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ロンドンとNYの純正テロリストどもは、ガザ大虐殺を煙幕にして、悪事の追求から逃げようとしている!
私のサイトから引用します。
http://doujibar.ganriki.net/falseterrorism/qaeda6-USalqaeda-3.html
(6)正体をあらわにした本物のテロリストたち
より
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18.《純正テロ国家》イスラエルの張る煙幕
2008年から2009年にかけての動きは奇妙だ。2009年1月16日、ムンバイで英国外相デイヴィッド・ミリバンドは「英政府はここ数年『テロとの戦い』という考え方も言葉も使用していない」と大嘘をついた。我々は2005年7月のトニー・ブレアーの言葉を知っている。ミリバンドは言う。「この概念が誤解を招くもので誤っているからだ」と。どのような誤解なのか? AFPが伝えるところによると次のようなことである。
「テロとの戦い」という言葉は「われわれが直面している脅威の重大さをとらえた」点では成功したが、一方で「国際テロ組織アルカイダとその指導者ウサマ・ビン・ラディンに体現された、国際的で統一された敵がいるとの印象を与えてしまった」、しかし実際には、「テロは破壊的な作戦に過ぎず、組織やイデオロギーではない」、また、「テロ集団を統一されたものとみなして、穏健派と過激派、善と悪というように線引きをすればするほど、ほとんど共通点を持たない集団の統一を目論んでいる勢力の思うつぼだ」。
さすがにシェイクスピアを産んだ国だけある。実に見事なレトリックだ。「国際的で統一された敵がいるとの印象を与えてしまった」失敗を強調することで、自らの《国際的で統一されたテロリスト》としての姿とその痕跡を隠蔽し追及をかわそうとしているのだ。それは、ニューヨーク・ワシントンで、マドリッドで、ロンドンで、そしてイラクで、そして世界中の様々な場所で、散々に披露されたものである。
もはやこの「対テロ戦争」の大嘘を隠し切れないと悟って、今までイスラム教徒のせいにし続けた彼ら自身の「破壊的な作戦」はそのまま「事実」としたうえで、つまり「臭いものに蓋」をかぶせて、作戦を終わらさざるを得ない、ということなのだ。2009年1月で引退する米国大統領ブッシュもその引退演説で「対テロ戦争」の言葉を使わなかった。米国と英国の純正国際テロ組織が必死に逃げを打っている。
そして彼らはもう一つの純正テロ国家を煙幕に使おうとしている。ひょっとすると《トカゲの尻尾》にする気かもしれない。2008年暮から2009年1月にかけて、この国の本性が世界にむき出しにされている。もちろんイスラエルである。
この国こそ、まさに「国際テロ組織」によって作られたものなのだ。英国の反シオニスト・ネット雑誌Redress Information & Analysisはシリア生まれのレバノン人であるサム・カッバニによる興味深い文章を掲載している。これは、20世紀初頭から現在までに世界中で数多く記録されるシオニスト・テロの中で、その初期の代表例を分かりやすくまとめてある。(原題は“Pioneers of terrorism”) http://www.redress.btinternet.co.uk/skabbani.htm
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テロリズムの開拓者:イスラエル建国の父たちに関する事実
サム・カッバニ著
以下は、シオニズムと現代のテロリズムとの関係に関するほとんど語られることの無い事実の一部である。
1.最初の飛行機乗っ取りは1954年にイスラエルによってシリアの民間航空機に対して行われた。
2.カフェーでの手榴弾:1937年3月17日にイェルサレムで、シオニストによってパレスチナ人に対して最初に行われた。
3.混雑した商店街での電気仕掛けの時限爆弾:1938年7月6日にハイファで、シオニストによってパレスチナ人に対して最初に使用された。
4.民間人の旅客が乗っている船に対する爆破:1940年11月25日にハイファで、シオニストによって最初に実行された。シオニスト達はパレスチナへのユダヤ移民を渋る英国の政策に抗議するために彼らと同じ民族を爆殺することすら厭わなかった。パトリアと呼ばれるこの船は1700名のユダヤ移民を運んでいたのだ。
5.政府高官の暗殺:カイロでシオニストによって英国に対して最初に行われた。1944年11月6日にスターン・ギャングによってモイン卿が暗殺されたときのことである。イツァーク・シャミールは以前はイルグンのメンバー、その後スターン・ギャングの指導者、そしてイスラエルの首相になったのだが、彼がこの計画の背後にいたのだ。
6.圧力をかける手段としての人質の使用:1946年6月18日にテルアビブで、シオニストによって英国に対して最初に使用された。
7.政府高官たちを民間人の従業員や訪問客と共に爆殺;1946年7月22日にイェルサレムで、シオニストによって英国に対して最初に実行された。キング・デイヴィッド・ホテルで91名の英国人が死亡し46名が負傷したのだ。メナヘム・ベギンはこの攻撃を計画して実行し、後にイスラエルの首相となった。彼は、この大量殺人がハガナーのシオニスト・ギャングの協力と教示のもとに実行されたことを認めたのだ。
8.スーツケースに仕掛けられた爆弾:1946年10月13日【訳注:これは31日の誤り】にローマで、シオニストによって英国大使館に対して最初に使用された。
9.一般市街地での自動車に仕掛けられた爆弾の使用:1946年12月5日にサラファンド(ジャッファの東)で、シオニストによって英国に対して最初に使用された。
10.人質に対する暴行:1946年12月29日にテルアビブとネタニヤとリションで、シオニストによって英国に対して最初に行われた。
11.政治家に送られた手紙爆弾:1947年6月4日と6日の間にイタリアからロンドンに向けて20通の手紙爆弾が郵送された際に、シオニストによって英国に対して最初に使用された。
12.政府の行動に対する報復としての人質の殺害:1947年7月29日にネタニヤ地区で、シオニストによって英国に対して最初に使用された。
13.小包爆弾:1947年9月3日にロンドンで、シオニストによって英国に対して最初に使用された。
14.1953年10月14日水曜日に、イェルサレムの北西にあるキビアでの大殺戮が、アリエル・シャロンの命令の下で第101師団によって実行された。この襲撃は、悪名高いデイル・ヤシンの大虐殺以来の、シオニストによる最も残虐で最も野蛮な犯罪である。42の家屋が学校やモスクと共にその住民もろともダイナマイトで爆破された。72名の女性、男性、子供が殺されたのだ。
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これらは、ハガナー、イルグン、レヒという史上希なる凶悪な国際ユダヤ・テロ組織によって実行されたものだが、これらの組織が現在のイスラエル軍を形作った。つまりイスラエル軍はその始めからテロ組織なのだ。そして彼らのテロ行為が処罰されることはなかった。むしろ米国とソ連によって積極的に後押しすらされたのである。一つ一つ確認すると、現在「イスラム・テロ」と呼ばれるものの形態が全て盛り込まれている。イワショフのいう「国際テロ組織」の原形がここにある。
そして現在、英国と米国の「寡頭支配者たちとそれに従う政治家たち」は、この純正テロ国家イスラエルの本性をむき出しにさせ、世界の注目をそちらにひきつけている間に、「対テロ戦争」作戦を正体を隠してウヤムヤにしたままで表舞台から姿を消そうとしている。イスラエルのガザ地区パレスチナ人大虐殺を煙幕にして雲隠れしようとしている。世界の大手マスコミは、今までになく(!)実に積極的に、この大虐殺をクローズアップする。
ロンドンとニューヨークはテルアビブの凶悪さで世界の目をくらまし、
その間に自分たちの悪事を覆い隠そうとしている。
徹底して薄汚い連中だ。
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