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【転載者注】元記事については、転載者自身も「陰謀系」と思うブログ主が主催するところではあるが、記事そのものの内容は別に陰謀系でもなく、至極真っ当なものと思われるので、あえてこちらに掲載する。
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http://www.davidicke.jp/blog/20090314/
我々にできることは何もない?…リベリアの女性たちにそう言えるだろうか。
* 2009-03-14 (土) 1:26
* ニューズレター
このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
デーヴィッド・アイク ニューズレター、2009年3月8日号
我々に出来ることは何もない? …
… リベリアの女性たちにそう言えるだろうか
みなさん、こんにちは
今週「Pray the Devil Back To Hell(悪魔が地獄に帰るように祈る)」というドキュメンタリーを見た。これは西アフリカ、リベリアの女性たちの物語で、彼女たちが平和的な抗議運動と非協力によって、いかに残忍で凄惨な戦争を終わらせたかを描いていた。(訳注:72分のドキュメンタリー、2008年度作品、製作国:アメリカ)
しかしこの話にはそれ以上の意味がある。この話は、尻尾が犬を支配するような本末転倒、つまりごく僅かの少数が残りを支配するという状況を止めるために、我々が自国や地域や身近なところで、そして世界規模でできること、そして絶対にしなければならないことを象徴している。もしこの女性たちが絶望的な苦難と思われるものに直面しそれを克服しできるなら、我々も世界規模の陰謀に対処できるのだ。なんと我々には60億以上の同胞がいるのだから。
(悪魔が地獄に帰るように祈る)
リベリアはアメリカから開放された黒人奴隷がアメリカ植民地協会(American Colonization Society)という反奴隷団体の援助を受けて1820年にその基礎を築いた。そのうちの86人が当時のアメリカ大統領ジェームス・モンローの名にちなんでモンロビアという入植地をつくった。そしてこれが新しいリベリアの首都となった。
アメリカから何千もの元奴隷が到着し始め、1847年にリベリア共和国は初代大統領の元で独立を宣言した。彼らは自分たちを、この国の大多数を占める土着の人々から区別するためにアメリカ系リベリア人と呼んだ。
リベリアとは「自由の地」という意味だが、これにはたくさんの皮肉がある。とりわけ、このアメリカ系リベリア人たちを奴隷として所有していたあの国も「自由の地」と呼ばれたことだ。そしてこれらの女性たちが後に問題解決に奮闘した出来事は、マーティン・ルーサー・キングが述べたように、人々は肌の色ではなく、強い意志や人間性によって判断されるべきだということを、再び示したのである。
人種差別が正気ではなく、馬鹿げている理由はこれだ。黒人が、黒人を殺すことや、黒人を奴隷にすることと無縁ではないのは、ユダヤ人がナチのようにふるまうことと無縁ではないのと全く同じだ。そしてあのようにしばしば高度な道徳的立場を取る白人には、世界中で残虐非道を行ったという衝撃的で不名誉な過去がある。
肌の色は問題ではない。意識の状態が問題なのだ。アフリカの奴隷商人は、気に入らない部族の黒人を捕獲する別の部族の黒人を雇わなくては、彼らの仕事ができなかった。アフリカの再植民地化(実際には一度も終わったことはない)は西欧の政府と企業が、黒人同胞のニーズのことなど全く考えない黒人指導者を配置することで成し遂げられてきた。ジンバブエのロバート・ムガベを見ればわかることだ。しかし彼のような存在はいくらでもいる。
すべてのレベルで、人種と肌の色の問題は、文字通りであれ比喩的であれ、黒人と白人のものではない。しかし黒人と白人のものとして描かれるのが普通だ。奴隷が実に簡単に奴隷所有者になれる。これがリベリアで起きたことであり、ここでは人口の5%に過ぎないアメリカ系リベリア人が130年にわたって権力の主要ポストを支配した。
このチャールズ・テイラー(写真)という人物は、権力に取り憑かれた典型的なアフリカの暴君であり、例に漏れず自分の著しい不道徳な行いを正当化するために常に「神」を引用していた。この独裁者テイラーがアメリカのテレビ「伝道師」パット・ロバートソンと大規模な事業契約を結んでいると報じられているのは意外な話ではない。ロバートソンはアフリカの独裁者におぼれ中毒になっているようだ。
リベリア政府は「独立」後の数十年で、より一層独裁的になった。そしてテイラーは、自らは巨大な蓄財をしながら、人民をさらに過酷で容赦のない貧困へと導く歴代の腐敗した扇動家の1人だった。
シオラレオネとアンゴラの反政府軍が内戦資金調達のために売る、いわゆる「血のダイヤモンド」に対する国連の禁輸措置をかいくぐるため、仲介役として働いたのがテイラーだった。テイラーは、リベリアにはダイヤモンドの鉱脈がないのに、彼らの代わりにそれらの国のダイヤモンドをリベリア産として売ったのだ。 1999年だけで、アメリカに3億ドル相当のダイヤモンドを輸出したと伝えられている。もちろん、ダイヤモンドの話になればデビアス社(ロスチャイルド家/オッペンハイマー家)が絡んでいる。
チャールズ・テイラーは、アメリカで教育を受けたバプティスト派信徒伝道者だが、かつて血なまぐさいクーデターによって政権を取ったサミュエル・K. ドウという別の邪悪なエージェントによって国を追われた。しかしテイラーは1989年に舞い戻り、支援を集めて反撃のクーデターを起こした。これは反目する民族派閥間に壮絶な内戦を引き起こした。そしてたった8歳の子供が武器を取って戦かうことを強いられた。ドウは拷問されて殺された。そして強姦と殺戮がこの国を覆った。
武力衝突は続き、「和平交渉」に向けたわずかな停戦のあと、再び開始された。1997年までに20万人が死亡し、100万近くの人々が家を後にしなければならず、さらに70万人が国境を越えて隣国へ逃れた。人々は怪物に変えられた子供の兵士たちに震え上がった。しかし彼らもまた犠牲者だ。ある13歳の「兵士」が後にこう語っている。
「あいつらに気が狂う薬をもらった。頭が変になると人の頭を殴り、血が出るまで傷つけた。正気になると、罪の意識を感じた。もしその人のことを覚えていたら、謝りに行ったよ。謝っても許してもらえないと、申し訳ないと思った。」
テイラーは1997年の選挙で「勝利した」ように見えた。しかし北部地方の「将軍たち」がリベリア民主和解連合(LURD)の名の元にテイラーを攻撃したので、2年もしないうちに新たな内戦が起きた。もちろんこの名前は虚偽である。その将軍たちはそのテイラーの分け前が欲しかったのであり、もし断れば、「LURD」と「MODEL」(リベリア民主運動)という別の派閥の兵士(大人と子供)が、行く先々で強姦、殺戮、略奪を行うよう命じられたのである。
娘たちが両親の目の前で強姦され、夫たちは妻子の前で首を切り落とされた。既にその殺人者たちの感覚はあまりに麻痺していたので「同情」、「共感」といった概念、そして「限度」という概念すら、これらの狂人たちには何の意味もなさなかった。
来る年も来る年も続いたリベリアの不機嫌な顔
しかし、ここでレイマ・ゴーウィが登場する。
彼女がちょうど17歳で高校を出たばかりの時、戦火がモンロビアに達し、そして彼女を「ほんの数時間で子供から大人へ」変えた。ある時彼女と母親は、 2000人が避難先としていた彼女たちが通う教会から逃げるよう忠告を受けた。そして翌日の夜そのうちの600人以上が虐殺された。
「私たちがいた所は教会から2ブロックしか離れていませんでした。そして人々の叫び声、泣き声、助けを請う声が聞こえました。虐殺が一晩中続きました。」そう彼女は回想する。
その後、戦闘から避難するため3歳の息子と2歳の娘を連れて家を出て、頭の弱い猛々しい男たちが「もぎたての若者の頭」を飾っていることもある検問所を走って通らなければならなかった。彼女はこう語る。「怒り、苦痛、傷はたった1年や1ヶ月で終わるものではなかったのです。状況を変えるために私は何かをしなければならなかったのです。」
そして彼女は実行した。
ゴーウィには女性を集めて平和の祈りをしたいという夢があった。彼女ともう1人の女性、コンフォート・フリーマンは戦争を止めようという決意をもって、2002年に数十人の女性を集めた。彼女たちは自分たちの運動を「Women in Peacebuilding Network(平和構築における女性の輪)」すなわち「WIPNET」と名づけた。彼女たちは、独裁者チャールズ・テイラーが乗った車列が通らなければならない場所で平和的な抗議運動を始めた。そして非暴力的な座り込み、行進、平和の祈り、封鎖を組織した。彼女たちは声明の1つにこう述べている。
「過去私たちは沈黙していました。しかし殺され、強姦され、人間性を剥奪され、病気をうつされた後、そして子供たちや家庭が壊されていくのを見た後、戦争は私たちに暴力に異を唱え、平和を支持することの中に未来があると教えたのです。私たちは平和が訪れるまで、決して挫けません。」
彼女たちはテイラーの残虐行為に抗議しただけでなく、戦争を可能にしたすべての派閥に抗議した。彼女たちは天候や周囲の状況がどんなものであれ、毎日公の場所に姿を現わした。「NO(だめだ/できない)」は彼女たちが受け入れられる準備のある答えではなかった。当時レイマ・ゴーウィはこのように語っている。
「私たちが座ることで、リベリアの人々は希望を抱く…私たちが政府には迷惑な存在だと言う人もいるけれど、太陽や雨は争いの銃弾よりいい。私たちのビジョンは家族の調和と、飢餓と病いの根絶を目指すものです。」
最初テイラーは彼女たちを無視したが、比較的少人数による、この最初の模範的行動が他の女性たちの心を動かし仲間に加わった。彼女たちは3000人の女性を集めテイラーと反政府軍に暴力行為を終わらせるよう迫った。テイラーは抵抗した。しかし最終的にはその圧力は彼の意志を挫き、ガーナでの和平交渉に同意した。
レイマ・ゴーウィは時々、公共イベントの演壇からチャールズ・テイラーに呼びかける機会を得た。彼女はこう言った。
「私たちは議会の議長代行様に、この声明をチャールズ・テイラー閣下にお届けいただけるようお願い申し上げます。国内避難民を含むリベリアの女性たちは戦争に疲れました。逃げ回るのに疲れました。ブルグア(小麦を一旦蒸して乾燥してから砕いたもの)を物乞いすることに疲れました。自分たちの子供が強姦されるのことに疲れました。私たちは今、私たちの子供の未来を確かなものにするという立場を取ろうとしています。何故なら私たちは社会の守り手として、子供たちが将来、私たちにこう尋ねると信じているからです。”ママ、その危機の時、ママの役割は何だったの?”」「どうかこれをリベリアの大統領にお届けください。感謝します。」
現在世界規模で起きていることに対して、出来ることは何もないと言うすべての人々は、この女性たちが成し遂げたことを見る必要がある。ここで言及したのは、対立する派閥間の戦争を止めるという驚くべき難問に挑んだ、小さな、武器を持たない、力がなさそうなグループだ。それらの派閥は来る年も来る年も強姦と大量虐殺を行うことであまりに人間性を喪失したために、常習的に言語に絶する残虐行為を行っていたのだ。
しかしここに最初の1人か2人の女性が現れ、手始めにさらに数人が加わった、そして彼女たちが国中を非暴力と非協力の運動に奮起させ、和平以外のものを絶対拒否するという純粋な力によって、あの知恵遅れの男たちを和平交渉のテーブルにつかせたのだ。
ひとつになると、例外なく、止めることのできない組み合わせとなり、明白な「奇跡」を起こす3つの要素がある。
1.) 彼女たちは「もうたくさんだ」と言った。それも本気で。
2.) どんなに長くかかり、どんな犠牲が伴うとしても、彼女たちは「NO(だめだ/できない)」を答えとするつもりはなかった。
3.) 重要なことに彼女たちは、すべての人に平和と自由をもたらすという共通の目的の元に、異なる宗教を信じ、異なる部族に忠義を持つ女性を結集させた。
レイマ・ゴーウィはモンロビアの聖パウロ・ルーテル教会の女性団体の理事長だった。コンフォート・フリーマンはリベリア全国ルーテル教会女性信徒会の理事長だった。しかし彼女たちは自分たちの宗教的信念を団結の障害としなかった。この運動にはイスラム教徒の女性たちがキリスト教徒と同じように歓迎され、参加している。
これによって彼女たちは、権力者たちが民族的そして宗教的な喰い違いを利用して自分たちを分裂させ支配する機会をすべて取り除いた。そしてこの狂人たちを交渉のテーブルにつかせたのは、彼女たちの目的が一致していたことだった。
しかしそれは始まりに過ぎなかった。テイラーと反政府軍の指導者たちは自分たちのために国を分割し、どんな新しい政府になっても、最も利益になる政府の仕事を手に入れたいと思っていた。リベリアの地方から来た反政府軍の指導者たちはガーナでの交渉の間、5つ星の贅沢も満喫していた。そしてリベリアでは暴力と破壊が続いているにもかかわらず、彼らは出来るだけ長くそこに滞在したいと思っていた。
7週間たっても停戦には至らなかった。そこであの女性たちが再び「もうたくさん」と言った。彼女たちのうちの200人が会議室の出口を封鎖した。彼女たちは腕組みし、交渉が妥結するまで部屋から出さないと「権力を持つ」男たちに告げたのだ。
軍の将校たちも閉じ込められ、彼らはゴーウィを「司法妨害」(この状況で信じられない用語)の容疑で逮捕するよう「警備」隊を呼んだ。ちょうどその日、彼女はモンロビアのアメリカ大使館の施設がミサイル攻撃を受けた様子を耳にしていた。2人の男の子が歯磨きに出たら次の瞬間にはサンダル以外何も残っていなかったという。「その日私たちは何か劇的なことをしなければならなかった」、ゴーウィはそう語った。
そして「警備」隊が逮捕に来ると彼女は、「いいわ、服を脱いで裸になるわよ」と彼らに告げた。西アフリカでは女性が公衆の面前で裸になるのは強力な呪いだと信じられている。彼女が部屋の中にいる「権力を持つ」男たちについて、「私たちが裸になるのを見ないで済むなら、あの人たちは何でもするでしょうね」、と言ったのだ。
ある将軍が行く手を阻む女性たちをどかそうと押したり蹴ったりしたが、この和平交渉の仲介者は彼にこう言ったのだ。「あそこに戻って座りなさい。もしあなたが本当の男なら、人民を殺したりはしないでしょう。でもあなたが本当の男じゃないから、この人たちに子供扱いされるのよ。」
2週間後、和平条約の条項が発表された。あの「権力を一手に握った」チャールズ・テイラーは亡命を強いられ、現在は戦犯容疑で裁判を受けており、国際刑事裁判所の拘留施設にいる。アメリカ国民である彼の息子は「対テロ」部隊の指揮官だった当時の殺人と拷問の罪で連邦裁判所から懲役97年の判決を受け収監されている。同じ方法でもってアメリカ政府のテロリストたちも取り扱いさえすればいい。
2006 年には、アメリカで教育を受けたエレン・ジョンソン・サーリーフが始めての女性大統領に選出され、リベリアの大統領に就任し、過去の暴力との「根本的な決別」を誓った。リベリアの現状は控えめに言っても、完全なものからは程遠い。そして尚、貧困と生活物資の欠乏が蔓延している。しかし銃を持った狂人たちに全面的に立ち向かったあの女性たちは、もし自分たちの目的と価値を、どんな大きさの脅しによっても放棄しないならば、何が成し遂げられるかを示したのである。
ドキュメンタリー「悪魔が地獄に帰るように祈る」は女性たちについての記録に見えるが、その主要な部分は世界規模の重要性を持っている。この場合は女性が行ったが、別の状況下では男性が行ったのだ。マーティン・ルーサー・キングやその他たくさんの指導力が証明しているように。
もう一度言おう、肌の色が問題ではないように、体の性別が問題なのではない。強い意志や人間性の強さこそ重要なのだ。それはどんな困難に直面しようとも、自分や他人のために、愛、正義、公平さ、自由を支持し、それ以外のものを決して受け入れないことだ。私は、人々が自分に出来ることは何もないと言って、何もしない言い訳を自分に与えているに過ぎないのをいつも耳にする。しかしこうした人々がそのようなひどい自己欺瞞を続けるならば、ある日、自分の子供や孫たちから、釈明を求められるだろう。
レイマ・ゴーウィの言ったことは正しい。子供たちはいつかこう聞くだろう。「ママ、その危機の時、ママの役割は何だったの?」
その時、私たちは一体どう答えるだろうか?