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「ニューギニア未帰還兵展 私たちは帰りたい。祖国日本へ」 【神州の泉−高橋博彦】
http://www.asyura2.com/09/warb0/msg/663.html
投稿者 弥太郎 日時 2009 年 9 月 15 日 14:21:22: 2j9DCs8Lv3S7M
 

【神州の泉−高橋博彦】
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/09/post-63d5.html

2009年9月15日 (火)

「ニューギニア未帰還兵展 私たちは帰りたい。祖国日本へ」展示会のお知らせ!

管理人の知る、ある方の奥さんのお父上は、ニューギニアのウエアクというところで戦死しているそうです。遺骨はまだ戻ってきていません。その方から「神州の泉」に「ニューギニア未帰還兵展 私たちは帰りたい。祖国日本へ」と題した展示会が、東京都内で開かれていることを知らせて欲しいと頼まれました。

 先の戦争で戦死した日本兵の遺骨収集は遅々として進んでいないのが現状のようです。この小規模な展示会は、遺品(水筒など)や写真を展示しているそうです。反響が大きいため会期を当初の9月末から10月末に延長したそうです。

 管理人は、遠い異国の地で果てた人たちのことを、あまり考えたことはありませんでしたが、その人たちが祖国へ還りたかった心情を思うと、胸が痛みます。未帰還兵の遺骨が多く当時のままに眠っていることを思うと、日本の故郷で眠らせてあげたいと思います。拙い知識ですが、南方戦線で死んだ兵隊さんは、赤痢やマラリヤなどの風土病や飢えなどで死に至った事例が、戦闘死よりも圧倒的に多いと、何かで読みました。

 だとすれば、衰弱して死ぬまでに時間があり、いよいよ死を迎える時には、祖国の風景や肉親、親しい人などが心に強く浮かんだに違いありません。日本を思ったまま、凄惨な状態で死を迎え、その骸(むくろ)は風雨に晒され、泥土に埋まり、骨となったまま60数年が経過しています。その状況を想像すると凄愴と言うよりも、還ってきて欲しいという思いが募ります。


   「還りたい   祖国・日本へ」


(以下は展示会に関するホームページからの引用です)

 去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最期”に関する情報を探し続けてきました。しかし、戦死の正確な場所はおろか、戦死日さえ疑惑に包まれた「戦死公報」は、遺族の気持ちを納得させるものではありませんでした。いわんや、遺骨はおろか遺品さえも戻ってはきませんでした。「国から手渡されたものは、氏名を書いた一枚の紙が入っている白い木箱だけでした」---大方がそう言っています。

 一方、西部ニューギニア地域には、今でも推定で少なくとも3万を超える旧日本軍将兵の遺骸が瞑っています。「赤紙」一枚で召集され、国家の名において戦場へ。そして戦没。帰ってきたのは一枚の戦死公報という名の「白紙」一枚でした。“英霊”と称せられる“霊”は本当に靖国の社に戻ってきているのでしょうか。遺骸が、戦場に倒れたそのままの姿で残っている姿を目にするとき、どうしてもそうは思えません。なぜなら「終戦」さえ、国家は未だ彼らに正式に伝えていないからです。さらに、未だ彼らの遺骸を拾いに一度も行っていないからです。

 インドネシア文化宮(GBI)は本来、インドネシア全土の文化を日本で展示紹介する場所です。しかし、そのインドネシアに3万を超える同胞が野晒しのまま放置されている現状を知る時、それら遺骸は現地の記者をして“日本軍が残したサムライ文化”と言わしめる、まさに“インドネシアに残る日本軍史”の傍証そのものです。

 パプア人記者が尋ねます。『日本では、国家が発動した戦争に駆り出された青年たちが死んだ場合、遺骸はその地にそのまま放置することが普通なのでしょうか?』『あちらこちの村々で、弔われない日本兵の霊が彷徨っている、と噂が絶えません。彼らが天国に行ったと、地元民は誰も思っていません。豊かな日本が遺骨さえ集めに来ない理由は何ですか?』

 8月8日のスタート以降、肉親情報を必死で探し求める方々がインドネシア文化宮にやってきています。こうした状況を踏まえ、そうした情報収集に協力するため、展示会を10月30日まで、一ヶ月間延長することにしました。

 来る10月15日には、今年二回目の厚生労働省派遣の西部ニューギニア遺骨収集団が帰国し、当日午前、東京・千代田区三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑で納骨式が行われる予定です。

★「ニューギニア未帰還兵展 私たちは帰りたい。祖国日本へ」
★会期 2009年10月30日
★場所
インドネシア文化宮
〒161-0033東京都新宿区下落合1-6-8
Tel: 81-3-3360-9171 or 81-3-5331-3310
E-Mail: okawa@mxg.mesh.ne.jp
★問い合わせ 大川誠一

 以下は「未帰還兵からのレター」という架空の設定のものです。示唆に富んだ内容ではないでしょうか。

お母様、お父様、お変りございませんでしょうか。
お婆様、お爺様 お元気でしょうか。
兄上様、姉上様、そしてご家族の皆様、達者でお暮らしでしょうか。
叔母様、叔父様、そしてご家族の皆様、お変わりありませんでしょうか。
戦友の皆々様方、日本は立派なお国になりましたでしょうか。

皆様とお別れして、もう60数年が経ちました。
私は今も、ここ西部ニューギニアの地で皆さまの事、お国の事を忘れる日はありません。
皆さまはまだ私の事を覚えていてくださっていますでしょうか。覚えていてくれるものと信じています。

あの戦争が終わったことを私は知りません。戦争が終わる前に、私はこの世の者ではなくなってしまいました。
あれから60数年。皆さまも齢を重ね、私と同じく、この世の者ではなくなった方も少なくないことでしょう。
願わくば、お国が見事に発展し、皆様方がお幸せに日々を過されていることです。

私は20歳代で、このパプアの地で生を終えました。戦友には30歳代、40歳代、50歳代の方もいます。皆、飢餓と熱帯病に纏れ、皆様と再会することなく、無念にもこの地で果てました。皆様の御多幸と、お国の発展を祈って、恥ずかしながら果ててしまいました。

私は、愛する故国に戻ることはできません。白骨となった私は、今この西部ニューギニアを離れることができません。そのため、こうして水筒、飯ごうの蓋が代わりに祖国日本へ戻ることになりました。
皆様、これだけの手がかりしかありませんが、どうぞ私の故郷を探し出していただけませんでしょうか。私が誰だったのか調べていただけませんでしょうか。白骨の姿ではありますが、どうしても祖国に帰り、皆様と再会し、あの生きていた時代の証しを確認し、一人の人間としてきちんとこの世とお別れしたいと願っています。  

私にもはや口はありません。ニューギニアの大地、陽も射さない洞窟、そして深いジャングルに放置されています。あれから60数年、一度として同朋の皆様にお目にかかったことがありません。誰も探しに来てはくれませんでした。何も求めるものはありません。私がどこで生まれた誰だったのかを再認識したいだけなのです。それだけの願いでございます。皆様のお力添えに感謝致します。日本は厳しい暑さの夏ですね。どうかお身体、ご自愛ください。ここは 熱暑のニューギニア。赤道直下の高温多湿を友に、私どもは皆様からの呼びかけがある日を心待ちにしています。

西部ニューギニアに瞑る一人の未帰還兵より

追伸

日本の皆様その後 お変わりございませんでしょうか
お別れしてからもう60幾余年になります 
その後 日本はどうなったのでしょうか
アメリカに勝ったのでしょうか

皆様の事はっきり覚えていますが 
出征したままの私の事覚えていますでしょうか
戦友達の多くは敵弾に斃れ、また最後まで行動を共にした仲間もみんな亡くなりました
援軍を待ちながら玉砕した後、いつかは私達の骨を拾いに来てくれるものと期待していましたが、今日の今日まで誰も来てくれませんでした

皆様のご健勝をお祈り申し上げます

 

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