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(回答先: Re: test 投稿者 南青山 日時 2010 年 2 月 22 日 21:17:08)
首相と与党幹事長を殺すべきと主張する老漫画家今日、扱う問題は、すでに幾人かのブロガーが取り上げているが、どうにも許せないものを感じたので、僕なりの批判を加えていきたいと思う。 先日、藤田まこと氏の死を惜しむ記事を書いた。 若い頃は「必殺シリーズ」が好きで、よく観たものだったが、去年の「必殺仕事人2009」は観るのが耐えられなくなっていた。 ここ10年の間に、実母、実父、叔父、ふたりの叔母、継母、従兄弟の子供と、次々と近親者を亡くしてきたからかもしれない。 「命の大切さを知っている」と言ってしまえば陳腐に聞こえるだろうが、火葬場で何人も、近しい者の骨を拾ってきた者にとって、「殺人肯定」のメッセージを底に秘めたこの時代劇に対し、理屈よりも先に拒否反応が起こってしまう。 「悪い奴は殺してもかまわない」・・・・・この論理の刷り込みが齎すものは、たとえば、なにか犯罪が起き、「犯人」が捕まるたびに「殺してしまえ」と合唱するような痛い者たちを生んでいく。いつだったか、mixiにおいて、小沢幹事長に害を加えようとした者が未遂でつかまったニュースについた日記に、少なからず「死ねば良かったのに」「誰か俺の代わりに殺してくれ」等々の慄然とするような表現があったことを思い出す。僕は、この者たちは、「人の死」というものをリアルで身近なものとして体験したことのない未熟な者たちなんだろうなと思うことでなんとか理性を保ったが、行き場のない憤怒を鎮めるのに、しばしの時間が必要だった。 いかに悪人と言えど、犯罪者と言えど、まずは裁判で裁かれなければならない。「裁判なき刑の執行」は、それそのものがまた、犯罪である。 人の命を抹消するという行為については、自分自身に同じ行為が為される理不尽を想像したうえで、思考されなければならない。 昨日の朝日新聞の「声」欄に、ひとつの「諷刺」漫画が掲載された。 作者は、かなり昔から妖艶な美女を描くことに長けた、いわゆる「大人」漫画家「小島功」だ。 長いこと、ビッグコミックオリジナルで「ヒゲとボイン」なる(僕に言わせれば)クソ面白くもない漫画を連載している御仁だが、もう80を超えた爺さんである。 問題とすべきその漫画は、先日亡くなった藤田まこと氏扮する中村主水が、小沢一郎、鳩山由紀夫、金正日、ビン・ラディンと思しき人物を横目に、「仕事人、もっと続けたかったなあ、やあ、冗談、冗談」とつぶやきながら、(おそらく天国に向かって)歩いているという絵だ。 まず第一に問題なのは、金正日、ビン・ラディンと、小沢、鳩山両氏を、同列に扱っていることだ。 金正日、ビン・ラディンは、決して少なくない無辜の人間の命を損ねたかもしれない可能性があると言われている。少なくとも、理念のために暴力と殺人を肯定し、合理化する人間であることは、ほぼ、間違いないだろう。然るに、小沢、鳩山氏はどうか。誰か人を殺したか。どちらも身内の中をぐるぐる回るカネの処理を、適格に出来ていないと、一方的に見なされているだけではないか。百歩譲って、金権にまみれた腐敗政治家だったとしても、殺されなければならない理由はない。それでは2・26事件を起こした皇道派青年将校の倣岸不遜で独善的な論理と同じになってしまうではないか。 そして第二に、たとえ金正日が政権を追われ、ビン・ラディンが捕縛されたとしても、裁判にかけ、導き出された判決に従わせなければならない。三国志の関羽雲長が呉に敗戦したのちに首を刎ねられたような、そんな前時代的なことが、21世紀の現代に為されるべきではないのは当たり前のことだ。 しかし、時の首相と与党幹事長を「殺すべきだ」という寓意を秘めた漫画を、堂々と掲載する朝日の「良識」を疑わざるを得ない。いや、首相や幹事長だけでなく、何びとといえども「殺すべき対象」として描かれていいはずがない。いかに作者が新聞漫画の「大家」でも、これほどの悪意が込められた漫画を、僕は今まで見たことがない。 そもそも「諷刺」漫画というのは、絶対的な権力者の行いに対して、庶民の側からのささやかなレジスタンスと皮肉を込めて、諷したものであると僕は理解してきた。 今までのそういう図式を、藤田まことというひとりの俳優の死に絡めて、この老境漫画家はそのまま当てはめたつもりだろう。しかし、鳩山政権は、庶民が選んだ、庶民がつくった政権だという観点が皆無なために、この漫画は、「諷刺漫画」というより「アンシャン・レジーム(旧勢力)のプロパガンダ漫画」というべきものに成り果てしまっている。「冗談、冗談」というコメントをつけて、「問題性」をはぐらかそうとしているが、冗談で済まされる問題ではない。「どうせ漫画だから」という甘えた言い方は許されない。描いていいことと悪いことがあるだろう。漫画というビジュアルな媒体から刷り込まれるイメージの影響は大きい。政治的なマイナス効果を齎すことはもとより、「生命」の軽視に繋がるという意味において、その罪は深いと言わなければならない。 そして・・。 亡くなったのは「中村主水」ではなく、「藤田まこと」である。彼は必殺シリーズのほかに、数々の役をこなし、舞台にも立ってきた。まだまだ、やりたかったこともたくさんあったに違いない。彼が続けたかった仕事は、決して「殺し」ではなかったはずだ。亡くなられた方の意思をこんな形で矮小化し、政治的なイメージづくりに利用する卑劣な朝日新聞と小島功を、僕は心の底から憎むものである。 ポーランド侵攻時、ナチスが反ユダヤ主義を広めるために新聞に載せたプロパガンダ漫画。 やせこけたポーランド人家族と肥え太ったユダヤ人夫婦の絵。 漫画がファシストの道具にもなりうるのは、小林よしのりや「マンガ嫌韓流」の事例を見ても明らかだ。 いま生きているということ それはかくされた悪を注意深くこばむこと 小室等 詩・谷川俊太郎 (南青山コメント)
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