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http://mainichi.jp/select/person/news/20090707k0000m040123000c.html
訃報:マクナマラ氏死去 元米国防長官、ベトナム介入拡大
AP通信など米メディアによると、ケネディ、ジョンソン米政権でベトナム戦争を指揮したロバート・マクナマラ元米国防長官が6日、死去した。93歳だった。死因は分かっていない。
1916年、サンフランシスコ生まれ。61年、米自動車大手フォード・モーター社長からケネディ政権の国防長官に転身。ケネディ政権下で本格化したベトナム戦争で軍事介入を拡大し、ジョンソン政権でも米軍の大規模展開を推進したが、泥沼化。67年に辞任した。
旧ソ連と核戦争の瀬戸際までいったキューバ危機(62年10月)では、戦争回避に全力を挙げる一方、核戦略では大陸間弾道弾(ICBM)などの配備を進めて旧ソ連に対抗し、米国の核抑止政策「相互確証破壊」を確立した。
退任後は世界銀行総裁などを務めた。
95年にベトナム戦争の過ちを認める回顧録を出版。03年のドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー」に出演し、広島への原爆投下に疑問を呈するなどの言動が、世界中で反響を呼んだ。【ワシントン及川正也】
毎日新聞 2009年7月6日 23時35分(最終更新 7月7日 0時32分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090707-00000029-rps-ind
元フォード社長、R. マクナマラ死去…「秀才っ子」の光と影
7月7日21時10分配信 レスポンス
戦後のフォードで再建に尽力し、ベトナム戦争中にはアメリカ国防長官を務めたロバート・マクナマラ氏が6日死去した。93歳だった。
マクナマラ氏は1916年生まれ。ハーバード・ビジネススクールでMBAを取得した。第二次大戦中の統計的戦略手法がヘンリー・フォード2世に高く評価され、他のハーバード出身の若手除隊軍人9名とともに、終戦直後フォード・モーターカンパニーに招かれた。
当時のフォードは終戦の混迷期にあると同時に、ヘンリー・フォード1世と労働組合による混乱も尾を引いていた。社内で「秀才っ子、Whiz kids」と呼ばれたマクナマラとそのグループは徹底した財務管理で経営を建て直すことに成功。なかでもマクナマラは頭角を現し始める。
やがてマクナマラは1960年にフォード社長に就任するも、1年足らずでケネディ政権の国防長官に転進。アメリカのベトナム軍事介入計画に携わり、やがてそれはベトナム戦争に発展した。さらに1968年から81年にかけて、世界銀行総裁も務めた。マクナマラはその明晰な頭脳から、長年「歩くIBMコンピューター」との異名をもっていた。
しかし、フォード時代のマクナマラに話を戻せば、高い数値目標を設定し、それを徹底させる手法は、生産現場からの大きな不満を招いたのも事実だ。そもそも彼はハードウェアとしての自動車に関してほとんど関心を抱かなかったのも事実で、開発スタッフからも不信を買うようになった。自動車産業トップの在り方の難しさを象徴する人物でもあった。
《レスポンス 大矢アキオ》