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米国を揺るがす基地内の少年拷問
グアンタナモ収容所の深い闇
2009年08月12日(Wed) 石 紀美子
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石 紀美子 Ishi Kimiko
東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒。元NHKディレクター。2000年から2003年までボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの国連に勤務し、戦後復興プロジェクトに従事。現在は米サンフランシスコ在住。
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1530
ブッシュ前政権より受け継がれた最大の負の遺産、キューバ南東部にあるグアンタナモ米軍基地内の対テロ収容所(以下、グアンタナモ)。
ここで取り返しのつかない間違いが起こった。そして、その代償をオバマ政権が払わなければならない羽目となり、ホワイトハウスは今、改めてグアンタナモの闇の深さを思い知らされている。
2002年、アフガニスタンで米軍の車両に手榴弾を投げ込み、米兵2人と現地通訳1人に重傷を負わせたかどで、モハメッド・ジャワドが逮捕され、その後グアンタナモに移送された。当時の記録に逮捕時の年齢は17歳とある。
ところが、アフガニスタンの人権団体の調査で、彼の年齢は12歳くらいだったことが明らかになったのだ。
ジャワドはすでに拘束されてから6年半もの年月をグアンタナモに閉じ込められたまま過ごしている。それだけではない。彼は繰り返し拷問を受け、地獄のような収容生活を送ってきた。精神的にも危うい状態にある。
この少年が受けたむごい扱いの詳細が明らかになれば、世界の米国に対する怒りは再燃し、憎しみの矛先は前ブッシュ政権のみならず、今の米国そのものに向かいかねない。ジャワドを釈放すれば、事実が公になってしまう。しかし、釈放しなくても批判は高まっていく。
前政権の米国と決別し、変化を唱えるためにグアンタナモ閉鎖を就任直後に約束したオバマ大統領は、八方ふさがりの状態にある。
ジャワドの年齢と逮捕の経緯
ジャワドには、出生証明書などの公な記録がないので、正確な年齢は不明だ。米軍は、逮捕時に骨のスキャンで測定したところ、最低でも17歳だという結果が出たと言っている。
しかし彼が17歳よりずっと若いのではないか、まだ子供なのではないか、という噂は当初からあった。そのため人権団体(Afghan Independent Human Rights Commission)が、ジャワドの母親や親族に面会し、独自調査を行った。
まず母親に、ジャワドが生まれた前後に、有名な事件や政権交代はなかったか、などの質問をした。母親は、ジャワドが、彼の父親が91年のコーストの戦いで戦死した半年後に生まれたと言った。人権団体の職員は、親族と、当時軍隊でジャワドの父親の上官だった人物と接触し、事実を確認。ジャワドは91年末前後に生まれたと認定した。
ジャワドは逮捕されるまで、パキスタンにあるアフガニスタン難民のキャンプで母親と暮らしていた。学校にも通い、小学6年生か中学1年生レベルのクラスに所属していた。母親が再婚し、新しい父親と馴染めなかったジャワド少年は、ある日「小遣いをたくさんあげるから、地雷除去の仕事をしないか」と誘われ、ついて行ってしまう。
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1530?page=2
カブールに連れて行かれたジャワドは、連れの男性と市場に行き、そこで米軍車両攻撃事件に遭遇し、逃げているところをアフガニスタンの警察に捕まった。ジャワドのズボンのポケットには手榴弾が入っていたが、ジャワドは連れの男性に持っていろと預けられたと主張している。
この時の連れの男性は行方不明。ジャワドと一緒に逮捕された他の容疑者らは釈放され、行方不明となっている。
事実がどうであれ、ジャワドはアフガニスタン警察によって暴行され、「自白しなければ、家族共々殺す」と脅され、犯行を認める供述書にサインしてしまう。彼の身柄は米軍に引き渡され、少年は「戦争犯罪人」としてグアンタナモに送られた。
少年が味わったグアンタナモという地獄
この後の経緯は常識では理解できない。ジャワドは、米軍により「高度に訓練されたテロリスト」「AK-47や手榴弾の扱いのプロ」で、タリバン政権のために戦う戦士だと認定された。テロ組織に所属し、「ジハード養成所」(ジャワドが通っていた学校を指している)に通い、アメリカ兵を攻撃することを教え込まれていたとされている。
しかし不思議なことに、彼の罪状に「テロ行為」はない。ジャワドは、殺人未遂の罪で「戦争犯罪人」としてグアンタナモに収容されている。
さらに不可解なことに、彼はアルカイダの幹部や9・11事件の関係者と同じように、「テロリスト」として最高危険人物の扱いを受けた。
6年半もの間、彼は独房に入れられ、他の人との接触は許されなかった。独房は狭く、自然の空気も光線も入ってこない。電気は24時間つけっぱなしで、昼か夜かが分からないようになっている。
定期的に頭から袋をかぶらされた状態で、繰り返し平手打ちされ、そのまま階段から突き落とされるなどの暴力行為を受けた。
グアンタナモの看守たちが「フリークエント・フライヤー」の隠語で呼んでいた、睡眠を極限まで妨げる拷問も受けた。独房から独房へと、2〜3時間おきに移動させられる。真夜中でも明け方でも移動させられる。記録によると、ジャワドは2週間の間に112回も移動されている。ジャワド自身が、自分がどこにいるか、今が昼なのか夜なのか、時間と場所の感覚がなくなったと語っている。
彼は2度、自殺を試みている。1度は独房でシャツを使って首をつろうとした。2度目は独房の壁に頭を何度も打ちつけて死のうとした。
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1530?page=3
定期的に公聴会が開かれたが、ひたすら無実を訴え続け、公聴会の質問や趣旨を理解できずに自分の一方的な主張を語り続けるジャワドの声に耳を傾ける関係者はいなかった。
2008年、最終的な有罪判決を下すために派遣された新しい軍の検察官が、ジャワドが有罪だという確たる証拠が何一つないにもかかわらず彼の釈放を認めないことと、明らかに未成年だったジャワド被告を非人道的な扱いをしたことに抗議して辞任し、メディアにジャワドの悲劇を訴えたことで、ようやく彼の存在に光が当たるようになった。
そして先月、「彼の自白は拷問を通して得られたことは明らかで、証拠は穴だらけ」だとした連邦地方裁判所のフヴェル裁判官は、ジャワドを一刻も早く釈放するように軍に命じた。「この件は、常軌を逸しているとしか思えない。この青年はすでに十分苦しんだ。素早く故郷のアフガニスタンに送還するように」と付け足した。
それでもジャワドを釈放したくない米国
フヴェル裁判官の決定を受け、司法省はジャワドに対し、新たな犯罪捜査を開始することを示唆した。2002年事件当時のビデオや新たな目撃証言など、今になって新しい証拠が出てきたという。
もし司法省が捜査を開始するなら、ジャワドは米本土で一般犯罪者として裁判を待つことになる。つまり、捜査が終了するまで何年でも監獄に収容され続けることになる。
米国は、なぜここまでしてジャワドを解放したくないのか。グアンタナモで日常的に行われていた拷問の詳細が明らかになることを恐れているのか。彼が少年だったからか。それとも他に理由があるのか。
ちょうど同じ時期に、英国で元グアンタナモ収容者が情報開示請求の裁判を起こしていた。英国国籍で、元はエチオピア出身のビンヤム・モハメッドは、テロ行為の容疑で2002年に逮捕され、パキスタン、アフガニスタン、モロッコ、グアンタナモと移送されながら、それぞれの場所で拷問を受けたという。
拷問に関した報告書の開示を英国情報部に求め、同時に英国情報部が所有するCIAの拷問に関係する報告書も開示するよう請求した。
米国の反応は早かった。クリントン国務長官が即座にミリバンド英外務大臣に連絡を取り、CIAの報告書が開示されるようなことがあったら「今後、米英の諜報に関する情報共有や協力関係はなくなるであろう」という最高レベルの「脅迫」をしたのである。
米国の真意や狙いは不明だ。グアンタナモで何があったのか。米国の過敏な反応から推測すれば、ジャワドの件は氷山の一角でしかないのであろう。