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イスラエル ユダヤ人国家の植民地政策を批判する ボイコット、制裁キャンペーンに合流を (かけはし)
http://www.asyura2.com/09/warb1/msg/506.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 11 月 05 日 21:58:56: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/frame091109f.html

BDSにイエス! ウリ・アブネリへの回答

シオニズムは民族解放運動
ではなく入植奨励運動である

                      ミシェル・ワルシャウスキー

解説
パレスチナの人びとと
反帝国主義陣営を強化


 国際法を無視した「戦争犯罪国家」ともいうべきイスラエルの暴虐なふるまいは、昨年末からのガザ侵攻作戦によって、パレスチナの民衆はいうまでもなく世界中の人の怒りを新たにしている。こうした中で、イスラエルに対するBDS(ボイコット、投資引き揚げ、制裁)のキャンペーンが国際的に始まっている。イスラエルからの投資撤退を求め、イスラエル企業・商品、イスラエル協力企業などへのボイコットを通じて、イスラエルへの圧力と孤立化を強め、イスラエル自身の政策転換を求める運動だ。かつて南アフリカ白人レイシスト政権のアパルトヘイトに対して展開された制裁・ボイコットの運動は、ANC(アフリカ民族会議)が主導する黒人解放闘争と結びつき、ついにアパルトヘイトの撤廃、ANC政権の樹立に結びついた。
 日本でもさる五月三十一日に東京で開催された「スピークアウト for アクション イスラエルを変えるために」では、BDSキャンペーンが分科会の一つのテーマになった(本紙6月15日号参照)。二月に開催された第四インターナショナル国際委員会の決議は「BDSキャンペーンの最近の、そして将来の成功は、シオニスト国家を弱める役割を果たし、パレスチナの人びとと反帝国主義陣営を強化する諸条件を作りだす。この闘争の中で同時に、すべてのレイシスト的、反ユダヤ主義的、イスラム嫌悪・排斥の傾向と闘うことが必要である」と述べている(本紙3月16日号参照)。
 ここに掲載したイスラエルのオルタナティブ情報センター(AIC)のミシェル・ワルシャウスキーの文章は、シオニスト左派的なイスラエル平和運動の影響力のある古参メンバーであるウリ・アブネリの「BDS反対論」を批判したものである。
 ウリ・アブネリは週刊誌「ハオラム・ハゼブ」の編集者として、それまでの「シオニズム神話」に疑問を投げかける「ポスト・シオニズム」現象の代表的人格でもあった。トム・セゲフの『エルヴィス・イン・エルサレム』(柘植書房新社刊)は、「アヴネリはイスラエル国防軍、つまりヘブライ軍を崇拝していたが、それに加えて、アラブとの連携を呼びかけた。……彼はパレスチナにイスラエルと並んで、アラブ国家を作ることを訴えた最初のイスラエル人の一人だった」としている。
 『エルヴィス・イン・エルサレム』の訳者である脇浜義明氏は、同書の「訳者あとがき」の中で、アブネリがアメリカ主導の「中東和平ロードマップ」を支持し、「ロードマップがシャロンによって歪曲されたり、アラファトに責任を負わす形で潰されたりしないように、『下からのロードマップ』運動を構築する『平和のためのイスラエル人・パレスチナ人行動団体』結成式で、歪曲された歴史を真実の歴史に置き換える専門委員会の設置を提案した」と紹介している。(純)

ノルウェーが資
本の撤収を開始

 BDS――ボイコット、投資撤収、制裁――の呼びかけは、ついにイスラエルの世論に届いた。入植地建設に関係しているイスラエルの企業から資本を引き揚げるというノルウエーの決定は重大な影響を与え、この重要なキャンペーンに最初の大きな成功をもたらすことになった。
 さらに、「内部からのボイコット」という看板をかかげたイスラエル人のBDS支援グループは、ナオミ・クライン(訳注:カナダ出身のラディカルなジャーナリストで、オルタ・グローバリゼーション運動の活動家。邦訳に『ブランドなんかいらない』『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』:はまの出版刊)が彼女の著作『ショック・ドクトリン』のヘブライ語版刊行にあたってテルアビブに来た時に、イスラエルの活動家たちに行った公然たるアピールなどのおかげで一定のはずみを得た。
 いまだささやかなものではあれ、国際的なBDSキャンペーンに賛成するイスラエル人の声は多くの影響をもたらしている。それは、ユダヤ人国家の植民地政策をあえて批判するすべての人々に対してイスラエルの宣伝機構が振りかざす反ユダヤ主義という破廉恥な非難を減殺するのに役立っている。さらに、私がこの文章の最後の部分で主張するように、イスラエル人のBDS支持者は、実際にはイスラエル民衆の真の長期的利益を表明しているのだ。BDSを批判するウリ・アブネリの二つの文書を最近読んで、私はこのキャンペーンがいかに積極的なものであるか、そしてそれは可能な限り多くのイスラエル人によって支持されるべきものであることを明確にするために、それが重要であると確信した。
 私は、以前よりはるかに少なくなったとはいえアブネリの見解に同意しないこともある。しかし私は、ジャーナリストであり、活動家であり、アナリストでもある彼を尊敬している。そしてオスロ・プロセス期間中の「ピース・ナウ」(訳注:イスラエル最大の平和運動団体でシオニスト左派)の破産以後、私たちは共に密接な関係を持って活動してきた。私たちは友人になったとさえ言ってもよいほどだ。
 ウリの立場を最も正確に提示するために、私は分かりやすく言い換えるのではなく、彼の主要な意見だと私が考えるものを引用することにする。

「憎悪は平和を
もたらさない」

 「……私は、イスラエルを憎悪している人とは議論しない。それは全く彼らの権利ではある。私は、討論のための共通の土台がないと考えているだけだ」。
「私は、憎悪は非常に悪い助言者だと指摘したい。憎悪はいっそうの憎悪以外のなにものももたらさない。それは、われわれが南アフリカの経験から導き出すことのできる積極的な教訓である。南アでは、多くはツツ大主教の率いる「真実和解員会」のおかげで、彼らはかなりの度合いで憎悪に打ち勝った。そこで人びとは自らの過去の罪を認めた」。
 「一つのことは確かだ。憎悪は平和をもたらさない。これについて率直に言わせてもらう。イスラエルの占領に対してもっともな怒りを抱いている人びとの一部は、このことを見失っている」。
 「平和は、多くの恐ろしいことが起こった戦争の後に、敵どうしの間で作りあげられる。平和は、お互いに生きる用意があり、お互いに尊重しあい、お互いの人間性を認め合う人びとの間で作られ、維持することができる。彼らはお互いに愛し合う必要はない……」。
 「私はまた、イスラエル国の廃絶を望む人とは議論しない。たとえば米国やフランス――どちらも汚れなき過去を持っているわけではない――の解体を望むことが私の権利であるように、そうした願いを持つことは彼らの権利ではある」。
 「私に寄せられるメッセージの幾つかを読み、その内容を分析しようとすれば、イスラエルへのボイコットというよりイスラエルの存在そのものに関わるものだという感覚を持つ。一部の著作家は、明らかにイスラエル国の創建がその最初から恐るべき間違いだったと確信しており、したがって元に戻すべきだと考えている。歴史の車輪を六十二年前に戻し、新しくやり直すのだ」。
 「この点に関して本当に私を悩ますものは、西側のほんど誰もはっきりと態度表明し、語っていないことだ。イスラエルは廃絶されなければならないと。『一国家』解決案(訳注:ユダヤ人国家とパレスチナ国家の二つの国家の創設ではなく、一国家の下で両民族が共生するという提案。ワルシャウスキーはその立場である)のような一部の提案は、婉曲話法のように聞こえる。もし、イスラエル国は廃絶されるべきであり、パレスチナ国家あるいは幸福の国家によって置き換えられるべきだと考えているのなら、なぜそのようにはっきり言わないのか」。
 「もちろんそれは平和を意味しない。イスラエルとパレスチナの間の平和は、イスラエルの存在を前提とする。イスラエル人とパレスチナ人の間の平和は、双方の民衆が自決権を持ち、平和に同意することを前提としている。われわれのようなレイシストの怪物がボイコットゆえにわが国家を放棄するなどということを、誰か本当に信じているのだろうか……」。
 「リアルな議論は、イスラエルとパレスチナという二国間の平和を望んでいる人びとのものである。問題は、いかにそれを達成できるかである。これは誠実な議論であり、一般的には市民的方法でなされている……」。
 「ボイコットの支持者は、占領地を放棄し、平和に同意するようイスラエルを誘導する主要な方法、実際のところ唯一の方法は、外部から圧力をかけることだと信じている。私は外部からの圧力という考え方と争うようなことはしない。問題は誰に対する圧力なのか、ということだ。政府に対してか、入植者とその支援者に対してか。それともイスラエル国民全体に対してなのか」。
 「闘争は進行中である。それは決意を固めた反対陣営への厳しい闘争であり、われわれはオバマの和平政策が優勢になるのを支援するために、なしうる最善を尽くすべきである。われわれはこうしたことをイスラエル内部から、イスラエル人として行わなければならないのであり、したがってそれは米国のイスラエルに対する闘いではなく、イスラエル政府と入植者に対する共同の闘いなのである」。
 「そこからあらゆるボイコットはこの目的を支えるものであるということが導かれる。つまり入植者ならびに彼らを公然と支援する個人や諸機関を孤立させるためであって、イスラエルやイスラエル人それ自体に戦争を宣言するためではない。『グシュ・シャローム』(訳注:イスラエルの平和運動団体)が入植者の生産物にボイコットを宣言してから十一年間で、このプロセスは勢いを増してきた。われわれは、イスラエルのエルビト社から投資を引き揚げるという今週のノルウェーの決定を賞賛している。この投資引き揚げは、パレスチナ人の土地に建設され、その主要な目的が占領地をイスラエルに併合することにある『分離壁』に同社が関わっているからである。これは、国際法廷の決定に基づき、特別の目標に焦点を絞った素晴らしい例である」。
 「私はボイコットという考え方へのパレスチナ人の反応について聞かれた。現在パレスチナ人は入植者へのボイコットさえしていない。実際、経済的必要から入植地のほとんどすべての家屋を建設しているのはパレスチナ人労働者である。彼らの感情は推測できるだけだ。もちろん自尊心のあるすべてのパレスチナ人は、占領に反対する方向でのあらゆる措置を支持するに違いない。しかし、世界規模のボイコットにイスラエルは膝を屈するだろうという偽りの希望を目の前にちらつかせるのは正直なやり方ではない。パレスチナ人、イスラエル人、そして国際的な平和勢力の密接な協力のみが、占領を終わらせ、平和を達成するのに必要な勢いを創り出すというのが真実なのである」。
 「われわれのイスラエルにおける任務は、イスラエル人の多数派に平和はよいことであり、その代価は受け入れられると納得させるというよりも、まず平和は可能だということを納得させることにあるのだから、このことはとりわけ重要である。ほとんどのイスラエル人は希望を失っており、希望の復活は平和への道にとって死活的なのである……」。

「勝利のトラ
イアングル」

 私が偽りの議論だと考えることから始めよう。第一にウリは「憎悪は非常に悪い助言者だ」と書いているが、私は彼に同意しないという点では最も不適切な人間だろう。私が、われわれの政治的文脈の中で、憎悪は理解しうると付けくわえれば、彼は同意するだろうということを私は知っている。
 第二に、「イスラエルは南アフリカではない」という点である。もちろんその通りであり、すべての具体的現実はお互いに違っている。しかし、この二つの国は幾つかの類似点を持っている。両国はアパルトヘイト制度(アパルトヘイトの文字通りの意味は「構造的分離」である)を持った、レイシスト国家(違った種類ではあるが)である。両国は敵対的環境にあると見なされた(そしてその通りなのだが)非欧州人によって構成される民族的・エスニック的環境の中にある「欧州国家」として建国された。
 われわれは、さらに――そしてこのことはいっそう重要でさえあるのだが――、われわれの闘争において実質的な結果を達成するためには、パレスチナ人の民族的抵抗、イスラエル人の反占領勢力、そして国際連帯運動を含む共同の力学を築き上げる必要があることに同意している。私は十年前に、それを「勝利のトライアングル」と呼んでいる。
 ウリが彼の政敵について「彼らはイスラエル人に絶望した」と不当表示するまでは、多くの共通点があった。もし絶望していたのであったなら、なぜBDSキャンペーンを行なっている人びとは、ウリ・アブネリとともに、戦争・占領・植民地化に反対するイスラエルの運動を構築するのにあれほど多くの時間を費やしているのだろうか。真の論議は、「イスラエル社会の変革」を目指している人と、そうでない人との間で行なわれているのではない。どのように、何のために変革するのかという議論なのだ。

平和と公正
に関する相違

 ウリ・アブネリの政治的目標は「イスラエル―パレスチナ間の和平」、すなわち対称的基盤(彼はもう一つの重要な論文において、それを「真実対真実」と呼んでいる)の上で、二つのコミュニティーの多数派を満足させるべき妥協である。そのような対称は、アブネリのもう一つの重要な政治的仮説の結果である。すなわちパレスチナ紛争は、平等な正統性を持つ二つの民族的運動の間の紛争である、という仮説だ。
 BDSキャンペーンの支持者の多くは、両方の仮説に同意しない。われわれの目標は、そうした和平ではない。「和平」はそれ自身としては何も意味しない(近代史のほとんどすべての戦争は、平和を達成するという口実で開始された)。平和はつねに、一方が正統な権利と見なすものすべてを他方に強制できないという力関係の反映である。
 ウリと違って、われわれの目標は、個人的かつ集団的な基本的諸権利、支配と抑圧の終焉、脱植民地化、平等、可能なかぎりの公正といった一定の諸価値の充足である。こうした枠組みの中で、われわれは、暴力のレベルを削減し、あるいは一定の規模の権利を達成することができる「平和イニシアティブ」をはっきりと支持する。しかしわれわれの戦略の中では、平和イニシアティブへのこうした支持は、それ自身として目標ではなく、上述した諸価値と権利を達成するためのたんなる手段なのだ。
 「平和」と「公正」に関するこうした相違は、ウリ・アブネリの第二の仮説、すなわち二つの等しく正当な民族運動と願望の対称性という想定についての違いと結びついたものである。
 われわれにとってシオニズムは、民族解放運動ではなく植民地的運動であり、イスラエル国は、つねに入植者の植民地国家だった。平和、あるいはもっと良いものとしての公正は、イスラエル国の全面的な脱植民地国化(脱シオニスト化ということもできる)ぬきには達成できない。それはパレスチナ人――難民であろうと、軍事占領下、あるいはイスラエルの二級市民という条件下で生きている人であろうと――の正当な権利を実現するための前提条件である。脱植民地化の最終的結果が「一国家」的解決か、二つの民主的国家(すなわち「ユダヤ人国家」ではなく)か、連邦あるいは別の制度的構造であるかは二の次の問題であり、それは究極的には闘争それ自身のレベル、あるいはイスラエル人の参加のレベルによって決定されるだろう。
 その意味で、ウリ・アブネリが、われわれの違いが「一国家」か「二国家」かに関するものだと述べているのは誤りである。先に説明したように、相違は諸権利、脱植民地化、そして完全な平等の原則に関するものである。私の意見では、解決の形態は、われわれが二つの民族が自由(植民地的関係ぬきに)かつ平等に生活する解決策について語るかぎり、関係ない。

オスロ・プロセ
スの失敗と教訓

 ウリ・アブネリとのもう一つの重要な違いは、イスラエル人の心理、そしてパレスチナ人の民族運動の課題とイスラエルのいわゆる平和陣営との間の弁証法的関係に関わっている。パレスチナ民族運動ができるだけ早く、そして双方の民族にとってできるだけ苦痛の少ない形で解放を達成するためには、できるだけ多くのイスラエル人の同盟者を必要とすることは明らかであるが、パレスチナ人の運動が、ウリなどのイスラエルの反植民地主義者がイスラエル世論の多数派を納得させるまで待つことなど期待できない。
 二つの理由がある。第一に、民衆的民族運動は抑圧と植民地主義との闘いを待っていられないからである。第二に、植民地社会内部の変化はつねに解放闘争の産物であって、別の回り道はないことを歴史が教えているからである。占領の代価があまりにも高くなりすぎた時、ますます多くの人びとは占領を続けることは無価値だと考えるようになる。
 一般的には、イスラエル人の心は二つの現実、より正確には一つの現実と一つの現実認識によって形成されている、と言える。イスラエル人の心理を形成している現実はイスラエルの存在の植民地的現実であり、敵対的環境によって包囲されているという感情、控えめに言ってもシオニストの植民地化の力学によって脅かされているという感情である。イスラエル人の集団的メンタリティーを形成している別の要因は、ナチのジェノサイドの経験によって強められた反ユダヤ主義(現実のものと構成されたもの)である。
 他のあらゆる国民と同様に、イスラエル人は受け入れられること、さらには愛される存在であることさえ願っている。しかし彼らは二重の困難を抱えている。受け入れられることに必要な代価を支払うこと、すなわち市民的な作法でふるまうこと、関係を正常化する試みにおいて他を信じることである。
 そう、共存のために差し出される手が必要である。しかし権利と自由のために闘う鉄拳とともにである。オスロ・プロセスの失敗は、きわめて古くからの歴史の教訓を確認している。権利を履行する前の和解構想は、植民地的支配関係の継続を強める。支払うべき代価ぬきで、なぜイスラエルは植民地化を止めるだろうか、なぜ彼らは深い内部的危機というリスクを賭けるだろうか。

内部からのボ
イコットが拡大

 BDSキャンペーンがきわめて適切である理由がここにある。それはパレスチナ人が正当な権利を制度的レベル(国家と国際的な制度)と市民社会レベルの双方で達成することを支援するために行動する国際的な枠組みを提供する。それは一方で、国際法、国連決議、ジュネーブ条約、調印された協定に体系的に違反する国家への制裁を、国際社会に求めるものである。他方それは国際市民社会に対して、個人として、社会運動(労働組合、政党、地方議会、民衆組織など)として、物品、公式代表、制度など、植民地国家イスラエルを代表するものをボイコットするために行動するよう求めている。
 双方の課題(ボイコットと制裁)は、結果としてイスラエル国民への圧力となり、占領と植民地化が高い代価となり、国際法規の侵犯が遅かれ早かれイスラエル国を見捨てられた国家にしてしまい、文明化された諸国民の社会に歓迎されないことを理解させる後押しになるだろう。アパルトヘイトの最後の十年間の南アフリカのようにである。その意味で、ウリの主張とは違って、BDSはイスラエルの民衆に向けられたものであり、いまや占領・植民地化への態度の変化を引き起こす唯一の方法なのである。真の成果を生み出しはじめるまで二十年かかった反アパルトヘイトのBDSキャンペーンと比較すれば、イスラエルの占領に反対するキャンペーンがいかに効果を発揮しているか、そしてイスラエルでもすでにその最初の効果をもたらしていることに驚かざるをえないだろう。
 BDSキャンペーンは、パレスチナの政治・社会運動の広範な連合によって主導されている。パレスチナ人の民族的権利を支持すると主張しているイスラエル人は、このキャンペーンに対してお上品に背を向けることなどできない。長年にわたって「武装闘争は正しい道ではない」と主張しながら、この戦略もイスラエルの活動家によって不適切とされるだろうというのは言語道断である。それとは反対に、われわれはすべて、このパレスチナ人イニシアティブにイスラエル人の支援を提起するために、「内部からのボイコット」に参加する。それはわれわれがなしうる最低限のことであり、なすべき最低限のことなのである。

▼ミシェル・ワルシャウスキーはジャーナリスト、作家であり、イスラエルのオルタナティブ情報センター(AIC)の創設者。邦訳書に『イスラエル・パレスチナ 民族共生国家への挑戦』(柘植書房新社刊)がある。
(「インターナショナルビューポイント」09年10月号)

 

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