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(回答先: 文化板リンク:日本人は鬼畜なのか?人の心を持つのか?南京大虐殺を描く映画がついに日本で配給決定!(シネマトゥデイ) 投稿者 gataro 日時 2009 年 9 月 23 日 10:51:19)
集団的悪魔化の用語について
gataroさん、いつも多くの貴重な情報をご投稿いただき、ありがとうございます。ただ、この『日本人は鬼畜か?人の心を持つのか』というような表現につきまして、多少気がかりな点がございましたので、僭越ながらレスさせていただきます。
まず、「人の心」なのですが、私が自然界を眺め、そのうえで人類の歴史を眺め、そして現実を眺めましたところ、限りない残虐心を発揮できるのは、どうやら人間だけのようです。確かに他人を自分のように心配し愛する行為も「人の心」の発露には違いありませんが、同時にまた、限りなく私益を追求して社会を食い荒らす、残虐心を満たすために他人を殺し傷つけるのも、また、悲しいことながら「人の心」の発露ではないでしょうか。
自分の目先の利益のために平気で嘘をつき平気で素知らぬ顔をするのも、また紛れも無い「人の心」、グアンタナモやアブグライブで発揮されたものも、アフガニスタンで発揮されてきたのも、また「人の心」ではないのでしょうか。
悲しいことではあるのですが、「人の心を持つ」という言葉には、非常に大きな落とし穴があるように思います。おっしゃりたい内容は十分に分かっておりますが、別の表現方法がなかったものでしょうか。人間というものは、日本人でも、中国人でも、アメリカ人でも、スペイン人でも、ロシア人でも、ユダヤ人でも、アラブ人でも、みんな、愛すると同時に憎み、作ると同時に破壊し、与えると同時に奪う存在なのです。例外はありません。
次に、これが本題なのですが、「日本人は鬼畜か?」についてです。
確かに、日本軍による日中戦争中のアジア大陸での残虐行為は事実でしょう。それがベトナムやイラクなどと比べてどうか、という比較の問題はさておいても、膨大な数の人々を殺し傷つけ、人々の生活と社会を破壊したことに間違いはないでしょう。それは「戦闘中だったから」ということで言い逃れのできることでもないと思います。
私が気になったのは、まず、「鬼畜」という悪魔化の用語の使い方です。悪魔化の用語は太古の昔から様々にあるのでしょうが、第2次大戦中に日本の軍国主義者は「鬼畜英米」と言いました。その以前にスターリン支配のソ連では「修正主義者」が悪魔化の言葉、冷戦時代の米国では「アカ」「反米主義者」、21世紀には「テロリスト」などでしょう。(「陰謀論者」を悪魔化用語として使う人もいるようにも思えるのですが、私はこの用語の意味がさっぱり分かりません。「正直者」という意味なのでしょうか?)
もちろん人間は誰でも、他人を罵倒したり悪意を投げかけたり非難したりする際には、多くの場合にこのような悪魔化の言葉を用います。しかしそれが、支配的な権力を持つ者やそれにつき従う者達が、様々なメディアを用いて社会に定着させようとする場合、必ずといって良いほど、その裏にもっと大きな悪意が存在します。そして、一度そのような意味で使用された用語は、人間の社会が根本的に変化しない限りは、その悪魔化の威力を長期間保存します。
いや、gataroさんの「裏にもっと大きな悪意がある」と申し上げているのではありません。それはありえません。しかしその用語が社会に広まり定着する場合には、それを「裏にもっと大きな悪意がある」者達が悪用して流用し、人々の間(この場合、具体的には日本人と中国人の間)に敵意と憎しみを掻き立て、相手を脅迫し屈服させようとする流れを作って、それを政治的・経済的に利用するのかもしれません。先ほども申しましたように、人間の汚さと残虐さは何人にも、いかなる個人にも共通します。
このような用語の使用には慎重さが必要ではないでしょうか。
次に、「日本人は」という、私やあなた自身、私やあなたの親や子供や兄弟を含めて、集団的にくくる言葉の使用です。かつてヒトラーは「ユダヤ人」を集団的に悪魔化しました。逆に現在ではイスラエルを支持するユダヤ人の一部にそれを逆用して集団虐殺を働く者達がいます。
しかし、くりかえしますが、美徳と同時に、利己心、残虐心、無知などの悪徳は、いかなる人間にもすべて共通のものです。いかなる人間に対しても、どのようにしてその悪徳が歯止めなく発揮されることを防ぐ手段を作ることが、平和への願いを実現させる道でしょう。ある特定の国民や民族、集団をひとくくりで悪魔化することは大きな誤りです。いかなる民族・国民の集団であろうとも、集団的に悪魔化されるべきではないと私は考えます。間違っているでしょうか?
集団的な悪魔化には、かならずその裏にそれを超える悪意が存在する、あるいはそこに悪意が付け込んで来ることでしょう。gataroさんが無自覚でお使いになったこのようなお言葉は、残念ながら、日中両国間と両国民の平和や相互の尊敬という、gataroさんが本来目指しておられる方向とは逆の方向に悪用される危険性があるのではないでしょうか。
ご考慮願えませんか。
以上です。