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http://tanakanews.com/090721multipolar.htm
米国のヒラリー・クリントン国務長官が7月15日、外交問題評議会(CFR)のワシントン支局で行った演説は、クリントンが国務長官として米国の外交戦略全般について語った初めての演説だった。演説では、EUや日本、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンなどを主要同盟国(bedrock alliances)として重視しつつ、その一方で中国やロシア、インド、ブラジル、トルコ、インドネシア、南アフリカといった新興諸大国が、世界的な諸問題を解決する際の米国の完全なパートナー(full partners)になれるように協力すると述べている。対米従属的な既存の親米諸国だけでなく、冷戦的な構造下で反米や非同盟に属していた、米国のいうことを聞かない国々とも、同盟に近い関係を築きたいという表明だ。 (Foreign Policy Address at the Council on Foreign Relations - Hillary Rodham Clinton)
そして、国際影響力を持つ国家や非政府組織が増える中で、米国はそれらと対立するのではなく協調し、国際的な諸勢力が相互に対立するのではなく協調しあう体制を目指すとしている。クリントンは、この新たな世界体制を「多協調型世界(multi-partner world)」と呼び、世界のバランスを、各極間が対立し合う多極型世界(multi-polar world)からひきはなし、多協調型世界の方向に持っていきたいと述べている。
クリントンの演説は、いくつかの点で重要だ。その一つは、今の世界がすでに多極型になっていることを認知したことだ。中国、ロシア、インド、ブラジルというBRICとの協調が不可欠であることをオバマ政権の高官が公式に認めたのは、私の記憶の範囲内では、これが初めてである。
クリントンは、多極型世界とは各極が対立する世界であると言っているが、現実の多極型世界は、それほど対立的ではない。それぞれが地域覇権国(極)になりつつあるBRICの4カ国は、対立点はありつつも、全体として協調体制を作っており、定期的にサミットや外相会談を開いている。EUも一つの極であるが、中露などとの関係は悪くない。EU内では、英国は戦略としてロシアとEUの敵対を欲しているが、独仏はロシアと協調したい。
多極型世界は、すでにクリントンの言う「多協調型世界」になっている。クリントンが対立的に提示した2つの世界型は、そもそも対立的なものではない。クリントン演説の意味はむしろ、米国がこの多極型協調の輪の中に入ることを拒否して単独覇権主義を振りかざしていたことをやめて、多極型世界の存在を認め、米国がすでに協調しているEU以外の、ロシアや中国などの極とも協調する方向に進む、ということである。
▼中東の要はトルコとイラン。アラブは?
クリントン演説のもう一つの重点は、従来は米国にとって最重要の同盟国だった英国について、一言も言及していないことだ。英国の国名は、演説に全く出てこない。EUやNATOとの同盟関係についての言及の中に、英国は埋もれてしまっている。英国は、多極化によって国益が最も損なわれる国の一つである。近年の米政府が英国に対して冷淡であることは、米政府が多極型世界を嫌っているふりをして、実は多極型を好むという「隠れ多極主義」の立場なのだと私が考える理由の一つになっている。 (オバマの核軍縮)
従来は米国にとって、EUやNATOよりも上位に米英同盟が存在し、英国は、米国を通じてEUやNATOの戦略を、反露主義など、自国の利益に沿ったかたちに形成する仕掛けになっていた。しかし米国は、ブッシュ政権の後半から、しだいに英国に対して冷淡になり、EUは英国より独仏の発言力が大きくなり、EUは対米従属を脱して独自の統合軍を持つ方向に動き、NATOは米国が欧州を従属させる構造から、米欧が対等な立場の構造の同盟体へと変質しようとしている(もしくは、NATOの存在意義はアフガン占領の失敗とともに低下する)。これは、EUが世界の極の一つになっていく多極化の動きとも一致している。
(英国は、今後リスボン条約の成立後に創設されるEU大統領の初代の地位に、ブレア前首相を就けることを画策し、EU内での失地回復を狙っている) (Blair to Run for EU2 Presidency)
中東関係では、クリントンは演説でパレスチナ問題について長く話したが、それよりも私が注目したのは、BRICと並ぶ「米国の完全なパートナーになるべき新興大国」の中にトルコが入ったことである。同時に名指しされたインドネシアや南アフリカは、従来からBRICに次ぐ新興大国の中に数えられていたが、トルコはそうではない。
トルコは従来の国家目標だったEUへの加盟を事実上拒否され、イスラム軽視の世俗化・欧米化を意味するEU加盟とは反対方向の、イスラム世界の盟主になることを目指し始めている。この方向転換が明確になってきた今年4月には、オバマ大統領がトルコを訪問し、トルコ議会で、イスラム世界に向けた和解演説を発している。米国は、トルコのイスラム化を応援・扇動している。トルコを新興大国(極)として認知することは、イスラム世界を強化する策の一つに見える。
中東のイスラム世界は、世界の極の一つになるべき地域だが、その内部は、さらに多極的に分かれている。中東の盟主となりうる国はトルコだけでなく、ほかにイラン、サウジアラビア、エジプトがある。もともとトルコはEUに入って欧州の国になる予定だったので、中東の覇権争いの中では、むしろ新参者だ。
クリントン演説では、イランについて「近隣諸国を脅さず、テロ支援をしなければ、中東地域で建設的な役割を担う国家となりうる。国民の人権を守れば、国際社会で責任ある位置を占めることができる」と述べている。これらの条件は相対的なものであり、クリントンは事実上、イランは中東の主導的な国の一つであると認めている。米共和党系のランド研究所も6月に「イランを封じ込めることは無理だから、むしろイランの影響力を認め、アラブ諸国との関係を安定させるペルシャ湾岸地域の多国間安保体制を作ってやった方が良い」とする報告書を出している。 (Rand says US unlikely to contain Iran)
中東の主導国として残るはサウジアラビアとエジプトというアラブ側だが、エジプトは現政権が米国の傀儡で、米国の衰退とともにどこかの時点で崩壊し、イスラム同胞団に政権を乗っ取られる。中東の主導国うんぬんの話はそのあとだ。サウジもまだ対米従属を捨てられなので、多極化の話の表舞台に出てこない。昔から他力本願で、英国に騙されて分割されても懲りずに対米従属しているアラブ勢が立ち上がるのは、米国に頼れないことをもっとはっきり知ってからになるだろう。
今回、トルコとイランが米国から中東の大国として認知されたが、トルコとイランは覇権争いをしているわけではない。むしろクルド問題やパイプライン、貿易など多方面での協力関係を強めている。すでに「ドル後」への備えもあり、トルコとイランの貿易には、ドルではなく両国の通貨を使う取り決めもできている。 (Iran, Turkey to use rial, lira in trade)
トルコは第一次大戦まで、オスマン帝国としてアラブ全域を支配していた。イラン(ペルシャ)も、歴史的に何度かイラクやペルシャ湾岸を支配しており、アラブ諸国はトルコやイランが中東で影響力を拡大することを嫌っている。サウジアラビアは、聖地メッカを擁する自分たちこそ盟主であると思っている。しかし、アラブが他力本願な対米従属から出られないままだと、トルコやイランの影響力は拡大するばかりだ。アラブは、どこかの時点で米国に見切りをつけざるを得ない。
▼パウエルもライスも言っていた多極的協調
英国を無視し、単独覇権主義を捨て、イランの台頭を容認しているクリントン演説は、中東の評論家からは「演説で示された方針が実現すれば画期的だ」と評価されている。 (Was Hillary sensible, or just deceitful?)
だが、英国やイスラエルと結託してきた米軍産複合体系の勢力からは、当然ながら酷評されている。右派のヘリテージ財団は「国際社会におけるクリントンの評判は、ライスやパウエルといった前任の国務長官よりずっと低い」とこき下ろしている。 (Clinton's Failure of Leadership on the World Stage)
しかし実際には、ライスやパウエルも、クリントンと同じ戦略を掲げていた。クリントンを含むオバマ政権は単に、前ブッシュ政権の多極的協調の戦略を踏襲しているにすぎない。ヘリテージ財団は共和党系なので、民主党のクリントンが共和党のライスやパウエルより悪いと中傷しているだけだ。
パウエル元国務長官は2004年初めに、今回クリントンが演説したCFRが発行するフォーリン・アフェアーズ誌に「協調の戦略」(A Strategy of Partnerships)という論文を載せ「ロシア、インド、中国といった、これまで関係を改善しにくかった諸大国との関係の強化に専念する必要がある」「米国は、強くて安定し、経済力と外交力を持った大国として中国が台頭することを望んでいる。中国の指導者も、それをよく知っている」と明言している。
当時の世界の人々は、米国はイラクの「強制民主化」に成功した、米国の単独覇権主義は成功している・・・と思っていた真っ盛りで、この論文はほとんど無視されたが、イラク戦争が最初から失敗の構図を内包していると感じていた私は、この論文にこそブッシュ政権の真意が含まれていると感じ、分析記事を書いた。 (消えた単独覇権主義)
次のライス国務長官も、パウエルからの継続性を意識してか、08年7−8月号のフォーリン・アフェアーズ誌に「新たな世界に向けたアメリカ式現実主義」(American Realism for a New World)と題する論文を書き、ロシア・中国・インド・ブラジルというBRIC諸国との協調関係を強化する方針を、ブッシュ政権末期の世界戦略として打ち出した。 (American Realism for a New World, By Condoleezza Rice)
ライスは、中東地域では「民主化」を進めるが、ロシアや中国に対しては、独裁を嫌って敵視するのではなく、世界を安定させるために中露の協力が不可欠と考える現実策を重視すると表明し、これを論文の題名でもある「新たな世界に向けたアメリカ式現実主義」と呼んでいる。 (ヤルタ体制の復活)
これら前政権時代に発せられた多極的協調の方針は、単独覇権主義的な言動の中にまぶして発せられた。世界の人々は米国の単独覇権主義しか見えていなかったため、多極的協調の予備的な信号に、ほとんど気づかなかった。だが、現在では単独覇権主義が崩壊し、世界の多極化が否応なく現実のものになっているので、かなり目立っている(日本のマスコミや「専門家」たちは、いまだに見ざる聞かざるだが)。前政権から準備されてきた多極的協調の方針が、現政権になって具現化している感じだ。
▼CFRが黒幕?
パウエル、ライス、クリントンと3代続けて国務長官が、多極的協調の方針をCFRでの演説や論文で発表している点も興味深い。歴史をさかのぼると、CFRが育てた早期の隠れ多極主義者はキッシンジャーである。彼は、ニクソン政権の大統領補佐官となる前の数年間、CFRで冷戦を終わらせるための戦略(ベトナム戦争を過激にやって意図的に敗北)を練り、ニクソン政権入りしてからは中国との関係改善を実現した。レーガン政権以来、政権の中枢に出入りしているネオコンも、表向きはキッシンジャーを嫌ったが、CFRでは重視される存在で、結局はブッシュ政権でイラク戦争を過剰にやって米国の覇権を崩壊させており、隠れ多極主義の別働隊だった疑いが濃い。
クリントンは、今回の演説の冒頭で「われわれ(国務省)はCFRから、将来に向けてどう考えるか、どう行動すべきかについて、改めて請う必要もないほど多くのアドバイスをすでに受けている」と述べている。やはり紛れもなく、CFRは昔から現在に至るまで、米国の世界戦略を決定する奥の院である。 (ネオコンは中道派の別働隊だった?)
CFRが「未来をどう考えるか」を知っている機関であるということは、彼らが、国際政治経済の環境の創設を演出する大がかりな諜報機関(米国などの諜報機関を動かす機関)でもあるということだ。実際のところ、フォーリン・アフェアーズを精読して裏読みすると、これからの世界情勢を読み解く際にかなり役に立つ(プロパガンダやめくらましの論文も多いが)。
現在の米国は、まだ世界唯一の覇権国である。ドルは唯一の国際基軸通貨である。だが、米国の金融危機は潜在的に拡大しており、早ければ今夏の終わりにAIGなどで金融危機が再燃し、ドルや米国債に対する国際信用が下落する。英文ウェブログ界では最近「9月末ごろにドル崩壊説」がよく出ている。このドル危機が起きた後、世界は多極化の様相を強め、米国の多極的協調の方針は具現化の度合いを増す。逆に、米金融が延命し、ドルや米国債の破綻が延期されれば、その分、多極化の進展は遅くなる。 (ドル崩壊の夏になる?) (Many Predict US Financial Collapse in September)