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フジモリ元ペルー大統領を操った背後関係
2009/04/15
ペルーの最高裁特別刑事法廷は、元大統領のアルベルト・フジモリに対して禁固25年の判決を言い渡した。軍の「左翼ゲリラ掃討」作戦で8歳の子供を含む15名を1991年に殺害した「バリオスアルトス事件」、そして1992年に学生ら10名を誘拐のうえ殺害した「ラカントゥタ事件」などの責任を問われ、「間接主犯」だと認定されたわけだ。
一連の事件を主導したブラジミロ・モンテシノスは国家情報局の顧問。フジモリの側近で、「影の大統領」とも呼ばれていた。モンテシノスは1970年代からCIAの協力者として活動、つまりアメリカの手先として活動していた人物で、軍部には信頼されていなかったと言われている。
1996年12月、ペルーの日本大使公邸が「MRTA(トゥパク・アマル革命運動)」に襲撃され、占拠されるという事件が起こっている。「天皇誕生日祝賀レセプション」が開かれている最中で、大使や館員だけでなく、ペルー政府の要人、各国の代表日本企業のペルー駐在員など約600名が人質になっている。
占拠の翌日、フジモリとモンテシノスは武力突入を検討しはじめ、フアン・ルイス・シプリアーニ大司教の協力を得て、翌年の4月に特殊部隊が突入し、最高裁判事だったカルロス・ジュスティ、突入部隊の隊員2名が犠牲になり、ゲリラのメンバー14名は全員が殺害された。少なくともゲリラの一部は投降後に殺されている疑いが持たれている。この突入作戦にはアメリカ、イギリス、そしてイスラエルが協力していた。
イスラエルは1980年代からペルーに接近している。白人政権下の南アフリカがイラクと交流を深めたことにイスラエルは反発、両国の関係は悪化したのだが、そのためにウラニウム、チタン、モリブデン、重水、トリチウムなど核兵器のために必要な物質を入手する別ルートを開発しなければならなくなったのだ。そこで目をつけたのがペルー。
ペルーの中でもイスラエルが必要とする希少金属などを産出する地域はセンデロ・ルミノソ(輝く道)と名乗る左翼ゲリラの支配地だったが、ゲリラを指揮していたアビマエル・グスマン・レイノソの父親はドイツ系ユダヤ教徒で、コネクションを築くことに成功した。
後にペルー政府はセンデロ・ルミノソに対する掃討作戦を強化するが、日本大使公邸の人質事件が影響している可能性はある。ともかく、センデロ・ルミノソの衰退により、ペルー政府は「原子力利権」を手にしたことは間違いない。フジモリもその手駒として動いていたのだろう。 (2009.4.8)
Last updated 2009/04/15 12:28:12 PM
http://plaza.rakuten.co.jp/31sakura/diary/200904150007/