正当化の根拠を今も宗教的偏執勢力に提供している。占領はきっぱりと終わらせなければならない。イラクとアフガニスタンの占領を終わらせる、そして宗教的偏執勢力にはいかなる支援も与えない、そのようなキャンペーンは、進歩的な諸勢力の国際的な統一行動にとって基礎となり得る。宗教的原理主義反対のキャンペーンは、あらゆる進歩的諸勢力による反グローバリゼーションキャンペーンの要であるべきだ。
 われわれは占領と宗教的原理主義の両方に対決しなければならない。一方に反対するために他方を支援してはならない。宗教的原理主義と帝国主義の間の戦いは、嘘っぱち同士の戦いだ。一方に反対して他方の側に付くことで得るものは多くないが、戦いを終わらせ生活の代わりの方向を生み出すための空間を開くことで得るものは大きい。

※筆者はパキスタン労働党スポークスパースン
(「インターナショナル・ビューポイント」09年10月号)

 

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コメント
 
がちがちのイスラム教圏の人々にその「宗教的原理主義」を排除するような西洋的価値観が広く根付くとは思えんね。
トルコも政教一致に戻りそうだし。
2009/11/24 20:15

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