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(回答先: ガザ地区で学校再開、学童20万人が登校(AFP) 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 1 月 24 日 23:20:20)
24日、ガザ北部のジャバリヤ難民キャンプにある国連運営の学校では、死亡した生徒の名札が机の上に置かれた=内田康撮影
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009012502000071.html
ガザ停戦1週間 もう友はいない 死亡生徒の机に名札
2009年1月25日 朝刊
24日、ガザ北部のジャバリヤ難民キャンプにある国連運営の学校では、死亡した生徒の名札が机の上に置かれた=内田康撮影
【ガザ市(パレスチナ自治区)=内田康】イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻は二十五日、停戦から一週間を迎える。学校や商店の営業も再開されたが、破壊された家は手つかずのまま。モノ不足による物価高も続く。人々は平和をかみしめつつ、希望を抱けないでいる。
ガザ北部のジャバリヤ難民キャンプで二十四日、再開された国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)運営の学校では、イスラエル軍の攻撃で死亡した生徒六人の机の上に、手書きの名札が置かれた。
「さよなら、私の子どもたち」
担任の先生がそう板書した教室で、イハブ君(13)は亡くなったアヘド君=当時(13)=の机に目をやり、つぶやいた。
「学校が始まってもうれしくない。いつもサッカーをしていたのに、もう会えないんだ」
住民は苦しい生活を強いられている。市場に並ぶ鶏肉の価格は開戦前の二倍、牛肉も五割増しになった。飼育場が空爆されたためらしい。電気も復旧してきたが、明かりがともるのは一日六時間程度。ボンベ入りの調理用ガスも品不足が続いている。自宅が半壊した主婦ファトマさん(50)は「缶詰と野菜のスープの生活。停戦で変わったのは、恐怖が消えたことだけよ」と話す。
ガザ市郊外にはイスラエル軍の戦車のわだちも、ロバの死骸(しがい)も残っている。家を失っても親類宅などへ避難せず、毛布を持ち込んでがれきのそばで過ごす人も。あちこちでたき火の煙が上がっている。がれきの上に座っていた男性に、いつまでいるつもりかと聞いたら、疲れ切った声が返ってきた。
「アラー(神)が助けてくれるまでだ」