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そのとおりでがんす。おそれいりやした。 妹之山商店街さんは、いつも、ポイット討論ネタを放り出してくれるが、真実をついて出してくれる。 講釈垂れて「私は我慢できない」と逃亡するヒトもいるが、しかし、真実は強いね。負けないね。 有り難う。 2009/11/12 14:18 |
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02. 2010年1月03日 23:38:59 小学校の移転の話がなるのに、それをしないそうじゃないですか。 あきれますね、マスコミな地元の人には。以下の内容の26分からの情報みたら、ほんとあきれますよ。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm9276073 |
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03. 2010年1月08日 07:18:33 移転できる場所があったのに、基地闘争で有利だから移転させなかったなんて可愛そう。 もともと、普天間飛行場の周りにはもともと畑しかなかったのに、なんで住宅地になっているのだろうか。 これも米軍の仕業ですか? |
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04. 2010年4月28日 01:03:23: i2Cfxc7gbs 変換直後に沖縄へ行ったことがありますが、当時は沖縄でよい土地はほとんど米軍に接収され、住むところさえ大変なんだと土地の方が話されていました。 それは私のような本土から観光に行った人間にとっては、カルチャーショックというか、驚嘆以外の何者でありませんでした。 那覇のような都市はともかく、市街地から少し離れると、現地の住民の家と鉄条網で囲われている米軍兵士の住宅との差に愕然としました。 海岸近くの猫の額ほど畑で耕作されている方と話したところ、「この土地さえ米軍に接収されているのですけど、今は米軍が使っていないので、米軍のお目こぼしで畑として使わせて貰っています。いつ何時、米軍の都合で使えなくなるか判らない、だから、多年性の作物は作れない。」と言っていたのが印象的でした。 彼らは基地のすぐそばで「危険」であっても「騒音」が酷くともそこで暮らさないといけないとも言っておりました。 当時の私は若く、彼らの苦悩をあまり理解せず「嘉手納基地」から轟音を立てて飛び立つ「SR-71」を畑仕事をされていた住民の苦労を顧みることなく、喜んで見ていたことを恥じ入るばかりです。昭和20年6月6日、沖縄にいた海軍陸戦隊司令官大田実少将が海軍次官宛に打った電報 「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」 を思い出しました。 |
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05. 2010年5月15日 09:35:22: iKNegV1Qkw ★何年ぶりかにネット見て、目が潤んできた。 PCを前にして鼻水たらたらになった。すまん。 このこらの明るい声… この変わった授業をしたヘンな先生 この取材をしたTVスタッフ OAを完遂させた上司
おれにも、いま、しかと伝わりましたから くそ、なんだよ、この鼻汁は |
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06. 2010年5月16日 22:31:44: MbT9mK8jII 同じ戦争板にこんな質の高い、国民に沖縄の米軍基地の有り様を問いかける投稿と、9.11をネタにしたDVDや本の宣伝まがいの投稿とが同居してしているギャップには、考えさせられるものがあります。 |
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07. 2011年1月06日 17:24:55: sbKOJEIcLg
いまこの上の動画を見たら削除されていた。現在の普天間第二小学校の様子を見てみたかったのに、著作権侵害によって削除されてしまっているのがとても残念だと思う。 確かに著作権侵害はまずいのかもしれない。 だけど沖縄の現状を伝えられる手段があったのに、失くされてしまっているのが残念でならない。 |
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