★阿修羅♪ > 戦争b1 > 316.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
10月20日11時0分配信 琉球新報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091020-00000009-ryu-oki
1945年の第2次世界大戦当時、南太平洋パラオ諸島の激戦地で、爆弾を持ち海底に潜って敵艦に近づき爆破させる「人間魚雷」の特殊部隊に、沖縄の漁民が動員された記録がこのほど見つかった。米軍が日本軍の無線を傍受した記録に記載されており、県公文書館がこのほど米国国立公文書館の米海軍資料から見つけた。専門家は「本土では45年、潜水具を着て敵艦を爆破させる特攻隊・伏龍(ふくりゅう)が本土決戦に備えていたが、その前段となる特殊部隊に、沖縄の漁民が動員されたことを示す資料は初めて」と話している。
45年4月4日に米軍が傍受した日本軍の無線連絡記録によると「パラオ海上特殊部隊は、敵のCH(駆潜艇)を攻撃したが、その中でも特筆すべきは、3月10日、士官らで構成した人間魚雷部隊による敵駆潜艇5隻に対する攻撃」「爆発1回、死を恐れない泳ぐ兵士による攻撃」とある。敵が受けた打撃は「大規模の被害1、中規模の被害2、死傷者100」と記録されている。
その上で「戦闘からの教訓」として「動員された士官や一般人の大半は、泳ぎや潜りに長(た)けており、沖縄現地で召集された漁師。…3人に1人は機雷と爆弾を持ち、敵に近づき、それらを爆破させる。彼らはこれに関する集中訓練を受けた。…この『特攻』精神を強化できるよう、彼らは機雷と爆弾(50キロ)を支給している」と記している。
戦争記録に詳しい吉浜忍沖縄国際大教授は「日本軍部隊の戦記に、パラオ諸島のペリリュー島で糸満漁民が戦闘で活躍したというのは出てくるが、『人間魚雷』という具体的記述はない。その戦闘の中身を裏付ける貴重な資料だ」と強調した。
また「45年にはパラオはほぼ米軍に占領されており、残存兵の戦闘だろう。漁民は沖縄現地ではなく、パラオで召集された沖縄出身者ではないか」と指摘。さらに「『戦闘からの教訓』は本土決戦に向けたもので、(この攻撃が)モデルケースにされた可能性がある。沖縄だけでなくパラオでも沖縄の民間人が根こそぎ動員されたことを示し、沖縄戦との比較の意味でも貴重な記録だ。泳ぎがうまい漁師の特性が利用された」と話している。
資料は20日午前9時から南風原町の県公文書館で始まる「海の沖縄戦展」で公開される。入場無料。
(新垣毅)