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ホロコーストはあった−−1945年8月6日   西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/warb0/msg/333.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2009 年 8 月 06 日 21:30:33: of0poCGGoydL.
 

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江成 常夫 (著)『記憶の光景・十人のヒロシマ 』(小学館文庫)
と言ふ本が有ります。
     ↓
http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E5%85%89%E6%99%AF%E3%83%BB%E5%8D%81%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%9E-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%9F%E6%88%90-%E5%B8%B8%E5%A4%AB/dp/4094051511/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1249559711&sr=1-1

64年前の今日(8月6日)、広島で起きた事を、十人の証言で語った本です。

この本の中に、こんな逸話が有ります。原爆で倒壊した家の下敷きと成り、その瓦礫の下で、迫り来る火の中で、お母さんを失った子供の話です。


−−「・・・一緒に『お母ちゃん、お母ちゃん・・・』叫ぶと、お母ちゃんの声がしたから、その方向に向かって屋根板とか瓦礫を必死になってはいだ。ようやく体の一部が見えるようになったが、柱や壁が押さえつけていて、どうしても助けることができない・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・いよいよ火が迫ってきて、母親のところまでじりじりと焼けはじめたと。焼かれながら苦しみの中で、お母ちゃんが言うのに『早く逃げなさい、早く逃げないとあんたたちまで焼け死んでしまう・・・』そう叱り飛ばされるように言われてと、それでも子供たちはそこを離れようとしなかったが、もう熱くていたたまれなくなったので、二人は泣きながら逃げたそうです」−−

(本書26〜28ページより引用)

幼い子供が、お母さんを、生きたまま火の中に残して立ち去らなければならなかったこの出来事を、忘れてはなりません。


平成21年8月6日(木)

広島に原爆が投下されて64年目の夜に


                  西岡昌紀

http://www.asyura2.com/09/warb0/msg/331.html

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(資料・引用)


 原子爆弾使用の決定にまつわる謎は数多くあるが、なかでも興味深いのは、第二次大戦の二人の最高司令官に関するものだろう。広島と長崎が破壊されてから数年後、ウィリアム・D・レイヒ海軍大将は次のように公言している。

   
    私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な
   兵器を使用したことは対日戦争で何の重要な助け
   にもならなかった。日本はすでに打ちのめされて
   おり、降伏寸前だった。・・・・・
    あれを使うことによって、われわれは暗黒時代
   の野蛮人なみの倫理基準を選んだことになると感
   じた。あのように戦争を遂行するようには教えら
   れなかったし、女、子供を殺すようでは戦争に勝
   利したとは言えない。・・・・


 レイヒは、アメリカの政策に対するいわゆる批判派ではなかった。この保守的な五つ星将軍はアメリカ統合参謀本部(米英合同参謀本部も)を取り仕切っていただけでなく、陸海軍最高司令官(大統領)の首席補佐官として、1942年から45年まではルーズベルト、45年から49年まではトルーマンに仕えていた。そればかりか、トルーマンの無二の親友で、二人はお互いに尊敬し合う間柄だった。広島への原爆投下の決定に対する公然たる批判は、決して個人的なものではなかった。
 今日で言えば、コリン・パウエル大将が、統合参謀本部議長時代の1991年の湾岸戦争における大規模空爆や、そして友人であるブッシュ大統領の決定を、公に批判することに匹敵する行為だと考えればいい。
 レイヒはなぜあえて口を開いたのか。広島から優に半世紀を経た今日も、この問いは尾を引いている。われわれに挑んでいる、と言ってもいい。
 もう一人、この第二次世界大戦の司令官よりももっと大きな存在の男に関しても、同じような謎がある。ドワイト・D・アイゼンハワーは、英米の対ヒトラー作戦を指揮した連合軍最高司令官であり、言うまでもなく、後のアメリカ合衆国大統領である。冷戦のさなか、「軍産複合体」を批判したあの有名な告別演説の直後に、アイゼンハワーは広島の決定についても公に発言している。1945年に日本の都市に対して原爆が使用されることをヘンリー・L・スティムソン陸軍長官から知らされたときのことを想起して、アイゼンハワーはこう述べている。


    彼が関連の事実を述べるのを聞いているうちに、
   自分が憂鬱になっていくのがわかって、大きな不安
   を口にした。まず、日本の敗色は濃厚で、原爆の
   使用はまったく不必要だという信念をもっていた。
   第二に、アメリカ人の命を救うために、もはや不可
   欠ではなくなっていた兵器を使用することによって
   世界の世論に波紋を広げることは避けるべきだと考
   えていた。日本はまさにあの時期に「面目」を極力
   つぶさない形で降伏しようとしていると、私は信じ
   ていた。・・・・


 高官は職務上知りえた議論の余地のある事柄について沈黙を守らなくてはならない、という不問律がある。それを破ってまでレイヒとアイゼンハワーが口を開いたのには、何か明快な理由があるはずだ。それに、これから見ていくように、軍幹部でルール破りをしたのは、レイヒとアイゼンハワーだけではない。原爆投下から一年とたたないうちに、アメリカ戦略爆撃調査による大がかりな研究も、原爆が投下されずとも、ソ連の参戦がなくとも、さらには、アメリカによる本土侵攻がなくとも、日本は降伏していただろうという結論を公刊している。


ガー・アルペロビッツ著 鈴木俊彦・岩本正恵・米山裕子・訳
『原爆投下決断の内幕』(上) ほろぷ出版 1995年
10〜12ページより

原書 Gar Alperovitz : THE DECISION TO USE THE ATOMIC
BOMB

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