昨年末から激化した、イスラエル軍によるパレスチナ人自治区ガザへの攻撃。 1300人以上のパレスチナ人が死亡するという事態に対し、 アメリカのブッシュ前大統領は、 あからさまなイスラエル支持の姿勢を取り続けました。 オバマ政権誕生で、そこに何らかの変化はもたらされるのか? イスラム地域の政治・国際関係を専門とする、宮田律さんに伺いました。 みやた・おさむ 静岡県立大学国際関係学部准教授。1955年山梨県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了、UCLA大学院歴史学科修士課程修了。専門はイスラム地域研究、国際関係論。著書に『イスラムに負けた米国』(朝日新書)、『イラン 世界の火薬庫』(光文社新書)、『軍産複合体のアメリカ』(青灯社)、『現代イスラムの潮流』(集英社新書)など多数。
「強制収容所」と化したガザ編集部 宮田さんは、イスラム地域における政治・国際関係を専門とされていますが、その専門地域の一つである中東・パレスチナのパレスチナ人自治区ガザで、昨年12月、イスラエル軍による大規模な空爆が始まりました。翌1月には地上部隊も投入され、すでに1300人以上のパレスチナ人が死亡したと言われています。 まず、この経緯について少しご説明をいただけますか。宮田 当初、イスラエル側はハマス(※1)が停戦合意を破ってロケット砲を撃ってきた、空爆はそれに対する報復だと主張していました。しかし、実際には2008年6月に結ばれた停戦合意では、イスラエル側もガザに対する経済封鎖を緩和するという約束になっていたんです。それにも関わらず、イスラエルはかえってガザへの経済的な締め付けを厳しくして、外からの物資が入って来れないようにしていたんですね。 ※1 ハマス:パレスチナのイスラム主義組織の一つで、正式名称は「イスラム抵抗運動」。1990年代、オスロ合意に基づく中東和平プロセスに反対して武力抵抗を継続、ヤセル・アラファトらと対立する。一方で、貧困・福祉政策にも力を入れ、貧困層を中心に支持を広げて2006年1月のパレスチナ評議会選挙では過半数を獲得した。しかし、イスラエルやアメリカはハマスを「テロ組織」として非難、正式な交渉相手として認めていない。 編集部 そうすると、イスラエルの「ハマスが一方的に合意を破った」という主張は必ずしも正しくない、と。 宮田 加えて、ロケット弾を撃ったのはハマスではない、他の武装集団だという説もあります。 それに、2004年以降で、ハマスのロケット弾攻撃で亡くなったイスラエル人は18人です。もちろん、18人「だけ」という言い方はできませんが、パレスチナ人側は今回のガザ侵攻だけでも1300人以上が死んでいるわけです。そう考えても、あまりにも過剰な報復ですよね。 編集部 死者だけで100倍以上…。さらに、ガザは今も、イスラエル政府が建設した「分離壁」(※2)に囲まれている状態なんですよね。 ※2 分離壁:イスラエル政府が、「自爆テロを防ぐため」として、パレスチナ人自治区のヨルダン川西岸やガザに建設している壁のこと。隔離壁、アパルトヘイト・ウォールとも呼ばれる(イスラエル政府の表現では「セキュリティ・フェンス」)。パレスチナ人の住居や農地を破壊し、土地を収奪して建設されているだけでなく、町と町を分断し、物流を困難にするなど、パレスチナ人の生活そのものを破壊しているとして非難が集まっている。2003年10月の国連総会でも建設中止を求める決議が採択された。 宮田 あの壁は、本当に非人間的です。高さ8メートルくらいでしょうか。ガザも、パレスチナ人自治区であるヨルダン川西岸地域も、ほとんど全部封鎖して、人間もそこに閉じこめている状態です。 以前、イスラエルにあるホロコースト博物館が新しくなったので、アメリカに住んでいるトルコ人の友人と見に行ったことがあります。そこに、かつてポーランドでナチスが作ったユダヤ人ゲットーの写真があったんですが、思わず「これは分離壁と同じじゃないか」と言ってしまいました。友人も「I agree(同感だ)」と言っていましたが…。 昔、ガザはそこから労働者が出て行って、イスラエルで働いては戻ってくるんだから、アパルトヘイト時代の南アフリカのバンツースタン(※3)みたいなものだと言われていましたが、今や本当に強制収容所という感じですね。あんな狭いところに人を閉じこめてるんですから。 ※3 バンツースタン:かつて南アフリカ共和国で施行されていた、アパルトヘイト(人種隔離)政策の一環として設けられた、黒人の指定居住区。そこから居住区外に働きに出かける住民が多かった。 総選挙で、イスラエル政権は さらに強硬化する?編集部 そして、今回のガザ攻撃が始まった後、イスラエルではそれを支持する世論が90%を越えたという報道もあります。これは、それまで続いていた一応の停戦状態に対して、多くのイスラエル国民は不満を持っていたということなんでしょうか?宮田 僕が話を聞いたときにも、実際にロケット弾が着弾するような町の人たちは、もちろん「何とかしてほしい」と言っていました。警戒警報が鳴ってから5秒で着弾するというので、僕らも防空壕の中でブリーフィングを受けたりしましたから。 ただ、分離壁をつくってから、西岸とかガザからイスラエル領内には人は入って来れなくなっているわけですよ。実際、西岸やガザの住民であるパレスチナ人は、近年はほとんど自爆テロもやっていないし、実質的な脅威じゃないんです。今テロをやっているのは、イスラエル国内に住むパレスチナ人。イスラエル人口の20%くらいを占める彼らが、非常に苛立ってテロを起こしているわけです。 それを考えても、実際に「国民の90%が攻撃を支持している」とは言えないと思います。まあ、もともとイスラエルの世論調査なんて、あてになるものではないですからね。 編集部 では逆に、イスラエル国内で、政府の政策に対して不信を抱いているような人たちはいないのでしょうか。まして、ユダヤ人というのはかつてホロコーストを生き残った人たちとその子孫なわけで、今の図式は自分たちがやられたのと同じことをパレスチナ人に対してやり返している、とも言えるわけですから、そこで疑問を抱く人がいてもいいのでは、と思うのですが…。 宮田 疑問を抱いている人はいると思いますよ。ただ、それが世論の大勢を占める状態には決してならない。自分たちの安全こそを最優先すべきという考え方の中で、過去の記憶はどこかで飛んでしまうんじゃないでしょうか。あの国のセキュリティ意識には、本当に過剰なものがありますから。僕も、テルアビブの空港で預けた荷物を見てみたら、鍵が壊されて開けられていた、という経験がありますよ。 編集部 そうするとやはり、イスラエルの対パレスチナ政策の方向性は、今後も変わる可能性は極めて低い…。 宮田 さらに今年、イスラエルでは2月に総選挙がありました。これまで、イスラエルでは一応「左派」ということになっている労働党と、中道のカディマが連立政権を組んでいましたが、世論調査では右派のリクードが勝っていたので、下手をすればまたネタニヤフ(※4)が首相になる可能性がありました。選挙はカディマとリクードの議席が拮抗する形となりましたが、いまだにネタニヤフが首相になる可能性は否定できません。さらにパレスチナ人に対する扱いがひどくなるだろう、という気がします。 パレスチナ人はよく「どっちが政権をとったって同じだ」と言いますし、ある面それは事実ですが、badかworseの選択だとして考えれば、リクードはやはりworseですよね。以前に、リクード所属の国会議員だった元駐日イスラエル大使が、講演で堂々と「パレスチナ人は壁の中に閉じこめておけばいいんだ」と言っているのを聞いたことがあります。 ※4 ネタニヤフ:イスラエルの政治家。1992年に右派政党リクードの党首となり、1996年から99年までイスラエル首相を務めた。在任中、イスラエル人入植地の建設を推進するなど、オスロ合意に基づく和平プロセスの進展に反対して強硬姿勢をとった。2005年から再びリクード党首。 オバマは中東政策を「チェンジ」できるか編集部 さて、そのイスラエル・パレスチナ情勢に大きな影響力を持つアメリカで、今年1月、オバマ新大統領が誕生しました。 アメリカはこれまで、ユダヤロビーの存在もあってほぼ一貫して「イスラエル寄り」と言われてきたし、ブッシュ前大統領も今回のガザ侵攻について一方的にハマスの側を批判するなど、イスラエル支持の態度を明白にしていました。オバマ政権誕生でそこに何らかの「チェンジ」はあるのか。宮田さんはどう見ておられますか?宮田 少なくとも中東・イスラム政策においては、まったくチェンジできないのではないか、というのが私の印象ですね。 編集部 それはなぜですか。 宮田 たとえば、オバマ政権で副大統領になったバイデン(※5)は、「私はシオニストだ」と言ってはばからない人物です。クリントン国務長官も、もともとはユダヤ系住民の多いニューヨーク州選出の上院議員で、2006年のイスラエル軍によるレバノン侵攻(※6)の際には、「私たちの心はイスラエルとともにある」という発言をしていました。 さらに、オバマ政権で中東問題を担当する1人、マーチン・インディクは、クリントン政権時代に駐イスラエル大使などを務めていたユダヤ系の政治家で、イラン・イラクに対する二重封じ込め政策を提唱した人物でもある。彼がまた中東問題のブレーンになるということは、やはり全体的な政策は変わらないということではないかと思います。 それに、ガザ侵攻が始まったときも、オバマはまったく沈黙していたでしょう。それを考えても、やはりイスラエル政府の意向を受け、それを代弁するというのが、オバマ政権の中東政策の基本になるのではないか、という気がします。 ※5 バイデン:アメリカの政治家。アイルランド系ながら、「ユダヤ人でなくてもシオニストにはなれる」と、自らを「シオニスト」であると明言している。 ※6 レバノン侵攻:2006年7月、レバノンで活動する、反イスラエルを掲げるイスラム主義組織ヒズボラの攻撃に対する報復として、イスラエル軍がレバノン領内に侵攻。空爆と地上作戦が展開され、民間人、国連関係者を含む多数の犠牲者を出した。 編集部 たしかに、ロバート・ゲーツ国務長官もブッシュ政権からの「横滑り」ですし、軍事面での政策にはあまり変更はないということは考えられますね。 ただ、ガザで一応の「停戦」が成立した後、オバマ大統領はアラブ系のジョージ・ミッチェル元上院議員を、中東和平担当特使として現地へ送ってもいますね。これは、パレスチナ和平に多少は貢献しようという姿勢の表れなのか、それとも…。 宮田 僕は、それも結局は「ポーズ」じゃないかという気がしています。というのは、本気でパレスチナ和平を進める気があるのなら、どうしてもハマスやレバノンのヒズボラと交渉する必要があるはずですが、アメリカにその姿勢は皆無です。ファタハ(※7)のアッバス議長に電話したともいうけれど、彼はすでに完全に死に体で、パレスチナ人の間に彼に対する支持や信頼はまったくありません。それと話をしてもまったく実態がないわけです。 これは私の推測ですが、むしろミッチェルは、選挙前のイスラエルの国情、内政を見に行ったのではないか。リクードが勝つのか、カディマ・労働党の連立が勝つのかを見極めに行ったんだと思うんですよ。 ※7 ファタハ:パレスチナの政党の一つ。1980年代からイスラエルとの共存・対話路線をとる。パレスチナ解放機構(PLO)の中心としてオスロ合意を実現させ、パレスチナ自治政府の与党となった。しかし、和平交渉の失速後は、幹部の汚職・腐敗などもあって急速に住民の支持を失い、2006年1月の評議会選挙でハマスに大敗。アッバス議長は現在も自治政府大統領の地位にあるが、実質的な影響力は失われているとされる。 編集部 そうすると、やはりアメリカの「イスラエル寄り」政策には変化がない…。 宮田 そう思います。もちろんイスラエルロビーの存在は大きいし、アメリカの中東政策の仕組みというのは非常に根深い。政治社会の成り立ちそのものを背景にしているわけです。それがオバマになって容易にチェンジする、オバマ個人の力だけで政策を変えられるという可能性は低いのではないでしょうか。
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