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バングラデシュの軍事・政治・経済の保護国はインドから中国へ移行していた
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バングラディッシュにとって1971年独立戦争の折、力強い味方はインド、敵はパキスタンだった。
バングラディッシュという国名は「ベンガル人の場所」という意味、旧名は「東パキスタン」。パキスタンはパシュトン人の場所、という意味だからベンガル人からみればとんでもない話だ。
バングラディッシュにとって「敵の敵は味方」だからインド、その背後の米国もつよい味方の筈だった。
独立達成から四年間、中国はバングラディッシュを独立国とは認めなかった。
そして三十八年の歳月が流れた。
パキスタンは中国と緊密な軍事同盟のままであり続けた。インドは中国との敵対関係を緩和し、経済交流を始めた。
いまやインド商人が大挙して中国に買い付けに行っている。
そしてバングラディッシュの首都ダッカには五万人規模のチャイナ・タウンが出来ている。
バングラディッシュに進出した中国の繊維企業が百万人のバングラ女性をミシン工として雇用している。繊維製品のクォータ(数量制限)を回避するため、アパレル産業はつぎつぎと中国以外の国へ移転するためである。
さて問題は中国海軍力の突出である。
ミャンマーの沖合ココ島に中国は軍事レーダー基地を租借し、インド海軍の監視所を設置した。
同様にバングラディッシュの港に軍事観察基地を租借する思惑がある(ジェイムズ財団発行『チャイナ・ブリーフ』、09年7月22日号)
▲海軍力突出は資源戦略のためのシーレーン確保とセット
1975年に中国はバングラディッシュと国交を開いた。
矢継ぎ早やの友好条約は経済関係の緊密化、ソフトローンの貸与、文化交流そして、軍事技術供与へと至る。
同時期にバングラディッシュの新世代の間でマオイストが跳梁跋扈した。
北京は「あのマオイストは中国と関係がない」と言い続けた。ネパールに出現したマオイスト政権、それ以前から武器はバングラディッシュのマオイスト経由でネパールに流れ込んでいると観測されていた(実際に小生もダッカ大学で構内そこら中に毛沢東のポスターを目撃した)。
2006年、中国はバングラディッシュ軍に大量の武器を供与したが、そのなかには65の対空砲、地対空ミサイル114基。戦車T―69,T−79。さらに兵員用の機関銃。くわえて中国は2012年までに122ミリ砲、155ミリ砲も供与する。
これらは「友好価格」にて中国から供与される。
中国海軍とバングラディッシュ海軍との合同演習も行われ、艦発射ミサイル、砲艦、ヘリ搭載駆逐艦などがベンガル湾に勢揃いした。
チッタゴン港の港湾拡充工事を中国が引き受ける手はずとなった。
パキスタンのグアィダール港は深海、将来は中国の原潜、空母寄港も可能。スリランカのハンバントタ港もしかり。そしてチッタゴンも?
19777年からはバングラディッシュ空軍にジェット戦闘機も供与されはじめ、中国はF7,A5のほか、F−7BG16機を供与した。
インド軍高官は、バングラディッシュ国内に中国の観察基地が貸与されると、インドの北東部に位置する空軍基地(バグドグダ基地にミグ21。ハジマラ基地にミグ27,テズプール基地にはスホイ30が展開されている)が、レーダーによってたちまち中国軍に掌握される危険性があるという。
かくなればベンガル湾からアンダマン海にかけては「チャイナ湾」となりうる。
▲ミャンマーとの接合も総合的に地政学的に判断
軍事力ばかりではない。
資源戦略と濃密にからむのが中国の軍事力拠点の拡大とシーレーンの拠点確保という動きに繋がる。
西側が制裁しているミャンマーへ中国の異常接近は前から指摘されてきた。
ミャンマー沖合海底に眠るガス田開発はシノペックが応札し、また同海域はバングラディッシュの領海と重なる微妙な区域だけに、両国は中国の調整を望む。
ガスのパイプラインはミャンマーから2806キロ。年間120億立方メートルのガスを雲南省昆明へ輸送する。2012年完成予定。
石油パイプラインは1100キロ、日量40万バーレルを運ぶプロジェクトだ。
昆明からミャンマーへのハイウエィ900キロ。これをバングラディッシュのチッタゴンへと繋ぐ。
ここまでの動きを地政学的に俯瞰するなら、すでに南アジアは中国の軍事力影響圏に入っていることが分かる。
はっと気がつけばインドは中国の海軍力に取り囲まれていたのだ。
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