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(2007年5月8日のミクシイ日記をお送りします)
(先にこちらをお読み下さい)
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=427722414&owner_id=6445842
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次の記事をお読み下さい。これは、第二次世界大戦の末期に、或るドイツ人親子に起きた出来事です。
あれから半世紀がたった今でも、ヒルデガルド・
ブーブリツは、恐怖の記憶におののいている。家族
とともに東プロシアを逃げ出したときの体験だ。
ある夜のこと、ブーブリツは家族や仲間と民家の
地下室に隠れているところをソ連兵に見つかった。
ソ連兵たちはまず、腕時計を巻き上げた。次に欲し
がったのは、女だった。
「私たちの中に女性教師がいた。四五歳で男性経験
のない人だった。」と、ブーブリツは語る。
「彼女は、一○人のソ連兵にレイプされた。血に染
まった下着姿で戻ってくると、大声で泣き叫んだ」
この教師の母親は、娘を抱きかかえてこう言った
という。−−「私がカミソリの刃を持っているから」。
そして、親子は外に出ていった。
「二人は森の中で死んでいた」と、ブーブリツは言う。
(アンドルー・ナゴースキー「終戦後の『民族大虐殺』」
ニューズウィーク日本版1995年5月17日号
42ページより)
一体、この親子が、何をしたと言ふのでしょうか?
* * * * *
第二次大戦末期、ドイツに侵入したソ連軍が、占領したドイツの町々で、子供や老人を含む多くのドイツ人女性を強姦、輪姦した事は、有名な事実です。首都ベルリンをはじめ、ドイツ東部のあらゆる地域で、ソ連軍の兵士たちは、ドイツの女性たちを徹底的に強姦しました。その中には、例えば、こんな事例すら有ったのです。
ドイツでは、老女から四歳の子供にいたるまで、エルベ川
の東方で暴行されずに残ったものはほとんどいない、といわ
れている。あるロシア人将校は、一週間のうちに少なくとも
二百五十人に暴行されたドイツ人少女に出会いさすがに愕然
とした、という記録が残されている。
(半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」文藝春秋社・1999
年 274ページより)
これは、記述からお分かり頂ける通り、加害者であるソ連側が記録した事例です。そのソ連側の記録で、一人の少女が、「一週間のうちに少なくとも二百五十人(のソ連兵)」に強姦されたと報告されて居るのです。
そして、これは、ソ連に占領された地域で起きたソ連兵による数え切れない数のドイツ人女性に対する強姦、輪姦のほんの一つに過ぎないのです。
そうしたドイツ東部で起きた無数の悲劇の中で、私は、こんな恐ろしい事例が有ったと読んだ事が有ります。それは、ドイツ東部の或る町で、その町を占領したソ連軍が、その町のドイツ人女性たちを教会に集め、その教会の中で、それらの女性たちを強姦、輪姦したと言ふ事例です。
教会の中で、です。皆さんは、その情景を想像できるでしょうか?キリストやマリアの像が有る教会の中で、そんな恐ろしい事が起きたのです。
私は、キリスト教徒ではありません。しかし、この話を読んだ時、私は、衝撃を受けずには居られませんでした。
戦時下、占領軍によって被占領地の女性が性暴力の犠牲に成る事は、ソ連軍以外の軍隊にも有った事です。ドイツ軍自体にも有りましたし、日本軍にも有りました。しかし、古代や中世を別とすれば、19世紀以降の世界史において、第二次世界大戦末期に、ソ連軍が、ドイツと満州で行なった集団強姦ほど大規模で残虐な事例は、他に無かったと断言して間違い有りません。沖縄でアメリカ軍が繰り返した性犯罪もひどい物でしたが、それすら、ソ連軍が、大戦末期、ドイツで繰り広げた強姦や輪姦に較べれば、較べ物に成らない程、ソ連軍のドイツでの性犯罪はひどい物だったのです。この時期(1945年春)、ソ連軍に占領されたエルベ川東部では、強姦されなかった女性は居なかった、とすら言はれる程、それは酷い物だったのです。(特に、それらの強姦犠牲者の中に、どれだけ多くの幼児が居たかを思ふと、鳥肌が立ちます。)
ドイツ人は、本当に、一方的に「加害者」だったのでしょうか?
核時代62年(西暦2007年)5月8日(火)
ヨーロッパの大戦が終結した日に
(この記事は、私が、以前書いたメルマガの文章を編集、
加筆した物です。)
西岡昌紀
http://www.jca,apc.org/~altmedka/aus.html
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